ハーフテールは、目的地に行く為に船に乗っていた。
S−1の体を小さくした「チビチビの実爆弾」の解毒剤は、今いる島の
裏稼業を牛耳っている組織のところにある。
売春にしても、密航にしても、彼らの支配下にあって、「チビチビの実」で小さくされた人間を元の姿に戻す為には、彼らからその薬を買わねばならない。
もちろん、チビチビの実爆弾を使っているハーフテールと同業者の人身売買の男達を
捕まえても手に入れる事が出来るが、彼らがどこにいるのか、探し出すよりも
直接、薬を売買しているその組織に出向いて薬を買ったほうが早い、とハーフテールは
考えたのだ。
何故、船で行くのか、と言うとその組織の本拠地は、陸路で行くとかなり迂回しなければならないからだ。
海を渡る、ほんの少し湿った冷たい風が心地良く、見上げた空には手を伸ばせば
届きそうなほどたくさんの星が輝いている。
きっと、「彼」が側にいたら「オッサン、星が綺麗だなあ」と必ず言うだろうな、と
思うと何故か胸のあたりがほんのりと温かくなった様な気がした。
思えば、誰かの為に何かをする、と言う経験は生まれて初めてだ。
薬を持って帰って、感謝されて、それで終りだろうに、
(俺は一体、何を必死になってるんだ)時間を惜しむかのように焦っている理由を
ハーフテールは自問自答したが、はっきりとは判らない。
判っているのは自分にはもう残り時間がなく、罪滅ぼしをする時間さえ無い、と言う
事だけだ。
(薬を持って帰ったら、彼らから離れよう)とハーフテールは海を走る船に添って
飛ぶカモメを見るともなしに眺めながら、そう思い決める。
この世の中の美しさがやけに目につく。そして、人、という者が誰であれ、
笑っていたり、ぼんやりしていたり、怒っていたり、様々に表情を持っていて、
それぞれにその瞬間まで生きて来た歴史がある、と言う事を考えてしまう。
そして次には必ず、今まで自分は人が積み上げてきた歴史も、夢見た未来も、どれほど叩き潰して来たかに思い至って、今こうして生きている事が居た堪れなくなる。
どこかでひっそりと孤独に惨めに死ななければ、きっとなんらかの制裁が下される。
死んでからなら、いくらでもその制裁を受けても構わない。
けれど、ハーフテールは命が残り少なくなった今になって、
自分達が生きているこの世界の美しさと自分の罪の両方を教えてくれたS−1に
蔑まれる事が何よりも一番恐ろしかった。
自分の醜さをこれ以上、S−1に知られる前に、そして、これ以上、
自分の罪の深さを清算するかのように、病に蝕まれて動けなくなる前に
(ス―君と会わない様にしなければ)と思った。そして思った途端、実際孤独を
知らなかった頃と違う、本当の孤独とは何かを薄々知り始めたハーフテールは、
一人きりで死の床に就く自分を想像して、とても惨めで哀しくなる。
だが、それも、全て今まで自分が罪を罪とも思わずに犯してきた所業故だ。
甘んじて受けねばならないと思う。
そして、その頃。
「宿の主人に話しを聞きたい」
「ここに連れて来てもらおう」
そう言ってR−1が売春宿の女を脅して、主人を引き摺り出した頃だった。
「ここの売り物の女はどっから仕入れてる」とR−1が尋ねると
「なんでダンナはそんな事をお尋ねになるんで?」と卑しい顔付きをしたガリガリに
やせ細った50歳くらいの男が腹立たしいほど丁寧な口調でそう聞き返してきた。
R−1は抜き身の刀をそのままその男の首根に突き付け、
「質問してるのは俺だ」とわざと刀をガチャリと鳴らして脅す。
(案外、簡単だったな)
あっさりその売春宿の男はハーフテールが向かった島から売りに来るのだ、と答えた。
用心棒かなにかが飛出してくる事を予想したのだが、R−1は拍子抜けする。
その宿を出てからその島に行く船が出ている小さな港へ向かうのに、
随分歩いたのだが、(一向に着かねえじゃねえか)とR−1はイライラして来た。
「地図かなにか、貰ったのか?」とR−1のポケットに入ったままのS−1に
そう尋ねられて初めて、「そうか。地図をかかせれば良かったか」とR−1は気づいた。
「どこへ行くんだ?」店の者とのやりとりをS−1は聞いていないから、
R−1がどこへ行こうとしているのか知らなくて当然だ。
「港だ」とR−1は答えるが、その港の名前もどうも曖昧になって来た。
「西通りを真っ直ぐに行って・・・西ってつまり太陽が沈む方だ」
「でも、今の季節、真西に沈むワケじゃないし、太陽はとっくに沈んでるぞ」
S−1は呆れたような顔をしてR−1を見上げている。
「もしかして、迷ったのか」と聞かれて、R−1は思わず
「迷ったんじゃない、港がどこかわからないだけだ」と強がった。
「時々バカになるんだな、R−1は」と言いながら、S−1はモゾモゾとポケットから這い出てくる。「なにしに港に行くんだ?」
「島に行く」R−1はS−1の誘導尋問に乗った。
「島?どこの島だ?」と聞かれて、「島って言ってもここから陸続きの・・」と
言い掛けたら、「ああ、あの煙が出てる島か。あそこに行くんならあの島が見えてる
港に行けば船の出る場所が判るんじゃないか?」とS−1はすぐに答えを見つける。
「なるほど」
「今日の船は出た後だ。明日の朝まで船は出ない」
折角目的の港に辿り着いたのに、もう今日、その島に向かう船は出た後だった。
宿を探すにしても、もう遅すぎる。数時間待てば、船に乗れるだろうから、
二人はその船の待ち合い場所なのか、雨露をしのげるだけの粗末な小屋で
夜を明かす事にした。
「なあ、R−1」真っ暗なその小屋の中にいると、ポケットの中から話し掛ける
S−1の声が自分の胸の中から聞こえるような気がして、なんとも奇妙な感じなのだが、
その小さな温もりでも自分の皮膚を通して直接心臓だけを温めてくれている様で、
R−1は安心する。怪我をしたり、熱を出したり、と言う不安がなく、側にいるだけで
安心し、満ち足りている事を実感出来る。
「なんだ」
「もし、俺がずっとこのままだったらどうする?」
「嫌だな、それは」
R−1はS−1をつぶさない様に、腕組して古びた木の壁に凭れていたが、その腕を
解いて、ゆっくりと暖める様に自分のポケットを掌でそっと覆いながら答えた。
「なんでだ」とS−1は尋ねてくる。
手が繋げないから、キス出来ないから、体を撫で回す事が出来ないから、と
理由はいくらでも挙げられるが、どれもあまりに率直で生々しい。
つい、言い澱んで、R−1は「お前はそのままでいいか?」と聞き返した。
「俺も嫌だ」とS−1は素直にR−1が予想していた通りの事を答える。
「だから、俺も嫌だ」
「俺はお前が嫌だと思う事なら、なんでも嫌なんだ」と(我ながらいい答えだ)と
上手くはぐらかした、と思わずR−1はニンマリする。
「もし、俺がこのままでもやっぱりR−1は俺がイイと思うか?」
「当たり前だろ」
顔を見ないままで聞くのが不安になるほど、S−1の声には心細さが篭っていて、
R−1は少しギョっとして、なんとなく閉じていた目を開く。
「俺が虫とかになってもやっぱり俺がイイか」
「お前が虫になったら俺も虫になってるだろうからな。やっぱりお前がイイと思うぞ」
R−1はクソ真面目に答えた。
「俺がサンジの遺伝子だから?」
R−1はS−1のその言葉に驚いて答えに詰った。
何故、そんな事を唐突に言い出したのか、まずそれが判らない。
だが、それを考えるより先に言うべきことがある。
「俺にとって大事なのはサンジの遺伝子じゃない」
「お前だ」
「へへ」とS−1は妙な笑い声を立てて、モゾモゾとポケットの中に潜り込んで行く。
「お前はどうなんだよ、S−1」とポケットの外からR−1はからかうように突付いて見たが、S−1は「俺はもう眠い、」と言って笑っているだけだ。
目を閉じると、その顔がR−1の瞼に浮かぶ。
それだけでどうして、こんなに胸が弾むのか、自分でも不思議で仕方がない。
そして、夜が明けた。
船に乗り、二人は無事に目的の島に着く。
船着場の近くのみやげ物売りの店にピーを預けて、二人は昨日教えてもらった
組織の根城へと向かった。
(S−1も預かってもらえば良かったな)と後になってR−1は後悔したが、
どうせ預けたところでじっとしている訳もない。
離れて心配するのなら、側にいて守りぬいた方がずっと安心だ、と思いなおす。
「チビチビの実爆弾の解毒剤を買いたいんだが、どこへ行けばいい」
街を歩いていたら、ごく自然に歓楽街に足を踏み入れていた。
そこで、R−1はすぐに目つきの悪い若者を一人、ひっ捕まえて尋ねてみる。
「ああ?てめえ、誰に・・」と男は顔を顰めて、R−1に凄んだが、
「ロ・ロロノア・ゾロ?!」と目を剥いて、唐突に腰を抜かした。
(違うが、まあいいか)とR−1は敢えて否定せずに男にもう一度、
「さっさと質問に答えろ」と急かした。
「それは、女衒のドンのトコにいかねえと」
「案内しろ」腰を抜かした男を無理矢理立たせて、R−1は歩き出す。
「で、でも言ったところで簡単に買えるモンじゃねえと思うぜ」
「あれは、高値で売れるから量産されちゃ困るって」
「ボスが自分で管理している薬だから、使い道がはっきりしてないと絶対に」
「売って貰えねえ」
「だったら、奪うまでだ」
R−1は男のゴタクを一言で黙らせた。
(ハーフテールなら買えるのか、それとも奴も奪いに行ったのか)
どちらにしろ、目的地も入手方法も判った。
売ってくれる、くれないはどうでもいい。最初から買うつもりなどまるで無かったのだから。
「もうすぐ、元に戻れるからな」とポケットの中のS−1に笑い掛けると
S−1もニッコリと笑っている。なんの不安も心細さも無いその笑顔を見ているだけで
朝飯も食べていない空腹感を一瞬、R−1は忘れた。
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