息が詰まるくらいにR−1は強く、S−1の体を抱き締めている。
嬉しくて堪らない筈なのに、勝手にS−1の目からは涙が勝手に止めど無く
零れては、頬を伝って流れ落ちて行く。

(・・・クソッ・・・)こんな事だから、R−1と交尾出来ないんだ、俺は。

そう思って、S−1はしゃくりあげそうになるのだけは必死に止めようと、
ギ、と強く奥歯を噛み締める。自然に、腕にも力が入って、本当は、こんな風に
R−1の胸に縋って泣いていたくないのに、奥歯を噛み締めれば噛み締める程、
腕は勝手にR−1の温もりをもっともっとと強請る様に強く、その抱擁する力に
負けまいとするかの様に、R−1の体を抱き締め返してしまう。

自分の体なのに、全く思い通りにならない。
それがもどかしくて、もどかしいと思った途端、また涙が一滴、勝手に
目尻から零れ落ちた。

「・・・お前、昨夜あれから一睡もしてないんだろ?」
R−1の声が頭の上と、耳を押しつけた、R−1の胸の中からと両方から聞えた。
S−1の心の中、イッパイに詰まっていた息苦しい熱っぽい空気が、
まるで、高熱が徐々に引いて行く様に、すっきりと消えて行く。
その空気の所為で、勝手に涙が零れ、勝手に腕がR−1に縋り付き、勝手に
喉と胸がヒクヒクしていたのだと、S−1は気付いた。

(気持ちいいな・・・)R−1の声が鼓膜を直接撫でる様で、ぴったりとつけた体から
伝わってくる温もりが、バスルームで訳のわからないまま、とにかく血の匂いから
逃げたくて必死に血の着いたモノを洗っている間に濡れた体が、時間の経過と共に
少しづつ冷えて行くのを相殺するようなR−1の温かさにS−1は思わず目を閉じた。

「俺も腹ペコなんだ。適当に食うんじゃなく、思いきりたくさん食いたいから、
目が醒めたら、買い物に行くか」

(うん)S−1は声に出さずに頷くだけで返事をする。
今は、自分の声にさえ、R−1の声を聞いて感じるこの気持ちよさを邪魔されたくないからだ。

「・・・着替えて少し寝ろ。その方が美味いモノ、作れるだろ」
(うん)
コクンと一つ、そう頷いても、まだR−1から離れたくない。着替えなどしなくていい。
このまま、寝入ってしまえるなら、それが一番気持ちイイ。
(でも、そう言うわけにはいかないよな)
そう思ってS−1は閉じていた瞼を持ち上げた。
R−1の怪我はもう殆ど治っているだろうけれど、
こんなに露骨に腹が減った、と言うのは、治癒に相当なエネルギーを使った証拠だ。
だから、こんな風に甘えてはいられない。
でも、まだ少し、甘え足り無い気がした。

「R−1、俺、ちょっと寒いんだ」
S−1はそう言ってどうにか、心地良い場所から離れたがらない体をどうにか、R−1から引き離した。
すぐに顔を見たかったけれど、頬に残っている、少し肌がごわついた、涙の跡をR−1に見られたくなくて、両手の袖口でゴシゴシ擦ってから、やっと、
R−1の顔を見る。

とても優しくて、温かな眼差しの緑色の目に、自分のはれぼったい瞼をした自分の顔が
映り込んでいた。

こんなに透明で綺麗な緑色をしているモノはきっと、この世界には
ロロノア・ゾロと、R−1の目だけなんだろうな。

そんな事を思って、数秒、じっと、その緑色の瞳を見詰める。
見詰めているのに、胸の中には、瞼が閉じられていた時の心細さがまた蘇って来た。
この瞳が在る場所以外、どこにも行きたくない、どこにも行けない。
何故だか、強烈にS−1はそう思った。

「そうだろ、だから早く着替えて、髪も乾かさないと」
「ココアが飲みたい、作ってくれ」
「ココア?」

S−1の言葉にR−1の形のいい目がパチパチと何度か瞬きをする。
そうして、すぐにその形のいい目は、とても優しい形に変わった。
「ああ、判った。すぐに作るから着替えて、髪を拭いて、待ってろ」

自分の為にR−1が必死に考えて、考え出したココアは、
温度、撹拌の回数、ミルクとの比率などが絶妙で、例え様もなく美味い。
何故、そんなに美味なのかと言うと、R−1が自分に飲ませたい、と言う気持ちが
たっぷりと入っているからだとS−1は思っている。
ただ黙って湯気を息で吹きながら、顔を突き合せて飲むだけで、
とても幸せになれるから、S−1はR−1の作るココアが大好きだ。

S−1が着替えを済ませて、いつもは結わえている髪を解き、丁寧に髪を拭いていると、
R−1が両手に二人分のマグカップを持って来た。

「いい匂いだな」とS−1は思わず呟いた。
甘い匂いが薫って来る。
もう、それだけで緊張し続けていた体にまだくすぶっていた疲れが削ぎ落とされたような気分になった。

「これ飲んだら、少し横になれよ。勝手に眠れる筈だから」
S−1はまた頷き、二人は昨夜、R−1が横たわっていた床に座って、ソファに凭れ、
ココアを飲む。

「あのさ、」
マグカップの中のココアは白い小さな泡を浮べ、まだゆっくりとR−1が撹拌した動きを留めて、マグカップの中に小さく、穏やかな渦を描いている。
その様を見ながら、S−1は自分の感情の急激な変化の流れを思い返して見た。

「・・・こんな経験、二度としたくねえと思うけど、」
「今まで、俺は病気やったり、R−1の言う事聞かないで怪我をしたりして」
「いっつもいっつも、R−1に心配かけてきただろ」

「そうだな」R−1とS−1の肩は、お互いが凭れ合う様に触れ合っている。
そして、ココアを眺めて話すS−1の声を一言も聞き漏らすまいとする様に、
R−1は静かに相槌を打ち、顔を少し傾けS−1を見詰めていた。

「その度に俺は痛かったり、辛かったりした」
「だから、判った事が二つある」
そう言って、S−1は一口、ココアを啜って、飲み込み、R−1の方に顔を向ける。
「二つ?」R−1に聞き返され、S−1は深く頷いた。
「一つは、お前が怪我をした時、俺、凄く辛かったし、怖かった」
「そんな辛い思いを、俺は今まで何回、お前にさせてたんだろうって思った」

そう言うと、R−1の表情が和らいだ。とても、暖かくて優しい顔をしている。
「そんなの、もうとっくに判ってくれてるモンだと思ってたのに」とR−1は
少し、からかうような意地の悪い声でそう言ったけれど、
今日は、その冗談は少しもS−1の気に障らない。むしろ、S−1の気持ちを
もっともっと知りたくて、指先で悪戯するようにつんつんと心を突付かれている感じがして、S−1も素直にR−1に微笑み返した。

「こんな思い、もう二度としたくねえと思う」
「俺、怪我とか病気をしたら、どれくらい辛いか、知ってるから余計にそう思うんだ」
「こんな思い、俺はしたくない、だからお前にもこんな思いさせちゃダメだ」
「自分のやりたい事はこれからもやるだろうけど・・・」

そう言って、S−1はまたココアを啜る。本当に体に労わるような優しさが広がって行くのが判る気がする程、そのココアの甘さも温もりも絶品だ。思わず、溜息が出る。

「もう一つは?」そう聞かれて、S−1は素直に思ったままの事を思ったままの言葉で
話し始めた。恥かしい、照れ臭いと思ったら、きっと言いそびれてしまう。

「お前が気を失ってて、このままお前が死んだら、どうしようって思った」
「ハーフテールのオッサンみたいになったら・・・って」
「そしたら、俺、自分で思ってた以上に、お前が大事でお前が好きなんだって」
「改めて思った」

今言っておかなければ、一生、伝えられないかも知れない、そう思えば、
言葉は思い掛けないほど、心から押し出され、唇を出口にして、スラスラと出て行き、
空気に乗った。
その声は、空気を震わせR−1の耳に届き、空気に溶けて、R−1の胸に吸い込まれる。
「俺はサンジのイデンシを持ってて、お前はロロノア・ゾロのイデンシだから、
「俺達は、自分の感情じゃなくて、ただ、そう言うモノを持って生まれたから、
「好きだって気持ちがどんなモノなのかなんて、深く考えた事、
一度もなかった気がする」
「お前が怪我をして、自分の手でその傷を治して、それから動かなくなったお前を見て
俺、思ったんだ」
「一人ぼっちになる寂しさなんかじゃなく、体の半分を何かに千切られてしまう様な、
怖さを感じた時、俺はお前の何もかもがどうしようもなく好きなんだって」
「S−1、」R−1はマグカップを持たない方の腕をS−1の体を包み込む様に
抱き寄せながら、話しを遮った。

「判った。それ以上言うな。充分、判ってるから」
「それ以上、言われたら、・・・・困る」
「なんでだ?」思い掛けないR−1の言葉にS−1は心臓がギュ、と掴まれたように
切なくなる。

「言葉以上に欲しいモノが沢山あるんだよ、俺は」
「お前と違って、俺は欲深いんだ」そう言って、R−1は甘いかおりのする唇で
そっと、S−1の唇を塞ぐ。

温かい温度と、耳に心地よい鼓動に包まれると、緊張した事で疲れが蓄積していた
S−1は全身の力が抜けて瞼がとても重くなって来た。

余りに唐突に眠くなったのに、S−1は少しもR−1を疑わない。
まさか、さっきのココアの中にほんの微量の眠り薬が入っていたなど、夢にも
思わなかった。

「傷はどうなったんだ?」
背中にベッドの感触を感じて、夢うつつながら、S−1はそう尋ねた。
ぼんやりと、床の上からベッドへとR−1が自分を運び込んだのだと判ったが、
ぼやけて行く視界の中で、S−1はR−1の姿と声を探した。

「すっかり治った。安心して、少し休め」
「あんな無様なやられ方、二度としない」

そう答えるR−1の声は、さっきと違って凛と、力強い。
まるで、これから、戦いに臨むような、そんな気骨がどことなく感じられた。

(・・・どこに行くんだ・・・?)側にいて欲しいのに、と思っても、もう
S−1は眠りの中に強引に引き摺り込まれて、それ以上はなにも考えられなかった。

「お前に俺が人を殺るところ、見せたくねえんだ」
「・・・今度こそ、ちゃんと守ってやるからな」
そう言って、R−1は腰に刀を挿し、立ち上がった。
リビングから、鳥かごを寝室に運ぶ。それから、カーテンを締め切る。

そして、顔をドアに向けた。
何者かが、息を顰めて、隙を伺っている。そんな気配をR−1は敏感に
感じとっていた。

S−1が「ココアが欲しい」と言った時、台所でココアを用意しながら、
R−1はふと、何かの気配を感じて、小さな窓から真正面の建物に目をやった。

その瞬間、はっきりと視線を感じたのだ。
あの、賞金稼ぎが賞金首を狩る時の、あの視線。

(・・・夜になったらあいつら、襲ってくる)そう思った。
その為に今、色々、網を張っている筈だ。
自分はともかく、S−1に二度も危害を与えるとあっては、生かしてはおけない。

(同じしくじりはしねえ)夜までにはまだ間がある。
日が高いうちは、人の目もあるし、他の住民をも巻き込む可能性を避けて、
襲っては来ないだろうが、それを逆手にとって、こちらから仕掛ける。

そう思って、R−1は内側から力一杯ドアを開けた。

戻る   次へ