「頭が痛いだけで、別になんともない、だって?」
「そんな訳ないだろう!」
R−1は思わず、S−1を叱りつけるような声をあげた。
この熱さは普通の熱ではない、と医学的な知識も技量も
医学博士並にあるR−1にはすぐに判った。
その勢いに
驚いて竦んだようなS-1をすぐに抱き上げ、船室に連れて入り、
ベッドに横にならせた。
「痛い所は頭だけか?」
「胸とか、足は痛くないんだろうな?」
プロの医者、S-1が患者なのなら、小児科になるかもしれないが
もっと、穏やかに尋ねるべきなのだが、
当たり前の事だが、R−1には、臨床医の経験がない。
いつも、試験管やら、顕微鏡やら相手だったから、
病気に侵された人間の心が弱く、卑屈になりやすいことなど、
知る由もなかった。
「頭だけが痛いって言っただろ。」とあまりに高圧的かつ、
威圧的な言い方をされて、S−1も腹が立ったのか、
険しい顔付きと反抗的な口調で言い返す。
「とにかく、横になってろ、すぐに診るから。」とR−1はテキパキと
診察するための道具を取り出した。
けれど、
わからない。
こんな状況になるなど、考えもしなかったし、
自分達の住んでいる島には充分な施設が揃っているけれど、
今は、そんな器具など一つもないのだ。
(あの植物の所為だ、それしか考えられねえ。)と考えつつ、
S−1の体をくまなく診察する。
背中を覆うように長く伸びた髪をR−1は掌で一つにまとめて、
S-1の細い首から胸の方へと流した。
肩が上下している。
これだけ高熱だと、息をするのも苦しくて当たり前だ。
汗をかいて、しっとりと濡れ、薄いピンク色に染まったS-1の肌だけれど、
今は、なんの欲求も沸かない。
沁みも黒子も傷もない、生まれてすぐの赤ん坊のようなS-1の肌の
腰の近くにはっきりと赤い斑点が残されていた。
それでやっと判った。
「ケスチアだ。」
「けすちあ?」
呟いたR−1の言葉をs-1が聞き返した。
「ダニだっけ?」
S-1も島を出る少し前から恐ろしい勢いで知識を吸収していた最中だった。
恐らく、膨大な資料の中のどこかで見たことがあるのだろう。
が、ケスチアなら、なぜ、頭痛と発熱だけなのか、
R−1にはわからない。
心筋炎や、脳炎、などで苦しみ、とても意識を保ってはいられない筈なのに。
熱を測ると、やっぱり、
(42度7分もある。)とR−1の顔が曇った。
R−1は時計を見た。
今日発病した、と言う事は 残り五日だ。
「大丈夫、ケスチアなんか、今は死ぬ病気じゃない。」
「すぐに治るから、大人しくしてるんだぞ。」
怪訝な顔をするS−1を落ち着かせる為、と言うよりも、
R−1は自分の動揺を押さえる為に無理に笑った。
S-1の体の中には、あれだけ大暴れしたにも関わらず、
あの植物の種子が入りこんでいた。
発芽した種子は苗床を守る為に その苗床を食い尽くそうとする細菌と
S-1の体内で激闘を繰り広げている。
その所為で、ケスチアの活動が押さえられているのだ。
けれど、この戦い、どちらが勝っても、S-1の命は危険に晒される。
S-1自身の体を守ろうとする働きと、種子、ケスチアの三つ巴が
激しい熱となって顕れていた。
S-1は何も言わずに、R−1の心配そうな顔が見ないように、
眼を閉じた。
歯の根が合わずに、カチカチとなるのを必死で堪える。
「寒い、寒い。」と島にいた頃、ほんの少し、肌寒い秋風に吹かれただけでも、
すぐにR−1の腕の中に温もりを求めて甘えられたのに、
今は、「複製品」としてしかその温もりを与えられる権利がないと思うと、
そんなものさえ欲しがるなんて、とてもあさましい事のようで、
S−1がブルブル震えながら一人で寒さを堪えようと枕の端をギュっと握った。
その夜から、海が荒れた。
一人でR−1は船を必死で操舵したけれど、
嵐の海を一人だけで乗りきるのは無理で、S−1も雨と風に打たれながら、
一刻も早く次の島に辿りつけるように船を進ませる。
嵐の風を受けたおかげで、思ったよりも早く航路を進める事になった。
荒れた天候の海域をやっと抜ける事が出来たのは、
S−1が発症してから まる三日経とうとしていた夕方だった。
発熱以外の症状が見られず、それも徐々に落ちついて来て、
動ける事にR−1はもしかしたら、
(ケスチアじゃなかったのか)と安心し掛けていた。
ケスチアに感染して、嵐の海の船を操舵するなど絶対に出来ない事だし、
熱も、43度近くあったのから、今は、39度まで下がったからだ。
きっと、恐ろしい経験をして、精神的ショックが肉体に熱と言う形で
顕れたのかもしれない、と楽観的な考えを持ち始めながら、
R−1はキッチンで簡単な夕食を作っていた。
狭いキッチンの真後ろに、S−1は座っていて、夕食が出来るのを
R−1と他愛ない会話を交わしながら、待っていた筈だった。
S−1の熱が一旦引いたのは、体内の戦争の脱落者と勝者が決定した、
一時的なものだったのだ。
例の植物の種子はついに、ケスチアに食い尽くされ、
充分に肥え太り、力を蓄えたケスチアの細菌は、
植物とケスチア、両方と戦ってボロボロになったS−1の体内の兵隊に
一気に襲いかかった。
キッチンの椅子が大きな音を立てて倒れた。
その音に、R−1は驚いて振りかえる。
「S−1!?」
R−1の切羽詰まった声が聞こえて、S−1は自分が床に倒れてしまった事に
気がついた。
心臓の音が乱暴に頭に直接響く。
息が出来ない。
目が痛くて開けられない。
体に力が入らなくて、背中も、胸もどこもかしこも痛くて
寒くて、S−1は床に転がったまま、丸くなった。
丸くなったまま、R−1に抱き起こされる。
発症して、止まったままだった症状は一気に末期へと凄まじい早さで
進行していく。
(死ぬのかもしれねえ。)と思いながら、S−1は何時の間にか、
冷たい布を頭に乗せられて、温かいベッドの中にいた。
「頑張れ。頑張ってくれ。」
R−1の大きな手が一生懸命、S−1の体を擦っていた。
それでも、S−1は寒くて小刻みに震える。
あと、数時間で島に着く。
島に着きさえすれば、薬を調合してすぐに治せると言うのに、
R−1は激しく動揺していた。
その数時間がS−1に耐えられるかどうか、全く判らないのだ。
なにをどう、頑張ればいいのかわからないのだが、S−1は
R−1が頑張れと言うのなら、(頑張ろう)となんとなく、思った。
「頑張るけど、もしも、ダメだったら、」
「ダメだとか言うな。」
もしも、ダメだったら俺をもう一人作れば寂しくねえだろ、と言いかけた
S−1の言葉をR−1の声が遮った。
その声に涙が混じっていたので、S−1は驚いて、
焦点をR−1に合わせようと痛む目に力を入れた。
緑色の瞳がツヤツヤと濡れて光っていて、涙が零れそうになっていた。
「お前がいなくなったら、寂しくてとても生きていけねえ。」と言うR−1の声が震えていた。
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