「俺も慣れない土地に来て、気疲れしてるんでしょうかね、ここんとこ、よく眠れなくて…。今夜、そのハーブティってやつの煎れ方、教えてください。じゃ仕事がありますんで、」

ガースは、サンジの都合も返事も聞かず、断る隙も与えなかった。
強引に、厚かましく、押し付けた形の一方的な約束だが、その後、サンジからは、ノーともイエスとも、返事がない。
並の神経を持っている人間なら、この時点で不安になったり、心細くなったりするものだろう。ところが、ガースと言う男は、そんな純情で、繊細な神経など持ち合わせていない。
相手からの返事がない事には慣れていたし、それを異様なほど前向きに捉える性分でもある。
むしろ、なんの返事もないのは、全て、自分の思い通りに事が運んでいるからだと、完全に思い込み、そして、のぼせ上がって、(…こんな事は何回もあったからな)と、平然としていた。

ガースが、恋愛をする上で信じるのは、自分の気持ちだけで、一番大事なのも自分の気持ちだけだ。
相手の感情など、二の次、いや、もしかしたら、それ以下かも知れない。

相手が自分を好きかどうかを考えて、思いあぐね、戸惑ったり躊躇ったりしたところで、恋慕の情や、体が内側から燃えるかと思うほどの強烈な欲情を断ち切る事は出来ない。
なら、そんな事を考えるだけ無駄だと、ガースは本気で思っている。
だから、自分がその相手に飽き、関係が終るまでは、相手がどう動こうと、何を言おうと、何もかもを自分の都合よく解釈した方が気が楽だ。

その上、かつてサンジが、「黒足のサンジ」と呼ばれ、多額の賞金がその首に懸っていた海賊だと言う事など、全く気にもしない。

思い切り抱き締めれば折れそうなサンジの華奢な体つきや、穏やかな物腰しか見ていないのだから、仕方が無いと言えば仕方が無いかも知れない。
(…いくらあの人が、過去に名を馳せた海賊だったとは言え、あの細エ体だ)
強い、と言う話は聞いているけれど、多分、たかが知れている、と完全にサンジを見くびっていた。

仕事をしながら考えていたのは、抵抗された時の対処法だったのに、サンジの体を思い浮かべただけで、思考はすぐに脱線し、止め処が無くなって、ヨダレまで出そうになる。

睡眠薬の所為で、朦朧としながらも、か弱く抵抗するサンジの姿態が、頭の中にはっきり浮かぶ。

僅かに開いた瞼から、どことも視線が定まらない瞳が覗き、ぐったりと自分に体重を預けきったサンジの白い喉元が、しなやかに反っているのを、ガースは自分の腕で支え、ゆっくりと顔を近づける。

ロロノア・ゾロよりも、俺の方がずっとキスは上手いですよ。

そう囁くと、サンジはきっと観念した様に目を閉じる。
それでも、サンジは弱々しい抵抗を止めずに、柔かく唇を閉じているだろうから、乱れた絹糸の様な髪を指に感じつつ、掌で滑らかな頬を撫で、ゆっくりとその唇を塞いで、舌先でサンジの唇を割り、優しく無駄な抵抗をしないよう、戒める様に少しづつ、激しくキスをして…

と、自分の妄想にゾクゾクしながら、ガースは仕事をし、そして、夜が更けるのを待った。

* **

そして、とっぷりと夜も更けた。
レストランとして営業している船の灯りは消えているけれど、ホテルには一晩中灯りが灯っていて、そのオレンジ色の光が、真っ黒な波間に浮かび、キラキラと煌き、揺れている。

その様子を横目に見ながら、ガースはサンジの本宅に向かった。
通い慣れた道順を踏み、ガースはサンジの家のドアを開ける。

「…こんばんは」と、遠慮がちな声を装って、奥へと声をかける。
返事はない。けれど、灯りはまだ明々と点いていて、
(…寝てるって訳じゃねえよな、)と少し安心し、それから、胸の内ポケットの中に睡眠薬が確かに入っているかどうかを忘れずに確認した。
その時、なんの前触れもなく、ガラスのドアがいきなり開く。

「…何か、用か?」
慌しくサンジがドアごしに顔だけを出し、忙しげな口調でそう言った。

(…え?)
「…そりゃあ、ないですよ…約束してたのに…」、
と勝手に約束を押し付けた癖に、まるでサンジが不実な事をしたかの様に、詰りたくなる様な気持ちで、ガースはサンジの前に立ちつくした。

「なんか、約束してたっけか…?ま、とにかく、今夜は用が出来て、忙しい」と
がっくりとガースが肩を落としているのに、サンジは全く取り合わず、
「ま、そう大して時間は掛からねえと思うが…」と、素早く身支度を整えてしまった。

不躾な視線を感じて、辺りを見渡すと、サンジの養子のジュニアが露骨に迷惑そうな顔をして、じっとガースを見ている。
コックスーツを着ている時は、少し大人びて見えたけれど、ジーンズにTシャツと言った、ラフな普段着の姿だと、やはりまだ10代の少年らしく、とても幼く見えた。

「…ふ〜ん…。夜、この部屋で、この人と2人きりで会う約束してたんだ?」
ガースに目を向けたまま、ジュニアは露骨に不満そうな声で、誰に言うとも無くボソリとそう呟いた。

「…なんだ、その言い方」
何も後ろ暗い事はしていないのに、詰られたのが気に障ったのだろう、サンジはジュニアを憮然と振り返る。
「…別に」
反抗期の少年独特の生意気な言い方で、ジュニアはプイ、とサンジからもガースからも目を逸らした。

(…おや…)サンジとジュニアのそのやり取りを見、ガースは、腹の中でほくそ笑む。
聡いジュニアは、ガースをサンジの浮気相手、あるいは、その可能性のある男、と察したのだろう。

どうせ、嫌われるだろうが、それでも、「ロロノア・ゾロから一時でもサンジを寝取った男」と、「認知」されたかの様で、気分は悪くない。

サンジが部屋から出て行こうとするのに、ジュニアはその後を追い、そして、足早に追い抜こうとする。

その腕を掴んで、「…いやに反抗的な物言いするじゃねえか」とサンジがジュニアを詰れば、
「なんで、そう思うのさ。なんか、やましい事でもあるワケ?だから、俺の言い方がムカつくんじゃない?」と言いざま、ジュニアは乱暴にサンジの腕を振り解く。

その間も、ジュニアはサンジに背を向け、ガースの横をすり抜けてどんどん廊下を歩いていく。
そんなジュニアの様子に、サンジは途方に暮れた様に立ち止まってしまった。

反抗期の息子に手を焼く父親の様にも見えるし、駄々をこねている弟を持て余している兄の様にも見えた。

「…なんなんだ、あいつ。一体、何言ってんだ?」
「なんか、誤解されてるみたいッスね」

サンジの独り言に、ガースは遠慮がちに答えてみる。
すると、みるみるサンジの顔が苦虫を噛み潰した様な、なんとも苦々しい顔になった。

「…何を誤解するってんだ、バカが…」
「とにかく、誤解はさっさと解きましょうや。俺も、あらぬ誤解を受けるのは嫌ですからね」

作業が終るまでずっとサンジと離れずに、その側にいれば、最終的には2人きりになれる筈だ。
それに、ジュニアの目を上手く逸らす事が出来れば、この恋の顛末が、ロロノア・ゾロの耳に届く事も防げるかも知れない。
素早くそう計算し、ガースはサンジに言った。

「お手伝い出来る事なら、させて下さい。力仕事なら役に立ちますよ」
「…ただ働きになるぜ」

ガースの申し出に、しぶしぶ、と言った風にサンジは頷き、サンジとガースはジュニアに続いて、外へ出た。

* **

家を出て、空を見上げると満天の星が煌いていて、半月の月も輝いていて、深夜だと言うのにかなり明るい。
その所為で、うっすらと白く輝く地面に、ガースとサンジの影が出来る程だ。
二人は、桟橋を渡り、「迎賓館」と呼ばれている建物に向かった。

その道すがら、サンジの話を聞く。
「…送り主の分からねえワインが大量に届いたんだ」
「それも、何樽もあるらしい。こんな時期にワインなんて…どうも、胡散臭い」
そこまで言って、サンジは立ち止まった。
「…お前、」そう言って、ガースの方へ顔を向ける。
「ガースですよ、オーナー」星と月の光の下で、ガースは自分が一番、魅力的に見える笑顔を作って、サンジに微笑んで見せた。
だが、サンジは真顔のまま、全く表情を変えずに
「ガレーラから来たんなら、腕も立つだろう」
「けど、ヤバイと思ったら、さっさと逃げるなり、隠れるなりしろよ」と淡々と言い、
そしてまた歩き出した。

サンジの身に危険が迫っている。
そんな予感がして、ガースは思わず武者震いをする。

男を上げる最大の好機だ。
どんな危険だろうと、喜んで受けて立つ。

そんな気概で、ガースはドンと胸を張り、鼻息を荒く吐きながら、サンジの背中を追いかけた。


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