「オッサンを探して、一緒に薬を探すんだ」
唐突なR−1の言葉にS−1は驚いた。そして、1度瞬きをした後、
嬉しさが込み上げてきた。
それは、自分のしたかった事が出来るからではなく、何も言わなくても、
自分のしたい事をR−1が判ってくれた事が嬉しくて、込み上げてきた感情だった。
「ホントか?」と確認する必要などないのに、S−1はそう言って
R−1の顔を覗きこむ。「ホントだ」とR−1は笑って答える。
S−1は、ハーフテールが心配でならなかった。
けれども、こんな小さな体になってしまっては、自分一人が我侭を言って
突っ走ったところで何も出来ない事くらいは判っている。
どうしたらいい、何が出来るだろう、とただ、一生懸命考えていただけだが、
島を出てからずっと、R−1には心配ばかりさせていて、これ以上、
心配を掛けたり、気苦労を背負わせて、眉間に皺を寄せた渋い顔を見るのが
辛くて、「オッサンが心配だから俺達も一緒に行こう」とは言い出せなかった。
(なんで判っただろう)とS−1は改めて、(R−1って本当に頭いいんだ)と
思って、しげしげとR−1の顔を見上げ、そして鼻の形も眉の形も、
目の形もどこもかしこも知性的に見えて来て、暫く、R−1の顔に見惚れて
沈黙する。
S−1の態度を見ていれば、そんな事くらい、R−1にとっては
至極、簡単に見透かせるのに、S−1には何故、R−1が何も言葉を言わなかった自分の気持ちを汲み取ってくれたのか、まだ判らなかった。
言葉など交わさなくても、大事な相手なら顔色や言葉遣いや、仕草で
何を考えているかを感じ取れる。何故なら、常にその相手には笑顔でいて欲しいと
思うから、何か問題があるのならそれを解決する策を講じなければならない。
自分が幸せでいたいと思う気持ちと同じ気持ちで相手をも幸せでいて欲しいと思う気持ちを持っているから、言葉以外のモノで相手を知ろうと努力する。
S−1は自分の気持ちを信じるのと同じくらいの強さでR−1を想っていて
そして信じていた。けれども、何もかもを判ってくれる、と言う驕りはない。
だから、驚いたのだ。
さっき、自分もR−1のささやかな嫉妬を荒い態度とほんの少し拗ねた
R−1の言葉から汲み取った事は忘れて、ただ、ただ、
(やっぱり、R−1は凄エ)と思った。
「どうした」とR−1は妙に緊張した顔付きでS−1を見下ろす。
「なんで判ったんだ?」とS−1は思ったままを尋ねた。
「お前の事ならなんでも判るんだ、俺は」とR−1は得意げに答える。
「出掛ける前にピーにも腹ごしらえさせなきゃな」とR−1は立ち上がった。
自分の名前を呼ばれて、ピーがパタパタと羽ばたきしながらテーブルの上をヨタヨタと走る。
「危ない、ピー、テーブルから落ちる!」と小さな二人用のテーブルの端までピーが走って行った時、S−1は大声を上げた。
まだ、少ししか飛べないピーがテーブルから落ちて、床に叩き付けられた怪我をする、とS−1は思ったのだ。ピーは驚いてピタリと止まってS−1を振りかえる。
けれども、意味が判っていなかったらしく、S−1が自分と遊んでくれる為に
呼んだのだと思ったのか、ピョンピョンと軽く跳ねながらS−1に近づいた。
まだ、食事が残っている食卓の上でピーは小さな羽ばたきをし、S−1に
じゃれ掛る。
その様子は、まるで、大鷲に襲われている人間の様にも見えるが、ピーにすれば、
S−1と遊んでいるだけに過ぎない。「こら、痛いよ!」クチバシでS−1の髪を
摘んで引っ張ったり、足で軽く蹴ったりしてS−1と転げ回っているうちに、
「ガチャン!」「バシャ!」と派手な音がした。
「なにやってんだ?!」すぐにR−1はテーブルの方へ振りかえる。
食べ掛けの食事の上にジュースが零れて、皿の中の料理がビショビショに浸っていて、
テーブルの上にいた筈のS−1の姿もピーの姿もない。
その代わり、ピーのヂヂヂヂ・・・とけたたましい声だけが聞こえた。
「S−1?!」
S−1は床に転げ落ち、ピーはテーブルクロスにしがみついていた。
大きな瓶に入っていたジュースは全部零れて、テーブルクロスもピーもS−1も
ズブヌレになって、それぞれからポタ、ポタと果実の色をした雫が垂れている。
「参ったな、これしか服がないのに」と言いながら、R−1は台所の水道で
S−1の人形の洋服のような大きさの服を指先で揉んで洗いながら、
(どうやって、あのオッサンの跡を追うか)を考えていた。
考える事で、別の事を考えないようにしていた。
クロスを外したテーブルの上には、二人で一つの飲み物を分け合う為に買った、
大きめのカップからホカホカと湯気が立っている。
「余計な手間掛けさせてごめんな、R−1」とその中からS−1の声がして、
小さな、小さな水音が鳴る。
「全くだ」とR−1は答えて、キュ、とS−1の服の水気を絞った。
「すぐに乾かすから待ってろ」とS−1の方に見向きもせずに
キッチンのコンロに火を着け、その小さな服を炙り出す。
小さくなっても、肌の質感や色は変わらない。
じっと見ているとどうしても、R−1は興奮してくるのを押えられない。
だから、なるべく、冷静に、具体的に、真剣に、明確に、理路整然と、
(どうやって、あのオッサンの跡を追うか)考えるつもりなのに、
その言葉はただ、頭の中で呪詛のように繰り返されるばかりで、
何も良い案など浮かんで来ない。
「なあ、R−1」「なんだ」
「体が元に戻ったら、オンセンってトコに行かないか?」
(また、どこで覚えてきたんだか)とR−1は言葉に詰まった。
(あのオッサン、何を吹きこんでるんだ)
「お前、オンセンって何か知ってるのか」とR−1は振り向きもせずに尋ねる。
「本で読んだ。皮膚病とか胃腸にいい湯が涌き出てくる場所だろ?」
「オッサンが大きな風呂があって、ゴクラクだって言ってた」
「ゴクラクってなんだ」とR−1は自分も知らない言葉について、S−1に
尋ねる。「さあ、知らねえ。気持ちイイって事だろ?多分」と答えて、
S−1は小さな水音を立てた。
「お前が行きたいんなら、行ってもいいな」と答えて、R−1は服の渇き具合を見る。
「R−1は行きたくないのか?」とS−1が不満そうな声を出した。
「そこが危なくない場所で、お前が行きたい場所なら俺だって行きてえよ」と言って、
つい、会話がごく普通に成り立っている事に慣れてしまって無意識に振り返る。
どうしても、背中ごしの会話は顔が見えないので、物足りない。
S−1は髪を暢気そうに洗っていた。
小さな体なのだから、小さく見える筈なのに、その温かい湯で温められてほのかに
赤く染まって濡れて艶やかな肌がR−1の目に突き刺さり、その衝撃波は
心臓までをも大きく揺らす。
「さっさとしろよ。俺の気が変わるかもしれねえぞ」とすぐに目を逸らして、
わざと少しだけ怒った顔を作って見せ、乾いた服をカップの側に置いた。
それから、服を着たS−1を胸のポケットへ、ピーを肩に乗せて、
R−1は部屋を出た。
「どうやって、オッサンを探すんだ?」とS−1がポケットの中から
R−1に尋ねる。風呂あがりで湿ったままの髪からとても良い匂いがして、
R−1の鼻をくすぐった。
「人に尋ねる」とR−1は短く答えた。
この街にも、売春宿は必ずある。そこへ殴りこんで、どこからその商売道具を
仕入れるか、を無理矢理聞き出していけば、なんらかの情報が手に入る筈だ、と
R−1は考えた。
「お前は、絶対にポケットから出るな。それと」
R−1は、ポン、と軽く胸ポケットを叩いて、「俺がこうしたら、目を閉じて耳を塞げ」
「いいな、約束だぞ」
欲望の吐け口となっている場所で、無理矢理締め上げて尋ねる事柄には、
S−1には知られたくない事がある。それに、自分が武器も禄に持たない
売春宿の主人を折檻する場面をS−1にはなるべく見られたくないとR−1は
思ったのだ。
そして、「判った」とS−1はしっかりと頷く。
なんでだ、なんでそんな事をしなきゃならないんだ、とは言わなかった。
自分の事を想って、R−1はそう言っている、とS−1には判っている。
知らず知らずのうちに、二人だけで暮らしていた頃よりも、無駄な言葉を使わずに
本当に伝えたい事、大切な事を分り合える様になっていた。
「なあ、R−1」
人っ子一人通らない夜も更けた通りを歩いている時、S−1が小さく呟く様に
R−1を呼んだ。
「なんだ」
「オッサン、もうすぐ死ぬのか」
R−1の頭の中へ、S−1の言葉がくさびのように打ち込まれて咄嗟に言葉に詰まった。
そして足も止まる。
(そうだ、と言うべきか、それとも 誤魔化すか)とR−1は迷った。
その数秒の迷いがS−1に、自分の言葉があながち、的外れではないと
悟らせる。
「嫌だな、俺」
「人が死ぬところ、見た事はねえけど、嫌だ」
S−1は力なくそう言った。
「あのオッサンが死ぬの、嫌か」とR−1は静かに答える。
「嫌だ。まだ、教えてほしい事も聞きたい事もたくさんあるし、」
「オッサンに2度と会えなくなるのは、嫌だ」そう言って、S−1はR−1に
ポケットの中から沈痛な眼差しを向けた。
「判った」
「お前がそう言うなら、俺も出来るだけの事はやる」
「だからそんな面、するな」そうR−1は答えて、人差し指をポケットに突っ込み、
安心させる様に小さな、小さな紅茶色の頭を撫でた。
「さて、約束だ」R−1は1件目の売春宿を見つけ、ポケットを軽く叩く。
胸のポケットの中でS−1が小さく丸々のを見なくても、判った。
外壁はベッタリと派手派手しい塗装で、看板を照らす照明もどこか
淫靡な色合いのいかにも、如何わしい雰囲気の建物だ。
「ようこそ、いらっしゃいませ」と扉を開けた途端、甘い鼻声で女がR−1に
声を掛けてきた。
「宿の主人に話しを聞きたい」とR−1は左手にぶら下げてきた刀をいきなり
その女の鼻先に突き付ける。
「ここに連れて来てもらおう」
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