ゾロはサンジを追う。
サンジの予測どおり、背中に追い縋ってくる気配を感じた。
「撃て、撃て!」としきりにレストランの方から声が上がる。
ケチャップを入れた小さな袋を動けるコック達が
盲滅法に投げ始めた。
宙に、ケチャップを被った人の形が浮かび上がるのをゾロは
ちらりと振りかえって目の端に捉えた。
人間だけでなく、その手に携えた武器までも 透明にしてしまうとは、
一体、どう言う 悪魔の実の力なのか。
「キエキエの実だわ。」
同じ頃、海軍の主戦力である、黒檻隊の本船でも、ヒナは
敵の正体に気がついた。
「全員、非難準備、合図とともにこの船を敵ごと爆破します!」
見えない敵を一網打尽にするために、ヒナは自分の船を
敵ごと爆破する方法を選択した。
敵の姿を炙りだして攻撃する時間も、兵力ももう、本隊には
残っていない。
敵の狙いはサンジ一人、そのサンジ自身が囮なって
自宅のある、最も手薄なライの部隊が守る陸地へ、桟橋を駈けて行ったと、
すでに伝令で ヒナには伝えられている。
ライが危ない。
咄嗟に思い浮かんだのは、サンジの事よりも、
恐らく、任務の為と、部下の命を守るためなら、自身の命など、
全く 省みない、長年かけて 育て上げた 腹心の部下の危機にヒナの
神経の鋭さが増した。
自分達を阻む、姿なき敵を 出来うる限りの早さで
殲滅し、陸を守るライ達の部隊の支援に向かわねば。
身動き出来ない怪我を負った者を、動ける者が支え、
ヒナの部下である、海兵達は次々と海に飛び込んで行く。
ヒナは唇を引き絞った。
既に、自分の指揮する別の船は、ヒナのいる本船へと砲撃の照準を合わせている。
ヒナの周りには、部下達を無残に惨殺しつくした、憎き敵が
蠢いているのを感じた。
敵前逃亡、と敵の目に映るだろう。
屈辱だけれど、これしか方法がない。
ヒナは 一人、船に残り、空へ向けて 銃を放った。
それが合図。
ヒナは海に飛び込み、深く沈んでいく。
海中で待機していた、フルボディがその体を受けとめて、なるべく遠くへ
全速力で泳ぐ。
轟音が上がり、ヒナの本船は海上で木っ端微塵に吹き飛んだ。
ライの部隊は、敵の上陸を陸からの砲撃で阻んでいた。
が。
敵の砲撃台が火を吹き、轟音が響いた。
数秒後、陸の砲撃台から火柱があがり、砲撃台ごと、大砲が
見えない砲弾によって 破壊される。
砲撃手の体が暴風で吹き飛ばされて行く。
ライの部下達がそれを目の当たりにして、顔色を無くした。
「砲弾が見えなかったぞ。」
「敵船に人影もない」
敵の姿が見えない、と言う事がようやく、陸の部隊の知るところとなった。
「ジュニア君、サム君、君達は家の中へ非難しろ、誰か!」
「この二人を家の中に」
ライがそう言い終わらない内に、すぐ側で砲弾が炸裂した。
全員が頭を低くし、破片と熱風を避ける。
砲撃しながら船はどんどん陸へ近づいてくる。
「ジュニア君、サム君、邪魔だッ。家でアトリさんを守れ!」
ライは自分の後ろで戦闘に参加する気の少年二人に
凄まじい形相で怒鳴った。
その気迫に ジュニアもサムも ただならぬ気配を察する。
自分達では太刀打ち出来そうにない 恐ろしい敵と
ライ達は 戦うのだ。
けれど、ここで大人しく 引き下がるような 臆病な少年達ではない。
むしろ、自分達の力を ライが見下している、と
サムは感じて、ますます 引き下がれない、と ライの言葉を拒否した。
「俺達は、サンジさんに鍛えられてるんだ。」
「邪魔になんかならないよ。」
「なあ、ジュニア。」と 隣のジュニアに同意を求める。
「それはそうだけど。」とジュニアは 言葉を濁した。
ライの言うことを聞け、とサンジに言われている。
それに従うべきだ、と頭では判っていても、
サムが引かないのなら、ジュニアも 引けない。
誰よりも、サンジの技を引き継いでいる、と言う自負と意地がある。
ここで引けば、ジュニアよりも、サムの方が勇敢で、
強い、と言う事になってしまうからだ。
サンジの足もとの桟橋が バリバリと音を立てて
唐突に破壊され、すぐ側で大きな水柱があがった。
その破片がバラバラと海に吸い込まれて行く。
「ッチ」
陸まで、あともう少しだったのに、と呟く間に
第二弾が飛来する音がした。
サンジの背中で 桟橋の木を蹴り跳躍して、ゾロの刀が空を切る、
けれど、音では 砲弾を真っ二つに裁断した、高い金属音が響いて、
やがて、2箇所で大きな飛沫が上がった。
「囮になるなんて奴らの思うツボだぞ。」
ゾロの言葉に答えないで、サンジは途切れた桟橋へと飛び移った。
「おい、人の話を聞け、お前がそっちへ行ったら」
ゾロもそれに続く。
初めての敗戦だった。
陸では、そこかしこに火柱が上がり、
海兵の血だらけの骸が アトリの育てた優しげな花の咲き乱れる
広い庭にいくつも 横たわっている。
踏み荒らされ、炎に巻かれて行く野菜畑には、
ケチャップや、ペンキがばら撒かれていた。
武装したまま、海を泳いで上陸したヒナと、その部下達はその光景に愕然とする。
「ライさん、これを使ってください!」と 戦闘中の騒音の中、
アトリの声が響いた。
見えない敵を相手に苦戦する、ライ達の姿を
家から見ていた アトリが 家の庭に ありったけのケチャップや、
塗料を出したのだ。
次の瞬間、その物資が唐突に爆発した。
すぐ、側にいたアトリの体は 爆風に煽られ 石畳に叩きつけられる。
「母さん!」
サムが思わず、今、自分が神経を研ぎ澄ませて向き合っていた敵から
気を逸らし、
地面に倒れこんだ母親の所ヘと 走り出した。
「撃て!」聞きなれない、海軍の中の、誰でもない声が上がる。
サムの行動をライは気がつけなかった。
ただ、自分が出した声ではない、その声に反応した 数人の
目に見えない敵に全ての神経を 瞬間、注ぐ。
(見えた。)
「撃て!」聞きなれない、海軍の中の、誰でもない声が上がる。
サムの行動にライは注意を払ってはいられなかった。
ただ、自分が出した声ではない、その声に反応した 数人の
目に見えない敵に全ての神経を 瞬間、注ぐ。
(見えた。)
手筒、超大型の銃型の、銃弾ではなく、被弾した途端、
炸裂する砲弾を発射できる銃器を構えた男を3人、ライの目は捉えた。
すぐに自分が戦っていた敵を放棄し、身を翻す。
背中に焼けつくような痛みを感じて、振り返り様、見えない相手の
体を切裂く、
その刹那で 間に合わなかった。
サムは倒れた母親の体に取り縋った。
抱き起こすその時、耳をつんざく、音がして、
景色がやけに鮮明に見えた。
飛び散って行く、血飛沫の、一滴、一滴が 止まって見えるほど、
何も音のない世界がサムを包み、ただ、
自分の腕の中の母親の温もりを逃がさないように、
しっかりと抱き締めて
甘い、ジャムのかかった パンケーキや。
泥だらけの顔を温かな布で拭いてくれた事や。
父親が旅立った後、自分を抱いて泣いていたのを、
一生懸命、慰めた事や。
「愛してるわ、サム。」
毎日、何があっても、穏やかな笑顔で、そう言って寝る前には
キスしてくれた事。
そんな事ばかり、思い出していた。
「サム!」
爆発に巻きこまれ、血まみれで倒れた アトリとサムに気がついたジュニアが
取り乱した声を上げる。
その声に、サムを撃った銃口が今度はジュニアを狙う。
狙撃手は3人、一人を斬ってそれを阻んでも、
同時に発射されたら ジュニアを守りきれない。
海軍の一個隊を率いる、と言う立場をライは、その瞬間
忘れた。
守らなければならない部下の事、遂行しなければならない任務の事など、
頭から消し飛んだ。
サンジの何より、大切な宝。
それをただ、守るためだけに体が動いた。
声を上げない、ライの癖がジュニアの動きを止めなかった。
もしも、ジュニア君、と咄嗟に呼び掛けていたら、
ジュニアは振りかえり、サムとアトリへ向かって走っていた足を
止めていただろう。
そうなっていたら、まともに砲弾を食らい、
それこそ、体が粉々に吹き飛んでいた。
走るジュニアの背中にライはそのまま、体を投げ出した。
ただ、爆発しただけではなく、その砲弾は地面に叩き付けられた瞬間、
散弾銃のように小さな鉛玉を凄まじい勢いで放った。
分厚い、ライの上着に食いこみ、背中の肉を抉る。
敵を殲滅しなければ、部下も、自分も、殺される。
けれど、ジュニア一人を守りきっただけで ライは力尽きた。
海軍の本隊の船が爆破し、次に 敵の艦隊の船と黒檻部隊の別の船と
砲撃の応酬の結果、撃沈された。
時間にすれば、5分もない。
サンジが陸へと桟橋を走っていた間も、2分もない。
たった、それだけの短い時間に 敵は
サンジを迎え入れる準備を整えた。
「少佐っ」浮き足立つ、ライの部下達を不気味な声が嘲笑う。
「指揮官のない海兵なんて 怖れる事はねえ。」
「皆殺しだ。」
いつの間に、そこに佇んでいたのか。
銀髪にも見えるほど、白い髪、左手に大きな鉤型の義手。
顔には、真一文字に走った傷がある。
「他愛のねえ、もっと、骨のある男だと期待してたのに。」と
血まみれのライの背中に足を押し付ける。
「お前は、」
息を切らせて 駈けつけたサンジは、その男を見て、声を無くした。
それだけではない。
今朝まで、美しかった庭が見る影もなく、
自分の大切な者達が、血にまみれている。
それを見ただけで、サンジは全身の血が 沸騰し、逆流し、
思考が止まり、憎しみだけで塗りつぶされた瞳で その男を見た。
その視線を受け、男は満足そうに薄笑いを浮かべる。
追って来た、ゾロもその男の姿を見て、愕然とした。
「生きてたのか、てめえ。」
「見る影もなく、歳をとってしまったがね。」と
その男は 二人を煽るように 飄けた口調で そう言った。
「あれから、10年以上経った。」
「ようやく、会えたな、ミスタープリンス。」
「一体、なんのつもりだ。」ゾロが 全身から殺気をほとばしらせながら、
その男ににじり寄る。
「よせ、刀で俺は斬れねえ、例え、お前が鉄さえ斬れる世界最強の
剣士だったとしても、な。」
「人間、どんなに強かろうが、金をもってようが、いつかは
年老いて死ぬだろう。」
「世界を全て手に入れても、老いて耄碌した挙句、死んじまったら」
「結局、なんの為に 必死で生きたのか、馬鹿馬鹿しくなる。」
「そう思わんか、ロロノア・ゾロ。」
アラバスタの国民を、長い年月をかけて騙し続けた
策謀にも長けた、かつての英雄、
そして、稀代の大悪人だった男が
その技量で 世界政府に取り入り、命を永らえて
再び、野望を持って生き続けていたのだ。
「さっさとしないとこいつら、死ぬぞ。プリンス。」
男はライの背中を、自身の靴に血が滲むのも構わずに強く踏みつけた。
「お前の血を浴びれば、不老不死になる。いや、」
「それに近い体質になる、そうだろう。」
「それを目の前で見たくて仕組んだ 茶番だ。」
サンジはそれを聞いて、唖然とする。
そんな事、全く自覚していなかった。
ただ、かつて、不思議な島で体内に取りこんだ樹液の影響で、
歳を取るのが 遅くなったのは事実だけれど、
自分の血にそんな効果があるなど 考えた事もなかった。
「そんな事でお前は 俺を狙ったのか。」
いい様のない、怒りにサンジの声が震えた。
「御託はいい、本当にその効果があるのか、どうか。」
「こいつらの体で試してもらおう。まだ、生きてるからな。」
ジュニアを抱きこんだ、ライごと その男は二人を乱暴に仰向けにしようと、身を屈ませた。
その時、ゾロの刀が一閃し、男の首が血を吹き上げる。
「ロロノア、貴様っ・・・。」
苦悶の表情を浮かべて、その男はゾロを振り仰ぐ。
「斬れるようになったのは、鉄だけじゃねえ。」
「水になろうが、砂になろうが、"命"のあるものなら」
「俺ア、なんだって斬れるんだ。」
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