「ここであいつを待たないと」
「約束したんです、ここで待ってるって。」
「「あいつ?」」ロビンとナミが同時にサンジの言葉を反芻した。
あまりに唐突なサンジの呟きに二人ともその「あいつ」が一瞬誰か
すぐには判らなかったのだ。
サンジが自分達にゾロとの待ち合わせの事実を言う筈がない、と端から思い込んでいる所為でもある。
が、頭の回転の早い二人には、次の瞬間にはもう、「あいつ」がゾロの事だと判って、
「そんな事言ってる場合じゃないでしょう。」とナミが思わず声を荒げた。
何故、そんな険しい声を出してしまったのか、自分でも判らない。
自分に対して、決して我侭を言わなかった男が、動転して自分の意に反した事に
驚いてどう対処していいのか、咄嗟に判らなくて、ナミも動転したのかも知れない。
「早く、傷を縫わないとくっ付かないわよ。」
「掌が半分になっちゃってもいいの、サンジ君。」
「でも、約束したから、」とサンジはロビンに一度は見せた掌をまた、
自分の腹の前で、左手で庇うように隠した。
「守らなきゃいけないんです。」声だけを聞いていると冷静そうに聞こえるが、
ナミと目を合わせず、それどころか、目の焦点さえぼやけているサンジに、
「約束を破ったのは向こうよ。」とナミはますます声を荒げる。
「いえ、まだ、破ってません。俺がここで待ってれば絶対に来る筈です。」
「手とそんな約束とどっちが大事なのよ。」
サンジの痛みを堪えつつ、切れ切れに吐くその言葉を聞いて、
自分の事の様にナミは腹が立った。
約束を破ったゾロにも、その約束に固執するサンジにも。
自分が約束を破られた気がし、その所為で自分の体が傷つけれられて、
寂しくて、心も体も痛くてたまらない気がした。
だから、本気で今は目の前のサンジに腹が立ち、ガンガンする程、頭に血が昇る。
「俺が大事なのは手だけど、」
「あいつが大事なのは、約束だからどっちも」
そう言った途端、サンジの頭がガクン、と前に垂れた。
「そんな駄々を捏ねるなんて、イケナイ子ね。」サンジが凭れていた灯台の壁に、
にょきりとロビンの腕が1本、ぐっと拳を握って生えている。
「殴ったの?」とナミはくず折れたサンジを抱かかえながら、呆れてロビンの方へ
その顔を向けた。
「だって、仕方ないでしょう。」
「時間が勿体無いんだもの、大丈夫よ、軽い脳震盪を起こす程度だから。」そう言って、
ロビンはにっこり笑って立ち上がり、ナミが抱き抱えているサンジに手を添えた。
「せめて、殴った御詫びに二人で運んであげなきゃね。」
「大人しく言う事聞いてれば、起きたまま両手に花だったのに、バカねサンジ君は。」
24時間後に合流する、と言う約束はすでにもう数時間も経過していた。
ルフィ達は、海軍に追われて、港にはまだ到着出来ないでいたのに、
そのルフィ達を捕縛する為に、島を迂回して来た海軍の船の方が先にゴーイングメリー号を発見した。
まだ、チョッパーがサンジの手の、腱を縫合している時だった。
チョッパーの顔を見て、安心したのか、サンジはその時点で、すっかり
落ちつきを取り戻し、もう、さっきロビン達を困らせた我侭を言う事はなく、
大人しく、テーブルに右手を乗せて、自分の掌につけられた傷の具合をじっと
見ていた。
前甲板の方で大きな「ドーン」と言う破裂音がし、船が大きく揺らぐ。
「何かしら。」とロビンはキッチンの丸い窓から外の様子を伺う。
「なんなの?」
「わからない、霧かしら。」
不安げにナミはサンジの治療の補助をしていた手を止めて、ロビンの側に
歩みよって、同じ様に外を見やりながらロビンに尋ねるともなく尋ねると、
ロビンは真っ白な霧しか見えなくなった外の風景を訝しげに見て、そう答えた。
「さっきの音は?」とナミはさっきまで雨は降っていたが、濃霧など
出るような気候ではなかった事を思い出し、眉を曇らせて、また、ロビンに尋ねる。
「さあ。音なんか、した?」とロビンはチョッパーとサンジに同意を求めて振り返る。
「したぞ。パーンって。」とチョッパーがサンジの傷の治療の手を止めないまま
そう答えると、ナミが首を捻った。
「ウソップが帰って来たのかしら。」火薬星の音に似ていなくもない様な気がする。
「怒られるって判ってるから先手必勝でケンカ売ってるのかな。」
「まさか。」ナミの暴論にロビンは小さくクスっと笑って、
「とにかく、様子を見てくるわ。」と言い、ドアを開いた。
(嫌なにおいだわ。)とても潮臭い。炎天下の漁港に打ち捨てられた魚網が
漂わせる腐臭に似ている、とロビンは思った。
その霧を吸い込んだ途端、足から下の力が抜けた。
(これは、海楼石のガス・・?)海楼石を微粒子に粉砕し、気体に混ぜて、
甲板で弾かせた、海軍の新兵器だと、ロビンが気がついた時は
その霧に体中をねじ伏せられ、立つ事さえ出来なくなっていた。
その霧は開かれたドアからまるで風に野って誘いこまれるようにキッチンに入って来て、やはり、能力者のチョッパーの体力を一瞬で奪った。
「ナミさん、二人を頼みます。」
サンジはまだ、斬り傷が開いたままの傷を一時、保護する為に自分のシャツの片方を
使える左手で一気に引き千切った。
「サンジ君、まだ、傷が塞がってないじゃない。」とナミは慌てて、サンジを止めた。
外はさっきまで小雨だったのに、濃い灰色の雲が空を覆い始め、
いつ、土砂降りになってもおかしくない様子だ。
「海軍を蹴散らしたら、すぐに治療の続きをしてもらうから、大丈夫です。」と
やっと、サンジはナミにいつもどおりの柔らかく、少しだけ甘えの混じった笑顔を
向けた。
「相手もまだ視界が利かない筈よ。」
「同士討ちを避ける為にこの霧が晴れたら一気に雪崩れ込んでくるわ。」
「ええ。」
二人は、船外を取り囲んでいる気配をようやく、感じ取る。
「雨が降り出したら、まず、頭を潰してきます。」
「ナミさんや、ロビンちゃんには指1本、触れさせませんよ。」と言って、
サンジはやりにくそうに、左手で煙草の、まだ未開封の箱を開こうとした。
それをナミはそっと受取り、手早く、1本だけを取りだして、サンジの口に突っ込んだ。
「はい、サービスよ。」と言いつつ、キッチンの火を着ける時に使うマッチを
擦って、煙草の先に火を着ける。
「光栄です。」とサンジは煙草を咥えたまま、ニっと笑った。
「おかしいと思わない?」とロビンがゆっくりと起き上がった。
「何が。」とナミは即座に聞き返す。
「どうして、この船に私達が乗ってるって知ってるの?」
「船長さん達が追い駆け回されているとしても、私達が確実にこの船の中にいるって」
「どうして、海軍が知ってるのかしら。」
脱力している体をどうにか起こして、ロビンはナミとサンジにそう疑問を提示した。
「能力者がこの船にいる事を知っていたから、こんなガスを使ったのよ。」
「残りの戦力がどの程度なのかも恐らく、予測して、それなりの装備をしている様な
気がするの。」
「俺達が二手に別れて、どういう行動を取るかを知っているのは。」
チョッパーが愕然として呟いた。
「コバトさんしかいないわ。」
「違うよ。」とサンジはロビンの言葉を途中で遮った。
「飛躍し過ぎだよ、ロビンちゃん。」
「私はあなたよりずっとこういう窮地を潜り抜けてきたのよ、コックさん。」
すかさず、今度はロビンがサンジの言葉を途中で遮る。
「あなたにはただの憶測にしか感じられない事でも、私には確信として感じるわ。」
「経験の差よ」ナミが悔しげに呟く。
「私も、ロビンの意見に賛成ね。」
「そんな事は有り得ないよ、」とサンジは窓の外を一瞥し、また、外から聞こえる雨音の勢いが強くなったのを聞いて、立ち上がりつつ、そう言った。
「好きな人を陥れるような真似、する筈ないじゃないでしょう。」
「相思相愛ならしないわよ。」とナミはドアに向かって歩き出したサンジの背中に
そう言葉を投げた。
「女の嫉妬程、怖くて、バカなモノはないのよ、サンジ君。」
「男の嫉妬も見っとも無いですけどね。」
ナミの言葉にサンジはナミには聞こえない小さな声で呟いた。
「ナミさん達には指1本触れさせません。」とドアを開きつつ、にっこりと
ナミとロビン達に笑って見せた。
「それにチョッパーは俺の傷を縫ってもらわなきゃならないからな。」
「船から叩き落して。隙を見て、港から一旦離れてあいつらが帰ってくるまで、
一時、沖ヘ逃げるから。」とナミが言うのへ、サンジは
「心配ご無用です。」と答えて、ドアを閉めた。
土砂降りの雨がサンジの全身を打つ。
数秒で頭からズブヌレになった。
サンジは破いたシャツの端を口に咥え、キュっと引き絞って傷を保護する。
港には、船に乗り込もうと20人程度の海軍兵が鉤のついたロープを
今まさにゴーイングメリー号へ向かって投げようとしているところだった。
(ナメた人数だな。)とサンジはその装備と人数を見て、拍子抜けしそうになる。
相変らず、手が痛くてたまらない。
さっさとこの小競り合いを片付けて、
手を治療して貰わないと痛みで気が狂ってしまいそうだ。
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