その日の空はとても青く清み切っていた。
火葬された男の名前を知っている者がいたら、「どうにも不似合いな」と思うほど、
黒い煙は晴れ渡った空へと立ち昇って行く。

S−1は立ち尽くしたまま、その煙を見上げていた。
その肩先には、小鳥がちょこんと乗っていて、S−1に構ってほしそうに
耳のピアスを突付いたり、声高にピーピーと鳴いたりしている。
(そう言えば、おっさん、ピーの為にミミズとか獲ってくれたっけ)
ほんの短い付き合いで、死ぬ前に何度も「自分は悪い男だ」と言っていたけれど、
もう今のS−1にはハーフテールの弱々しい笑顔しか思い出せない。

哀しいと言うよりも、寂しくなった。
自分達の家で暮らし、交わした会話の一つ一つを思い出しても、何故、どこか
「悪い男」だったのか、S−1には今だに判らない。
家に帰っても、ハーフテールが伏していた寝床は空っぽで、何かをしてあげる度になんども
「ありがとう、スー君」と言っていた声ももう聞けない。
エースが去り、そしてハーフテールを見送り、人と人は出会っても、
いずれどんな形であれ、去って行ったり、擦れ違ったりするものだと漠然と
S−1は考えた。一瞬たりとも、同じ形を保てない、ハーフテールの骸を燃す煙の
様に、人との出会いもまた同じ形をずっと保って行く事は出来ないのかもしれない。

(いつか、オッサンが死んだ見たいに俺も、R−1も死ぬんだろうな)
そう思ったら、何故か、急に涙が滲んだ。
ハーフテールが死んだ事が悲しくなったのではない。
死んだら、2度と会えない、という事を改めて自分の身に置き換えて考えてみたら、
悲しくなったのだ。
「S−1、もう帰ろう。オッサンの骨は教会の人がちゃんと・・・」
慰めの言葉も言わずに、ただ、S−1の手を握り締めているだけだったR−1が
やっとS−1にそう声を掛けて来た。
「うん」とS−1はR−1の方へ顔を向ける。
R−1はどんな風に自分を慰めればいいのか判らないから、
何も言わなかったのではない。
言葉で慰められるよりも、ハーフテールを惜しみ、偲んでいると言うS−1が
今抱いている気持ちと同じ想いをR−1も感じているとと、人目も憚らずに
繋いでくれた手の温もりで伝えてくれた。
心の中にまで染み渡ってくるその優しさにS−1は安心し、それなのに胸が
締め付けられる。
「なあ、R−1」S−1はまた、乾燥した少し肌寒い風に吹かれて空へと立ち昇って行く煙を見上げた。そして、その煙を見つめながら、ギュっとR−1の手を握り返す。
「俺より先に死にそうになったら、俺も一緒に道連れにしてくれよな」
「何言ってんだ」思ったとおり、R−1はS−1の言葉を苦笑いを浮べて軽く
聞き流そうとする。
感傷的になっている、と窘められても構わない。思う事を思った時になんでも
伝えないとS−1は気が済まないので、真っ直ぐにR−1に向き直った。
「絶対、俺を一人で残すなよ」
「俺はR−1がいなきゃ生きていけないんだからな」
「それは判ってるけどな」面映そうにR−1は答えて、
ゆっくりとS−1の手を引きながら自分達の家に帰るつもりなのか、その方向へと歩き出した。
「例え、そんな時が来ても俺には出来無エよ」
気休めで「判った、判った」と軽く答えられたら、もっとS−1はムキになるだろう。
だが、R−1は至極真面目に答える。だから、S−1はじっと素直にR−1の
言葉に心を開いて耳を傾けた。
「俺が死ぬ時はどこかでロロノア・ゾロが死ぬ時だ」
「怪我や病気じゃ、俺達複製品はオリジナルよりずっと丈夫に出来てるから」
「滅多な事じゃ死なねえからな」
「だから、俺がお前を道連れにしようとしなくても、きっと」
「俺が死んだら、お前もすぐに死ぬと思う」
「俺には出来なくても、ロロノア・ゾロなら」
「サンジを一人、生き残すくらいなら道連れにするだろうから」
「だから、俺がお前を手に掛けなくても、俺達は生きる時も死ぬ時も一緒だ」

「ロロノア・ゾロには出来るのに、R−1には出来無いのか」
やはり、複製品は何一つ、オリジナルには勝てないのか、と少し悔しくなって
S−1はそうR−1に尋ねた。
「ああ」とR−1は頷く。
「なんでだ?」とS−1はもっと深い答えを知りたくて、重ねて尋ねる。
「俺は一緒に死ぬ為にお前を創ったんじゃないからだ」
「一緒に生きる為に創った。だから、何があってもお前に傷をつけるなんて事
出来無い」
言葉を選んだのもでも、言葉をあらかじめ用意していたのでもない。
R−1が抱いている想いの全てがその言葉に篭められていた。
S−1の胸がトクンと小さく鳴った。さっきまでのいい様のない寂しさも
漠然とした不安もそのR−1の力強い言葉で綺麗に拭われる。
確実にその日は誰にでも訪れる。
けれども、いつとも知れない終わりの日を思って憂いて不安になるよりも、
今 掌にしっかりと感じる温もりと幸せを噛み締めている方がずっと意味がある事を
S−1は改めて思い出した。
S−1はR−1の顔を真っ直ぐに見つめる。自然に微笑みが浮かんだ。
生きる時も、死ぬ時も、ずっと一緒にいられる、とR−1が言うのなら、きっと
そうなるに違いない。その安心感から生まれた笑顔だった。

二人でちょうどいい広さの家に三人が暮していたから少しだけ狭かった。
が、それも何時の間にか慣れていたらしく、ハーフテールがいなくなると何故か、
ハーフテールがいた分だけ妙に広く感じる。
目が、耳が、痛がる背中を擦っていた手が、狭い部屋の中でハーフテールの存在を
探して物足りない。その物足りなさがそのまま、いつまでも拭えない寂しさと
悲しさに感じてしまう。

ハーフテールが死んでから、10日程が経った。
「R−1、あのさ」
「もうこの島から出ないか?」
S−1はハーフテールの寝床を片付ける決心がなかなかつかず、とうとう
そのキッカケにしようと、R−1にそう提案してみた。
寝床を片付け、ハーフテールが使っていたモノを全て処分してしまったら、
ハーフテールがこの世に生きていた証しをなにもかも捨ててしまうような気がして
どうしても捨てられなかったのだ。
「それはいいが」とR−1は何か読みかけていた雑誌をパタンと閉じて
ソファに座ったまま、キッチンで突っ立っているS−1に向き直る。
ここ最近、朝になると隣に寝ているが、夜一緒にベッドに入る事はなく、
なんとなく、R−1はS−1の体にあまり触れない様に気遣っている様子だった。
「その前に、オンセンってヤツに行って見ないか?」
「オンセン?」S−1は数歩歩いてソファに近付き、R−1の隣に腰を下ろした。
「前にオッサンが言ってただろ?ゴクラクとかなんとか」R−1が笑いながら、
机の上の雑誌を指差した。
「ああ、デッカイ風呂があって・・・え、行くのか?」
「気分転換にな、ここを引き払ってオンセンに行ってそれから島を出る」
「どうだ?」
どうだ?と聞かれて、嫌な訳がない。
S−1はただ、自分が寂しそうにしていたのでR−1が気を使って
そんな案を提案したのだと思ったが、実はそうではない。

(良かった)とR−1は自分が提案した事にS−1が素直に喜んで受け入れて
くれた事で心からホっとした。
「オッサンが死んだばかりなのにそんな気になれない」と言われたらどう言えばいいかとその時の言葉を用意出来ない内に、切り出してしまったのと、
自分の本音をS−1に悟られて、「オッサンが死んだばかりなのによくそんな事
考えられるもんだ」と軽蔑されたらどうしようと心配だったからだ。

本音はと言えば今更言うまでもない。
ずっと、ずっと、ずっと、もう随分長い間、我慢して辛抱して来た事だ。
一度だけどうにか「肉体関係」を持った、と言える経験はしたけれど、あの時は
自分も切羽詰まっていたし、S−1があの後熱を出したのはそれがショックだったからに違いない。今度こそもっと落ち着いて、S−1を怖がらせたり怯えさせる事のない様にさえすれば、(きっと万事上手く行く)とR−1は思っていた。
その為の「旅行」の計画だった。

我ながら、(ハーフテールのオッサンが死んだばかりなのに)と思う。
が、ハーフテールとR−1が最期に交わした会話はS−1の事だった。
「私が言うまでもない事だが、あの子は人目に立ちすぎる」
「これからも、きっと禄でもない輩があの子を狙って来ると思う」
「海上で肉欲に飢えてる海賊なんかに浚われない様に、」
「あの子が傷つかない様に、いつまでも幸せでいられる様に」
「ずっと側にいるんだよ、アル君」
(そんな事、)言われなくてもそうする、と答えたいトコロだったが、憎まれ口を
叩くにはあまりにハーフテールは弱り過ぎていた。だからその時は「ああ」とだけ
答えたのだが、それより少し前、まだ立って歩けた頃は
「早く、コトが成就するのを願っているよ」とニタニタ笑っていた顔もまだ
瞼に焼きついている。

「迷子にならない様に、俺がしっかり場所覚えておかないと」とS−1は
R−1が読んでいた雑誌をじっくりと読みこんでいる。
すっかり元気になったS−1を見て、R−1は自分の下心を棚に上げて、
とにかく、S−1が生き生きと明るい顔を見せてくれたなら、
それだけでも旅行を提案して良かったと思った。

汽車を乗り継ぎ。
半日程掛って、目的地に辿り着く。

「変な匂いがするけど、これがオンセンの匂いってヤツか」とS−1は
汽車を降りるなり、鼻をクンクンと蠢かす。
「確かに卵が腐った匂いだな」とR−1も同じ様に鼻をクンクンと動かした。

若い男が二人、仲睦まじく笑い合いながら手を繋いで歩いていると、
擦れ違う人が皆、不躾な視線を必死に押し隠してチラリと盗み見る。

舗装されていない道、聳え立つ山と山に挟まれた峡谷、仄かに湯気が立ち昇る川、
瑞々しい野菜が植えられた畑、旅行者を歓待する為の素朴な花畑、
道行く人は旅行者か、この土地の者か一目で判るほど、土地の者の身なりは素朴で
質素だが、顔付きはずっと優しい。
聞こえてくるのは、畑の草花を風が揺らす音と野生の小鳥が鳴き交わす声だけだ。

「今夜泊まれる宿を決めるか」とR−1の気持ちはもう日が暮れてからの事ばかりで
この土地には牧場や、美しい渓谷があって、
S−1がそこに行きたいと言っていた事さえもう忘れている。

「え、もう宿に入るのか?まだ昼を少し過ぎたばっかりなのに」
「別にいいだろ、気にいれば何日だって居ればいいんだし」と不満顔のS−1を
置いて、サッサとR−1は歩き出した。

(ええと・・・)前に失敗した時の行動をR−1はイチイチ思い出しながら歩く。
「そっちじゃないんじゃないか?あそこに大きな建物があるぞ」
「あ、ああ、そうだな」

何時の間にか、S−1が先に立ってどんどん歩き出していた。
途中で何軒もみやげ物屋があったけれど、そこに立ち寄る度にR−1は
「欲しいモノがあったらなんでも買うから迷うな」とS−1を急かす。
そう言われると、却って買い物と言うモノは楽しくなくなる様で、
手に持っていたみやげ物を全部置いて、S−1は渋々みやげ物屋から出て来た。
「なんか、面白くねえなあ」とS−1の機嫌が徐々に悪くなってきたのを
その言葉と口調でR−1は読み取り、慌てて
「明日は好きなトコ、どこにでも連れて行ってやるから、」と機嫌を取り繕う。

荷物の中には、今夜必要なモノがもうしっかり用意されている。
(落ち着いて、冷静に、怖がらせない様に、怯えさせない様に、余裕を持って・・・)と、R−1は呪文の様に
何度も自分に言い聞かせた。


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