「サンジさんが?」

アトリは、いつもの畑でゾロから、サンジがオールブルーを出て、
ライを探しに行ったと聞かされた。

(まさか。)

あれだけ、自分を励ます事に心を砕いていたサンジが
アトリになんの言葉もなく、突然、いなくなった事にアトリは最初、
衝撃を受けた。

そして、サンジの行動の意味を深く考える前に、
まず、こうしてゾロが目の前にいて、ゾロを独占出来る事、
独占していても不自然でない状態になった事に、心臓が高鳴った。

(まさか、サンジさんは)
自分のゾロへの気持ちを気づき、その上で出奔したのか、とすぐに思い至った。
が、敢えて

「何故です。」とゾロに尋ねてみる。
ゾロの口からその理由を明確にする事で、ゾロの気持ちを知りたかった。

「お前の為だそうだ。」とゾロは他人事の様に言い、海の方へと顔を向けた。

「私の為?」とアトリはその意味が判らない振りをする。
が、ゾロはそのアトリの言葉には答えずに、
「お前が元に戻るまで、あいつはここ帰ってこねえだろう。」
「だから、俺はお前の傷を一日も早く治すだけだ。」ときっぱりと言いきった。

「サンジさんの為、ですか。」とアトリは 揺るぎ無いゾロの想いを
今更ながらに思い知らされ、胸に思い痛みを感じながら、聞くまでもない愚問を
ゾロに問う。

「そうだ。」とゾロは迷いなく答える。
「寂しくないですか。」とアトリは話しを微妙に逸らした。

(こんな嫌な女の為に、なんてバカな事を。)とゾロの方を見ず、
ただ、土の中にサムに手向ける為の花の種を埋めながら思う。

こんなに素晴らしい恋人に、こんなに想われているのに、
その恋人に横恋慕してあさましい夢を見る嫌な女の為に、
その恋人の腕の中から飛出すなんて、

(サンジさんはなんて、バカな事を)とアトリは思った。

そんな事をされると、もっと嫌な女になってしまうのに。
嫌な女になる事で、他人の幸せを毟り取るようにして幸せになることで
サムを失った痛手を癒せと、サンジは言うのか。

だが、本当はそれはアトリの良心がそう思うだけで、
もう一つのアトリの心は、サンジがいない事を確かに安堵している。

「出て行っちまったんだ、仕方ねえ。」とゾロはアトリの言葉に
ぶっきらぼうに答える。

友達として、アトリを癒す、と決めた。いつもどおりに振舞うだけで、
特別な事をするつもりはない。
人の心の傷は、焦ったところで早く塞げるわけもない事くらい知っている。

「追い駆けて連れ戻しても、自分が納得しない限り、
「あいつは何度でも飛出すだろうからな。」とゾロは普段と少しも
変わらない態度でアトリに接する。

それがアトリの、ゾロへの想いを更に深くする事になるなど、
ゾロは考えてもいなかった。

今まで、サンジしか見てこなかったから、
サンジ以外の人間の心の動きになど、全く微塵の興味もなかったから、
ゾロにアトリの気持ちを予測する事など出来よう筈がなかった。

言葉を交わし、二人きりの時間を過ごすだけの事。


ゾロにとっては ただそれだけの事だけれども、
アトリにとってはこの上なく甘美なもので、枯れた心を蘇らせる特効薬だった。

(この人とこうやって一生過ごせたら)と言う願いがアトリの心に
ごく、自然に、染み出してくるのにそう時間は掛らなかった。

ただ、ゾロだけがそれに気がつかず、ジュニアは側で二人を見守りながら、
一人、気を揉んでいる。

ゾロもアトリも、サンジもジュニアにとっては大事な人間だ。
けれども、ジュニアにとってサンジとゾロは絶対に一緒にいてもらわねばならない、
二人で一つと言っていい、何よりも誰よりも大事な二人だ。

例え、亡き親友の母親で、自分も母親と同じ気持ちで慕って来たアトリで
あっても、ゾロとサンジが引き裂かれるようなことは絶対に嫌だった。

サンジがこれ以上哀しい目に合うのは嫌だった。

(俺があの時、ライさんの首飾りをサンジに渡さなかったら、)とジュニアは、
サンジが出て行った前の夜に

「ライの首飾り、俺が預かっておく」と言われて素直にサンジに手渡してしまった事を
後悔していた。

ライの首飾りを渡さなかったら、(サンジはライさんを探しにいかなかったかも)
とジュニアは思い込んでいて、誰にもそれを言えずにいる。

毎日、毎日が不安だった。

ゾロがアトリに心を移す事などジュニアにだって考えられないけれど、
二人が一緒にいる所を見、アトリがゾロに微笑み掛けているのを見、
ゾロがアトリの名前を呼ぶ声を聞くと、ジュニアは不安に押し潰されて
泣きたくなってくる。

(サンジのバカ)とその度に、心の中で呪文のようにその言葉を繰りかえし、悪態をつく。
そして、その後祈るようにまた、心の中で呟く。
本当に人前で堪え切れずに泣いてしまう前に、(早く、帰って来て。)と。


(せっかくのデートだったのに。)と
ライはせっかくサンジに見立ててもらった服が
ズブヌレになった事と、返り血で汚れてしまった事を悔しく思いながらも、
小雨が降っている港で雷光を構えて、武器を手にした海賊と対峙していた。

「おめえには積もる恨みがあるんだ、ミルクさんよお。」と最も
体が大きく、狂暴そうな面構えの男が喚く。

彼らは、ライが捕えた海賊の生き残りだった。
サンジに蹴り倒され、ライに斬り伏せられても、死に物狂いで挑んでくる。

総勢、30名ほど。
今だに戦闘意欲が剥き出しなのは、そのうちで十人ほどだった。

ライは、前に出よう、とするサンジを庇うように押し止める。
(サンジさんが本気で足を使うほどの奴らじゃない、)と目で教え、背中に庇った。

「ふざけんな、ライ。」とその手を押し退けようとしたけれど、
ライの腕は軽く押しただけではびくともしなかった。

ものの5分とたたず、ライは彼らをすべて切伏せたけれど、
無傷ではない。

(今日は、手甲をしてなかったからな。)と気がついた時には、
左手をいつのまにかスッパリ切られていた。

防御と攻撃が一体化しているライの剣術では、刀はあくまで攻撃をする為だけで、
相手の剣戟を受けるのはもっぱら左腕の手甲なのだけれど、
今日はそれをしていなかった。
だが、つい、普段の癖で腕で相手の剣をまともに受けているうちに、服の袖が
破けて、腕を深く斬られていた。

「相変らず、無茶な技だな。」とサンジはライの傷ついた腕を
ネクタイできつく縛って、血を止める。

二人は急いで、部屋に戻った。
もう、日が暮れる時間になっている。

(5日目が終るな。)とライは濡れた服を脱いだまま、ぼんやりと
いつも、傷を治療する為に台所で湯を沸かしているサンジの背中を
眺めて溜息をついた。

(あと、2日。)5日がこれほど早く過ぎたのだ。
2日など、本当にあっと言う間に過ぎるだろう。
自分と、サンジの間になにも変化を起こせない無いままに。

そう思った時、急に部下のタキが教えてくれた雑学を思い出した。
とある配属先で備品を買いにタキと二人で外出した時、
彼女はいつにも増して、にぎやかに喋っていた。
ライは彼女の笑っている顔以外、見たことがなく、その時もずっと白い歯を見せて
笑っていた。

「高貴な昔の女性は結婚相手を勝手に選べなかったそうで。」
「だからこそ、忍ぶ恋って燃えたんじゃないかな、なんて。」

私の命よ。絶えるならいっそ絶えてしまえ。
このまま生き永らえていると、秘めた恋を忍ぶこともできずに、心が外に現れてしまうから・・・。

「と、言う意味で、私がとても好きな詩があるんですよ。」
そう言って教えてくれたその言葉が、今のライにはとてもよく理解出来る言葉だ。
いや、それ以外に今の自分の気持ちを表せる言葉が思い浮かばなかった。

それを「詩」と言うのかどうなのか、ライには判らない。
いっそ、この傷が化膿してそれが原因で死ねるならその方が自分には
幸せなことなのに、サンジはライの前に跪いてその腕の血を
温かな布で拭う。まだ、濡れたままの髪と肌に張り付いたシャツを纏った姿に
ライは体が勝手に火照りはじめたのを感じて、右手の拳を痛いくらいに握り締め、瞳を固く閉じた。

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