(ミエミエ過ぎてなんだか・・)S−1は昨夜、荷造りしていた時からの
R−1の言動の本当の意味を見抜いていて、どうにも、面映かった。
みやげ物屋から半ば強引に手を引っ張られ、さっさと宿を決めて、部屋の中に
入ってから、R−1に気づかれない様に、そっと溜息をついていた。
(なんか、落ちつかねえ)と思う気持ちを明るく振る舞う事で隠した。
「この部屋、靴を脱いであがるんだなあ、足の裏が気持ちイイな、R−1」
「ああ、気持ちイイな」
「この扉はなんだろ?あ、凄エ、こっちは風呂だ、R−1!木で出来てるし、
湯気も立ってる!外も見れるぞ!」
「ああ、見れるな」
「変わった形の灯りだなあ、ほら、四角くってランプシェードが紙で出来てる!」
「ああ、紙だな」
受け答えはしてくれるけれど、その言葉に全く心が篭っていない様な気がする。
それが何故なのかくらい、S−1はもう判っていた。
嫌だとは思わないけれど、あの心臓がギュっと締め付けられるような緊張感は
あまり居心地がいいとは思えない。
R−1の掌や唇の感触は大好きで、裸を見たら(立派な体だなあ)と感心するけれど、
素っ裸で口付けする時のR−1の顔はいつも物凄く切羽詰まっていて、
恐ろしい。

あの逃げられない緊張感を今夜、また実感しなくてはならないのか、とS−1は
全く気乗りしていなかった。
普通にじゃれて、楽しく、穏やかに眠れたらそれが一番、S−1にとっては
幸せな事なのだが、何故、R−1は(それを判ってくれねえのかな・・)と
みやげ物をグズグズ物色する振りをしながら考えていて、その行動で
S−1の気持ちをR−1が判ってくれるのを期待していたが、それはどうにも
無理っぽい。
「俺、一人でメシの前に風呂に入る」と部屋の外に設えられた木の香の清清しい
湯船の中で、S−1は目を瞑って考える。

R−1の気持ちを判っていて、それを受け入れない自分。
自分の気持ちを受け入れてくれないR−1。
その二つの、何が、どう違うのか。
(今まで、R−1は俺の我侭をたくさん受け入れてくれたんだから、今回は、きっと
俺が受け入れる番なんだ)とS−1は腹を括る。
この前の夜の事を考えると、やっぱり恐ろしいし、あの時の感覚を思い起こすと
顔が赤らむ。それと同時に、心臓の鼓動が早くなる。うっかり長風呂してしまうと
逆上せてしまうかも知れない、と慌ててS−1は風呂から上がって、
手早く衣服を身に着けた。
R−1が与えてくれることなら、きっと幸せになる為にどうしても必要な事に
決っている。そう信じて、S−1は迷いも戸惑いも恐れもR−1に
悟られない様に心の中に隠して、R−1の前でいつもどおりににこやかに笑って、
「メシ、食いにいこう!」と勢い良く、R−1の背中に抱きついた。

食事の間も、何度もカトラリーを床に落としたり、初めて食べる料理の味が
さっぱりわからなくて、いつもなら絶え間なく交わせる会話が妙に
ちくはぐで噛み合わなくて、S−1は落ち着かない。
R−1もそれは同じだった。

早く日が暮れたらいい。さっさと料理を食べて部屋に帰って。
二人で風呂に入って、それから、寝床に入って。
などと考えていると、今、自分が食べている料理が魚なのか肉なのかさえ
R−1には判らない。
何度もカトラリーを落としては、照れ笑いするS−1の顔が眩しくて
直視出来ずにいる。こんなに一緒にいるだけで緊張していては、また
失敗しそうだ。
(いつもどおりにすりゃいいんだ)別に悪い事をしようとしているのではないのだから、
真っ直ぐにS−1を見て、堂々としていればいいのに、どうしてそれが
出来ないのか、自分でも全く理由がつけられない。
汗を流し、少し湿り気の含んだ髪がしっとりと重たげで、人目があろうとなかろうと、
テーブルごしに手を伸ばして、その髪に指を絡めたり、首筋に頬を当ててみたりしたくてたまらない。

「これ、美味いぞ。食え」と言って最後のデザートを一口だけ食べてみて、
間違いなく、さっぱりとした瑞々しい果実の甘さがS−1が好きな味だと思ったので、それを差し出す。
「悪イな」と言って、受取ったS−1の指先がほんの少し、指に触れただけで、
R−1の心臓が何かにぶっ叩かれた様に大きな音を立てた。

「そんなに緊張しなくてイイよ、R−1」とそれをスプーンで一口すくって食べた
S−1が上目遣いにR−1を見て、微笑んだ。
どこか無理に笑っている様にも見えるけれど、その笑顔は今まで見た事もないくらいに
目許が色っぽくて、またR−1の心臓がドクンと高鳴る。
押し隠して、悟られない様に、軽蔑されない様にと気を配っていたのに、
S−1は何時の間にか、自分の気持ちをすっかり見透かしていた事に気づいて、
R−1は頬が赤らむのを感じて、つい、うつむいた。
「緊張してるのは、お前もだろ。何度もフォークを落とした癖に」と弱々しく言い返すのが精一杯だ。
そして、やっぱり、自分の言葉に小さく笑うS−1の声にも顔にも、心臓が揺さ振られるのを感じた。

大事にしよう、と改めて思い、手を繋いで部屋に戻る。
「床に直接、こうやって置くんだ。誰が置いてくれたんだろうな?」と
部屋に少し離して敷かれたフカフカと柔らかそうな布団を見て、
S−1は首を捻る。

「なんだこれ」と枕もとに置いてある見慣れない形の衣服を手に取って
S−1は持ってきた荷物を漁っているR−1に尋ねる。
「寝間着だろ」とR−1は言いながら振りかえり、S−1が持っている、
白い生地に紺色の字でこの宿の名前を染めた寝間着を見た。
自分達が持って来たいつも来ているパジャマを取り出したが、それを荷物の中に
押し込み、S−1の手からそれを受けとって広げてみる。

「これは・・・キモノだな」ロロノア・ゾロの遺伝子、採取した段階でゾロが
持っていた全ての知識をR−1は受け継いでいる。そのおかげで、
その寝間着が「ユカタ」と言う「キモノ」の一種だとR−1には判った。
「キモノ?どうやって着るんだ?」
「素肌に、こう、右を前にして合わせて、オビって言う紐で腰あたりを縛って
着るんだ」とR−1は服の上から羽織って、S−1に着せ方を示して見せる。
「寝てる間に素っ裸になりそうな寝間着だ」
「糊が効き過ぎてバリバリだし、あんまり着心地は良くないな」とS−1も
服の上から羽織った。
(こんな時じゃないと着る事もないし・・・着るか?)と言いたい言葉を
R−1はぐっと飲み込む。
自分の腹のうちを見抜いているS−1にそんな事を言えば、下心がミエミエだと
思われてしまうに決っている。
ありのままに自分を想って欲しいのに、常に尊敬していて欲しいし、みっともない様は
見せたくない。大事な、かけがえのない相手だからこそ、背伸びをしたい時もある。
「俺は・・その、大きな風呂に入って来るからお前は部屋の風呂に入ってろ」
「なんでだ?俺もそっちに入りたいのに」
「他の客がいるからダメだ」

大きな庭園の中に池の様に大きな浴槽を作ってあるのがこの宿のいわゆる、
売りなのに、それに入ってはいけない、と言うのはあまりにも可哀想だと
思うけれども、身も知らない男にS−1の生まれたままの姿を見られるのは、
どうしても耐え難い。一緒に入ったとしても、邪な視線を感じた途端、その視線を
投げた者を見逃す程、デキた人格は持ち合わせていないから、何をするか
自分でも判らない。

「・・・判ったよ」とS−1は不服そうだが、今日は素直にR−1の我侭を
聞き入れてくれた。余りに素直過ぎると却って、自分の我侭が如何に
理不尽かに気づかされ、R−1は「やっぱり俺もやめとく」とギリギリのところで譲歩する。

いつもなら、なんの照れも戸惑いもなく一緒に入浴出来るのに、今夜は
お互いの裸を見るのが気恥ずかしくて仕方がない。
それは二人ともが同じだった。
「先に入るから」とR−1が上ずった声で言うと、S−1は背中を向けたまま、
黙ってコクンと頷く。そんな姿を見て、(ああ、判ってくれたんだな)
と安堵もするけれど、S−1が聞き分けのいい時はなにか不安になる。
良くない事が起こるような気がして、更にR−1は落ち着かない。

会話が止まった。

風呂から上がると、その横をS−1は擦り抜けて、黙ったままで浴室に入っていく。

お互いの緊張が最高潮に達しているのをひしひしと感じた。
今日、この時まで、何度も自分に言い聞かせて来た言葉をR−1は灯りを落とした部屋でゴロリと横になって心の中で繰り返す。

落ち着いて。
冷静に。
怖がらせない様に。
怯えさせない様に。
余裕を持って。
余裕を持って・・・余裕を持って・・・余裕を持って?
(持てる訳がねえだろ)と思えば思うほど、どんどん頭にも下半身にも
血が渦巻いてくるのを呆れて自分で自分を叱ってみる。

五感は全て、S−1の動向に注がれている。
浴室での水音が静まり、脱衣所での物音がしてやがて、それも静かになった。

戸が軋む音がし、S−1の纏う空気が揺れて、ゆっくりと近付いて来る。
もう、R−1には何も考えられない。ただ、心臓の音だけがやけに大きく聞こえる。

いつもと同じ、今、自分が身につけている寝間着を着ている見慣れた姿なのに、
湯上りのS−1の姿を見た時、初めてカプセルから出て、交わした最初の言葉、
最初の光景を唐突にR−1は思い出した。

それぞれの布団の上で、お互いの真正面に座り、黙ってじっとお互いを見詰め合う。
魂を何かにがんじがらめにされたように、
微笑む事も、じゃれるような会話を交わす事も出来ない。
いつも、簡単に出来る、腕を伸ばして胸に抱き締める事がこんなに胸が
締め付けられるほど、緊張するなんて想像すらしていなかった。

「そっちに行ってもいいか?」「・・え?」
S−1が囁く様に尋ねた言葉に、R−1は思わず聞き返し、間抜けにもすぐに答える事が出来なかった。もう一度言い直すかどうか迷ったのか、S−1は目を逸らして俯く。
余程緊張しているのか、S−1は膝の上に置いた手をギュっと握り締めて、
「も少し、側に行ってもイイか?」とまた囁く様な声でそう言った。

R−1は黙って、腕を伸ばしてS−1をそっと抱き寄せる。
暴れる二つの心臓の音が混ざって、息苦しいくらいだ。

S−1の息遣いをこんなにはっきりと体中で感じた事は一度も無かったような気がする。
体の重さ、湿り気、温もり、血の流れる音まで今なら感じられる。

緊張しきって、強張って指1本動かせないS−1の小さな頭を肩に乗せて、
天辺から掌で頭の形を確かめる様にゆっくりと首筋へと撫で下ろして、
少しでも緊張がほぐれるようにと、R−1は柔らかくS−1の体を包んだ。

大きく、大きく、深く、深く、S−1は深呼吸をする。
痛みを逃すかのようなその息遣いに、すぐにR−1は気づいた。

「・・どうした?」背中に回した腕にはっきりとS−1の全身に汗が噴出したのを
感じて、R−1は思わず、体を少し離してS−1の顔を覗きこんだ。
額にも、びっしょりと汗をかいている。激痛を堪える時の汗でなければ、
こんなに突然、なんの気温も変化もないのに吹き出す筈がない。
「なんでもない、ちょっと緊張してるだけだ」とS−1は答えるが、
それも切れ切れだ。いくら緊張しているとは言え、異様なほど、手は震え、
無理に笑う瞳も痛みを堪えて潤んでいる。

「大丈夫、なんとも無いから・・・したい事をやってイイから」
「馬鹿言うな、どこが痛いんだ」
そう聞いても、S−1は首を振る。
「胸か?」脈を取っても、心臓の鼓動を聞いても、異常はないのに、S−1は
心臓が痛むのか、胸を押さえて息を詰めている。

「R−1、む、胸が苦しくて息が・・・」苦しい、ととうとう、S−1は顔を
大きく歪めて、R−1の胸の中に倒れこんだ。
「俺、緊張し過ぎたのかな・・」
(これは、体の異常じゃない、)とR−1はすぐに診て取った。
心臓に異常があって痛みを訴えるのではなく、心理的なものがそうさせる症状だ。
過度のストレスや、心労が重なり、その要因を目の当たりにした時にその症状が出る。

「大丈夫、病気でもなんでもない」
「ゆっくり寝れば落ち着くから、このまましばらくじっとして目を閉じてろ」
いつものように、同じ寝床の中で体を寄せ合って横たわり、R−1は静かな声で
S−1にそう囁くと、やがて、強張っていたS−1の体から緊張が解け、
脱力し、重みと温かさが増した。

穏やかな寝顔と静かな寝息がR−1の腕の中にある。

自分の知らない、深い深い傷がS−1の心の中にある。
きっと、知っていたけれどその傷ごと、S−1を受け止めきれなくて
そんな自分の記憶ごと、自分の記憶を消した。
R−1はその可能性を思い出す。

どんな事が自分達の身の上に起こったのか。
自分の記憶も、S−1の記憶も消す決断をして、それを実行したくらいだから、
きっと、それは思い出しては行けないことに違い無い。

だが、その深い、癒せなかった傷の記憶を消す事無く、二人でその試練を乗り越えて
いれば、こんな結果にはならなかった筈だ。

S−1の心と体は、そのどちらをも深く愛そうとすれば壊れてしまう。
それがはっきりと判った。

大事に想うなら、このまま、ただ、体温を与えるだけの抱擁と愛しいと思う気持ちを
伝える口付けと、かけがえのない存在だと確かめる為に手を繋ぐ事だけで
それ以上は望んではならない。

安心して眠れる場所がここだけだと言ってくれるなら、
他の誰かでは替わりになどなれないとS−1がそう思ってくれるなら、
世界中の無数の恋人達の誰よりも、しっかりと心で繋がっているなら、
それでいい。

ふと、R−1は心の底から沸き上がってくるそんな感情を懐かしいと思った。

S−1を愛しいと思うから、これからもずっと自分の中の熱を噛み殺す。
その辛さをS−1に悟られない様に振る舞うのは、きっと、何も知らずに
自分の欲望を満たす事ばかりを考えていて、それをS−1に隠そうと
取り繕う事よりも、きっと簡単だ。

心細く不安な思いをさせないためなら、どんな事でも耐えられる。
今までもその為ならなんでも出来たのだから。


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