「斬れるようになったのは、鉄だけじゃねえ。」
「水になろうが、砂になろうが、"命"のあるものなら」
「俺ア、なんだって斬れるんだ。」


今まで、数々の、自分と敵対する相手と戦った。
けれど、この男ほど、

殺したい、八つ裂きにしても足りないと思わせた男はいなかった。

あれから 十数年、確かにクロコダイルは老いた。

頚動脈をゾロに断ち切られ、血を吹き上げながら、
倒れた姿は、思いの他、小柄に見える。
けれど、

ただ、死ぬだけではこの男がサンジに対して犯した罪を
許してやる気には、ゾロもサンジもならない。

「俺の血がそんな力を持っているか、そうでないか、」
「てめえの体で思い知れ。」

サンジは、おもむろにゾロの刀を 極自然な仕草で その手から
奪い取った。

ゾロが止める間などなかった。

もう、冷静な判断など、サンジは出来ない。
目の前のクロコダイルが憎い。
その感情だけが サンジの魂を支配し尽くしている。

本当に自分の血にそんな力があるのなら、

ゾロが斬った傷を治し、立ち上がったところを
死を乞うまでの苦しさを与えなければ、
この憤怒は 薄れない。

左の腕に 雪走の白刃を走らせた。

自分の血を右手で受けとめ、地面に伏せたクロコダイルの
すでに血まみれの首筋に無理矢理すりこむ。

これほど、憎悪を剥き出しにするサンジをゾロは初めて見た。


「ぐ・・・うう・・・。」
クロコダイルの血と混ざり合ったサンジの血から 蒸気と泡が上がり始める。
生きながら焼かれ始めたその想像を絶する痛みに
クロコダイルは悲鳴さえあげられず、うめくだけだ。

「!」

その劇的な変化に ゾロもサンジも思わず息を飲んだ。
ゾロに斬られた傷が焼け爛れて(ただれて)行く。

その爛れは首だけでなく、見えない炎が クロコダイルの体を焼き尽くすように、
目に見えて全身に広がった。

「助けてくれ。」

切れ切れに言うも、為す術がない。
サンジの血は、サンジの思うとおりに、クロコダイルに苦悶の死を
与えた。

劇薬に浸された死体と寸分変わらない姿になるまで、
愕然とゾロとサンジは クロコダイルを見下ろすだけだった。



海軍の犠牲者が 10名。
レストランのコック 5名が死んだ。


「我々は、あなたを守り抜く事が任務だったわ。」

サンジの自宅から、一時、怪我人を収容して病院へ搬送する為、
オールブルーから撤退するヒナが 
苦悶の表情を 軍人独特の冷たい無表情な仮面で隠して
そう言った。

「だから、あなたは我々の犠牲に対して、なんの呵責を感じる必要はないわ。」
「任務を全うし、殉職する事は、我々にとっては名誉」

そこまで言ったにも関わらず、ヒナの目から涙が零れ落ちる。

それでも、眉一筋動かさず、声を詰らせず、毅然とした態度を崩さなかった。

「例え、ライが死んでも、私はあなたを恨んだりしない。」

戦闘で 自分の部下を死なせた事など、初めての事ではない。
けれど、ヒナにとって、ライはただの部下ではなく、

少年だった頃から、その資質を認め、育て、鍛え上げ、
確固たる絆を築き上げてきた、唯一、ヒナが信じきれる
存在だった。

軍人として、ライの取った行動は任務を全うした、とは言いがたい。
懲罰されても仕方のない行動だったけれど、
それでも、ヒナは 人間として、ライの取った行動を間違っていないと思うし、
そんな行動を取ったライを 誇りに思う。

けれど、「ヒナ」と言う一個人として、ライを永遠に失う可能性に
激しく動揺しているのも、事実だった。
その衝撃をどこかへ ぶつけなければ、常の自分を保っていられなかった。

この人も、大切な者を失ったと言うのに。

私は八つ当りをしている、と 後で 酷い自己嫌悪に陥るのを判っていても、

そうせずにはいられなかった。


救護班がサンジの自宅の庭に到着し、死亡したか、
そうでないか、どれだけの負傷かを判断しながら、
作業を進めて行った。

クロコダイルの燃えカスなどには 一瞥もくれず、
まず、爆発に巻きこまれたアトリ親子の生死を彼らは確認する。

「まだ、二人とも息があります」

そう言われ、サンジはすぐに駆寄った。
救護班の海兵に抱き起こされたサムは サンジの呼びかけに
うっすらと目を開いた。

サンジは、助かるか、と縋るような目で 海兵に尋ねたが、
海兵は 沈痛な面持ちで 黙ったまま、首を横に振る。

「母さんは無事ですか。」

切れ切れの呼吸を繋いで、サムはそう言った。

「無事だ。」
アトリの状態は判らない。
けれど、今は、そう言ってサムを安心させてやらなければ。
サンジは嘘をつく。

「良かった。」
「サンジさん、母さんの事、頼みます。」

それが、サムの最期の言葉だった。

今まで、一度も嘘を言わなかった、師匠のサンジの言葉に
安心したのだろう。穏やかで、静かな最期だった。

命が少しでも、残っていたら、
クロコダイルが狙った、サンジの血は効果を発揮出来る。

けれど、その血の効能を何も知らず、
血を与えたクロコダイルの無残な死に方を 見た直後に
サムに血を与える事など 出きる筈もなかった。

サム、
サム、とサンジは何度も揺さぶった。
けれど、もう、サムは目を閉じたまま、



母親の無事を信じて逝ってしまった。


「なんで、お前が死ななきゃならないんだよ。」

搾り出すようなサンジの声に、ゾロは掛ける言葉を見つけられず、
側に、立ち尽くすだけだった。


ライが庇った、ジュニアも 頭を強く打ち、意識がない。
体にも、致命傷ではないが、数発、被弾している。

アトリも同じ状況だ。
あの砲弾は、爆発した時、毒ガスを同時に撒き散らす、と言う報告を
後に、ヒナは受け取るが、その時は
その事に誰も気がつかなかった。

数日後、戦闘で死亡したコックの葬儀が レストランで行われた。

それぞれ、海賊になった者や、故郷を捨ててきた者ばかりだから、
身内はいない。
このレストランのコック達は、仕事仲間であり、
同時に彼らにとっては 家族でもある。

せめて、アトリが目を醒ますまでは、サムの葬儀は出来ないと
思っていても、亡骸が朽ちてしまう、時間を止められない。

サムの棺に、庭で、アトリが育てた花を捧げる時、
サンジは 堪えきれず、声を殺して顔を手で覆った。

息子の献花にするために育てた訳ではないのに。
あまりにその花は清楚で、美しく、却って 悲しみの色を際立たせた。

「俺の所為だ。」
「俺が変わりに死ねば良かった」


サムの棺に、庭で、アトリが育てた花を捧げる時、
サンジは 堪えきれず、声を殺して顔を手で覆った。

息子の献花にするために育てた訳ではないのに。
あまりにその花は清楚で、美しく、却って 悲しみの色を際立たせた。

「俺の所為だ。」
「俺が変わりに死ねば良かった」

棺の中の、新品のコックコートを着たサムは、
まるで、ただ、眠っているかのような 幼い、穏やかな顔だった。

「母さんの事、頼みます。」

サムは最期の瞬間まで、母親の事を案じていた。
その母親、アトリは今だ 意識が戻らない。

仲睦まじかった親子は、永遠の別れを告げる事さえ出来ないで、
息子は 母親の育てた花に抱かれている。


クロコダイルの目的が、自分の血だと言う事実が
サンジを苦悩と 後悔を深くさせた。


海軍の忠告を聞いていれば、少なくても、レストランのコックの
誰も傷つく事はなかった。

サムも、他の4人のコックも
死ななくてすんだのだ。

自分の血を、クロコダイルにやってしまえば、
クロコダイルは 攻撃をしてくる事もなく、勝手に自滅していたのに。

オールブルーで、海上レストランを、
海の上で飢えた人間の腹を満たすレストランを、と言うゼフの夢を
継いだように、もしも、クロコダイルに自分が殺されていても、
その夢は、ジュニアや、サムが継いでくれただろうに。



俺の所為だ、
俺が死ねば良かった、と言うサンジの言葉を ゾロは

自分の心まで引き裂かれるような痛みを感じながら、聞いていた。

そんな事はない、
お前の所為であるはずがない、自分を責めるな、と言葉では
簡単に言える。

けれど、そんな容易い方法でサンジの心を 静める事など、
出来る筈がないのも、知っている。

ゾロは、悲憤の涙を流すサンジの背中ごと、
抱き締める以外になにも出来なかった。

その感情を共有し、同調し、
同じように、涙を流す事しか 出来ずに ただ、サンジの側にいる。



レストランが浮かぶ、桟橋のある海岸に墓地が作られ、
この戦闘で犠牲になった、5人のコックの棺が そこへ埋葬された。


が、悲しみだけに沈んでいられない。
まだ、ジュニアも、アトリも意識不明の上、

レストランには、この戦闘のことなど何も知らないで、
遠くから毎日、たくさんの客がやってくる。

店が終り、サンジは ジュニアとアトリの収容されている病院へ
2日通い、1日かけて戻ってきて、
2日仕事をして、休まずに、また 船を出して 病院へと向かう。

目に見えて、サンジは憔悴していった。

体と心を癒す時間がない所為の寝不足だからなく、


自分さえいなければ、

自分が死んでいれば、

自分の判断が間違わなければ、


と、様々な自責の念に駆られ、禄に眠りもせず、
ゾロが見る限りでは、食事も 満足に摂ってはいない。


ゾロは、サンジと違って、葬儀の後、
ずっとジュニアの病院にいて、その経過を見守っていた。

二日おきにやってくるサンジの顔色を見て、すぐにその様子に気がつく。

「ジュニア君は、もう、大丈夫。」と医者は、
サンジが通い出して、8日目の朝に意識が戻った、と教えてくれた。

その瞬間だけ、サンジの冴えない顔色に血の気が戻る。


「ジュニア。」と呼び掛けると、弱弱しいけれど、
それでも、ジュニアは、ゾロとサンジの顔を見て、微笑んだ。


「サンジ、大丈夫?」

まず、ジュニアが発した言葉は、自分の事よりも、
自分を案じ、心労で憔悴しているサンジを気遣うものだった。

「バカ野郎、人の事よりお前は」

良かった、とサンジは張り詰めていた気が緩み、
また、目の奥が熱くなり、瞳から涙が滲み出た。

「ライさんは、」
自分を庇ったのがライだと ジュニアは覚えていた。

その安否をも、まだ 傷の痛みも、熱も引かない辛い状態なのに、
ジュニアは気にしている。
ゾロはベッドの側に屈みこんで、熱の所為で汗をびっしょりかいている
ジュニアの黒い髪を撫でてやりながら、

「さっき、海軍から連絡が来た。」
「ライも、今朝、目を醒まして、お前が無事かどうかを聞いたそうだ。」

と、ついさっき、本当に得た情報を 歪曲する事も誇大することもなく、
そのまま、教えてやった。

「本当か?」そう聞いたのは、ジュニアではなく、サンジだった。
「本当だ。」ゾロは間髪入れずに答える。


それなら、信じられる。

ゾロが 気休めの為の嘘など、言う筈がない、とジュニアもサンジも
顔を見合わせて、初めて、安堵の笑みを漏らした。

「サムは。」

けれど、ジュニアの次の言葉に、サンジの顔からまた、笑みが消える。
その顔を見て、ジュニアは声を詰らせて、

すぐには、答えてくれないサンジではなく、ゾロの顔を見た。

ゾロは唇を噛み締めて、まっすぐにジュニアを見、
首をゆっくりと振った。

覚醒したばかりのジュニアには、大きな衝撃を与えてはいけない、と
医者に言われていた。

だから、サンジは言い渋ったのに、
ゾロは真実をジュニアに告げる時、一瞬も迷わなかった。

嘘の気休めなど、優しいけれど、決して弱い子ではない、ジュニアには
必要がないし、

例え、子供が相手であっても、大事な存在に対して、
一つとして、嘘を言いたくなかった。

嘘だ、と言いそうな言葉をジュニアは飲みこむ。
ゾロが嘘など言う筈ないと さっき、その言葉を信じて安堵したばかりだ。

「体が治ったら存分に泣け。今は、自分の体を治すことだけ、
考えろ。判ったな、ジュニア。」

ゾロに言われて、ジュニアは、目を潤ませながら頷いた。



病院で、ゾロが寝泊りしている部屋に戻ったサンジは
「なんで、目が醒めたばっかりのジュニアにあんな事を言うんだ。」
と、ゾロの行動を責めた。

「気休め言ったっていつかはわかる事だ。」とゾロは
平然と答え、すぐに話題を変えた。

「それより、怪我人に心配されるお前こそ、なんだ。」
「少しは休んだらどうだ。ジュニアもライも意識が戻った事だし。」

が、サンジはいかにも迷惑そうに、
「余計なお世話だ。」と言い、一人用のベッドに腰掛けていたゾロに
近づいてきて、その胸倉を掴んだ。

「アトリさんに、あんな風に言ってみろ。ぶっ殺すからな。」と
ゾロを睨みつける。

「さあな。」とゾロは 全く動じない。

サンジは、すぐに手を離し、その部屋から出ようとドアの方へと向き直り、
ゾロへは背を向けた。

「どこ行くんだ」とゾロは 追い掛けるように立ちあがりながら
尋ねる。

サンジは機嫌の悪そうな顔で振りかえり、「海軍の病院だ。」と答えた。
その瞬間、ゾロの腕がサンジを抱き締め、有無を言わせない、
強引に口付けられる。

唇を舌先で割られ、思わず、僅かに開いてしまった咥内へ、
苦い液体が注ぎこまれる。

「何飲ませた。」咽る(むせる)事もなく、サンジはそれを飲み下す。

すぐに、猛烈な眠気が襲って来た。
ゾロの答えを聞く事もなく、瞼が重たくなり、意識が遠のく。

「ぐっすり寝て、体を少しでも休ませろ。」とゾロの声が聞こえたけれど、
何も反論できないまま、サンジの 疲れ切った体と心は、深い眠りに落ちて行った。

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