ところが、ギンの期待は外れた。

食事を作ると、サンジは、さっさと帰ってしまったのだ。

なぜだか、特別扱いされているような気分になっていた自分が
惨めで恥かしい。

昨日、差し向かいで食べた食事よりも ずっと 味気なく感じたのは気のせいか。

「総隊長。」ギンの腹心の部下がギンの私室をノックする。

用件は、明日 全ての船がメンテナンス工場(ドック)に入る。
当然、船で寝泊りする事は出来ない。

食事は、一隻だけ残した船で摂る事になっている。
それは、全員の安否を確かめるために日に一度 集合させるのが目的なのだ。
上陸した途端、脱走するものや、海軍に情報を提供する裏切り者がいないとも
限らない。それを監視するためにも、集合させておくのがクリーク海賊団の
やり方だった。

部下達の寝床を手配することがこの男に任されていた仕事だ。

手配と行っても、宿に無理矢理 住みつかせて宿代を踏み倒すだけなのだが。

「総隊長はどうします?」
「俺はどうとでもする。」ギンは短く答えた。

そう言えば、サンジの住んでいる部屋はどこなのだろう。

近くに。いや、いっそ、今だけでいいから、一緒に。寝泊りできたら どんなに幸せだろう・・・・?

そんなこと、出来るわけもないだろう、と馬鹿馬鹿しくなってその考えを打ち消した。


次の日。
夕食前、サンジを今夜は掴まえて、
少しだけでも 二人きりで話しをしたくて、ギンは厨房周りをうろついていた。

窓越しに、腕まくりをし、黒いエプロンを身につけ、
鮮やかな手さばきで料理を作り上げていくサンジを盗み見ている。




「そっちの鍋はもういいぞ、もっていけ。それは 後10分かかるから、
先に食器を用意しとけ。これはそれに振りかけるやつだから、
スプーンと一緒に鍋の横に器にいれておいとくんだ。」

手は休ませず、海賊家業が本業の不器用なコックモドキ達に的確な
指示を飛ばし、膨大な人数分の食事をサンジは 手早く作り上げていく。

ふと、視線を感じて窓の外を見ると、ギンらしい顔が目についた。

サンジは、顎で「こっちに来い」と示す。
味見くらい、させてやろう、ついでに手伝わせよう、と思っただけだ。



窓越しに サンジと目が合ったギンは それこそ 心臓が止まるか、と思った。
が、どうやら、「厨房に入ってこい」という仕草を見て取り、
いそいそとサンジの側に歩み寄った。

「覗いてネエで、手伝え。」
そう声をかけられ、ギンは頭を掻いた。

「何をすればいいんで?」と尋ねると、小さな皿が鼻先に
突き出される。
そこには、サンジの手もとの鍋に煮えている できたての料理が舐めとる量だけ
盛りつけられている。

「取りあえず、味見だ。それが済んだら、あいつらを手伝ってやれ。」
ぶっきらぼうにそう言って、ギンがそれを口に含むのをじっと見ている。

その視線を受けて、ギンの顔が赤らんだ。

「美味いです。」
「当たり前だ。」
サンジはただ その言葉が聞きたかったから、
ギンに味見をさせたに過ぎない。そして、ギンに向けられた笑顔もまた
ただの気紛れ。

それを判っていても、こんな些細な事でさえ、嬉しい。


「じゃあ、早くあいつらを手伝ってこい。」

サンジの言葉どおり、総隊長自ら 食事の準備を手伝った。


食事が終りかけ、うっかりサンジを見失いかけたギンは、
慌てて 船の上にサンジの姿を探した。

「サンジさん!!」


サンジは、すでに港に飛び降り様と船の舳先に足をかけていた。

「ちょ、ちょっと、待ってください!」
別に用などないのに、慌てて止めるギンの声にサンジは訝しげな表情を浮かべて
振りかえる。

「なんだ、なんか用か。」

と聞かれて ギンは答えに詰まる。

「え・・・と。明日は、休みなんでしたね。」
「それがなんだ。明日はこれねえぞ。」


何を喋るつもりだったのか、なにも考えてはいなかった所為で、
会話が続かない。

言葉をどうにか 繋いでいこうとするギンはしばし 沈黙してしまう。
サンジは ほんの数秒だけ、待つ姿勢を見せた。

「え・・・あの、明日は休みなんですよね。」
「だから、それがどうした。」

「今日のメシも、凄く美味かったです。」どうにか、搾り出した言葉に、
サンジは、一瞬呆気にとられたような表情を浮かべたが、
ぷっと笑った。

「そんなこと、わざわざ言いに来たのか?義理堅いんだな。そういうの、
お前のとこのドンは嫌いなんだろ?」

背を向けて、首だけギンの方へ振りかえっていたサンジは、体を
反転させて 舳先に腰掛け、ポケットから煙草を取り出し、火をつけた。

煙草を吸い終わるまでは、ギンと話しをしても構わないと思ったのだろうか。

「そんなべんちゃら 言わなくても ちゃんと食えるものを作ってやるよ。」
「いや、本心でありがてえ、と思ってます。海の上じゃ碌なもの 食ってねえし。」

煙草を口のはしに咥えたままで サンジは笑った。

「こっちこそ、そうはっきり 礼を言われちまうと 嬉しいもんだ。」
「気分良く 仕事が出来るよ。感謝するぜ。」


そう言うと、ゆっくりと立ちあがり、
「またな。」と簡単に挨拶をして、港に飛び降りてしまった。


月明かりの中、ポケットに手を突っ込んで 闇に溶けこんでいく
サンジの背中をギンは見えなくなるまで 見送った。


(明日は、来ないんだな・・・・)


たった、2日しかも ごく僅かな時間を過ごしただけで、もう、こんなに
淋しく感じている、それをしっかりと自覚できるほどに。


どうしようもなく サンジが好きなことは もう 自分の中で消化されていて、
別に 動揺することもないのだが、
遠くから、その姿が見えないままで思っているだけで 満足していたのに、
目の前にいて、声を聞いていると ヤバイくらいに 欲望が膨らんでいくのを
感じていた。


いっしょに 飯を食えたら・・・・・、それが叶い。

目の前にいてくれたら、・・・・・それも叶い。

声を聞けたら ・・・・・それも叶った。


次に願うのは、触れることだった。


その手に、その髪に、触れられたら、と今は そんなことを願っている。

なんて、ささやかなんだろう、と苦笑する。

ギンには、「飼っている」女がいた。

というより、ある港で知り合い、その女の望みを叶えてやったら、
勝手についてきたのだ。

海賊達の格好の性欲処理になるから、と言う理由で連れて来てしまった。
この女の髪の色と、瞳の色だけがギンに その女の存在をこの狂暴な男達の
巣窟である海賊船に留めておく理由になっていた。

サンジを想って、なんどもその女を抱いた。
優しく、限りなく 大切に扱った。
真っ暗闇の中、女をギンはサンジに見たてていたからだ。

女は 完全に 思い違いをしていた。
そして、周りもいつしか、「総隊長の女」として、その女を丁寧に扱うようになったのだ。
ギンも、それに気がついていながら、放置していた。

サンジの身代わりにしか過ぎない女だったけれど、だからこそ、
他の男に抱かれることに抵抗があったからだった。

だが、今は そんな事は頭に全くない。

目の前にいる本物と 適当に見繕った模造品では 余りにも
その美しさに開きが合った.

同じ色の瞳なのに、そこに篭る熱も、強さも 輝きも 違う。

唯一、無二の存在だったと改めて思い知らされた。

今日は、サンジが来ない。

サンジの姿を見る事が出来ない。
サンジの声を聞く事が出来ない。

「ねえ。」




ギンの自室に、胸元が大きく開いた服を身につけた女が
身をくねらせながら 滑らかな動きで足を踏み入れてきた。


男に媚びを売るための香水の匂いが鼻につく。


「・・・抱いてよ。」


ギンは、無表情に女を眺めて、背を向けた。

自分のおろかさに吐き気を覚える。

なんで、こんな下らないものを拾ってきたのだろう。
こんな下らないものを サンジとして抱いていた事に 恥かしさを覚えて情けなくなった。


「お前にはもう 用はねえ。どこへでも行け。」


口を利くのも面倒だった。

女に優しい言葉など かけたことはない。
優しくした覚えもない。

ギンが優しくしたのは、「蒼い瞳」と「金色の髪」に対してだけだった。

「何いってんの・・・・?」

薄笑いを浮かべて、女はギンの膝に座った。

「面白い冗談ね。毎日、あんなにあたしを可愛がったくせに。」


ギンは、乱暴に女の胸倉を掴み、壁に叩きつけた。

悲鳴が上がる。

「俺が帰ってくるまでに 船を降りろ。二度と、俺の前に現れるな。」

そう言い放つと、ギンは自室を出て行った。




港町をぶらつく。
あてもなく、酒場にでも行こう、と足を進めていると
人ごみの中に 揺れる金髪を見つけた。

ハッと思って 目をこらすと やはり華奢な黒いスーツ姿の背中だと
わかった。

ギンは、人を押しのけながらその背中を追った。

「サンジさん!!」
こんな町中で人を大声で呼ぶなど、呼ぶほうも呼ばれる方も大概 みっともないものだが、
それでも ギンは サンジを呼んだ。

その声は、やはり、サンジを捕まえた。


「よう。」


気軽に返事をするサンジは、大きなカバンを手に下げていた。

ギンはサンジに駆寄った。

「何やってんだ、酒でも飲みに来たのか。」
機嫌の良さそうな声にギンは安心した。

「ああ、・・・・退屈だったし。サンジさんは?」
「俺は、家具屋とか、色々だ。」
サンジは、懐中時計を取り出した。

「あ、やべ、こんな時間か。約束があるんだ。お前、今晩のメシ、どうするんだ。」

と せっついた様子で聞かれ、ギンは思わず正直に答えてしまう。

「酒だけで別に・・・晩飯なんて考えてないです。」


「そうか、じゃあ、俺の部屋に食いに来いよ。そうだな、日が暮れたら
ここに来い。」

有無を言わせない調子で一気にそう言うと、サンジは 「じゃあ、また後でな。」と
ギンの返事も聞かずにさっさと行ってしまった。

返事が出来なかったのは、ギンの頭の中が固まっていたからだ。

どうして、食事を部屋で・・・?


もしかしたら、サンジさんは気がついているのか?


俺がサンジさんを好きだって事がばれたのか?

だから、優しくしてくれるのか?


恐ろしい疑問が次々と心に沸いてくる。


何故、恐ろしいのかというと、その疑問をサンジに尋ねることが出来ないからだ。

「サンジさんのこと、俺は死ぬほど好きです。」などと
言ってしまったら、

今以上の苦しみが待っていることくらい ギンには判っている。

だから、今の気持ちをサンジに知られてしまったら、サンジを困らせる事になるし、
いや、困ってなどくれないだろう、気味悪がられて、
蹴飛ばされ、二度と 優しい素振りなど 見せてはくれなくなるだろう。


一体、なんのつもりなのか、さっぱりわからなくて ギンはサンジが恐ろしかった。




ギンの自室で女は泣き崩れていた。


愛されていると思っていたのに。
愛してなどいなかったが 海賊達に敬われて いい気分だった。

「ギン」は 自分を誰かの身代わりにしていたのだ、と今になって気がついた。

ここで捨てられたら、また 日銭を稼ぐ 商売女になるしかない。

嵐の日もあるが、海賊の総隊長の女というのは、この女の範疇を満足させられるだけの
贅沢は出来たのだ。

ようやく めぐってきた幸運をやすやすと手放したくはない。


ギンを手放したくはない。
自分から、ギンを、この生活を取り上げるものを排除しなければならないと女は考えた。


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