私が、最後にあの庭に播いた、花の種がそろそろ芽吹いた頃でしょうか。
次の夏にその花が咲いたなら、どうか、私の替わりに、
息子に手向けてやってください。
サンジさん、ロロノアさん、ジュニア君、そして、コックの皆さん、
お変わりなくお過ごしでしょうか。
私は今、とても美しい島の、片隅にある修道院で日々、神の言葉を学び、
その心を理解するべく、心穏やかに過ごしております。
最初に、サンジさんにお悔やみを申し上げなければなりません。
オールブルーから、私の生きる道を共に、と仰ってくださった
シスターテレサが、ここへ帰って来る途中で神に召されました。
サンジさんに替わって、私がシスターテレサ、いいえ、
マダム・クレインの最期を看取りました。
とても穏やかで、幸せそうに最期は微笑んでいらっしゃいました。
ロザリオの替わりに、その掌には、サンジさんが贈った、
ゼフさんとの想い出の指輪をしっかりと握って、まるで、明日、
結婚式を迎える花嫁ような初々しい笑顔のまま、静かに息を引き取られました。
自分から自分の居場所を投げ捨てるような真似をした私を、
こうして導いて下さった、
そして、生涯最期に私と言う人間に、愛を遺して下さった方を
偲ぶ気持ちはありますけれども、悲しみに暮れている訳ではありません。
マダム・クレインがオールブルーから出立する日に、突然、
私も、同行するような格好で飛出して、さぞ、皆さんは驚かれた事でしょう。
危篤の知らせを受けて、サンジさんがすぐにその枕もとにおいでになって、
ずっとつきっきりで看病なさりたい、けれど、それも出来ないから、
私にお願いしたい、と仰ってくださった時、どれほど嬉しかったことでしょう。
傷つける事しか出来なかった私を許して、居場所を与えて、
一心不乱に看病に没頭する事で、余計な事を考える暇さえも無くして下さいました。
手放して、無くしてしまった、全ての信頼を取り戻す事は叶わないかも知れません。
私の犯した罪がそれで消える訳もありませんが、私は自分の為にではなく、
私を愛して、私の罪を許してくれたサンジさんを悲しませたくないと言う思いで、
必死でした。
徐々に回復されて行く中、マダム・クレインは、
愛する人と、ご子息の運命を私に包み隠さず話してくださいました。
そのお話を伺って、私はまるで自分の事のように心が痛んで、涙を流しました。
それなのに、マダム・クレインがその深い悲しみと苦しみから解き放たれて、
なぜ、こんなに穏やかに、美しく微笑む事が出来るのだろう。
そう不思議に思ったのです。
この人と同じ道を辿れば、私も同じ様に微笑む事が出来る日が来るかもしれない.
そう考え始めた私に、マダム・クレインは仰いました。
「愛を知るが故に苦しみ、悲しみも知るけれど、」
「愛を知らないよりは、その苦渋を知る方がずっと人として幸せなこと」と。
私の身に起こった不幸と、私が犯した数々の間違いについての懺悔を聞いて、
マダム・クレインはわが身の不幸を悲しむように、
涙を流して下さいました。
ただの同情ではなく、
マダム・クレインは、愛される事も、愛する事も知っていて、尚且つ、
同時に存在してしまう苦しみと悲しみをも知っているからこそ、
その涙はなによりも美しく、愛に満ちていました。
生きる意味も、目的も無くしてどうしていいか判らない私に、
道が示されたと思いました。
同じ悲しみに暮れる人の為に悲しみ、それを共に越えていく歓びを分かち合う事。
わが身をその手にかけて欲しいとさえ願うほど人を愛して、
愛の為に不幸さえ願うほど人を憎んで、
けれども、そんな私だからこそ、人を慈しみ、愛せるのだと知りました。
人を愛すると言う幸せを
私は失っていないのだとマダム・クレインは教えて下さったのです。
たった一人の人にではなく、同じ痛みを知り、悲しみに暮れる人達へ、
人はどんな不幸に見舞われて、どんなに悲しみに暮れても、決して一人ではないのだと
愛される権利は誰にでも等しくあり、それに気がついた時に
同時に人を愛する事も思い出すのだと、私は伝えて行くでしょう。
サムを失った悲しみも、ロロノアさんを愛した歓びも、
サンジさんを恨んだ事も、そして、サンジさんから包み込むように愛された事も、
これからの私にとって、かけがえのない財産だと誇りを持って言えます。
何一つ、サンジさんやロロノアさんを苦しめた罪を償うことは出来なかった事は
悔やまれますが、きっと、
「アトリさんが笑ってくれるなら、全て許します」とサンジさんなら言ってくれると
信じています。
そして、サンジさんが許してくださるなら、やはり、ロロノアさんも、
ジュニア君も私を許してくれると思い上がっています。
抱き締めあったり、手を繋いだりしなくても、人は人を愛する形があり、
それを知った今、私はとても幸せです。
寂しくは無い、という事は愛されている実感と愛されている実感があるからこそで、
それこそが幸せであると言う事かも知れません。
ありがちな謝罪の言葉をここで書き連ねても、却って空々しいような気がします。
許してくださるならば、謝罪の言葉のかわりに、どうか、
私は、今でも、これからも、天に召されるその瞬間まで、
オールブルーで過ごした日々と、そこで私を愛してくれた人達を
サンジさんを、ロロノアさんを、ジュニア君を愛していると言わせてください。
どうか、いつまでも健やかに.
そして、いつまでも幸せに。
これからも、生きて行く限り、少なからず悲しみ、憤りに苦しむ日が
あるでしょうけれども、
愛する事、愛される事を失わない限り、私達は、決して失ったりはしないでしょう。
「幸せの権利」を。
(終り)