「あんたが薬を買いにくるなんて珍しいね、ハーフテールさん」
「って言うか初めてじゃないか?」
序列が確立された組織ではないが、それなりに制度らしきものはある。
ハーフテールは人身売買の組織の根城に辿り着き、顔見知りの男を見て、
ここに来た用件を言った。
「チビチビの実爆弾の解毒剤を買いに来たんだが」
そうして、返って来た答えが
「あんたが薬を買いに来るなんて珍しいね、初めてじゃないか?」だった。
狙った商品を手に入れたら、すぐに金と引き替えた。
わざわざどこかへ自分が運ぶと言う手間が面倒で、どこの島にいても、
どこの街にいても、この組織の息の掛った人間はいる。そんな者達に商品の運搬は
任せていたから、ハーフテールが人間を小さくすると言う「チビチビの実爆弾」を
使った事は一度もなかったのだ。
「そういえば、ほら、3千万ベリーの別嬪サンはどうなった?」
「ボスがあんたがそこまでの値をつけてくるなら相当な上物だろうって楽しみに
なさってたぜ」
「あの獲物は」ハーフテールは聞き馴染んでいる筈の会話にいい様のない卑しさを
感じる。答える言葉を喋る自分にさえ嫌気がして、つい言葉を詰まらせる。
だが、それも一瞬ですぐに何食わぬ顔で答えた。
「あの獲物は逃がしてしまった。どこに行ったかも判らないし、もう追う気もないよ」
「あんたがその獲物と一緒にいたって噂、つい最近聞いたんだがね」
ハーフテールの言葉を端から信用などしていない、とでも言いたげな口振りで
その男はそう言った。ハーフテールはジロリと睨みつける。
体からパチ・・・と小さな火花を出して見せた。
「体が疲れてるなら、少し、電気を流してやろうか?」と男にニヤリと笑って見せると
男はハーフテールに下らない軽口を叩いた事を軽く後悔したような苦笑いを浮べた。
「薬屋がこのまえ海軍にとっつかまっちまって、今、薬の管理はボスが直々に
やってくださってる。ちょうど、休暇なんどさ」
(なんだって)男のその言葉を聞いて、ハーフテールは思わず舌打ちする。
薬屋、と言うのはこの稼業に使う様々な薬品の知識を持ち、その薬の売買を
任されていた男の事だ。麻薬、媚薬、潤滑油の類だけではなく、人知れず人の
息の根を止める為の毒薬や死体になった人間を溶かす為の劇薬も売っていた。
だが、ハーフテールが驚いたのは、その薬屋が捕まったからではない。
ボス、と呼ばれる男から直接薬を買わねばならない、と知ったからだ。
薬屋相手なら口先だけで欲しい薬を簡単に手に入れる事が出来ただろう。
だが、何度かハーフテールも会った事のある、ボス、と言う男は一筋ならではいかない。
まして、今この組織を欺こうとしているのを見透かされるかも知れない。
だが、ハーフテールは(それがどうした)と一瞬弱腰になった自分を励ました。
今まで、数えきれないほどの人間を欺いて来た。
欺かなかった人間を数えた方が早いくらいだ。
その自分が、今更何を臆する事があると言うのだろう。
どす黒い心だったつい数日前まではこんな時、性根を据えていられた。
人を騙す事などなんとも思っていなかったからだ。
だが、今は違う。人に嘘をつく事、騙す事が悪だと知って、嘘をつく事、人を騙し、
欺く事に自信が持てない。それが一瞬だけハーフテールを弱腰にしたのだ。
(これは、スー君の為だ)そう思ってハーフテールは自分を奮い立たせる。
そして、S−1の為に薬を手にれる為にボスを欺く。
その為に並べるタクさんの言葉を、きっと生涯最後の嘘にしよう。
そう思い定め、ハーフテールは、「ちょうどいい、ボスの顔を見るのも久しぶりだし」と調子を合わせた。
「案内するよ」男は薄ら笑いを浮べ、ハーフテールの先に立って歩き出す。
「ここから先は俺は入った事がねえ。だから案内なんかできねえ」
R−1は歓楽街で捕まえた男に案内させて、人身売買の組織の根城に入った。
だが、ただの古びた建物の中にいた筈なのに、いつのまにか廊下も床も
灰色の石がむきだしのまるで洞窟を模したかのような建物の中に足を踏み入れていた。
「判った」と言うや、案内の男を殴って気絶させ、R−1はさらに足を進める。
「S−1、こっちであってると思うか?」
あたりに誰もいないのを見澄まして、R−1はそっとS−1に話し掛けた。
「う・・・ん」と妙にくぐもった返事が返って来る。
だるそうな、とても気分がいい時の声だとは思えない。
「どうした?」
「なんだか、酔った見たいだ。ずっとポケットに入って目を閉じてたから・・」
その声を聞いて、慌ててR−1はポケットを覗きこむ。
口を押えて、S-1はポケットの中で丸くなっていた。
狭い袋の中に入ったまま、ずっと揺さ振られていたら、乗り物酔いになっても
おかしくはない。
R-1は少しでも澱んでいない空気を吸わせよう、と焦る気持ちを押えて
大事に大事にそっとS-1をポケットから取り出した。
「大丈夫か?」と掌に乗せてS-1の顔を覗きこむと思い掛けないほど真っ青だ。
「・・・気持ち悪イ・・、ちょっと降ろしてくれ」と目をつぶったままの
S-1にそう言われて、R-1は出きる限りゆっくりとS−1を地面に降ろしてやる。
ヨタヨタとR−1が腰を屈めている壁とは反対側へと歩いて行った。
ケホ、ケホ、と小さな小さな咳き込む声が聞える。
多分、吐きたくても胃袋には殆ど何も入っていないだろうから、何も出てこないだろう。
「すまん、酔うなんて考えてなかった。大丈夫か?」
そういいながら、掬う様にそっとS−1を抱き上げる。
まだ吐き気が治まらないのか、両手で口を押えて、閉じた瞼の際にはうっすらと
涙が滲んでいた。
「少し、休めば治ると思う。けど、急がなきゃ・・・」
掌に乗せられたまま、S−1は目を開けて周りを見回す。
そして、全く力の入っていない声で、「あのさ・・・ここの石、ヘンじゃないか?」
「ヘンな匂いがする、酒みたいな・・・」と言い出した。
「なんだって?」当然、R−1は驚く。
鼻を蠢かしてみても、自分には全くそんな匂いは感じない。
「俺には匂わねえけど・・・そうなのか」そう言ってR−1も改めて
灰色の石の壁をまじまじと見つめてみる。
「なあ、・・・俺今、能力者なんだろ?チビチビの実とかっての」
「この酒の匂いって、能力者しか嗅げないモノかもしれない・・・」
「だとしたら・・・オッサンだって酔っ払ってるかも・・・」
男の背中を見つめながらハーフテールはただ、石が剥き出しの廊下を歩いていた。
だが、酷く酔っ払った時のように足もとがふらつく。
(なんだ、一体・・・)体に巣食った病の所為か、と思ったが、R−1から貰った
薬は間違いなく、飲んでいる。それにこんなに酷い眩暈は初めてだ。
まるで強い風の日に吊橋を渡っているかのように足がふらふらし、天井を見上げれば
ゆっくりとゆらり、ゆらり、と揺れている。
「大丈夫かい?普通の人間ならなんともない場所なんだがね」
「普通の人間なら?」ハーフテールは泥酔した人間の様に知らない間に尻餅をつき、
これも石むきだしの床にはいつくばっていた。
だが、案内している男は平然と突っ立っていて、ハーフテールを見下ろしている。
「あんた、能力者だろ、だからここから先の建物の中じゃ酔っ払っちまうんだよ」
「海楼石ほどじゃないが、能力者を酔わせる鉱物が練り込んであるとかで」
気の毒な口調で言うが、助け起こす気は全くないらしい。
ハーフテールが電気の能力者で体に触れたら感電させられると警戒しているようだ。
ハーフテールはゆるゆると立ち上がった。別にこんな男に助け起こしてもらえないからと腹を立てるのもばかばかしい。「ありがとう、オッサン」と言う満面の笑顔を見る為にサッサと用件を済ませればいいだけの話しだ。
そして、ハーフテールは久しぶりに「ボス」と顔を会わせた。
同じくらいの年齢、だが、品のいい背広を着こなしたどこか上流階級の人間だと
匂わせる雰囲気の男が、ハーフテールにニコリと笑いかける。
いや、実際には笑った様に見えた。ハーフテールに向けられている、深い皺の中に
刻まれ様な細く、優しげにたわんだ目はするどく冷たい光が宿っている。
笑っているのは目の形と口元だけだ。
「久しぶりだね。あまり顔色が冴えないようだが」淡々とした口振りでボスは
そう言う。そしてハーフテールはふてぶてしく答える。
「なに、ただの酷い二日酔いですよ」
「獲物はどうなった?随分、楽しみにしているんだよ。もうそろそろ焦らさずに
君のオススメの逸品を私に見せてくれないかね」
「それは出来ませんな」ハーフテールはさっきと同じ言葉を繰り返す。
「実は今日、ここに来たのは、そろそろ引退しようかと思いましてね」
「その為にちょっと欲しいモノがあってここに来たトコロ」
「ちょうどいい塩梅にボスと会えたと言う訳です」
「引退?」ボスは訝しげな声で聞き返してきた。
「ええ、ちょっとやっかいな病に取りつかれまして」
「もう長くは生きれない体になっちまいまして」
「あんたが?」とボスは薄く笑った。とうとうこいつも悪運つきたか、と
言う声がハーフテールには聞えるような気がする。
「いよいよもうダメだって時にチビチビの実を飲もうと思ったり」
「どこで野垂れ死にするか知れないし、燃やすにしても埋めるにしても
小さい方が手っ取り早いでしょう?だからチビチビの実が欲しくて、
けどまあ、そこで持ちなおしたら間抜けですからね、一応実も解毒剤も
両方欲しいんですよ」
「なるほど・・」そう言ってボスは深く頷く。
「そんなに悪いのか」
「そうらしいですな」とハーフテールは相槌を打つ。
「引退してどうするんだ?こんな稼業でしか生きる方法のしらないあんたが」と
ボスはハーフテールに尋ねる。
「さあ、有り金を使ってのんびり暢気にするもよし、最後にとびきり美味いモノを
食って、いい女を抱くもよし・・」とハーフテールは軽口を利いた。
「腹は括れているようだね」
「何時死ぬか、わからないよりいっそここで死んだらどうだ?」
ボスの目が冷たく光った。冗談でも皮肉でもなく、本気でそう言っている、と
ハーフテールは察する。
「あんたは私がこの稼業をし始めた頃からの馴染みだ」
「だから、顔も素性も知ってる」
「そんなヤツを野放しにするほど、私は肝っ玉が太くないんだよ」
「世界政府のお偉いさんに出世してもこの稼業を続けるなんて思ってもみなかったよ、ボス」とハーフテールは少しも臆さずに鼻でせせら笑った。
酔っ払う程度の防護策しか用意せずに能力者を殺せるなどと思っているのか、と
その思い上がりは笑止千万だ。
「薬をくれれば、大人しく帰って2度とあんたの前には顔を出さない」
「名前も、顔も忘れてやるさ」
殺そうと思えば殺せる。けれど、そうして人を殺めて手に入れた薬を
S−1に飲ませるには、S−1に嘘をつかねばならない。
だから、ハーフテールはボスを威嚇はしても殺す気にはなれなかった。
いや、殺して手に入れてやるとは思う。だがその決心がつかないのだ。
人を殺して欲しいモノを手に入れるのに、躊躇いを感じたのは初めてで、
そしてその躊躇いの理由を思い返した時、自分が起こそうとした行動、
人を殺すと言う行為を思いとどまったのも初めてだった。
「どこで死ぬのも同じだろう?」
「のたうち回って、醜く死ぬよりずっと幸せだと思うが」
その言葉を聞いて、ハーフテールの頭に映像が浮かぶ。
汚物に汚れきったシーツの上で、日も当たらない湿った部屋の中、吐血し、
痛みに顔を歪めて、死を迎えて醜く死んで行く自分の姿が。
だが、ハーフテールはしっかりと瞼を閉じ、真っ暗な闇を
自ら作り出して、その映像を追い払った。
替わりに、自分が望んでいる最期の時が自然に思い浮かぶ。
柔らかい日差しの、温かい寝床の中で優しい手が自分の手を握って
「オッサン」と呼び、泣いてくれる顔を見ながら、ゆっくりと瞼を閉じて
息を止める。
決して叶う事もない、望む事さえ罪深いその映像をも、ハーフテールは振り払って、
不敵に笑った。
「あんたに殺されることが、か?」