「あいつら、全員殺しちまって、俺にやられたんじゃあ、なんのために
逃げてきたのか わからねえなあ、ええ?別嬪さんよ。」

男はサンジのシャツのボタンを まるで ボイルしたウインナーのような
指で一つ、一つ 外す。

(・・・串団子野郎・・・・。絶対エ、許さねえからな。)

ギンへの怒りだけが サンジの意識をどうにか留めている。
ボタンを外して行くウインナ―の手首をどうにか握りこみ、
引き剥がそうとするが、

「へへ、そんな可愛い抵抗しても 痛くも痒くもねえよ。」と
せせら笑う声が耳に生暖かい息と一緒に流れこんでくるだけだ。
眩暈が激しくて、目を開けていられない。

胸の上をナメクジが這っているような 嫌な感覚がして、
そのおぞましさに サンジは気が遠のいた。

「ぐえっ。」

意識がなくなる一瞬前、サンジは そんな奇妙な声を聞いた。




「汚い手でその人に触るんじゃネエ。」

ギンが話し掛けているのは、「かつて人間だった肉片」だった。
体中に返り血を浴び、冷たく目を光らせている姿は、
まさに「鬼人」。それ以外の言葉は 当てはまらない。


落ち葉の上にぐったりとサンジが横たわっている。

ギンは自分の掌を見た。
汚い。
汚いものを殺した血で汚れて汚い。
こんな手で、サンジさんを触れない。


自分のズボンでごしごしとその血を拭った。

「・・サンジさん。しっかりしてください。」

見ては行けないと思いつつ、サンジが陵辱されているかどうかを
ギンは はだけたシャツの間から見える白い肌に目を引き寄せられ、
つい、確認してしまった。

傷一つない。
泥や血で汚れているけれど、鬱血の後などはなく、自分が殴り殺した男も
まだ サンジに触れて間もなかったのだ、と心から安堵した。


サンジは、ギンに優しげに揺さぶられるままになっていた。



頬に柔らかくて、心地よい匂いの布が触れている。
ギンは、サンジをこの港町で一番 いい宿屋に運び込んだ。

病院に行かなかったのは、海賊だと通報されれば 海軍が
サンジを捕らえに来るかもしれないと思ったからだ。


・ ・・違うな。

うつ伏せになったまま、深く眠っているサンジを見ながら 自分が
つけた屁理屈の矛盾を自嘲した。


こんな事はしたくない。
けれど、サンジを抱きしめた瞬間、押さえきれない衝動が
ギンの体を貫いた。

無我夢中で、サンジを抱きしめ、気がついたらこの部屋に運びこんでいたのだ。

とにかく、サンジの肩の傷の手当てをしなくてはならない。
これくらいの銃傷なら 海賊の手でも充分だろうが、
もしも 傷が残る事になるのなら、やはり 医者に見せた方が良い。

傷の具合を見たい。

それには、まず、シャツを脱がさないといけない。
それにはボタンを外さなければならないが、うつ伏せになっているサンジの
胸元に手を突っ込む形なる。

それが出来ない。
サンジに触れる事が出来ないのだ。

「・・・う・・・・うん・・・。」
盗賊達に嗅がされていた薬の効果が麻酔の役目を果たし、
サンジの体から痛覚を奪っていたが、それも徐々に薄れてきたらしく、
小さく呻き声を上げた。

「・・・っ・・・の野郎っ・・・・。」
そう言うと、サンジはうすっらと目を開けた。


「サンジさんッ」

意識のないサンジの体に触ってしまったら、理性の箍が
ぶっ飛びそうで、ギンは怖かったのだ。

だが、意識を取り戻し、許可さえ貰えば 傷の手当てをさせてもらえる事に
怯えなど感じなくて済む。
いや、そんな事よりもサンジが意識を取り戻した事に
何より 安堵したのだ。

ところが、サンジはボンヤリしているものの、ギンに向かって、
明らかに怒りを含んだ視線を投げて寄越した。

「・・・傷の手当てを・・・。」

ギンはサンジの体に手を伸ばそうとした、
その手をサンジは身を捩って拒絶する。


「・・・っつっ・・・・。」その途端、サンジの顔が歪んだ。
傷の痛みではなく、麻酔がとける前の痺れが体を貫いたのだ。

「傷の手当てをさせてください。化膿しちまう。」
懇願するように言ってみっても、サンジはきつい視線を向けたまま、
ギンの手を強張らせる言葉を吐く。

「俺に触んな。」


けれど、サンジは自分がこんな目にあったことを自分の口から
ギンに告げる事も、まして 非難する事もするつもりはなかった。

どうせ、ここにギンがいて、自分が無事に助け出されたところや、
自分が意識を失う前よりも 明らかに増えている血の沁みで、
ギンが自分を助けるために手を汚した事をサンジは悟ったのだ。

だからと言って、許そうとは思わない。
それはそれで 別問題だ。

女性を使い捨てのように扱い、全く関係のない、
(どうして自分が標的になったのかまでは理解していないのだが。)
ここまで 酷い事を考えつき、実行させるまで追い込んだのは
ギンで、サンジが許せないのは その一点に絞られる。

怪我をした事よりも、陵辱されそうになった事よりも、
そして、その窮地から助け出されても、その感謝の意さえ湧かず、
ただ、ただ、腹が立って仕方ないのだ。


「・・・帰る。」
不機嫌極まりない声と表情のまま、サンジは起き上がった。


「ダメですっ。傷の手当てをしないとっ。」
半ば 押さえ込むようにサンジをベッドに押さえこむ。
サンジはうつ伏せに横たわっていたのだから、その怪我の上に
ギンの体重が僅かに乗った形になる。

「ッ痛っ!馬鹿っ!」

サンジの髪の匂いが鼻腔に流れこんでくる。
ギンの心拍数が一気に跳ね上った。


もう、離せなかった。
力いっぱい、抱きしめてしまった。
時折 見せてくれる無防備な笑顔がほしくて
決して悟られないように 押さえ込んできた想いが溢れ出した。


「痛エ!!離せ!」
押し付けられたギンの胸に 背中の傷がモロに触れていることと、
痺れが残る体に触れられて走る激痛にサンジが
声を上げる。

ギンの力は強く、怪我と薬の所為で自由にならない体では、
到底 振りほどく事が出来ない。

「・・・離しません。」
ギンの切羽詰まった声がサンジの耳に熱く息と共に流れこんでくる。

(・・・ヤられる。)サンジの顔から血の気が引いた。

「・・・離しません。」
ギンの切羽詰まった声がサンジの耳に熱く息と共に流れこんでくる。


ギンの鼻先にサンジの首筋がふれる。
そこに脂汗が吹き出していた。

|・・・っく・・・。」痛めた肩を激しく跳ねさせてサンジは抵抗する。
ギンに罵声を浴びせようとサンジが首を捻ったその時、
その耳たぶにひかる金色のピアスがギンの鼻先を掠めた。


そうだ。このひとには、大切な人がいた。
俺がこのまま、この人を抱けば、不器用この上ないこの人の顔から
光りが消える。

「・・・手当てをさせてください。そうすれば、離します。」

苦しい。胸が苦しくて堪らない。
ギンの感情と衝動がひとつの体で激しく 渦巻く。

今、深めてきた思いをぶつけなければ、永遠にサンジには伝わらないような
気がする。
けれど、こんな方法で自分の気持ちを伝えたところで、
サンジは決して 自分に向かって微笑まない。

永遠に、微笑まない。

息を乱しながら、サンジは首を振った。
「お前の世話なんかにならねエッ。」とギンを拒絶する。


ココマデ拒絶サレルナラ、同ジコトダロ。
ヤッチマエ。


「ダメですっ。」自分自身の恐ろしい本能が囁く声に怒鳴りつけているのか、
意地を張って我侭を貫きとおそうとするサンジに怒鳴っているのか、
ギンは判らなかった。


血走った瞳は、金色のピアスをただ、凝視している。

「ここから腕が腐って落ちてもいいんですか、サンジさん。」
必死の思いで振り絞った言葉にサンジの動きが止まった。
ゼエゼエと荒い息ずかいが 静かな部屋に響く。

サンジは息を整えて、ギンの顔を見もせずに
「条件がある。」と低い声を搾り出す。


「なんです。」大人しくなったのに、ギンはまだ サンジを押さえこんだままだ。
ギンの呼吸もやはり、乱れていた。

サンジは、小さく肩を揺らした。離せ、と言う事らしい。

ギンは体を起こした。
けれど、引き剥がされるような、そんな寂寥感に襲われ、思わず
唇を噛んで 理性を引き締める。

ギンの、サンジを大切に思う理性がついに 体を支配した。
ただ、心だけは、凄まじいほどのやるせなさに満ちていた。

大切過ぎて、
あまりにも遠い、自分の想い人に気持ちを伝えてくても
伝わらない、伝えられない、臆病な自分がやるせなくて、
胸が苦しかった。


「俺が怪我をしたのは、てめえの所為だ。誰の所為でもねえ。」
サンジは、体を反転させ、ギンの胸に掌を押しつけながら
体を起こす。
自然、向き合う形になった。

「てめえが俺に詫びて、これで終わりにしろ。」
高圧的で、歯向かう事の出来ない口調だった。

サンジは、自分が浚われた理由を知っているのだ、とギンは察した。

サンジの家で食事を取り、一晩泊まった翌朝、
自分の恋人だと、あの例の女を勘違いして、
「捨てた」と言った時、サンジは激怒した。

おそらく、その女が自分の災難に関わっていて、ギンがその女に
報復する事をサンジは予想して、
それを止める様に、と自分に命じている。

「それじゃ、俺の気が納まりません。」とギンは言い返した。
それにすでに部下達には 女を見つけ次第、決して殺さずに
自分の元へ 連れて来るようにと下知を下している。
それは、サンジに詫びさせるつもりではなく、自分の手で
始末するつもりだからだ。


「お前の気が納まる、納まらネエなんざ、俺の知った事か。」
「俺はお前が俺に詫びれば 気が納まるんだよ。被害者は俺だ。」


蒼い光りがギンの顔を射抜くように まっすぐに向かってくる。
この視線には、ギンは抗えない。

「その条件が飲めネエなら、俺も勝手にさせてもらうぜ。」と
サンジはさらに言い募る。

言い出すと聞かない、自分の主張を曲げない、その気性の激しさは、
始めて会った時、
「腹が減った奴には食わせる」と自分の大切な店が
襲われる可能性もあるのに、それを周りの人間に非難されても貫いた、
あの頃と少しも変らない。
そう感じた時、自分の想いは あの頃よりもずっと、ずっと
深く、熱くなっていることを思い返した。

年月を重ねるごとに、 会えなくても、こうして目の前にいても、
想いはただ、募っていくだけ。
それも、どうしようもなく不毛で、決して報われることがない。


「サンジさん。」

あんたが好きだ。どうしようもないくらいに。


この言葉を今、言ってしまったら、人間として生まれた幸せを失う事になる。
ギンはまた 想いを飲みこんだ。


「判りました。約束します。」

ギンがその言葉を口にした途端、サンジの口元に白い歯が覗いた。
ギンの約束を信頼している証しだ。

「俺の船の船医を呼びます。」
やはり、サンジの体にナイフを突き立て、傷跡を残すようなことは
ギンには出来なかった。

人を使わせて、クリーク海賊団の船医を呼び寄せ、サンジの体に
撃ち込まれた弾を取り出させる。

全身麻酔をかけられ、深く眠りこんだサンジの肩から
船医は短銃の弾を抉りだし、器用にその傷を塞いで 消毒する。

「傷は残らねえか。」とギンは 作業を終えた船医に尋ねる。
「肉が盛って来ないことにはなんとも。でも、抜糸するのに
早くても1週間はかかる。それまでは、ここで安静にさせなきゃならネエです。」と
いかにも海賊の船医らしい、ぞんざいな言葉遣いで答える。

「それと、総隊長。これを。」と船医は何種類かの薬をギンに手渡す。

消毒液、解熱剤、抗生剤、などと一通り説明し、
最後に 明らかに如何わしい容器に入った薬を手渡した。

「へへ、これは特別な作用の薬ですよ。いわゆる、惚れ薬って奴でさあ。」


下卑た笑いを浮かべて、船医はサンジを見やった。

「いらん。」ギンは即答し、その薬をすぐに船医に投げつけるように
突っ返す。
「余計な事をするな。」と睨みつけたギンの眼差しに船医が震えあがった。

自分でさえ、サンジをそう言う対象としてみることは、
穢れたことだ、許されることではない、と戒めているのに、
下卑た目でサンジを見つめただけの仲間である船医にさえ、
ギンは憎悪をを覚えたのだ。


サンジの傷は、本来 全身麻酔などかける必要などないのに、
船医は敢えて サンジにその処置を施した。

総隊長に媚びる為だといっていい。

サンジがギンにとって 特別な存在であることはもう、クリーク海賊団の
殆どの人間の知るところとなっていた。
ギンは怯えた表情の船医に 溜息と共に、言葉を吐く。

「誤解するな。この人は俺の恩人だ。ただ。」
ギンの声には苦渋が混じっていた。

「ただ、それだけだ。」


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