「余計な心配しなくていい」と言われても、するな、と言うほうが無理だった。

たくさんの人の中に立ち混じって生活すると言う経験が、R−1にもS−1にもない。
知らない言葉、知らない事柄がたくさんある。
普通の人間なら当たり前に知っている事を知らないのだから、突飛な失敗をやりかねない。
だが、R−1の心配は、そんな事ではない。
精神年齢は12歳でも、S−1の知能指数はかなり高いのだから、教えられた仕事は
きっとソツなくこなし、すぐに覚えて慣れるに違いない。
だから、その点についてはなんの心配もしていない。

(・・・人目につくじゃねえか)

S−1は、自分がどれだけ人目につく容姿をしているのか全く無頓着だ。
一度S−1の姿を見たら、大抵の人間はその姿を覚えるだろう。
長い髪も目立つが、白い肌に紫色の目もかなり目立つ。

人に、(触ってみたい)、と言う欲望を抱かせる何かを、S−1は体から無意識に漂わせている。これはS−1独自のモノではなく、サンジの遺伝子の所為だ。

(ロロノア・ゾロも苦労してるんだろうな)とR−1はため息をついた。

今日で、もう10日になる。
昨日、様子を見に行き、カウンターでコーヒーを飲んでいたら、
S−1が「マスター」と呼ぶ男が、ニコニコと愛想良く
R−1に話しかけてきた。

「いやあ、スー君が来てくれてからお客さんが増えましたよ」
そう言われているのに、そのマスターの笑顔が、なんとく、R−1を不快な
気分にさせた。
(・・・バカにされているような、からかわれている様な)気がして、R−1は
返事を返せない。

意味深な目つきで、カウンターの中から、マスターは客席を見回して見せた。
その視線をR−1は追いかけてみる。

ちょうど、S−1が退席した客の使った食器などを片付けているところだった。
その周りの席には、それぞれ男が1人づつ座って、その全員がチラチラと
S−1を盗み見している。

(・・・みんな、ゲイの人ばっかりですよ、)と小声でマスターはR−1に囁いた。
(ゲイ?)聞きなれない言葉にR−1は首を捻る。

「スー君、目立ちますからねえ。噂が噂を呼んだみたいで、ここ何日かで
急にアノ手のお客さんが増えました」とマスターは面白そうにニヤニヤ笑っている。

ゲイ、と言う言葉の意味が良く分からないが、とにかく、R−1はマスターよりも、
S−1を見ている男達、全員が気に食わなかった。
どれも、これも、雄の欲望まるだしにしかR−1には見えない。

「・・・あいつは、あんなの相手にしない」とR−1は余裕ぶって答えたが、
内心、腹が煮え繰り返ってどうしようもなかった。

家にいても心配だし、行けば行ったで腹が立つ。
その腹立ちをS−1にぶつけるのは全くの見当違いだ。
分かっていても、自分の今のモヤモヤした気持ちをどうにか消化したくて、
「・・・ああいう仕事、楽しいか」とやんわりと嫌味を言ってしまう。
だが、そんな弱気な嫌味など、たくさんの人と触れ合い、色々な事を覚えていくのが楽しくて仕方ないS−1には全く通じない。
「そりゃ、楽しいよ。女の人が俺の作ったプリンとかサンドイッチとか美味しいって
言ってくれるんだから」と今のところ、S−1の目にはやはり女しか映っていない様だが、それでも、いつ、男がS−1に言い寄ってくるか、R−1は気が気でなかった。

それでついつい、「来るな」といわれても、毎日、店に顔を出す。
気がつけば、S−1が働き出してからもう半月も経った。

赤ん坊が生まれたというので、マスターはすっかり店をS−1に任せてしまい、
昼時と、閉店直前しか店には来ない。だから、S−11人で店を切り盛りしている。
そうなると、R−1が店に行っても、一瞬、ニッコリと笑ってはくれるが、
それ以降は、口を利く暇もないどころか、どのコーヒーを飲むかさえ
聞いてくれない。
トン、と目の前に、いつも飲んでいるコーヒーを黙って置いて、それからは
一向に構ってはくれない。

「いつも、新聞を丁寧に読まれるのね」

R−1は、唐突に隣に座っている女からそう声を掛けられた。

物欲しげな目でS−1を見ている男達がもし、一言でもS−1に声を掛けたら
叩きのめしてやろうと耳をそばだてている。
それでも、目は、新聞の記事を読み、賞金首がいそうな場所の情報や、用心棒を募っている広告などはないかとR−1は、店に置いてある新聞を隅から隅までじっくりと時間かけて読み、そうして、暇を潰していたのだ。

「あ?」全く、神経を向けていない場所から声を掛けられて、R−1は顔を上げる。

一つ、席を空けてその女はR−1に微笑みかけていた。

年のころは、自分達とそう変わりない。
S−1よりも少し明るめの髪色だが、きっとそれは本当の髪の色ではない。
何度か、R−1も姿を見た事のある女だった。
ただ、1人きりでいるのは珍しい。

「とっても知的な感じがするわ。それに、とても強そう」
やけに長い睫毛が生えた目を細め、女はR−1に微笑んだ。
S−1がR−1に笑いかけてくる、眩しいような笑みではなく、その笑みは、
誘い込むような、どこか計算づくが見える、浅ましい笑みだとR−1は
感じて、一言も返さず、一旦女に向けていた目をまた、新聞に戻す。

「もう、読み飽きたんじゃない、その新聞?」と女が笑ってまだ
R−1に話しかけてくる。
それを、カウンターに戻ってきたS−1が悪気もなく遮った。
「すいません、ええと、まだ、ご注文聞いてないね?」

その声に、R−1とその女の視線があがり、二人とも、S−1の方へ向き直る。
「あれ?今日は1人?」とS−1がその女の注文を聞く前に
意外そうな声を出してそう言った。
「ええ、今日は1人よ」と女はS−1にも笑いかける。
S−1の目はチラリと女の胸元を見る、一瞬で、耳まで真っ赤になり、
それから慌ててそこから視線を外した。

「あら、オトコの恋人がいるのに、スー君たら」と女はS−1をまるで、
まだ自分よりもずっと背の低い少年を相手にしているかのような口調で、
からかう。わざとらしく胸を隠すその仕草にも、バカにしているようで、
甘えるような声にも、S−1を上目遣いに見る目つきにも、
妙に男心をそそるモノがある。

「綺麗な形してるから、目が行っちゃうんだよ。俺だってオトコだからね」
(何?)すぐ側でそんな会話を聞いていて、気分がいい筈がない。
もともと、サンジの遺伝子はどうも男を刺激するモノらしいし、逆に女には
刺激されてしまうモノだと知ってはいた。
けれど、S−1は自分が多少、勝手に弄ったので、少しはマシだと思っていた
のに、やっぱりS−1も女には刺激されてしまう様だ。

目の前に自分がいるのに、それよりも先に女の胸に目をやったS−1に
R−1は腹を立ててしまった。

そうやって、腹を立てていても、「ただいま」とS−1が帰ってきて、
食事を作ってくれ、それを食べて、一緒に寝床に入る頃にはすっかり気が治まって
しまう自分にまたR−1は腹が立つ。

その夜も、S−1は全く悪びれない態度で帰って来た。
R−1はむっつりと黙り込んで口も利かない。

「R−1!ちょっと、これ見ろよ!」と上着も脱がないで、S−1はバタバタと
玄関からリビングへと走って入ってくる。
今夜と言う今夜は、「女に話しかけられても笑うな」とか、「俺以外の男としゃべるな」とか色々言いたいことを言う、と厳しく、きつく言おうと決めていたのに、
明るいS−1の声に思わず、R−1は腰掛けていたソファから振り返ってしまった。

「これ、町に張ってあったんだ!」
「本物のロロノア・ゾロの手配書!」

S−1は、そう言ってR−1の前に一枚の手配書を広げて見せた。
賞金額が、R−1が初めてゾロと出会った頃より高額になっている。
「・・・それがどうしたんだ」と、R−1はまだ固い態度を装い、なんの興味もないかの様な口調でそう言い返した。

だが、S−1はそんなR−1のふて腐れたような態度に気付かない。
余程、R−1に見せたかったのか、息が切れている。
どこから引っぺがしてきたのか分からないが、その場所から一度も立ち止まらずに
全速力で走ってきたようだ。

「俺、本物はじめてみた!ホントに同じ顔なんだな!」と今度はその手配書を
自分の方へ向け、しげしげと眺めている。
「当たり前だろ、同じ遺伝子なんだから」とR−1は無愛想なまま答える。
(一体、なにがそんなに珍しいんだ?それに何が嬉しいんだ)
こちらはこちらでたっぷり説教がしたいのに、これ以上、訳の分からない事を
聞いていたら、いつものようにうやむやにされてしまう。

喧嘩になっても、言いたい事は言ってスッキリしないと気がすまない、と
R−1はソファから立ち上がって、S−1に向き直る。
「お前、あの店・・・」いつまで働くつもりだ、と言いかけたが、
S−1はまだ、ゾロの手配書を見ている。
「おい、S−1!」とR−1は声を荒げた。

「・・・同じ顔だけど、俺はやっぱり、R−1の方がイイな」

S−1はそう言って、ニ、と笑い、やっとR−1の方に顔を向けた。
「なんだって?」と聞かれても、今更何か言える訳もない。
完全に出鼻を挫かれた。
「もう、いい」
こうすればR−1は怒らないだろう、と言う計算をして、こんな風に言うのなら
R−1もS−1を許す気にはなれない。
だが、S−1は計算などせず、いつもありのまま、やりたい事をし、感じた事を
R−1に伝えてくる。
それが分かっているからこそ、遺伝子レベルで惹かれあうはずのオリジナルのゾロより
複製品の自分がイイ、と言われて、R−1はだらしなく照れてしまった。
そうなると、もう、何もいえなくなってしまう。

「今日、R−1がしゃべってた人さ、」

寝床に入って、寝転んでいるとごく自然にR−1の体はS−1の腰を引き寄せ、
S−1の体はごく自然にR−1の腕の中にすり寄って来る。
腹が膨れ、体が温まると一日、1人で料理を作り、コーヒーを入れ、
それを運んで、皿を洗い・・・と言う仕事をしていてやはり疲れるのか、
しゃべっているうちにどんどんS−1の声が切れ切れになってくる。

女の胸を見ようと脚を見ようと、S−1が安心して眠るのは
自分の腕の中で、S−1が一番「イイ」と言うのは、自分だと思えば、
くだらないことで腹を立てていた事が、本当に下らないとR−1は思う。

「ああ、あの新聞の女か」
「いつも、男の人と一緒なんだ。1人でいるの、すごく珍しくて」
「ふーん」

「俺には・・・あんなふうに笑うのに・・・一緒にいる男の人の前では笑わないんだ」
「俺以外の人に笑いかけるの、俺、はじめてみた・・・」

そう言って、S−1は眠りに落ちていった。

S−1は女と言う生き物の表面しか知らない。
美しい女、それも自分が美しいと自負している女が、どれほど傲慢で
執念深く、そして醜い心を持っているのか、と言う事など今のS−1が知る筈もなかった。


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