「自分はロロノア・ゾロではない」と言っても、無駄だと最初から思っていた。
ドアを開いた途端、待ち構えていた賞金稼ぎ達が一斉にR−1に襲い掛かる。

ある者は剣で、ある者は銃で、ある者は体術を以って、それぞれ、
「ロロノア・ゾロ」の賞金が掛かった首を狙って、R−1に向かってきた。

狭い建物の廊下で、R−1はすぐさま抜刀し、刀を一閃して、最初の一陣を
一瞬でなぎ払った。

「うおおっ」だの、「わああ」だの、男達の悲鳴と驚愕の声があがり、だがその声が
まだ廊下に響き渡っている間に、次の一陣がR−1に攻撃を仕掛けてくる。

凄まじい殺気だった。
いくら数が多いとはいえ、本気で殺し合いをする程の相手ではない。
だが、R−1は一切、手を抜くつもりは無かった。

ゾロなら、殺すまでも無い、と手加減していただろう。
誇りを賭けての勝負なら、例え格違いの相手でも本気を出すかも知れないが、
相手は金欲しさで人の命を奪おうと言う卑しい輩の集団だ。
そんな相手に本気を出すのは、誇り高き剣士のする事ではない。
完膚なきまでに叩きのめせばそれで十分だと、ゾロなら思う。

だが、R−1は剣士ではない。
肉体はゾロと同じでも、剣士としての教育をなされていないし、それ以上に
戦闘兵器として作られているのだから、戦意を以って向かってくる相手を
一度、敵と認識すれば、それを排除するまで追い詰め、戦い、結果、その命までを断つ。

ただ一つ、R−1を戸惑わせるとしたら、機械のように人の命を奪う、
そんな自分の姿をS−1に見られたくない、と言う気持ちだけだ。

だが、今は自らの手でS−1に睡眠薬を飲ませ、ドアと薄い壁一枚隔てた場所ながら、
安全な場所で眠らせている。血飛沫を浴びながら
賞金稼ぎ達をなぎ倒している光景を見られる心配は一切しなくていい。
なんの躊躇いも戸惑いも罪悪感もなかった。

「・・・おい、あいつ、ホントにロロノア・ゾロなのか・・・?」
「一度、顔を見た事あるって言ってたが・・・三刀流じゃねえだろうが!」
ジリジリと後退していく賞金稼ぎ達が、最初にR−1達を襲った、銃を扱う男に
怯えた声でそう囁いた。
「・・・これだけ数揃えても、傷一つつけられないスンポーだとはね・・・」と
男は苦々しげに答える。

「斬られたい奴はもういねえらしいな」

相手の力を見くびっている奴ほど、前へ飛び出す。
そこそこの力量のある賞金稼ぎなら、相手の力量を測る事が出来るから、結局、
R−1の前に怯えて竦みあがっているのは、ほどほどの腕を持つ賞金稼ぎ達だ。
相手の力量が自分とはかけ離れていると分かっている以上、R−1にそう凄まれては
ますます、身動きが取れない。
背を向けて逃げ出そうものなら、後ろからバッサリ斬られるかも知れない、と言う恐れが
彼らを団子状に固まらせたまま、その場に射竦めた。

「ここにある屍骸、全部持って帰れ」
「一つでも残したら、お前ら全員、一人残らず斬り殺す」

そう言いながら、R−1は血まみれの刀の、血雫を振り払って鞘に収めた。
生き残った賞金稼ぎ達の顔、一人一人を凝視して、一人一人のその顔を
しっかりと頭に叩き込む。

いくらR−1が「俺はロロノア・ゾロじゃない」、と言った所で、その顔はゾロの顔なのだ。
その顔を証拠にして、海軍にR−1の死体を突き出せば、賞金は貰える。
賞金さえ貰えれば、賞金稼ぎ達はそれでいい。
その死体がロロノア・ゾロであろうとなかろうと、どうでもいいのだ。

どんな雑踏の中でも、今頭に叩き込んだその顔を見つけたら、警戒しなければならない。
どうせ、今、「自分はロロノア・ゾロではない。人違いだ、だから二度と襲うな」と言っても、彼らは自分達が隙を見せればいつでも襲ってくるに違いないからだ。

R−1のその威嚇で、とりあえず、賞金稼ぎの集団達は退散して行った。
(・・・ここにはもう住めねえな)
廊下に並んでいるたくさんのドアの中から、この騒ぎの顛末をじっと気配を殺して
伺っている住民の気配を感じて、R−1は深いため息をつく。

(・・・生まれたての赤ん坊が見たい)と言っていた、S−1の幼い(いとけない)願いを
叶えてやる事が出来そうに無い、その事に落胆したため息だ。

(人を殺しても平然としている賞金首が同じ建物の中にいる)と恐れられ、怯えられ、
非難されている事など気にもしない。

血なまぐさい匂いの篭った廊下から、R−1はさっさと自分達の部屋に戻る。
戦闘後の高揚感も殆ど感じないくらい、手ごたえの無い相手で、少し気が抜ける程だ。

(まだ、薬は効いてるだろうな)
もしも、睡眠薬の効き目が切れて、S−1が目を覚ましているなら絶対に廊下の騒ぎを
聞きつけて飛び出して来ている。その様子が無いと言う事は、まだS−1は
閉め切った薄暗い部屋のベッドの上で静かに眠っている。
それを確認する為に、R−1はそっと足音を忍ばせて、刀を握ったまま、S−1が眠っているベッドに近づいた。

S−1は、R−1が寝かせた格好のまま、まだぐっすりと眠っている。
少しだけ開いた唇から穏やかな寝息聞こえ、なだらかな瞼は固く閉ざされていて、
体には全く力が入っていず、その無防備な寝姿を見て、R−1の口元にふっと、
自然に笑みが浮かんだ。

(・・・良く眠ってるな)
まだ、しばらくは、目を覚ます事はなさそうだ。

〈・・・今のうちに、〉
体に纏わりついた血の匂いを洗い流そう、とR−1は寝室を出て、浴室に向かう。
脱衣場で服を脱ごうとした時、何気なく、鏡に目をやった。

そして、自分の姿を見てR−1は愕然とする。

(・・・酷エ格好だ)

顔にまで返り血を浴び、全身それこそ血まみれだ。
人を斬った感覚も、ほんの数分で忘れている。
人を殺す事に何のためらいも無かった事を唐突にR−1は思い出した。
血と汗に汚れて、その事を不快にも思わず、
その姿の禍々しさに全く気付かないほど、人の命を奪う事に鈍い自分に
R−1はゾっとした。



(やっぱり・・・俺は人間じゃねえんだな)
そう思った途端、心がズン、と重くなる。
重たい空気を吸い込んで、それを吐き出す場所に栓をされた様に、胸のあたりに
感じた事の無い重さを感じ、そのままじっと自分の姿から目を離せなかった。

どんなに人間らしく、人間よりも人間らしく生きたいと思っても、所詮
(俺は・・・人間の複製品なんだ)とR−1は感じた。

ただの複製品ではなく、人が人をより確実に殺す為の機能を強化されて生み出された
造り物に過ぎない。それを、今日ほど強く思い知った日はなかった。

自分達の平穏な生活を脅かす敵、と認識した相手を迷いも躊躇いも持たずに見境無く
殺すなんて、到底、血の通った人間のする事ではない。

そう自覚した時点で、本当は人間よりも、ずっと人間らしい存在により近づいている事も分からずに、R−1は唇を噛んだ。

優しく、豊かな感情を持ち、日毎、精神的に成長して行くS−1の方がずっと人間らしい。
それに比べて、〈俺はとても人間だなんて言えねえ〉とR−1は思う。

今、鏡に映っている血まみれの姿を見れば、そのS−1に、自分の潜在意識の中に
埋め込まれた機械の様な無機質な、人間には絶対に為り得ない部分を知られてしまう、
それが怖くて、R−1は返り血で汚れた服を捨て、血の匂いを綺麗に洗い流した。

S−1を守る為なら、これからもどれだけの血を流そうと構わない。
けれど、人間性が失せて、人を人とも思わない様な扱いで殺す姿だけは
絶対に見せたくない。
眠っているS−1の側に腰掛け、その顔を見下ろしながらR−1は考える。

人を殺さない、と言う選択肢は自分では選べない。敵と認識した相手を倒すまで戦うと
言うのは、R−1にとって呼吸するのと同じくらい、本能的な事だからだ。

(どんな俺でも、きっとお前は俺の側にいてくれるんだろうが)
(やっぱり、俺は俺の一番、優しいトコだけお前には見てて欲しいんだ)
(死ぬまで嘘つき続けても、許してくれるだろ?)

心の中でそんな言葉を語りかけながら、R−1はじっとS−1が目を覚ますのを待った。


それから、三日が過ぎる。

R−1とS−1は、相変わらず例の建物の中に住んでいた。
血まみれだった廊下も、建物の持ち主がすぐに綺麗に掃除の手配をしたらしく、
S−1がしっかりと目を覚ました翌日の昼には跡形もなくなっていた。

「人違いで、賞金稼ぎに襲われたが、力づく追い払った」
自分達で広めた訳でもないのに、そんな噂まで広まっていて、どうにか、
この場所に居続けられそうだ。

ここ二日、S−1が妙に気に入った小さなコーヒーショップがあって、毎朝、二人はそこで
朝食を食べる事にしていた。

さして席の数は多くは無いが、床も天井も柱も全て、丸太で出来ていて、
木の香りがいまだにほんのりと薫って来そうな雰囲気で、なんとなく温かくもてなされている様な気分になる店だった。
仲の良い夫婦が切り盛りしているのだが、その妻も大きなお腹をしていて、どうも
今週末には生まれそうだと言う。
店には「アルバイト急募!自給は要相談」と書いた紙が目立つところに貼りだしてあった。

「・・・R−1、」S−1は温かいミルクにコーヒーを注いだ飲み物を飲みながら、
ちらりとその張り紙を見て、それから、R−1を上目遣いに見る。

「なんだ」ゆで卵の殻を剥きながら、R−1はS−1がチラリと見た方を向いて、
紙の字を一瞥し、それから、S−1と目を合わせる。

「アルバイトってなんだ」
「・・・分からねえ」R−1がそう答えた途端、S−1がカップを置いて立ち上がった。

「あの、・・・」
S−1はカウンターの中の、頭にオレンジ色のバンダナを巻いた、
40歳前後の男に声を掛ける。
いつも愛想良く客の話に付き合いながら、抜かりない手際でいい薫りのコーヒーや、
サンドイッチなどを用意する、この店のオーナーが、ニッコリと笑って
S−1に向き直った。「はい、なんでしょうか」
「アルバイト急募ってどういう意味ですか?」
S−1の質問にオーナーは目をキラリと輝かせた。
「ええ、あのとおり、僕のワイフがしばらく、手伝ってもらえなくなるでしょ」
「ワイフの替わりに、僕の仕事を手伝ってくれる人を探してるんですよ」

オーナーがそう答えると、カウンターに座っていた中年の男がヘヘヘ、と軽く笑いながら
S−1に向かって、
「兄ちゃん、やめときな。このマスターは優しいけど、人使いは荒いよ」と言ったが、
カウンターの中の男、・・・常連はオーナーの事をマスター、と呼ぶらしいが、
そのマスターが、人の良さそうな顔で微笑んで、ぐっとS−1に向かって身を乗り出した。
「大丈夫、大丈夫。最初は優しく教えてあげるよ・・・お兄さん、ここで働いてみる?」

「あ、はい」
S−1は、本当に「アルバイト急募」の意味を尋ねる為だけに声を掛けたのだが思いがけない状況に思わず、返事をしてしまった。
断る理由が何もなかったからだ。

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