S-1が住んでいる家よりも、ずっと丈夫な扉だったけれども、
たかが、普通の住居の扉など、S-1の脚力の前にはひとたまりもない。
何度か力任せに蹴ると、完全に玄関の扉は壊れてしまった。
(・・鍵を換えるだけじゃ済まなくなっちゃったな)と、少しだけ
S-1は力加減が出来なかった事を申し訳なく思ったが、今はとにかく、
早くテツに薬を飲ませる為だ。仕方ない、と諦めて貰う事にして、
S-1はテツを家の中に運び込んだ。
明るい外から内側に入ってみたら、かなり薄暗い。洞穴に入ったような感覚だったが、
周りを見回して、S-1は唖然とした。
(うわ・・・広・・・)
扉を開けると、真正面に大きな階段があって、その上には、埃を被って、
蜘蛛の巣にまみれた巨大なガラス細工の照明器具が天井からぶら下がっている。
そして足元は外の石畳よりももっとツルツルした石が敷き詰められていて、
人が歩くべき場所には、分厚い絨毯が敷いてあり、それは階段の上にまで続いていた。
壁ぎわには、S−1の背丈よりも大きい彫刻がいくつも並んで置かれているし、
玄関へと伸びている階段の両脇にも部屋があるようだ。
だが、ぽかんと口を開けて、屋敷の大きさに圧倒されている場合ではない。
「・・・ええと、どこに運べばいい?」とテツに聞くと、
「階段を上がって、右の、一番突き当たりの部屋が・・・ゴホゴホ」と苦しそうに
答えてきた。
テツの具合はだんだん悪くなっているように見える。
S-1はテツに言われたとおりの部屋まで彼を運び、それから薬を飲ませた。
(こんな広い部屋に一人で住んでるのかあ・・・・)
キッチンは、一階にあるのかと思ったら、テツが使っている部屋には
風呂もキッチンもそれぞれ備え付けてあって、その部屋だけでもう、
S-1が住んでいる部屋よりもずっと広い。
薬を飲ませたり、水を飲ませたりして、小一時間程経った。
ゼーゼーと言う音も大分マシにはなった様だが、それでも、テツは辛そうにベッドの中で
うずくまっている。
眠ってしまったのか、「・・・大丈夫か?」と尋ねても答えがない。
S-1は少し、困った。
(玄関壊しちゃったし・・・病人のテツを放り出して帰るわけにもいかないし)
ピーのえさ箱にはエサを入れてきたし、水も変えてきたけど、
俺が帰らなかったら、怖い思いをするかも知れない・・・
と、人間の、しかも病人のテツと、雛鳥のピーを頭の中で天秤にかけ、しばし
考えあぐねる。
そうやってしばらく考え込んでいると、外からパラパラ・・・と雨音が生い茂った葉っぱを打つ音が聞こえてきた。
テツの部屋の埃が降り積もって薄汚れた窓ガラスごしに外を見ると、
庭なのか森なのかもはや分からなくなるくらいに鬱蒼と茂った木々が見える。
(住んでる人は想像と違ったけど、中は想像どうりだ)と改めて、S-1は部屋の中に
目を戻した。
部屋数はかなり多そうだ。ただ、使っているのはこの部屋だけなのなら、他の部屋には誰もいないに決まっている。
S-1の好奇心がウズウズして来た。この屋敷の部屋を全て、覗いてみたい。
(別に何かを盗む訳じゃねえもん。見るだけなんだから何も悪くないよな)
テツは眠っているし、ドアを壊した後、黙って帰るのも無用心だ。
(・・・ちょっとだけ、)S-1はそっとテツの部屋から廊下に出た。
雨音はしとしと・・・・と廊下に静かに響く。
灯りも灯さない廊下の先は真っ暗で、墓地を歩くのと変わりなく思えるくらいに
不気味だ。
だが、それが却って、S-1の冒険心と好奇心を煽る。
数歩歩いたらすぐ隣の部屋だ。ドアノブを回す。
カチャ、と音がして古びた扉が開く。
S-1は恐る恐る、その扉を押した。
中から酷く湿ってかび臭い匂いがする。
手に持ってきた蜀台から、か細い蝋燭の火を翳してみたら、布を被った家具が
置いてあるだけで、誰もいないし、何もない。
(・・・ん?)S-1はさらにその部屋の奥へと明かりを翳してみた。
壁際には、びっしりと天井まで本が並べられてある。
(うわ〜なんか、俺達の島の、書庫みたいだ)
かつて、自分が生まれた島にもたくさんの書物があった。
今、目の前に整然と並んでいる本を見上げ、ふと、自分達の生まれた島の事を
S-1は思い出す。
(・・・どんな本なのかな・・・)と、一冊だけでもいいから手にとって見たくなった。
島にあったのは、機械工学、生体工学、理化学、薬学などの専門書が殆どで、
S-1は物語や絵本など一冊も読んだ事がない。
そんな本があること自体、S-1は知らなかった。
また、新しい知識が増えて、頭がよくなれば・・・と背が届くくらいの場所にあった
一冊の分厚い本を本棚から抜き取ってみる。
蝋燭の暗い明かりではあまり文字がはっきり読めなかった。
仕方なく、それを手に持って、S-1は一度、テツの部屋に戻る。
ちらりと見た限りでは、何か、綺麗な絵が描いてあった。
それに文章が添えられていたようなので、明るいところでじっくり読んでみたくなったのだ。
テツの部屋に戻っても、まだテツは眠っていて、S-1が部屋を出入りしているのに
全く気付かない。
S-1は、テツのベッドの近くのソファに腰を下ろし、本を広げた。
それは初めてS-1が読む、人の空想が生んだ物語だった。
あまりの面白さにのめり込んで、テツの家にいる事や、R-1がいなくて寂しい気持ちも
その本を読んでいる間は完全に頭から消し飛んだ。
最初に読んだのは、人が殺されてその犯人を捜し、そしてどうやって殺したか、
何故殺されたかを解き明かす話で、それを皮切りにどんどんその話を書いた作家の名前を本棚から探して片っ端から読んだ。
それでもだんだん眠くなって、それでも続きが読みたくて、
我慢して読み続けた。
が。
(・・・これの続きはどこらへんにあるんだろう?)
膨大な本の中から、続き物の最後の一冊がどうしても見つからない。
それを読まないと、被害者が誰に殺されて、どこに埋められてしまったのかが
気になって落ち着かないのに、蝋燭の明かりを頼りに探しても、書棚のどこを探しても、
見つからないのだ。
(・・・テツに聞いてみよう)この家の主なら、どこにあるのか知っているだろう。
そう思って、S-1はテツが目を覚ますのを待つ事にした。
流石に本を読みたいから叩き起こすのはいくらなんでも可哀想だと思ったのだ。
テツが目を覚ました時、すぐに頭が動くように、と冷蔵庫の中にあったレモンと
砂糖を使い、温かいレモネードを用意する。
食べ物も用意したいと思ったが、何もない様なので、仕方なく、
小麦粉とバターと卵を勝手に使って、クッキーを焼いた。
(固いものを良く噛んで食べると目が覚めるからな・・・)
眠気と戦いながら、S-1はテツが目を覚ますのを待つ。
もうあと数時間で朝が来ると言う程夜が更けた。
テツが少しベッドの中で身じろきしたので、S-1はソファから慌てて
ベッドに駆け寄る。
そして、テツの顔を覗き込んだ。
寝汗をかいて、額に汗がべっとりと浮いている。
額にこんなに汗をかいているのなら、体にも相当寝汗をかいているに違いない。
「汗、拭くか?」
そう言って、テツの額の汗を拭ってやった。
その冷たく濡らしたタオルも、勝手にテツの身の回りの品から引っ張り出したモノだ。
テツは目を開けても、しばらくぼんやりしていた。
夢を見ているのか、目を覚ましたのか、自分でもあまり良く分かっていない様に見える。
「おい、大丈夫か?ぼんやりして。熱はあんまりなかったけど、頭ボケちゃったか?」
心配になってS-1がそう尋ねると、テツの小さな目が何度か瞬きをした。
はっきりと目が覚めたらしい。
「あ・・・スー君・・・?」
起き上がって、鼻先が触れるかと思うくらい、S-1の近くに顔を寄せる。
そうしないと、誰が誰なのか、見えない様だ。
「うん。扉壊しちゃったから、謝ってから帰ろうと思って」
すっかり元気になったテツを見て、S-1は安心した。
顔色もいいし、これなら遠慮なく、読みたい本の在り処を聞ける。
「ずっと、ここにいたのかい?」と聞かれて、にこやかに笑って頷く。
「ずっと、起きててくれたんだ?」とテツに聞かれて、素直に
「うん。起きてたよ」とまた頷いた。
体の具合の悪い自分の為に、S-1は寝ずに起きていてくれた。
てっきりテツはそう思い込む。
「僕の具合が悪くなると、アンは気兼ねしないでゆっくり寝てちょうだいって言って
帰ってしまうんだ」
「兄さんも、薬を飲めば治るだろうって来てくれないし」
「いつも、発作が出るたびに死にそうに苦しくて、誰かに側にいて欲しいって思ってたんだけど、もういい歳をした男がそんな事言うの、みっともないって思って・・・」
「側にいてくれて、ありがとう、スー君」
ところが、S-1はテツのその言葉を全く聞いていなかった。
早く、レモネードを飲ませ、クッキーを食べさせてから、本の場所を聞こう、と
少し離れた台所でテツに食事を摂らせる用意をしていたからだ。
「台所になにもなかったからさ、勝手にあり合わせで作ったんだ」
「少しは腹の足しになると思うから、食べろよ」
そう言って、まだ温かいクッキーと、さわやかな香りのレモネードをベッドの側まで運んだ。
「レモンと卵しかなかったのに、良く作れたね、これ」
テツはもぞもぞとベッドから起きてきて、テーブルに並んだクッキーに手を伸ばした。
「スー君の店に行くようになってから台所使ってないんだ」
「レモンは、庭で取れるし、卵は・・・アンが買ってきて料理を作ってくれたんだけど、それも随分前になるし・・・いつ買ってきたのか覚えてないや」
そう言って、テツはポリポリとネズミの様にクッキーを噛み砕いて、
「・・・美味い・・・ホントに美味しい」と深いため息をついた。
「ありがとう、スー君」
「いや、どういたしまして」S-1には全く媚びる気もないし、テツを誘惑する気など
全くない。
だが、その行動が、普段誰からも見下げられ、軽んじられている孤独な男を
激しく勘違いさせるとは、全く予想だにしなかった。
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