「能力者を泥酔状態にする効果を施したこの部屋で、しかも大病を患ってる
あんたが能力を発動したら、ただでは済まないじゃなないのかね」と
男は冷ややかな目をしたまま、ハーフテールを見据えた。
一体、いつ合図をしたのか、ハーフテールの背後には武器を構えた男が数人、
のっそりとドアを開いて入ってきた。

「どうした」
ボス、と呼ばれている男は、ハーフテールの背後にいる男達を見て、明らかに
狼狽の色を浮べた。予想外の物を見た、と言う驚きを隠せない程動揺しているらしい、とその顔色を見てハーフテールはそう思った。
(なんだ・・?)と予想も出来ずに、どんな状況かも判らないので、振り向けない。
ただ、自分に対する敵意は少しも感じない事だけは確かだった。

「あの、あ・・の、ボス、外に・・・」
震える声で、男達の中の一人が口を開く。
寒さではなく、それは明らかに怯えだ。
「外になんだ!」ボスと呼ばれる男は血相を変え、怒鳴った。
この組織のボスにとって、最も恐ろしいのは、今ここに海軍の正規部隊が踏み込んで
来る事だろう。彼は今、この人身売買を主に財源としている組織のボスとして
闇の社会に君臨しているが、表の顔は世界政府の役人でもある。
その彼が海軍に捕縛されたとあっては、今まで築いた富も名声も、両方ともに失い、
最悪、厳罰に処され、最悪の場合、死刑、良くても死ぬまで牢屋の中で暮さねば
ならない程の罪を課せられる、その事は誰よりも彼自身が一番良く判っていて、
そして、一番、怖れている事だった。

「海賊の・・・ロロノア・ゾロが・・・」
「「なに?!」」

ボスと呼ばれる男とハーフテールの驚きの声が同時に上がった。
勿論、二人の腹の内はまるきり違う。

(なぜ、ここにロロノア・ゾロが?なんの用でこんなところに?)
ゾロの強さを知っているだけに、部下達を脅してこの組織の中枢部まで踏み込んで来た
その理由はなんなのか、それが判らないから、対処のしようがない。
抵抗すればするほど、被害は増すばかりだろう。彼の要望をまず、聞いて
それからその要望を飲んで、追い返すのが得策、とボスは考える。

一方、ハーフテールの方は、「ロロノア・ゾロが」と聞いて、すぐに
それがホンモノのロロノア・ゾロではなく、「R-1」だと悟った。

(なんて事を)
そう思ったのは、あのR−1から片時も離れたがらない
(スー君の事だ、一緒に来ているに違いない)なんて、危ない事を、と
思うのと同時に、
自分がS-1には決して見せたくなかった醜い生き様の舞台を
あの水晶のように清らかな紫色の瞳に見られてしまうのかと思うと、
本当に目の前が大きく揺れて、思わず、がっくりと膝をついた。

背中に突っ立っている男達の乱れた足音が聞こえた。
何かが自分達を押し退けて、部屋に入ろうとしている、その邪魔をしないように、
素早く身じろいだ、そんな音だ。

後ろを振り向かなくても判る。
明らかに殺気を滾らせた、何者かの気配が近付いて来る。

「暴れるつもりでも、金を奪うつもりでもねえ」
「欲しいものが手に入ればすぐに帰る」

その部屋の中の空気はピンと張詰めていた。
R−1は自分の言葉に相手が「否」といえば、すぐにでも刀を振るうつもりでいる。
そうなれば、薬を持っているボスだけを残して、あっという間に周りの者を
斬殺するだろう。薬を手に入れるまで、躊躇いもなく、何人でも人を殺す。
そんな気配を体中から滾らせている。

ボス、と呼ばれた男は竦み上がった。
能力者を相手にする為だけの部屋の仕掛けは、ただの人間でありながら、
最強の肉体と技を誇る「ロロノア・ゾロ」の前ではなんの役にも立たない。

「欲しいもの・・・とはなんだ」と聞かれて、R−1はチラリとハーフテールに
目をやった。お前が言え、とその目は急かしている。
「解毒剤だ、ボス」
「今、私はロロノア・ゾロを用心棒にしてるんでね、下手に手を出さない方が
いい・・」とハーフテールは
R−1の意図を組んでそう薄く笑って見せた。

そうして、やっと無事に解毒剤を手にいれる事が出来た。

「今すぐ飲みたい」とS−1は言ったが、
「ダメだ。お前の着る服を持ってこなかったからな」とR−1は相変らず、
S−1を掌の中に包んで、誰にも触れさせたくないと言う態度を露骨に見せる。

そんな二人の側にいると、ハーフテールは自分の心がとても安らぐのを感じる。

「悪かったね、結局手間をかけてしまって」とハーフテールは、S−1達の住まいのある町へと帰る船が出る桟橋で、船が出るのを待ちながら、そう二人に詫びた。
「オッサン、体は大丈夫か?」
「スー君こそ、酔っ払っただろう?気分は悪くないのかい?」

人を労わり、人に労われる。そんな簡単な事が今まで何故、出来なかったのか、
今のハーフテールには不思議でならない。あまりにも自然に、S−1を気遣う自分を
(妙な感じだ)と思いながらも、ごく当たり前の事の様に受け入れている。

夕暮れが近付く海は茜色に染まり始めている。
カモメが鳴き交わし、どこかへ飛んで行く。波が金色に輝いて、港の突堤にあたって弾けた水飛沫も、茜色の太陽の光の所為か、少しだけ宝石の粒の様に煌いている。
潮風が少し微熱のあるだるい体に心地良い。
船を待つ家族連れの笑いさざめく声、恋人同が視線の優しい甘さ。
重い荷物を背負う父親を気遣う息子。
人が生きるこの世はなんと美しいものなのか、と思わずにはいられなかった。

掌に乗る程の大きさのまま、R−1のポケットに入っているS−1が同じ風景を眺めていると思うだけで、何もかもが美しく思えた。

(もっと早く、彼に出会っていたなら、もっと違う生き方が出来ただろう)

額に汗して働いて?苦労ばかりして?僅かばかりの金を稼いで?
粗末な物を食べて、粗末な服を着て、惨めに人に頭をさげて?
それの一体なにが幸せだと言えるものか。
船の到着を知らせる汽笛が鳴る。S−1がひょっこりとR−1のポケットから
頭を覗かせた。それだけで嬉しいのか、R−1の肩に乗っている、
全ての始りを運んだ小さな小鳥が可愛らしい声で鳴き、S−1を呼ぶ。
その声を聞いてS−1は顔を上げた。小鳥を見、R−1を見て笑い、そして、
ハーフテールの目線に気づいて、そして、ニッコリと恥かしそうに笑った。

そんな光景を見ながら、自分に強がろうとハーフテールは、無駄に抵抗をしてみた。
そうして、今まで、S−1に出会うまでの自分を肯定しようとした。
そうでなければ、自分の人生がなにもかも無駄だったと思い知る事になる。
自分の人生がどれだけ汚く、身勝手で、罪深く、人を不幸にするばかりだったか、
考えずにはいられなくなる。

けれども、そんな強がりも抵抗も、今更それこそが無駄だった。
「私は卑しい生き方しか出来無い男だ。人を金勘定でしか見れない男だ」
とどんなに自分を心の中で貶めて、それを肯定したところで、
その空々しさに却って虚しくなるだけだ。

「オッサン、薬が切れる頃だ。体が辛くなるだろうが、少し、辛抱してくれ」

黙りこくったままのハーフテールにR−1はそう言った。

こんな醜い自分にR−1は薄々気づいているだろう。
それでも、S−1がなんの疑いもなく自分を信じてくれていて、惜しんでくれている。
だから、R−1もこうして気遣ってくれる。
その気持ちはハーフテールの心に染みた。

「ありがとう」
今度こそ、二人から離れようと誠実なR−1の眼差しを受けて、揺るぎない決心を
固める。醜く、汚い自分のままでいい。これ以上、一緒にいたらどんどん
今まで犯して来た罪の重さを思い出してしまう。

栗色の髪の少女。まだ、15にも満たない少年。結婚したばかりの女。
母親から浚った双子の娘達。自分が不幸の淵へと叩き落した人々の事を今になって
詳らかに思いだし、その苦しみがハーフテールの臓器を軋ませた。

やがて、船が帰るべき町に帰ってきた。
すぐに服を手に入れて、S−1はもとの姿に戻る。

紅茶色の髪も、滑らかな肌も、聞き心地の良い声も、今は金などに換算出来無い。
かけがえのない、どんな宝よりも美しく、清らかで、価値などどんなものにも置きかえられないものだと、目の前にS−1が立ち、その姿を目にした時、
ハーフテールは心からそう思った。
(人間の価値など、金で勘定出来るモノではなかった)とそんな当たり前の事にさえ、
ようやく気づく。

S−1に嘘などつけない、と、解毒剤を手に入れると決めてから、ずっと思って来た。
けれど、今、港に降り立ち、今にも痛みで倒れそうな体をなんとか励まして
背筋を伸ばして歩いて見せ、二人の家へと向かう道すがら、突然、
ハーフテールは立ち止まった。

「さて、私はここで失礼するよ」
「え・・・?」S−1はハーフテールの思ったとおり、驚いて表情を強張らせた。
きっと、(オッサンの病気はR−1が治してくれる筈)と思っていたに違いない。
死ぬ瞬間まで側にいたいと思う気持ちに嘘はなかった。
けれど、そんな事は決して許されない。何度も思い描いては打ち消して、
夢を見ては、諦めた、人間として最後の願いだけれども、
叶えられる筈もないのは、百も承知だ。

今まで知られたくない、と思い、隠して来た事を全て晒す。
そうすれば、きっと、S−1は自分を追おうとはしないだろう。
ハーフテールは、卑しげな笑みをわざと浮かべる。

「なんで?そんな体で」
そう尋ねるS−1の言葉をハーフテールは遮り、一気に捲くし立てる。
「もう、君に興味が無くなったからだよ」
「君の側にはいつも、アル君がいる、どうにかして、スー君、私は君を」
「金持ちの玩具にする為に売り払おうと狙っていたんたよ」
「だが、アル君は強い。さすがの私も手を出す隙がなかった」
「だから、諦めたんだよ、君を金に替えるのを、ね」

胸の中が重苦しくて、息が今にも止まりそうだった。が、息が止まれば言葉を
最後まで話しきれない。ハーフテールはいつもと同じ、ふてぶてしい態度で
最後の嘘を言いきった。S−1を欺くくらい簡単な事で、
全ての真実を、今はその真実こそが嘘になったありのままの事実を、
ただ、言うだけだと思っていたのに、目の奥が経験した事のない程熱くて痛い。

S−1は黙ってゆっくりとハーフテールに近付いて来る。
こうして、手を伸ばせば届くほど近い場所に立つと、自分よりもS−1の方が
背が高かった。顔を見ている振りをして、ハーフテールはS−1の喉もとを見つめる。

やや俯いたハーフテールの顔を、優しい眼差しを浮べた紫の瞳が覗きこんだ。

「どっか痛いのか?だから、泣いてるのか?」
「俺、オッサンの言ってる事、よく判らねえ」
「とにかく、帰って少し休んで、腹一杯食べたらきっと少しは具合が良くなるから」
「早く帰ろう?」

どうして、こんな罪深い男にこんな幸せを与えたのか、
死んだ後、未来永劫地獄をさ迷う男が束の間、見る夢とでも言うのか。
運命の気まぐれにハーフテールは、息を飲む。
自分の意志とは裏腹に、熱い雫が後から後から止めど無く、頬を伝って行く。


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