恋上手
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全てが青い海、と呼び名されている場所なのに、空を見ても海を見ても、そのものが本来持っている色全てが鈍色がかって見え、絶え間なく雪が降っている。
 降り積む雪と凍て付く海が、オールブルーの主をまるで独占するかの様に、この地に一人閉じ込めてしまうけれど、その代わりにこの世の全てを凍えさせるかと思うほどの冷たい風が、主の恋人を呼び寄せる。

 ロロノア・ゾロが世界一の大剣豪、と呼ばれる様になってどのくらいの年月が流れただろう。そして、このオールブルーで、何度、サンジと2人っきりの冬を過ごしただろう。

窓の外は、どんよりと曇り日が射さない雪原が広がっている。
分厚い雪雲の下には、か細い太陽の光しか届かず、白夜が明けて行くのか、それとも暮れて行くのか、時計を気にしていなければ分かりづらい。

離れている間の寂しさと寒さを埋める様に、ゾロは飽きる事無くサンジの体を求めた。
もし、建物や桟橋に降り積もる雪を除雪する、と言う仕事がなければ、それこそ食べる時間も寝る時間も惜しんで、サンジの体を抱いていたいと思っているくらいだ。

 真っ赤に燃えるストーブの中の炎だけが光源で、今も2人は素肌に何も身につけずに
ベッドの中にいる。サンジはゾロに背中を向け、随分長い間、黙り込んで一言も喋らない。
さっきまで乱れていた息も、大分規則正しくなって来た。
 寝乱れている長い向日葵色の髪を指で弄るのも少し飽きて、ゾロは体を少し起こし、サンジの横顔をその体越しに覗き込んでみる。
 (…もう寝る気か、こいつ…)
サンジの瞼は二枚貝の様にしっかりと閉じられていて、唇が僅かに開いている。
もう、その意識は夢の中に迷い込んでいるかもしれない。

今日は、まだ一回しかサンジの体の中を味わっていない。
まだ、話し足りない。声を聞き足りない。まだ、サンジの心を独り占めしていたい。

「…ちょっと前に、俺ア、見ず知らずの男に土下座された」
「んん…あぁ?」

 唐突なゾロの囁き声に、サンジがうっすらと目を開いた。

まだ、話し足りない。まだ、声を聞き足りない。そう思っていたのは、サンジも同じだったのだろうか、「眠いから寝かせろ、」とは言わずに、眠たそうな姿態をしながらも、ゆっくりとゾロの方へと向き直った。
「…どこで?」
「…さあ、なんて島か忘れたけどな…」
そう言いながら、ゾロはサンジの頭を掌に収めて、胸の中に抱き寄せる。

「盛り場で、酒飲んで、飯を食ってたんだ」
「そしたら、…見た事も無エ男がいきなり、だ」
「一言、詫びさせてくれって言って、いきなり土下座だ」
「…お前、ガースって名前の船大工、知ってるか?」

そのゾロの言葉に、サンジが瞼を持ち上げる。「…ガース?…船大工…?」と、呟いて、首を傾げ、ややあって、ゆっくりと頭を振った。

「お前、ちょっと前にこの島に新しい名所、作っただろ?」とゾロが尋ねると、少しづつ頭が動き出したのか、
「…名所…って、潜水艇の事か」と聞き返してきた。




サンジは、冬が訪れる数ヶ月前に、オールブルーに新しい「名所」を作った。
それは、全体が透明のガラスで出来ている潜水艇で、海底に据え付けられている。
陸の上から専用の桟橋を渡って、その潜水艇に乗り込めば、前後左右、360度、海中が見渡せ、自由に泳ぎまわる魚を見る事が出来る。
さながら、「人魚になった気分」を味わえる、と客達には大評判だ。

「オールブルーには東西南北全ての海の魚が生息している」と言うのを実証して見せ、なんの装備をしなくても、誰にでも簡単に海中が見られる仕組みで、そのガラスの潜水艇を水温の違う海域、それぞれに四艇、設置してある。

船体全部がガラス、そんな特殊な潜水艇を作れる船会社は、世界に一つしかない。
「ガレーラカンパニー」だ。

その「潜水艇」の製作をサンジから依頼されて、ガレーラカンパニーから数人の船大工や技術者が
やって来た。

ゾロに土下座した「ガース」はその一人だ。

「若い頃のパウリーさんにそっくりだ」と、昔から勤め上げている船大工達に言われているほど、ガースは体格も目つきも雰囲気も、パウリーの若い頃の姿そのままだった。

大きく違う事と言えば、パウリーは女性に対して異常なほど初心だったが、ガースは女性には全く興味がない。むしろ、少年の頃から同性しか愛せない性癖の若者だった。
そして、顔にも腕っ節にも自信があるから、怖い物など何も無く、剛胆な性格で、
性欲も人並み以上に旺盛で、おまけに惚れっぽく、少しでも興味をそそられたなら、相手がノーマルな男だろうと、妻帯者だろうと躊躇わずに口説き落として、ベッドに連れ込んだ。
その癖、一人の人間に自分が独占されるのは我慢できなかった。
憎まれたり、罵られたりするのも面倒だから、特定の恋人は作らない。
そう決めた頃からだろうか、ガースは、好みの相手とセックスさえ出来れば恋愛感情がなくても構わない、と思っていた。

ガースにとってセックスは、愛情を確かめ合う為の行為ではなく、肉体の快楽を共有するだけの「遊戯」で、「恋」とはその行為に持ち込むまでのただの手順に過ぎない。
その上、「嫌われても構わない」と最初から腹を括っていれば、大胆な誘いも掛けられるし、酷い暴言を投げつけられても、傷つかなくて済む。

そんな男が、サンジの元にやって来た。
最初、ガースはオールブルーに行け、と社長のアイスバーグに直々に言われても少しも嬉しくなかった。
もちろん、請け負った仕事は最後までしっかり仕上げる。
いつもの船作りとは違い、面白みのある仕事だとも思った。
が、離島だし、仕事以外に何の楽しみもない。
禁欲生活になるだろう事は容易に想像できる。

(…金髪、細身、で、蒼い瞳か…。噂どおりなら、確かに俺の好みだけどよ…)
オールブルーのオーナー、サンジについては、全く期待出来なかった。
何故なら、(…黒足のサンジって、もう、40前ぐらいだろ。いくら美人だって言っても、もうオッサンじゃねえか…)と、勝手にサンジの容姿を想像し、勝手に失望していたからだ。

だが、そのガースの失望はいい意味で裏切られた。

「ガレーラの職人の腕は信用してる。よろしく頼む」と言われた時、ガースの目はサンジに釘付けになり、咄嗟に返事すら上手く出来なかった。

サンジに見据えられた途端、ガースの体に電流が走った。
後になって、その時の衝撃をガースは思い出し、その度に身震いする。

(あんな人、見た事ねえ…)と、息を飲んだまま、たどたどしい言葉しか話せなかった、自分の間抜け面を思い出すと、顔が火照る。

(肌の艶も、体つきも身のこなしも、まるでまだ20歳を少し越えた位にしか見えねえ)と驚愕した。(…あれで俺よりもずっと年上…?信じられねえ…)
まるで、奇跡を見ている様だ、と本気で思った。

堂々とした大人びた物腰の中に、なんとも言えない艶っぽさがあり、親しげに向けられた眼差しにガースの心臓は、一瞬で鷲掴みにされた。

(…一回でもいい。あの人の肌に心行くまで触ってみてえ…)
少しでも気を抜くと、仕事中もそんな事ばかりを考えている。
一度考え始めると体が勝手に燃え始め、喉が渇いて、作業着の下の性器が猛り立ってくる程だ。

時折、自分達の作業の進み具合を見に来るサンジの姿を見ると、ガースの体は熱く、そして一部、硬くなる。
(…みっともねえ…。こんなになってるトコをあの人に見られたら、)
きっと、軽蔑されるだろう。
そう思うと、恥かしくなり、作業など何もかも放り出して、頭から海に飛び込みたくなる。
こんなに純な気持ちと、強烈な性欲を一人の相手に同時に感じたのは初めてだった。

仕事をしている間はまだいい。
宛がわれた宿舎で眠る夜、身悶えするぐらいに妄想が暴走し、止め処が無くなる。

同僚がシャワーを浴びている水音を聞いているだけで、ガースはサンジがシャワーを浴びている姿を想像してしまう。

細い首筋に纏わりつく長く濡れた金髪、背中を濡らしながら流れ落ちる温かな、いい香りの泡が混ざった湯は細い腰へと落ちて行き、固く締まった形の良い臀部を撫でる様に滑り落ちて行くのだろう。
顔に雨の様な湯を浴びて、気持ち良さそうに目を細めて、きっと口は僅かに開いていて…。
そこまで想像して、それからガースの妄想がさらに暴走する。
サンジは裸で、自分は服を着たまま。
シャワーの湯でその服が濡れるのに任せ、力任せにサンジを抱き、その口を塞いで、舌を絡める。すると、サンジの手が艶かしくガースのズボンのベルトにかかって、…
そこまで想像して、ガースはゴクリと生唾を飲む。
(…畜生、ああ、あの人とやりてえ…。たった一回でいい…)

惚れた相手を目の前にして、例え、それがどんな立場だろうと、黙って我慢している性分のガースではない。
こんなに淫らな妄想までしてしまうのだから、サンジを口説かずにはいられない。

テクニックにも、持久力にもガースは自信がある。
一度でもガースと寝た男は、その手練手管に体が蕩けてしまい、二度目からは簡単にガースの言いなりになるぐらいだ。
絶対にサンジも口説き落として見せる。
今まで、そう狙い定めて、陥とせなかった男はいない。
自分の手が、サンジの肌を撫で回し、歓喜に震えさせる様を想像すると、ガースの体が甘く疼く。
(仕事が終わるまでに、どんな手を使っても、あの人を抱く)と、ガースはオールブルーに来て四日目にそう決心した。

その夜からは、妄想することは一切やめ、色々な策を考える事にした。

(…とにかく、あの人は忙しい。俺達の仕事場にも一日、一回顔を見せればいい方だ)
(それだって、禄に話も出来ねえし…。さて、どうするか…)

まず、ガースは自分達に出される食事について話したらどうか、と考えた。
なんでもいいからとにかく、キッカケを作らないとどうしようもない。

「…いつも、美味い飯を用意してくれて、ありがたく思ってんですが、」
「オーナーに直接お礼を言わせてもらえませんかね?」

その策を思いついた翌朝、早速食事を用意してくれた若い調理人にそう声をかけた。
「…お礼なんて…わざわざいいよ。あんた方の食事には、オーナーはもう関知してないし」、とまだ少年の調理人はそっけなく答える。
「オーナーが作ってくれてるんじゃないんですかい?」ガースは取り縋る様にそう尋ねた。
年下だと分かっていても、ガースはこの少年に丁寧な言葉を使う。
何故ならこの少年の名はジュニアと言い、レストランの副料理長であり、サンジの養子だと聞いているからだ。雇い主の子息に対して、不躾な言葉遣いは例え職人であっても
許されない。
「うん。当番制だよ。栄養配分とか、量とかはその日の当番が全部、任されてるんだ」
「その方が、俺達料理人の勉強にもなるからって。オーナーが作ったのは、最初の一日目の晩飯だけだよ」と、ジュニアは屈託無くそう言った。
「サンジは…、オーナーは忙しいからね。それでなくても、レストランの事でいっつも頭がいっぱいなんだ」
「それでも、どうしても礼が言いたいなら、昼過ぎに本宅に行けばいいよ」
「一時間だけ、自分の部屋でのんびりしてると思うから」

(…本宅…)それはつまり、サンジのプライベートな家、と言う事だ。
その言葉をガースはしっかりと頭に叩き込む。
一時間、いや、30分あればなんとか2人きりで会う約束ぐらいは絶対に取り付けられる。
いや、取り付けて見せる。

「…わかりやした。ありがとう、ジュニアさん」とガースは胸の内の邪な笑みを悟られないよう、愛想良くジュニアに礼を言う。

戸惑いも迷いも無い。午前中の仕事を済ませ、昼食を摂った後、ガースは早速、案内もされず、招かれてもいないのに、厚かましくもサンジの本宅を一人で訪れ、そのドアの前に仁王立ちに突っ立った。

「…すいません、オーナーサンジ!職人のガースです!」と、まずは大きな声で呼びかけてみる。

だが、返事はない。が、ここまで来たのに返事が無いからと言って、引き下がれない。
家の中にサンジがいるのは気配で分かる。
ガースはそっとドアノブを回した。カチャリ、と音がして、いとも簡単にドアは開く。
誰に対しても全く無警戒な様子に、ガースは却って驚いた。

(…これは…幸先がいい…)と勝手に頬が緩む。
上手く行けば、このまま事が進むかも…そんな期待に胸を膨らませながら、ガースはサンジの家に足を踏み入れた。


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