その日は、天候がめまぐるしく変わった。

冷たい雨が降ったり、かとおもうと 強い風が吹いて雲を吹き飛ばして
晴れ間を覗かせたり。


サンジが日暮れにこい、と言っていた場所に
「俺は一体 何をしてるんだろう」と思いつつ、酒瓶を2本、胸に抱えて、
ギンは しゃがみこんでいた。

両方とも、自分が口にするつもりなどない、今年 絞りたての葡萄の果実を
絞って発酵させた 芳醇な飲み物。

空はすでに 茜色に染まり始めていた。
雨がやんだ後の夕焼けは、事のほか美しい。

夕焼けを「綺麗だ」と思ったことなど、生まれて初めてだったような気がして、
ギンは少し 愕然とした。

ワインを買うのも生まれて初めてだった。


サンジさんといると、俺はどうなるんだろう。
ふと、空を見上げて考えてみる。

鬼人だと怖れられている自分。
それも、紛れもなく 自分の真実の姿。

すでにサンジにはその姿を晒している。
サンジが自分の根底にある 冷酷で獰猛なおぞましい性格を理解した上で、
それでも、「ヒト」として、相変らず 優しくしてくれるのが
堪らなく 嬉しくて 幸せなのだ。

そんな人間は、誰もいなかった。

それに、必要ともしていなかった。

そこまで、考えて ギンは頭を振った。


「ヒト」として、欠落している自分に優しくしてくれる人を
求めて・・・・・いなかった。

今は?
これからは?

求めているのか?
求めてしまうのか?

冗談ではない。理性の箍(タガ)が弾ける前に 引き返すべきだ、と
ギンの良心が 心の奥の方で叫んでいる。

「・・・ダメだ。」
自分自身でさえ、その意味がわからない呟きをギンはふと 漏らしていた。


全く、自覚のない サンジにどんどん 「鬼」から「ヒト」へと
変わらされていくのが、恐ろしかった。


すっぽかされた方が 気が楽だ。
サンジにとっては、気まぐれな思い付きで かけてくれた社交辞令だったと、
今なら 笑っていられる。

日が暮れた。

サンジは、まだ 来ない。

すっぽかされることを期待するのなら、約束の時間を過ぎても
来ない相手を待つ事はない。


さっさと今夜の宿を見つけて ここから 立ち去ってしまえばいいのに。


ギンは、湿気を含んだ 冷たい風に晒されながら
人通りがすっかり なくなる深夜まで ずっと ただ、サンジを待っていた。


遠くから 人が駈けてくる音を聞いた。

その足音は。
どんどん 近づいてくる。

近づいてくるに連れ、だんだん その姿もはっきりしてくる。

ガス灯さえ消えた町は、ただ 月明かりだけが光源なのに、
月の光は はっきりとその太陽の色の髪に注がれている。


息ずかいさえ、耳に届いた。

「お前、なにやってんだよ!!」


ギンの目の前に、息を切らせた 待ち人が仁王立ちになっていきなり怒鳴った。

「日暮から 何時間経ったと思ってんだ!もう、夜中じゃねえか!」


でも、走って来た。
サンジは、自分が待っていると思って ずいぶん遠くから
走って来た。

髪から汗を滴らせ、昼間見た スーツ姿より 着崩れた様子に、
サンジが かなり遠くから走ってきてくれたことを見て取って。


それでも、待っていた自分に対して怒っているサンジの優しさが
今は、自分だけのものだと実感して。


ただ、「・・・すみません。」としか 言えなかった。


「なにが、すみません、だ!怒れよ!」

サンジは、バラティエの調度品や、テーブル、椅子、など 
ゼフが選んだそのままのものを用意したくて、職人に直接交渉していたのだ。

それに思ったよりも 時間がかかってしまい、こんなに遅くなってしまった。

ギンが待っているとは思わなかったけれど。
それでも、何故か 走って帰ってきた。


日暮から ざっと5時間は有に 経っているのに、ギンは昼間 出会った場所で
しゃがんで待っていたのだ。
その姿を見た時、サンジは訳もなく腹が立った。

それに対しての答えが「すみません」だ。
お人よしにも程がある。
ギンは、自分に対して どうして ここまで人がいいのだろう。
サンジが初めて考えた ギンの気持ちへの疑問だった。


「なんで、待ってるんだよ。」
「サンジさんのメシが食いたかったからです。」


ギンが何も考えずに答えた言葉にサンジは 嬉しそうな、申し訳なさそうな、
困ったような、不思議な表情を浮かべる。



「・・・腹減ったしな。行くか。」
サンジは、前に立って歩き出した。

ギンが肩を並べてくるのを待つように、いつもよりもゆっくりと歩くが、
ギンは サンジの斜め後ろを歩く。

サンジは その事にすぐに気がついて、振り向いた。

「なんで、後ろを歩く?!蹴り飛ばすぞ!」
「は・・・」

ギンは、あわてて サンジの横に並ぶ。
前髪に隠している方と反対の、蒼い瞳が前を向いている横顔をちらり、と盗み見た。

道すがら、サンジは今日あった事をギンに愉しそうに話した。


寸分の違いなく、再建する。
新しく作るよりも、ずっと大変な作業だろう。

それでも、サンジは バラティエを ゼフの残したレストランを
ゼフの残したままの姿で 再建することを強く望んでいる。

その話しを聞いて、ギンは今更ながら 自分とサンジが戦った時の
光景をまざまざと思い出した。

サンジが命を投げ出して守ろうとした、大切なもの。

一度はそれをサンジから奪おうとしたけれど、今はその願いを叶える
 手助けをしていると思うと、その時の罪を
償っているような気がして、嬉しかった。

「入れよ。」サンジは、仮寝の宿としている 小さな部屋の扉を開け、ギンに中に入るように促した。

その夜、ギンは、帰ってこなかった。

おそらく、宿を取ったのだろう。
女は、ギンの右腕である男から、巧みにギンの変貌の理由を聞き出した。

女にとっては、ギンが変貌したようにみえるのだが、実際のところ、
ギンは何も変わっていないのだが。

総隊長が雇ってきたコック。
女の自分から見ても、確かに美しい容姿をしている方だと思った。

「あの人は、ギンさんの特別な人だからな。恨みに思ってる連中も
いないわけじゃないが、あの人に手を出せば 間違いなく 
ギンさんに殺されるだろう。」

この男は、ギンがサンジの面影をその女に重ねている事に
早いうちから 気がついていた。

「余計なことは考えず、総隊長が帰ってくる前に船を降りろ。」と
取り縋る隙も微塵にみせずに言い放った。


女に相当の金を与えた。


ギンが憎い。
よりによって、男を想って 女の自分を抱いていた事に激しい怒りを
覚えた。


自分を簡単に捨てたギンへの怒りは、そのまま ギンの想い人にも向けられる。
「総隊長の女」という立場を失った女には、この海賊団の船にいる理由がない。
日々 嬲られ、陸で春を売るよりも 辛い目に会うのは明白だ。

「総隊長の女」から「総隊長に捨てられた女」になった女は、
胸にどす黒い恨みを抱いて、クリーク海賊団の船から降りた。


ギンは、サンジの部屋に通され、軽く見渡す。
その部屋は、驚くほど質素だった。

余計なものがない、というより必要なものも揃っているのか
疑わしい。

部屋に具えつけられていなければ、恐らく ベッドも用意していなかっただろう。
余計なものがない分、整然としているけれど、温かみがない。

いかにも、「仮の寝床」といった風情だった。

小さなコンロと小さな鍋、小さなフライパンで サンジは、器用に
スープといくつかの料理を手早く作った。

「誘っといてなんだけどよ。床で食おうぜ。」


小さな部屋に食欲をそそる匂いが充満する。
ギンは、サンジが促すまま、床に座りこんだ。


その食事風景は、決して 豊かなものではないけれど、
ギンには 生きてきてこれ以上 心満たされる食事をとったことは
一度もなかった。


夜は更けて行く。


食事が終ったあと、ギンは 空が白み始めたのを窓の外が
ほの明るくなってきたことで知った。

何を喋っていたのか、思い出そうにも 思い出せないほど、
舞いあがっていたのか、時間が経つのが恐ろしいほど早く感じた。


サンジが煙草の煙りと一緒に 欠伸をする。

「・・・眠くなって来たな。」
サンジもギンと同じように 窓の外を見やった。

ギンには別にこれといった用はない。
だが、サンジには ギンの船の食事を作るという仕事もあるし、
昼間は バラティエ再建のための 仕事がある。

「寝る。」
サンジは、唐突に壁に凭れ手首をうなだれた。
海賊稼業で沁みついた習慣なのか、ベッドにわざわざ潜りこむのも
億劫なので、上着だけを脱いで その場で瞳を閉じたのだ。


「じゃあ、サンジさん、俺はこれで・・・・。」
ギンがそう言って、立ち上がろうとした時、瞳を閉じて まだ 数秒しか
経っていないのに、もう 穏やかな寝息がサンジの鼻腔から聞こえてきた。


(・・・参ったな・・・・。)


治安の良くないこの港町で、ドアを空けっぱなしで出ていくわけには行かない。
ギンは、背を丸めて眠っているサンジの寝顔を覗き込んだ。


どうして、この人は、こんなに無防備なのだろう。
一度は、自分を殺そうとした人間を自分の部屋に招き、食事を共にして、
油断しきって眠るなんて。




ギンは、サンジという人間が まるで 生まれ立ての雛のような気がして来た。
いや、とんでもない事なのだ、ギンは考え直す。
実際、一度 敵と認識した相手には、全力をかけて叩き潰そうとする勇猛さも充分に
持っているのだから、「雛」なんて、可愛いものではない。


その相反する個性が サンジには混在していて。
それがどうしようもないくらい、ギンを惹き付けているのかもしれない。


それにしても、参った。
帰るに帰れず、ただ、サンジの眠っている姿を見つめているしか
やる事がなかった。

薄い黄色の光がサンジの顔に 柔らかく 降り注いでいる。


綺麗な人だ。
ギンは、つくづく そう思った。



手を伸ばせば、体に触れる事も出来る。
抱き上げて、ベッドに運ぶ事も出来る。

けれど、そんな事が出来ないのは、自分の手が触れたら サンジが目を覚まして
しまいそうだからだ。


多分、今の自分にとって、これが一番大切なものだ、とギンは思った。





「お金は前金で 300万ベリーよ。事がうまく運んだら 残り700万ベリー。」

場末の酒場で ギンの女が盗賊相手に密談をしていた。

「いいな。1000万ベリーか。で、そのニイちゃんを売った金は?」
「好きに使えばいいわ。」

「簡単にはいかないわよ。クリーク海賊団のギンが相手になるかもしれないんだもの。」
「だから、1000万ベリーなんだろ。まかせな。盗賊には、盗賊のやり方があるんだ。」

海賊よりも、山賊よりも、「盗む」事にかけては 「盗賊」の方が
その技術に長けている。

海賊や盗賊は、「強奪」「略奪」しか やらないのだが、
「盗賊」は盗み出す事が専門だ。しかも、それを換金するルートも独自に発達している。

金品は勿論、人間や、家畜、厳重に保管されている財宝なども、
盗賊は 長く計画を練って、盗み出す。そういう正統派もいれば、
海賊達となんら変わりない 狂暴な輩もいるのだが。

「総隊長に捨てられた女」は、その狂暴な盗賊と契約を交わした。

「男」を盗んで、金に換えるのだ。

海賊や、賞金稼ぎには、「ギン」の恐ろしさは知れ渡っていて、役に立たない。
だから、全く畑違いの「盗賊」に ギンへの復讐を依頼したのだった。



「充分に下調べをして、絶対にしくじらねえようにしてやるよ。」


盗賊の頭は、下卑た笑い方をした。
「総隊長に捨てられた女」の顔にも 冷酷な笑みが浮かぶ。

復讐するという行為こそ、ギンを愛していた事の裏返しだとは、自分自身でさえ、自覚しないままに。


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