「誕生日に会いに来る。この、金木犀の樹の下で待っていてほしい」
そう約束して、この村を荒らす山賊を狩りに行った恋人は、
その約束の場所には来なかった。
どれだけ待っても、金木犀が散り、その樹に雪が降り積んで、新芽が芽吹いて、
蝉時雨に小枝がさざめく季節になっても、また、芳しい薫りを放つ花が
咲く季節が訪れても、恋人は来なかった。

「待っていてほしい」を言う言葉は、金木犀の花の香りとなってヨシの恋人の心を
縛って離さなかった。

それから、幾年も幾年も過ぎたけれども、金木犀の花の香りは少しも変わらず、
秋風と一緒にその村を優しく包んだ。
そして、今もまた、金木犀の薫りを纏った風はいまだ訪れのない恋人への変わらぬ想いを乗せて、声の無い唄の様に「ヨシ」を呼んでいた。


「そうだ。もし、あんたがあの世ってヤツに行ったら頼みてえ事がある。」
「なんだ」
「お互い、用が済んでからでいい。」と短い会話を交わして、二人は
建物の中の気配を探りつつ、そっと根城へと近付く。

(油断してやがる)とゾロは「ヨシ」へ、目配せを送る。
サンジなら、ゾロが何を伝えようとしているかをそれで察してくれるだろうが、
「ヨシ」はそのゾロの視線の意味を理解してくれているのかどうか、
今一つ、ゾロには確信が持てず、そっと口に咥えていた刀を外し、
「昼間だから中のヤツら、寝こけてるみてえだぜ」と囁いた。
「その様だな。30人程、子供はいないが、女は何人かいるようだ」と
「ヨシ」は答えた。

寝ている人間の気配だけで性別までをも戸板ごしに看破した「ヨシ」はやはり、
相当に戦闘に(慣れてやがる)と、とゾロは安心した。
確かに体の使い勝手は確かに違うだろうが、戦闘慣れしているなら、退き時や危険を回避してサンジの体を守るくらいはそう難しい事ではないだろう。

道場の中でいくら強くても、真剣を握り、殺意を持って向かってくる相手を斬り伏せ、
いつ、いかなる場合でも勝利を治められなければ、本当に「強い」とは言えない。
命懸けの戦いの中での勝利を重ねていかなければ、本当の「強さ」を手に入れる事は
出来ない。ゾロの見た所、「ヨシ」は十分、その「強さ」を持っている。

「女を斬れるか?」とゾロは重ねて尋ねた。
「斬れない。」と「ヨシ」は小声で即答する。
ゾロも同じ答えだ。だが、その寝ている女が戦闘員で自分に向かって来る可能性もある。
「だが、女だと思って油断すると痛いメにあう」と「ヨシ」は独り言の様に呟いた。

「ああ、女は怖エからな」とゾロは曖昧に笑って答え、また刀を構えなおした。
「構わねえのが一番だ」とにかく、主な戦闘力は屈強な男に決っている。
それらを倒せば、女が姑息で卑怯な手段で自分達を襲ってきても、油断さえしなければ、
わざわざ女を斬るまでの事はしなくてもイイだろう、とゾロは「ヨシ」に
「女は構わねえのが一番だ」と言う簡単な言葉で意見した。

「そうだな」と「ヨシ」は頷いた。

「いくぜ」

ゾロはそう言うと、足で乱暴に戸板を蹴破った。
中は灯りなど一切無く、真っ暗だ。ゾロの出した騒音で何人かの男が飛び起き、
すぐに大騒ぎになった。

「誰だ、貴様!」
「海賊だ!ロロノア・ゾロとサンジだ!」
「逃がすな、賞金首だ!」などと口々に喚いて、それこそ、「ハチの巣を突付いた様な」
騒ぎとなった。

「かないっこないよ、逃げろ」と言うヤツもいれば、「多勢に無勢こっちのアジトに
踏み込まれて、みすみす逃げてたまるかよ」と威勢良くゾロと「ヨシ」、
彼らにしてみれば「ゾロとサンジ」に挑みかかってくる者、様々だ。

「おい、女が逃げるぜ」とゾロは素手で何人かを殴り倒して、既にに得手なのか、
大ぶりな刀を手に入れ、背負う様に持った「ヨシ」に目線を送った。

「カンザシを取り戻すならあいつらを逃がさない方がいいんじゃねえか」
「野郎は俺が引き受ける。行け」と口早に言うと、「ヨシ」は頷いた。

(あっ)「ヨシ」と目が会った瞬間、ゾロは青い筈のサンジの瞳が「赤く」見えたのに、
一瞬、愕然とする。まるで、夕闇の中の「彼岸花」の花びらの様に、
サンジの瞳は今、「ヨシ」の目になっていた。




それは、山賊達が自分達の視界を見やすくするように手早く起こした灯りの
所為なのに、ゾロにはその赤々として光りを映したサンジの蒼い瞳の中で、
「ヨシ」の命の残り火が一気に燃え上がった様に思えてならなかった。

想いを残した女への贈り物を取り返す為だけに「ヨシ」は今、命を掛けている。
夢でも野望でもない、本当に儚い頼りないモノの為に立ちはだかる山賊を
「サンジ」の細い体では不似合いな大きな刀でなぎ払って「ヨシ」は突き進む。

「コックは大人しく、包丁でも振り回してろ!」とバケモノの様に体躯の大きな
坊主頭の大男が「ヨシ」の前に丸太のごとく巨大な鉄の棍棒を振り上げた。

サンジなら、その男が棍棒を振り下ろすのを風の様に避け、大男の懐に踏み込んで、
顎を蹴り上げるか、あるいは、振り下ろされる前に床を蹴って跳躍し、
サンジを見失った大男が唖然とする一瞬にその頭蓋骨のてっぺんへと踵を叩き付けるだろう。

だが、今、「サンジ」の体は「ヨシ」が制御している。
火花が出るほどの衝撃で棍棒は「ヨシ」が防御の為に振りかざした巨大な太刀へと
振り下ろされ、「サンジ」の足は足首まで朽ち掛けた床にめり込んだ。

ギリギリ・・・と耳障りな鍔迫り合いの音がゾロに倒された者達の呻き声と
まだ、戦意を失わない者があげる狂った雄叫びの中でもはっきりとゾロの耳には
聞こえた。

「っ・・・くっ・・」
「自慢の足技はどうした」と力任せに「ヨシ」の刀を押さえつけている男が
軋む腕の痛さに歪んだ「サンジ」を見て、せせら笑っている。

(力負けする)とゾロは助太刀しよう、と目の前の男を思い切りよく、
袈裟懸けにぶった切った。

その時、「サンジ」の体からふ・・と一瞬で全身の力を抜けた。
力任せに大太刀を押さえつけていた大男と「ヨシ」の均衡していた力比べの
バランスが崩れて、「おっ」と大男がよろめく。
その隙を見逃さずに、「サンジ」の体が動いた。すかさず、大男の懐まで踏み込み、
体を回転させてその遠心力を利用し、サンジの体には大きく、扱い辛そうな大太刀が滑らかな動きで大男の腹を真一文字に切り裂いた。

「うがあっ」と獣じみた悲鳴をあげた大男の腹から血が吹き上がった。
それを被る事もなく、「ヨシ」はもう振り向きもせず、女達が逃げこんだ奥へと
駆け出して行く。

ゾロもその後を追った。
まだ、奥には山賊の手勢が大勢待ち構えている気配がプンプン匂う。

「おい!」ゾロは前を走る「ヨシ」に追いついて怒鳴った。
「こっちの方がいいんじゃねえか」とゾロは拾った、刀身の細い刀を
「ヨシ」に差し出した。

「あんた、物凄くガタイが良かったみてえだな」
「そいつの体、居心地悪イんじゃねえか」と冗談めかしてゾロがそう言うと、
「いや、信じられないほど軽くて早く動ける。それで十分、非力な腕力をカバ―出来る」と「ヨシ」は息も切らせないでそう答えた。

「大事な体なんだろう。そう心配しなくても傷などつけない」と「ヨシ」は
ニヤリと笑ってゾロを見た。

「どうも、細い刀は扱い慣れていないから、この太刀で構わない」と
言って、「ヨシ」はまた先に立って足早に歩き出した。

「待て!」と最も奥まで二人が進んだ時、その奥まった部屋の扉が開いて、
中から白髪混じりの顔中傷だらけの男が出てきて、二人の前に立ちはだかった。

「目的はお宝なのだろう。全てくれてやる」
「この土地から去れ」

恐らく、この山賊の頭らしい男との交渉を遮り、その首筋に「ヨシ」は刃を添わせてそう言った。
「この近辺の村から奪った物を全て返して、ここから去れ」
「2度とこの土地に足を踏み入れないと誓え」

サンジの声と重なって、その時、ゾロは初めて「ヨシ」と言う男の声を耳にしたような
錯覚を覚えた。
頭を脅しているのはサンジの声だとそこにいる者は誰しもが思うだろうけれど、
立ち昇った気迫が、纏った気配が、自分を殺した者、愛しい者と引き裂いた者、
その愛しい者の住む村を脅かした者への怒りは、「ヨシ」だけのモノだと
ゾロには判る。だからこそ、その感情が篭った「ヨシ」の言葉に「ヨシ」の声が
聞こえるのだろう。

山賊達は大人しく、二人の前に奪った金品を積み上げた。
その作業の中には、山賊の身内なのか、若い女性も混じっていた。
圧倒的に強い二人の海賊を前に彼女達は怯えて、竦んで皆、言葉も無く黙々と
物品を運んで、顔を上げようとしない。

「これで全部だ」と山賊の頭は憮然と「サンジ」にそう言った。
「あれも返してもらおう」と「ヨシ」は一人の女を指差した。

「あれは私の娘で」と山賊は「女を寄越せ」と言われたのだと勘違いし、慌てて
「ヨシ」にそう言うと、「ヨシ」は顔色一つ変えずに「あのカンザシだ」と
言い放った。

「ヨシ」を騙した女は山賊の娘だったと言う。
確かにそのカンザシを髪に挿していた女は山賊の娘だった。
「これは村から奪ったモノじゃないわ」と「ヨシ」が伸ばした手を娘は
振り払う。

「ああ、知ってるさ」と答えた「ヨシ」の目は冷ややかだった。
怒りや憎しみが篭った眼差しでその娘を見ていた。

「これは、お前なんかの髪を飾る為のカンザシじゃない」
「自分の身を飾り立てる為に人を殺す様な女の癖に」と「ヨシ」が小さく呟く。
だが、言われた娘はその意味が理解出来ないのか、
「サンジ」を怯えながら見上げる眼差しの中に僅かに怪訝な表情を浮かべていた。


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