「そんな事、」余計なお世話だとサンジはいいかけた。

だが、サンジがその言葉を言う前に、ビルが先に
「いいえ。これはこのレストランのオーナーシェフとして是非、」
「聞き入れて頂きたい事なんです。」と熱っぽい口調でサンジに詰め寄る。

「新しい料理や、珍しい料理はまだまだある筈です。」
「知らない調味料も、」と口々にコック達が騒ぎ始める。

「だから、新しいメニューを作る為にも、」とビルが言うのを
今度はサンジが遮る。

「判った、判った.」と面倒臭さそうに、
新しい煙草を咥えなおし、照れたような笑みを浮かべた。


「このオールブルーを見つけてから、初めてだな。」と出立の日、
ゾロはリビングでまだ細々した指示を紙に書いているサンジにそう話し掛ける。

まだ、朝陽が昇りきっていない早朝だった。
大袈裟に見送られるのも恥かしいので、誰も目を覚まさない内に
サンジの船に乗り、錨を上げるつもりなのだ。

雪こそ降っていないけれど、もう外気は息が白くなるほど低い。

「ジュニアは大丈夫なのか。」とゾロは今年初めて、一人で海軍の
養成学校に行くジュニアの事を気遣うが、サンジはペンを取る手を止めずに、
「ああ、海軍の基地まで、ライの部下が迎えに来てくれる手筈になってるから。」と
答えた。

気もそぞろ、と言うのは、こんな気分を言うのだろう、とゾロは
じっとサンジの用が済むのを待ちながら、考える。

どこに行こう。
何を見せよう。

期限付きだとは言え、こんなに早く、自分の望みが叶う日が来るなど、
予想もしていなかったから、デタラメながらも鼻歌が出るほど、
気が浮き立っている。

「お前、」

サンジはやっと、ペンを置き、ゾロを見て笑った。
「幸せそうだな。」

それを聞いて、ゾロはフフン、と鼻を慣らす。
「お前が、そう思うならそうなんだろ。」と答えて、ゾロも笑った。


誰もいない筈の小さな桟橋に、白い朝もやが薄くかかって、朝陽が
鮮やかに照らす紅色に染まる海の色を柔らかく滲ませていた。

「あ。」

碇を上げて、帆を張った。
舵を取ろうと、サンジがその舵に手をかけた時、小さく驚きの声を上げる。

碇を引き上げたロープを手繰っていたゾロがその声に振り返り、サンジのそばに
近寄ると、舵に、小さな袋が括りつけられてあった。

「なんだ、これ。」とサンジはすぐにその布袋を開いた。
無防備に、手荒く扱った所為で、中から小さな金属が零れ落ちる。

ゾロがそれを腰を屈めて拾い上げた。
「これは・・・。」

指先で摘んだのは、ジュニアが持っていた筈の金色の耳を飾る見慣れた装飾品だった。

「あ、それ.」もそれと判って慌ててゾロの手からもぎ取ろうと手を伸ばす。
けれども、ゾロはしっかりと握ってサンジに渡しはしない。

「俺のだ、それは。」とサンジは無理矢理ゾロの手を引き剥がそうと
手に力をいれるが、ゾロは
「違う、もうお前エのじゃねえ。」と答えて、サンジを見上げた。

「お前エが自分で外したんだろ。これは俺のだ。」
「俺のモノを勝手に触るんじゃねえよ。」

ゾロにそう言われて、サンジは言い返せずに渋々、と言った様子でゾロの手を離した。

「これを身につけるか、つけないか選ぶ権利もねえんだよ、お前は。」
「自分からその権利を放棄したんだから、な。」

そう言ってからゾロはサンジの腕を引っ張って、自分と同じ高さに
しゃがませる。

サンジの髪を指先ですくって、左耳の穴がふさがっていない事を確認してから、
ゾロは不器用ながら、そこに在るべきピアスの、繊細な金属の先を
柔らかな耳たぶに通した。

「一つだけ、教えてくれ。」サンジの耳に痛みが走らない様に、
ゾロはそっとピアスを固定しながら尋ねる。

「お前、なんでアトリの言うままに毒を飲んだんだ。」

自分が死ねば、どれだけゾロが悲しむか、を考えなかったのか。

アトリの為だけを考えた行動だったのなら、サンジはゾロの幸せを
何一つ願わなかった事になる。
そんな事は有り得ないと判っていても、時として、行動や心の中の想いだけではなく、
確かな言葉が欲しい時だってある。

その言葉が陳腐なものになるか、そうでないかは、そこに篭る心に寄るものが
大きいのだから、ゾロはサンジの偽りの無い、素直な言葉だけが聞きたいと思っていた。

そのゾロの気持ちは剣を握るその手とはとても思えないほど繊細に触れる
指先からサンジの心に伝わった。

「単純な事だ。」サンジは煙草の煙を大きく吸い込んで、そして吐き出し、
間を稼ぎながら、その時の気持ちを思い出す。

「アトリさんが幸せになる薬だっつったから、飲んだ。」
「俺はそれを信じただけで、他に理由なんかねえよ。」

サンジは、アトリが人を傷つけてまで、
自分の幸せをもぎ取るような人間ではないと信じ切っていた。
それ以外に理由はなかったし、何も考える必要もないと思ったのだ。

差し出された薬を自分が飲む事で、アトリが悲しみや苦しみから抜け出す為に
足を踏み出す、その背中を押せるのだから、迷いも戸惑いもなかった。

「本当にそれだけかよ。」サンジの短い言葉を不服そうに聞き、
ゾロはピアスをピン、と指先で弾いてから、強引にサンジを自分の方へ
向けた。

「もう一つ、聞いていいか。」

ゾロは、アトリに聞かれて、自分の幸せがなにかを答えた。

「幸せってのが、どういうモンなのか、俺にはイマイチわからねえが、」
「幸せって言葉を"何よりも大事な物を手に入れる"って意味で解釈するなら、」
「俺の幸せは、多分、それだ。」と。

けれど、サンジが望んでいる幸せについては、今まで一度も聞いたことが無い。
こんな時でなければ聞けないと思った。

だが、口下手でどう聞けば、自分の聞きたい事を無駄なく尋ねる事が出来るのか、
考えつく前に、言葉が先に出る。

真っ直ぐにサンジを見て、サンジの瞳に映っている自分の顔が見えるほど、
ゾロはサンジの瞳だけを見て尋ねる。

「お前、幸せか。」

その答えは、やはり言葉では返っては来なかった。
一瞬、ゾロの言葉に唖然とした表情を浮かべたけれど、
サンジは、照れ臭そうにただ、笑った。
その笑顔があまりに素直だったから、ゾロはもう言葉などいらなくなる。

冷たい潮風に吹かれて、頬も指先も冷たかった。
けれど、重ねた唇だけが不思議に温かい。

朝陽が水平線から顔を出して、オールブルーに新しい一日を
訪れを告げる。
帆に風を受けて、サンジとゾロを乗せた船は快調に入り江を進み、
やがて、外海へと進む。

(こいつは自分の幸せがなにか、なんて、考える事もねえのかも)と
ゾロは船を操舵しているサンジの背中を見ながらそう思った。

望まなくても、サンジは幸せになる。
何故なら、その権利を持っているからだ。

愛する人を愛し貫くこと、
その幸せを己の幸せと言える優しさと強さは、誰もが持てるものでは決してない。
だからこそ、愛しくて、そんなサンジが幸せで在る為に、
ゾロも自分の幸せを忘れずに生きて行く事を声に出さずに、心の中で
サンジに誓う。

背中を温めるようなゾロの視線に気がついて、サンジが振り返った。
「このピアスは借り物だって事か。」と突飛な事を聞いてくる。

「ああ、そうだ。それを外すのもつけるのも、俺がする。」
「勝手に触るなよ.」そう言ってゾロはいつもどおりの挑発するような笑みを
浮かべる。

ジュニアが舵に括りつけていた袋には、ピアスともう一つ、分厚い
便箋が入っていた。

「アトリさんからの手紙だ」と言ってサンジは封を切る。


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