金魚花火


オールブルーに、秋に似た風が吹きはじめた。
つい、二週間ほど前まで毎日太陽が眩しい「夏」の気候だったのに、季節は
あっという間に移り変わっていく。

「夏」が名残を残しつつ、目に映る風景を少しづつ、「秋」の色に塗り替えながら
去っていく最中に、ライはオールブルーにやってきた。

不思議と、ゾロはいつも冬の訪れと共にやって来て、ライは秋の訪れの匂いが
する頃にサンジの元を訪れる事が多い。

(・・・また、随分、くたびれた顔してやがる)とまず、サンジは久しぶりの
再会の言葉を交わす前にライの姿を見て思った。

何故、海軍の中佐となって多忙な筈のライが、私服姿で一人きり、ここを訪れたのか、サンジはライに聞かなくてもその理由を知っていた。

世界政府の中に覇権争いがあり、その煽りを食らった形での謹慎処分。

ライの上司は黒檻のヒナであり、さらにその上には世界政府の役人、さらに
その上には・・・と言う組織図があり、その中には色々と派閥がある。
ライが自ら望んだ訳ではなくても、知らず、その派閥に一端を担っている訳で、
まして、ライは海軍の中では知らぬ者はいないほど、数々の戦功を上げている所為で
その派閥ではいい宣伝材料に使われる事も多かった。

ところが、今回、ある国の内戦に世界政府が介入した。
それは、内戦を治めると言う大義名分を掲げながら介入したにも関わらず、
実情は、世界政府がその国の実権を握り、果てはその国を世界政府の支配下におく為の
戦争だった。

その戦争に反対した派閥が、ライが属している派閥であり、
故に、ライの任務は、直接戦闘に参加するのではなく、逃げ遅れた民間人の安全を図り、かつ最前線で戦う部隊にさまざまな物資を届ける事だった。

その任務を遂行していただけで、ライは10人の部下を失った。
「部下を見捨てて敵前逃亡をした」と言う嫌疑がライに掛かったのは、
この戦争を何が何でも世界政府の都合の良い様に治める為に、
反対している派閥の勢力を削ぐ為の計略の一つだった。
世論がライに同情的になれば、ライを擁護する派閥に同調し、反戦を唱える者が多くなる。そうならない様に、ライを非難し、貶める事で、この戦争に異議を唱える者は
卑怯者であり、我が身が最も可愛い利己主義者だと言い募るキッカケにした。

彼らは、民間に広がっていく情報を操作し、ライを見捨てて逃げた指揮官に
仕立て上げた。
謂れの無い非難でも、それが広がれば広がる程派閥の評価に繋がる。
だから、ライは派閥から切り捨てられた。

一人の客としてライは食事をしていた。
それが終わる頃を見計らい、サンジはテーブルに黙って近づき、
空のワイングラスに無言のまま、少しだけ甘口のワインを注いでやる。

「・・・あの・・・」遠慮がちにライはサンジを見上げた。
(ここにいさせて欲しい)、と言う言葉と、注文していないワインを貰っても
構わないのか、と言う気持ちの両方を言いたいらしいが、サンジはその二つの
質問に淡々と答える。
「洗えてない皿が溜まってる。暇なら手伝え」

傷だらけでボロボロになって、ここへ帰って来たと分かっていても、
今は甘やかすように優しくはしてやれない。

サンジさえ触れるのが躊躇われるほど、ライの心は傷つきすぎている。
薄い皮に包まれた悲しみや憤りが、ほんの少しでも触れたらその薄皮が破け、
今度こそ、ライの心を本当に壊してしまいそうに思える。

だから、あえて、なんの興味もなさげな態度をとるしかなかった。

「はい」ほ、とした様にライは立ち上がった。

そんなライの様子を、サンジ以上にジュニアは気にかける。
だが、サンジがそうするようにライの痛みに触れず、ただ心の傷がゆっくりと塞がるのをまだ少年のジュニアは見守ってはいられない。

最初は無邪気にライの来訪を喜んだ。
「ライさん、俺と同じ部屋でいいよね。しばらく、ここにいるんでしょう?」
「うん、しばらく厄介になるよ。部屋、狭くなるけど構わないかな」
「大丈夫、ライさん、荷物少ないもん」

店を閉め、自宅に戻り、リビングでしばし休息を取りながら二人のやり取りをじっと見ていてサンジはライにも、ジュニアにも気づかれないようにため息をついた。
(・・・ジュニアじゃダメなのか)

生気を失って、感情さえマヒしている状態になった方がきっと楽だったろうと
サンジはライを見て思う。

幾日か過ぎても、ライはサンジに何も言わない。
サンジの側にいるだけで、いつもはとても嬉しそうに楽しげにしているのに、
きっと、ライは普段と少しも変わりない態度をとっているつもりだろうが、
それが却って、(・・・嘘、つかれてるみてえだ)とサンジは、歯痒くなる。

ライの灰色の目には、辛さや悲しさを一人で抱え込んで決して人に見せまいと
必死に押し込めて、押し込め続けて凝り固まった悲しい色がずっと湛えられている。
悲しい現実から目を逸らさず、ライはずっと自分の中のその色を見つめ続けている。

ライがやってきて、10日程が過ぎた。

その日、サンジは色々と処理しなければならない書類を前に、店の仕事を終え、
ジュニアとライが自分たちの部屋で休んでからも、ずっと眠らずに起きていた。

(・・・ん?)
ジュニアの部屋のドアが開いた気配を感じて、サンジはデスクに座ったまま
廊下に面したドアの方へ、手にペンを握ったまま振り向く。

足音が玄関へと静かに遠ざかる。
その足音も、無防備で無遠慮な寝ぼけたジュニアのモノではなく、
気配を殺し、物音も極力殺した、ライの足音だとすぐに気付いた。

ほどなく、玄関のドアも開いてそして、閉まる音が聞こえてくる。
(・・・あいつ、まさか)
嫌な予感がサンジの頭に過ぎった。
今にも自殺し兼ねないほど切羽詰っている風には見えなかったが、
背負ってしまった感情に押しつぶされて、発作的にそんな気になった可能性もある。

(あいつがそんな腰抜けだとは思えねえが・・・・)
すぐに椅子を立たずに、サンジは冷静に考えた。
「サンジさんが拾ってくれた命だから」と、自分の命は大事にして来たライが、
サンジの大事な場所であるこのオールブルーで自ら命を絶つ、などとそんな
愚かな事をするとは思えない。

だが、放っておけない。
ここへ来たのは、心も体も癒す為だろうに、今だライの心は少しも癒えていない。
サンジはそれがもどかしく、歯痒かったが、なすすべを見つける時間さえないまま、
日にちだけが過ぎてしまった。

ジュニアが傷ついて、泣いていたらやはりサンジはそ知らぬ顔は出来ない。
(なんとかしてやらなきゃならねえ)と思ったのは、それと殆ど同じ気持ちだった。
サンジは、上着を引っ掛けて、ライの後を追う。

外は、か細い雨が降っていた。
(こんな雨が降ってるのに、あいつ・・・・一体どこへ)

サンジの家からいくつか細い道が伸びていて、サンジは静かな入り江へと向かうその
うちの一本を選んで足を進めた。

「・・・なんの光だ、これ」
雨が降っていて、空は雲に覆われている筈なのに、ライが佇んでいる小さな入り江の、
桟橋の下に金色の小さな光が泳ぐように右往左往していて、
海面から桟橋越しにライの体を柔らかく照らしていた。
静かに立つさざ波も、ほのかに金色に染まり、岸に打ち寄せている。
その光景を見て、サンジは思わず、足を止めた。
そのサンジの呟きが聞こえたのか、ライは振り返る。
少しだけ、驚いた顔をしていた。

「・・・金魚花火ですよ」
だが、すぐに寂しそうに静かに微笑み、そう答える。

「キンギョハナビ?」
「火を着けて、水中に投げるとどういう仕掛けになってるのか知りませんが、
弾けて、水上を金魚が走る様に見えるんです」

サンジははじめて見るその水上をゆらゆらと走る金魚花火を見つめた。

「・・・僕の部下がこれを作ってくれて・・・」
ライはそれだけを呟いて、声を詰まらせた。

そして、サンジへ背を向け、そぼ降る雨の所為でか細い光しか放てないまま
水上を漂う金魚花火を眼で追っている。

この金魚花火をライに渡した、その海兵はきっと、もうこの世にはいない。
サンジはライの大きな、肩の形がゾロにそっくりな後姿を見つめ、
ただ、見ているだけでそれが分かった。

「・・・辛くないか?一人でそうやって、抱えてるの・・・」

思わず、サンジはライにそう尋ねる。
ここで、自分の側で悲しみを癒したくて、ここへ来た筈なのに、
何時まで待ってもライはサンジに、ほんの一滴も自分が押し殺した悲しみを
漏らさない。思い切り声を上げて、泣きたい、その場所としてここを、
自分を選んだのなら、早くそうして、いつものように、自分にだけ見せる
少しだけはにかんだような、人懐こい笑顔を見せて欲しかった。

ライは寂しそうに笑って、ゆっくりと首を振る。
「・・・ここにいるだけで、僕はいいんです」
「サンジさんが大事に思ってるこの場所にいるだけで、・・・それだけでいいんです」
それだけ言って、ライはまた黙りこくった。

細い細い雨が波に落ちる音、それとその波が岸に打ち寄せる音、花火がジジ・・・と
燃え盛り、そして雨に消される音を二人は何も言葉を交わせないまま、
立ち尽くしてただ、聞いている。

サンジは、恋人でもない。
親でも、兄弟でもない。
一方的に恋い慕い、生きていく力を得る為に、手に触れさえもしない場所で愛している。
弱い自分を曝け出すのが嫌だと言うのではない。
一度でもサンジに甘えてしまえば、きっと、止め処がなくなる。
だから、サンジには、甘えてはいけない、甘えられない。

そう、ライが思っているのをサンジは承知している。
何も受け止めてやれないのなら、何もしない方がライの為なのだろうか?
自問自答して、サンジは答えを出す。

(・・・放っとけねえよ)

だから、声も出さず、思い切り手を伸ばしても、届きそうで届かない場所に
立ったままで、ライの頑ななまでにサンジに見せまいとしている心を解してやりたくて、
雨に濡れて寒そうなライの背中を、目を逸らさずに、ライが振り向くのを
じっと待つ。

「少しだけ、話をしていいですか?」

ライはまだ、サンジの方へ向き直らずにそう言った。


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