(変わった人だな)と、最初に見た時からS-1はそう思っていた。

R-1に話しかけてきた女の名前は「アン」と言う。
S-1がこの店に来る前からの常連で、マスターが彼女の名前を知っていて、
S-1に教えたからだ。

何故、S-1はアンを(変わっている、)と思ったのか。
アンはかなり綺麗な女性だ。
生まれてから何度か見た女性の中でも抜きん出て美しい。

それなのに、最初に彼女を見た時、彼女と腕を組んで入ってきた男の容姿が
あまりにも釣合っていなかった。
S-1はその事にまず、目を丸くした。

アンは顔も美しいが、背も高い。並んで立つと、S-1よりもほんの僅かに
低いくらいだ。それに、とても華奢で細い体をしているのに、胸だけは豊満で
歩くたびに揺れているのが服越しにも見える。

そんな美しいアンなのに、連れていた男は、アンの肩ぐらいの背丈しかなく、
分厚い眼鏡をかけていて、男の癖に顔も体もふっくらと柔かそうな肉がついていて、
なんだか動きも鈍い。

(なんだろう、変な感じだ)
何故、その組み合わせを見て変だと思うのか、S-1は最初、分からない。

一緒にいる癖に、アンは少しも楽しそうではない。
男の方は、アンになんだかびくびくオドオドしていて、「コイビト」と言うより、
なんだか、女主人と、それにかしずく従僕の様な関係にしか見えない。
そんな二人が、また今日も昼時、食事を取りにやってきた。

「アンじゃないか?今から彼氏とデート?」
「そうじゃないわ、買い物に付き合わせてるだけよ」

二人がコーヒーを飲んでいると、近くにいる若い男達が馴れ馴れしくアンに
話しかけていくこともしょっちゅうだ。
男は小さく眼鏡の奥の小さな目をしょぼつかせて、頭を軽く下げ、
アンの肩を抱くアンの男友達に向って律儀に挨拶するだけで、
何も言わずにいる。

「買い物かあ、いいなあ、俺も付いて行こうかな」
アンの知り合いの男達は皆、服装も言葉遣いもだらしない。
無遠慮に二人が座るテーブルに同席し、まるで脅すような目で、アンの連れている
男を見る。それをアンも止めもしない。

「スー君もおいでよ。アンの彼氏、なんでも買ってくれるよ」
今日、アンに話しかけている男は、見目は良いが横柄でやたらと馴れ馴れしい。
まだ、S-1は彼の名前を知らないのに、勝手にS-1の名前を覚えて、
毎日、毎日やってきては、「ねえ、一回だけ俺と遊ぼうよ、」と同じ事ばかり言う。
一体なんの仕事をしているのか、服装もやけに派手だし、言葉遣いも態度も軽薄そうで、S-1はその男があまり好きではなかった。

「アン、ここの支払い、頼むよ」そう言って男は、アンの耳にチュ、と口をつけた。
「いいわよ。ここの支払いくらい、なんともないわ」アンは全く嫌がる様子はない。
「スー君、ビフカツサンドとランチ、それからコーヒーな」

(・・・変な人だな?)
S-1は首をかしげながらも、カウンターの中で頷く。
アンも、連れている男も両方、おかしい。

「あたし、適当に買い物してくるわ」
そう言うと、アンはビフカツサンドを食べていた男と腕を組んで一緒に出て行った。
最初に連れて来た、眼鏡で小太りな男は店に残されたままだ。

「アンちゃんにとって、男はアクセサリーと一緒なんだよ、スー君」
「アクセサリー?」

何もすることなく、ぼんやりと席に座っている眼鏡の男を見て、首を傾げる
S-1に、マスターは別の客に出すコーヒーをカップに注ぎながら小声で囁いた。
「そ。さっきの・・・ビフカツサンド食べてた男はゲイなんだよ」
「だけど、連れて歩くと格好いいだろ?服とか、靴と一緒だよ」
「ゲイって?」たくさん理解出来ない言葉が混ざった言葉を言われて、
まず、どれから聞き返すかを一瞬S-1は考えたが、
よくマスターが使う「ゲイ」と言う言葉をこの機会に一度、ちゃんと
聞いてみよう、と最初にその言葉の意味を聞き返してみた。
「スー君とアル君みたいに、男同士でラブラブになれる人の事だよ」
「ふーん」S-1は、洗いあがった食器を棚の中に直しつつ、また違う事を尋ねる。
「じゃあ、なんで腕を組んで、コイビトみたいにして出て行ったんだ?」

「靴を履き替えたみたいなモンだよ」
「綺麗な服着てるのに、不恰好な靴を履いてちゃサマにならないだろ?」
「格好のいい靴を履いてる方がカッコイイだろ?」
しゃべりながらでも、マスターの手順はいい。流れるような動きで、香りも色も
上質なコーヒーがコポコポと音を立てて、温められていたカップに注がれる。
それをS-1はトレイに乗せた。
「あの眼鏡の彼は、アンちゃんにとって、ただのサイフなんだよ」
「見栄えはしないけど、いくらでもお金を出すサイフ」

眼鏡をかけた、その男の名前は「テツ」と言う。
アンが帰ってくるまでずっと、何時間も同じ席に座って外を眺めているだけだ。

「あの・・・今から俺、食事するんだけど」
「一度、店閉めてもいい?」
S-1はたった客席に一人残ったテツへ、そう話しかけた。
昼を過ぎてランチが売切れたら、一時間ほど店を閉め、S-1とマスターは
大急ぎで昼食を取る。だが、今、一時間でもいいから生まれたばかりの子供のところへ
帰りたいマスターは、家に帰ってしまう。
だから、店にはS-1しかいなくなり、その時間を狙ってR-1が食事をしに来る
事になっていた。

「あ・・・もう、そんな時間?」
「ごめん、アンが戻ってくるまでここにいさせてくれませんか?」
「僕、今、サイフを持ってなくて・・・お金が払えないから・・・」

(ええ?!)S-1はさすがに驚いた。
アンは、男のサイフごと持って、別の男と買い物をしに行ったと言うのだ。

「いいけど・・・もう昼過ぎてるよ」
「腹、減ってないのか?朝からコーヒーしか飲んでないだろ?」
「良かったら、一緒に食う?」
S-1はなんだか、テツ、と言う男がとてもミジメで、可哀想になった。
それで、つい、構いたくなってしまったのだ。

静まり返った店の中で、S-1とR-1、テツの三人で食事をする。
当然、二人きりになれるとばかり思っていたR-1は、その時間を邪魔されて、
機嫌はあまり良くはない。

「マスターは、あんたはアンのサイフだって」
「サイフか・・・ハハ・・・」

S-1の遠慮のない言葉にテツは力なく笑うだけで怒りもしないし、否定もしない。
「アンが欲しがるだけお金を出してあげるくらいしか僕には出来ないからね」
「見たとおり、チビだし、デブだし、近眼だし」

両親は、テツと兄を残して他界。
莫大な財産を残した。兄は両親の事業を引き継ぎ、資産を増やし続けている。
テツには、相続された財産があり、その兄の会社で、名義だけの役員をしているから、
働かなくても、毎月、相当な金額を得る事が出来る、と言った。

働きもせず、毎日、時間をもてあましている、とテツは言う。
S-1は呆れて尋ねた。
「毎日、何してる時が楽しいんだ、あんた?」
「そうだね・・・アンを見てる時かな」
「いつも退屈そうな顔してるのにか?」
「・・・アンの顔、綺麗だから」

そんな風にテツとS-1は知り合った。
男女のそんな微妙な関係をS-1が理解出来るはずがない。
たくさん話したのに、ただ、(テツもアンさんも変わってるな)としか思えなかった。

その夜。
「S-1、ちょっと話があるんだ」
(・・・ん?)
半分、寝かかっていたのに、R-1の真面目な声でS-1は重い瞼を上げる。

「明日じゃダメか?俺、もう眠い」と言うと、R-1はS-1の体に回していた腕の
力を少し強めて、
「明日から・・・三日ほどちょっと留守するから」と言い出した。
それを聞いた途端、急にS-1の目が覚めた。
「なんでだよ!」と叫びざま、起き上がる。
「新聞で・・・ちょっといい仕事を見つけたからだ」
R-1が少し、口ごもった。

「なんの仕事だよ」
「賞金稼ぎ?用心棒?どっちだよ」

R-1には、人を傷つけるような仕事をしてほしくないと思うのに。
そして、そんな仕事をすれば、同時にR-1自身が傷つく、と言う恐れもある。
この前、ぐったりしたR-1の体を切り開いて、銃弾を取り出した時の感覚が
またS-1の心と体に蘇った。

「・・・そんなに危ない話じゃない」
「海賊に襲われて困ってる人を助けに行くだけだ」
「・・・ちゃんと無事に帰ってくるか?」

もしも、賞金を稼ぎに海賊を狩る、と言うのなら、狩られた海賊は無事ではすまない。
だが、その海賊に襲われて非力な人々が困っていて、それを助けに行く、と言われたら
反対出来ない。
無事に、どこも怪我をせずに帰ってきてくれると言うなら、大人しく待つしかない。
自分の体を抱き、顔を覗き込んでいるR-1を見つめかえし、力強い答えを強請った。

「もちろん」
R-1は、S-1が強請ったとおり、しっかりと深く頷く。
それでもまだ安心しきれず、またもしかしたら、このR-1の思いつきを
ひょっとしたら翻してくれるかもしれない、と言う薄い期待をし、S-1は
「ちゃんと、三日後だぞ。一日でも遅れたら、・・・ウワキするからな」と
じゃれるように言い、R-1の胸の中に顔を埋める。
「ああ?ウワキ?どこでそんな言葉、覚えたんだ」R-1の驚いた声が、
耳を押し当てた、ぶあつい胸の中から聞こえた。
「どこだっていいだろ」そう言い返して、目を閉じる。
三日も会えないのなら、今夜、三日分の温もりをしっかりと体に沁み込ませておきたくて、いつもよりも強い力でR-1の体を抱き締め返した。

次の日の朝、R-1を汽車が出る駅まで送って行った。
(この前、ここで撃たれたんだっけ)とまた嫌な事を思い出し、
S-1は自分でもはっきりと分かるくらい、表情が翳る。

「三日後、お前が迎えに来てくれるまでここで待ってるから」

(R-1も俺みたいに、普通に働けばいいのに)
遠ざかっていく汽車を見送りS-1はそう思った。
普通に働くより、賞金稼ぎをしたり、用心棒をしたりする方がずっと金になると
分かっている。

S-1と一緒にいたいからこそ、まとまった金が必要だと言うR-1の言い分も
分からない訳ではない。
けれど、三日も離れ離れで過ごすより、忙しくても、一日に話す時間がほんの少しでも
いいから、S-1はR-1の側にいたかった。

店でバタバタと働いている時は良かった。
普段と何も変わりない時間を過ごせるのだから。
だが、R-1が家を空けている事を、一体どこから聞いたのか、
常連の男の数人が忙しくしているのもお構いなく、ひっきりなしにS-1を誘う。

「彼氏、出掛けて留守なのか?だったら、今夜遊ぼうよ」
「美味い飯食べに連れて行ってあげるから」
「飯だけでいいからさ。それ以上、何もしないから」

そんな言葉、断るのが面倒なだけで少しも有り難いとは思えない。
仕事が終わってからさっさと家に帰って来た。

誰もいない部屋はやけに静かだ。
待っても待っても、今夜はR-1は帰ってこない。
誰も食べてくれる人がいないと食事を作る気にもなれない。
灯りがやけに明るくて、部屋がやけに広すぎる様に見えた。

(ハーフテルのオッサンの幽霊でもいいから来てくれないかな)
眠る前に、少し体を温めようとココアを入れた。
ひょっとしたら、早く片付いた、といってひょっこりとR-1が帰ってくるかも
知れない。
無意識にそんな期待をして、S-1は窓辺に腰を下ろして、往来に響く人の足音に
耳をそばだててみる。



1人きり、と言うのがこんなに寂しいとは思わなかった。

R-1のいない部屋がこんなに寒くて、静かで、広いとは思わなかった。
自分の入れたココアがこんなに味気ないとは思わなかった。

(・・・もっと嫌だって言えばよかったな)
たかが三日くらい、それに夜、寝るだけなのだからすぐに時間は過ぎる、
三日くらい我慢出来る、とタカを括っていた。

顔を見て、話して、体を寄せ合っている時には経験できない寂しさだった。
こんなに寂しく、R-1が恋しくなるなんて、予想もしなかった。

帰ってくる、と分かっていても心配で、不安で、ため息ばかりが出る。
こんなに自分が気を揉んでいて、寂しがっている事を、
R-1は今、考えているだろうか。

それとも、今、海賊相手に刀を振るっている頃だろうか。

例え、体は複製品でも心は人間だ。
自分ではどうしようもない不安を抱えた時、人の心は祈りを呟く。
ただ、S-1が祈りをささげるのは、神などにではない。
どんな時でも、誰よりも、なによりも大事なただ一人に。
R-1に向って、S-1は祈る。

どうか、無事に帰って来るように。
どうか、無事に俺のところに帰って来る様に。

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