聞きたい事はたくさんあった。
あまりにたくさんありすぎて、どれから聞けばいいのか
どうやって聞けばいいのか、判らない。
どうして?
なぜ?
どうして?なぜ?
あなたは、ここに 俺の前にいるんですか?
ジュニア君は?アトリさんは、元気になったんですか?
レストランの仕事は?
何故、側にロロノアさんがいないんですか?
降りしきる雨の中で、ライは呆然とサンジを見上げた。
灰色と紺碧の光景の中で、雨に打たれるに任せたサンジはやはり美しい。
ライにとって サンジは常に光りを纏う女神に等しい存在なのだ。
どれだけ哀しみと苦しさをその胸に抱えていたとしても、
それをライの前では悟られまいとしているが故に、
ライの目には、いつもと変わらないサンジの姿にしか見えなかった。
「・・・・・・・。」耳ざわりの悪い声が、ライの喉から搾り出される。
左耳を指差した。
ピアスがない。
普通の人間ならそんな些細な事を気にしたりしない。
まして、サンジの髪と同化するような色と形のピアスだったのだし、
髪を伸ばしていたら着けているのか、いないのか あまりよく見えないものだったが、
ライは、まず、それを気に掛けた。
「ああ、ピアス。」とサンジは軽く吐き捨てるように呟く。
僅かに語尾に嘆息が混じったのを雨音の中でもライは聞き取る。
「お前には関係のない事さ。それより、寒イ。」
「こんなところじゃ禄に話しも出来ねえ。俺の宿に来い。」
"関係のない事さ"と言い捨てられた言葉がライの心に突き刺さる。
確かにゾロとサンジの間に何があったかなど、ライには全く関係のない事だ。
だが、サンジをずっと想い慕ってきたライに対して、あまりに軽薄な
サンジの言葉にライははじめて、サンジに傷つけられた痛みを感じた。
僅かに伏せたライの瞳と、曇った表情を見て、サンジは、
自分が無意識にライへ八つ当りに似た暴言を吐いた事に気がついた。
関係なくはない。
けれど、今 ライであろうと、誰であろうと、自分がして来たこと、
これからしようとしている事を批難されたくはなかった。
それがどれだけ酷い事か、誰よりもサンジ自身が知っているのだから。
「そんなつもりで言ったんじゃねえんだ。ライ。」
「そんな面しないでくれ。」
傷つけるつもりなどなかった、ライを救ってやりたいと言う想い、
ライを救う事に没頭する事で本当につらい事から目を逸らしたいという想いで、
サンジはライを探したのに、
いきなり一言目でライを傷つけてしまった事をすぐに詫びた。
ライはサンジの言葉を聞いて、気にしないです、大丈夫、と言う表情で
ゆっくりと首を振る。
サンジは とても小さいけれど、造りがとても丁寧な宿に部屋を取っていた。
海軍が探しても見つからなかったライをたった2週間で探し出したのは、
「おまえの部下でタキちゃん・・・て。」とサンジはあらかじめ、ライが
薄汚れた格好をしているだろう事を予測して服を用意しそれを手渡しながら、
ライの部下の名前を口にした。
ライは (知っています)と言う意志表示に軽く頷く。
小さな部屋だけれど、机と椅子が一人分置いてあるので、その椅子にライは
腰掛けて、サンジはその真正面に突っ立っている。
「一度、お前を連れ戻しに来ただろ。」
それはどうか判らない。
ライは、首を少し傾げて少し考えてから、首を振った。
賞金首を狩っている所、たまたま、それを追っていた
自分の部下達と鉢合わせしそうになって、慌てて身を隠した事がある。
タキは狙撃手だから人一倍目がいい。その時にライの姿をどこかで見たのかもしれない。
けれど、その後すぐにライはその島を出た。
自分の部下達の探索の腕を知っていたから、自分の噂を聞けばすぐに見つかってしまう、と危ぶんだからだ。
「会えなかったんだな。」ライの反応を見て、サンジは一人合点する。
会えなかったのではなく、会いたくなかったから逃げたのだろう、と察したが
わざわざそれをライに聞きなおす必要はない。
サンジは敢えて、明るめの声でライに話し続ける。
「でも、彼女からおおよその場所を聞いたんだ。」
「お前は、そこから一番、ヤバそうな、治安の悪そうな場所に行く、って見当つけたら」
「ビンゴだったって訳だ。」
ゾロなら、サンジが胸に何かを抱えていて、それを取繕うとしても、
決してそれを見逃したりしない。
一体、どこでその判断をつけているのか、今だにサンジは判らないのだが、
無理に笑ったり、虚勢を張った強がりを言ってもゾロの前では
そんな仮面は簡単に剥がされてしまう。
だが、ライは違う。
自分が歳を重ねた分、ライはもう、15歳の少年ではないのに、
サンジにとってライはいつまでも、15歳の真っ正直で不器用な少年と言う認識の
ままだった。
ライなら騙せる。ライなら、嘘を付き通せる。
ライの前でサンジはまるで、何事もなかったように普段と同じ態度を見せている。
つまり、思い上がっているつもりはないにしても、
サンジは、悪く言うとライを見くびっているのだ。
とりあえず、風呂に入ってサッパリして来い、と言われて、
ライは大人しく温かい湯に浸かる。
判らない事ばかりがライを不安にさせる。
心地良い温度の湯に浸かるのは本当に久しぶりで気持ちが良い筈なのに、
ライは、なにか息が苦しいような、胸になにかが痞えて塞がっているような
そんな微弱な苦しさを感じていた。
サンジが自分を探しに来てくれた。
温かい眼差しと笑顔と労わりの言葉が確かに自分に向けられているのに、
なぜ、それを素直に嬉しいと手放しで喜べないのだろう。
(サンジさんが苦しそうに見えるからだ。)
いつもどおりの姿だとは思う。
雨の中でも、この小さな部屋の朧気で優しい電灯の明かりの中でも、
サンジの容姿も、声も、仕草も、やはり、ライの心を鷲掴みにしている、それなのに、
(なんでそんな風に思うんだろう。)とライは全身を綺麗に洗い上げて、
もう一度浴槽に体を沈めて静かに考える。
(そうか。ピアスだ。)
ライが初めてサンジと出会ったときから当たり前のようにその耳を飾っていた
ピアスがない事が、自分を不安にさせる一番の要因だとすぐに気がついた。
絶対に、涙は見せない。
もう、
「泣き虫だな、お前は。」と笑われた、
あの頃の幼かった自分ではなく、あなたを守れるほど、
守りたいと望むほど、成長したのだと、
言葉を話せないライがサンジに伝える術は、それしかなかった。
どんなに悲しくても、どんなに辛くても、サンジさんの前では笑っていよう。
一日、一日、1分、一秒を愛しおしんで、この限られた時間を過ごそう、と
一生分の凝縮された幸せを貪ろう、とライは決心した。
生まれて初めて、自分自身の為に、自分自身の幸せを望むべきだと、
自分を励ました。
サンジの苦しさ、辛さを教えてもらえないなら、それを気詰まりにして、
このかけがえのない、二度と手に入れることなど出来ない時間を
無駄にしてはならない。
今だ、自分よりもサンジを気遣う想いを必死で押し殺した。
サンジが自分を探しに来てくれた本当の意味は、まだ判らないけれど、
(判らない事は、いくら考えても判らないんだ。)と必死で割りきろうと努める。
身振り手振りで、眼差しで。
サンジだけを見つめ、サンジの声だけを聞き、
サンジは、ライの手の動きを、唇の動きを、灰色の目の輝きだけを見る。
不幸のあまりに死んでしまいたい、と言う思いは
今までの人生経験で充分に理解出来る。
けれど、ライは、今、この、例えサンジにとっては 欺瞞であろうとも、
自分にとっては紛れもない幸福の中で、
(今、死ねるなら)とさえ思った。
今、サンジの側で、サンジを独占したまま死ねるなら、
今までの災難など忘れ、幸福な人生だった、と満ち足りて死ねるだろう。
雨の粒の、一粒一粒が煌いて見えるほどの幸せをライは感じる。
「長逗留になるなら、私が経営してる宿に移られたら如何ですか。」と
滞在していた宿の、気配りの良く出来そうな初老の女主人がサンジに勧めた。
「キッチンもついていますし、部屋もここより広いし、」
「二つも、部屋を借りるよりもお安いですし。」と言われて、サンジは宿を移る。
ライは、なんとか、それを思いとどまらせようと苦心したけれど、
身振り手振りで、しかも、ライは、サンジに
「1週間だけ」と言う自分のリミットも隠しているので、全く意志が通じなかった。
「俺と同じ部屋に住むのはそんなに嫌か。」とサンジはライに皮肉を言うけれど、
もちろん、それが嫌だと言っているのではない。
(そんなにずっと、一緒にいたら離れる時にどれだけ辛いか。)
そして、自分の中の想いがいつ、どんな形で暴走し始めるか、
それを押し止める事の辛さに涙を見せずに耐えられるか、ライには自信がない。
だから、サンジの決断に嬉嬉として従えず、むしろ、サンジには
ライが渋っているように見える態度をとった。
「この島は、ヤケに湿っぽいな。」と新しい宿に移って、サンジは窓の外を見る。
窓の外はまた、雨が激しさを増していた。
サンジの背中をライは、なんとなく、居心地悪そうに佇んで見つめている。
テリトリーを侵している、と言う居心地の悪さだった。
自分には、ここに立つべき資格がない、
自分は、ここに立つべき人間ではない、そんな思いがライを落ち着かなくさせていた。
「。」
サンジさん、と呼びかける。
絞るような声がサンジをライの方へ振りかえらせた。
寂しそうな背中を見ていると、抱き締めたくなる。だから、振り向いて欲しかった。
自分を欺く為に気丈に輝く青い瞳に真っ直ぐに見つめられる事で、
騙されている振りをする方が楽に息が出来る。
「なんだ。」
ライは振りかえったサンジにただ、笑顔を向ける。
あなたがそこにいるだけで僕は嬉しい、とそれだけ伝わればいいと言う想いを篭めて。
やがて、そのライの純粋な想いを受け止めきれなくなった時に、
サンジはここへ来た本当の訳を教えてくれるだろう。
言葉を交し合う事が出来ない変わりに、サンジは色々な事を話してくれる。
ただ、ライが本当に聞きたい事には何一つ触れずに、
海賊になった経緯や、たくさんの冒険の事、料理の事。
女性の麗しさ、可愛らしさについて、空の事、海の事、子供の頃の事。
サンジの声ではじまって、サンジの声で終る一日はあまりに早く時間が過ぎて行く。
瞬く間に、4日目の朝が来た。
この島は、サンジの言うとおり、とても湿っぽく、一年の内に
晴れる日など、両手に数えてまだ余る程だ。
けれど、その日は曇り空の切れ間に青空が見える程度に晴れた。
「おい、ライ、雨が止んだぞ。」
サンジは朝食を食べているライに話し掛け、町の通りに面している窓を開いた。
少しひんやりとした湿った風が吹き込んでくるけれど、気持ちがいい。
ライは、その冷たい風に乱れた髪がわずかに掠めたので、目を細めて、
それでも笑って頷いた。
「デートするか。」と笑い掛けると、ライは真っ赤になって苦笑いのような、
曖昧な笑顔を返してきた。
ライと過ごしていても、ゾロとアトリの事は一時もサンジの頭から離れない。
特に、ライが眠ってしまったのに、自分は寝つけずに、
いつまでも降り続く雨音を窓辺に凭れて聞いていると、後悔の波が心に押し寄せてくる。
アトリとゾロの関係は、変化したのだろうか。
アトリの望みどおりに?
二人が微笑み会う場面など、想像するつもりなどないのに、勝手に頭の中で
その映像が映し出されて、サンジはそれを打ち消すように
窓ガラスを伝う雫の行方を徒に目で追う。
幸せになるべきは、自分ではなくアトリだと思ったから、
自分の幸せを断ち切る覚悟でここに来たのに、二人から遠のけば、遠のくほど、
本当の自分の気持ちが見えてくる。
アトリをゾロが選んだ時に、
いや、選ぶべきだと思ったのは他ならぬサンジ自身で、
別れの痛みに打ちひしがれる醜態を誰にも、自分自身にさえ見せない為の、
その逃げ場がライだった。
それなのに。
せめて、本当の気持ちを なぜゾロに一言も言わずに飛出してきてしまったのか、
と今更ながらに後悔している、
(なんて、俺は卑屈な人間なんだ)と、自分を罵倒しても、もう引き返せない。
ここで引き返せば、なんの解決にもならず、
ライになんの償いもしないまま、見捨てる事になるだけだ。
そんな夜の鬱屈した気持ちを朝になれば、ライは笑顔で塞いでくれる。
その笑顔に救われもするし、また、サンジの胸が痛みもする。
ライも、きっと、サンジが何も言わずにいる事を
訝しく思っているだろうに、言葉が話せないから、
聞きたがっている事に、気づかない振りをして誤魔化せる。
「デートするか。」と尋ねた時の複雑な表情に、サンジは自然に笑みが零れた。
けれど、ふと、ライの純粋な想いを弄んでいるような罪悪感をも同時に
感じた。
ゾロ以外に、自分が愛せる人間などいる筈がない。
それを判っていながら、わざわざ期待させるような言い方をしてしまう。
そして、それでも、無邪気に微笑みを返してくるライに、
自分がライを軽んじ、ゾロとライをはっきりと区別している狡さを浮き彫りにされ、
その醜さを思い知らされ、それがサンジにとって、罪悪感になる。
(お前に返してやれるモノなんて俺は何も持ってないのに。)と胸が痛くなる。
ライは、サンジのそんな気持ちを知ってか、知らずか、
自分の服を指差し、軽く、首を振った。
唇の動きで、「デートに、この服はみすぼらしいから嫌だ。」と言っているらしい、と
サンジは察し、そう聞きかえすと、頷く。
「みすぼらしいって、俺が選んでやった服だぜ、それ。」とサンジは顔を大袈裟に
顰めて答える。
(デートですから、ね。)とライは、ニヤリと笑う。
サンジはいつものスーツ姿だから、それに釣り合う服が欲しい、と言いたいらしい。
声が出ないから、ライは表情で、全身で、サンジに言葉を伝える。
言いたい事だけを言うだけでも、時間が掛って仕方がないけれど、
自分の意志を汲み取ろうとしてくれるサンジと向き合うのが
切ない程ライは嬉しかった。
ライは、(声なんか、出なくて良かった)と思う。
声が言葉が自由になるなら、幸せ過ぎる今日が終る頃、
心の中にある想いが零れ出るのを止められなかっただろうから。
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