「夜には元に戻れるよ。約束しよう」
「そんなに急がなくてもいいだろ」

S−1は何故か、ムキになっていた。
ハーフテールを今、一人で行かせたくない、と言う説明のつけられない思いに
急き立てられている。客観的に言うなら、それは「度を越した同情」だった。

ハーフテールにはもうさほど時間が残されていないなどとS−1は知らない。
知らないが、本能的にそれを察知していた。
もしも、ハーフテールの心の中に贖罪の感情が生まれず、相変らず、S−1を淫らな
人形にしようと目論んでいたなら、S−1もずっと警戒心を抱いたままで
ハーフテールがいかに巧妙に近付こうとも、絶対にS−1の感情を動かす事は出来なかった。

S−1の心がハーフテールを知ろう、近付こう、理解しようとすればするほど、
ハーフテールはS−1の感受性の影響を受けてしまう。
それは、綺麗な刃を喉もとに突きつけられた様で、己の罪を自覚させられて苦しいだけだ。

「大丈夫だよ。私は、スー君が思っている程、弱くはないんだから」とハーフテールは笑って答えて、キョロキョロとあたりを見回した。

「体の具合が悪くなったら、すぐに帰って来いよ、約束だからな」

そんなS−1の言葉を貰える権利などない、その言葉を受けとる事自体が罪を重くする。
今までの自分の醜さが脳裏にも、心の中にも蘇って、そんな過去の自分を消し去って
生まれ変わりたいとハーフテールは強く思う。
(もう少し、早く出会えていたなら、少しはマシな人生だったかも知れないな)と思いながら、ハーフテールは気配を察して近寄ってきたR−1にS−1を手渡した。

「自分で行くつもりになったのか」とR−1の方はまだまだハーフテールに
警戒心剥き出しだったが、却ってそんな顔をされる方が安心する。
無邪気な笑顔や労わるような眼差しは、腐った水の中で生きていた男には
息を止めてしまいかねない猛毒に等しく、猜疑心や警戒心を湛えた眼で見られるほうが
まだ、心が落ち着く。

(やっぱりな)S−1を受取りながら、R−1はハーフテールと言う男は
エースが言ったとおり、S−1に対して邪な企みをしていたとはっきりと
確信した。そして、S−1を自分に返したのは、もうS−1に価値がないと
見限って、自分達のところから去って行くつもりなのだと思った。

もう少し、R−1がS−1の些細な変化を一つも漏らさず見つめている眼の、
ほんの10分の1の力でも篭めて、ハーフテールを観察すれば、ハーフテールの
感情の変化、人間としての価値観が崩れて行く真っ最中の人間の機微を感じ取れた筈なのに、R−1にとれば、S−1と、S−1に危害を加える人間に対して以外には
全く(どうでもいい)と興味がない所為で、ハーフテールの変化に気がつかなかった。

「なるべく早く戻るよ」と言う約束をS−1と交わした様だが、そんなもの、
信用出来る訳もない。邪魔モノがいなくなるのは都合がいいとさえ思った。

S−1の体だって、多少時間を掛ければ必ず、薬は作れるだろう。

「オッサン、大丈夫かな」

家に帰る道すがら、S−1はR−1の胸のポケットの中でそう呟いたきり、
黙っている。

「大丈夫だ。ちゃんと薬も渡してあるし、それより、出て来い」
胸のポケットに入れていると、頭のてっぺんしか見えないので、つまらない。
折角、手を繋がなくても、離れ離れにならない距離にいるのに、顔が見えないと
独り言を言いながら歩いている様で、R−1は少し、気恥ずかしくなったのだ。

「R−1の歩き方だと肩に乗った途端、振り落とされそうだ」とS−1は
ポケットの中からR−1を見上げてそう言った。

会話をしようと顔をS−1の方へ向けると、R−1の唇に今にも触れそうな場所に
自分を見上げているS−1の顔がある。

つい、からかってやりたくなる悪戯心が沸いて、R−1は勢い良く口を尖らせて、
「フーッ」と息をS−1に向かって吐き出した。

「!」突風がいきなり顔に向かって吹いて来たら、誰でも驚いて、目をキュっと閉じる。
S−1もそんな風な顔をした。
S−1の細い髪が自分の息でフワリサラリと揺れるのを見て、R−1は楽しくて堪らない。

「ピーはちゃんと俺の肩に乗ってるぞ。ピーに出来てお前に出来ない事はないだろ」
「ピーは肩を掴んでるから乗っていられるんだ。髪を掴んでないと落ちそうになるくらい、R−1の歩き方は乱暴なんだぞ」と言いながらも、S−1はポケットの中から
R−1の肩に這い上がってきた。側にS−1が来たのが嬉しいのか、ピーがパタパタと
羽根を震わせて、R−1の耳元でピーピーとやかましく鳴いた。

それから、別にS−1が食べたいと言った訳でもないのに、R−1は「アイスクリーム」買って、二人と1羽で分け合って食べたり、寄り道ばかりをして家に向かう。

「小さいと心細いか」

こげ茶色のコーンの上の柔らかな乳白色のアイスクリームを指で掬って
R−1は肩の上のS−1に差し出した。
その人差し指を両手で支えながら、S−1は直接口を寄せてくる。

小さな、小さな舌でペロペロと舐めているところを見ていると、何故だかR−1の顔は火照ってきた。(なんでこれを見てるだけで性衝動を感じるんだ?)と分析しようとしても、全く理路整然とした説明がつけられない。

「心細くはないけど」とS−1はもういらない、と言う様にR−1の指を今度は
両手で押し戻した。R−1はまだ、甘いクリームが幾分残った自分の指を
咥えながら、じっとS−1の顔を見つめてその声に耳を傾ける。

「オッサン、大丈夫かな」
「体もあんまり良くないんだろ?一人で行かせてちゃんと無事に帰って来れるのかな」

「あのオッサンの事なら心配しなくていい」とR−1はさして、重要な話しではない、とでも言う様なあっさりした口調でそう言った。

「なんでだ」「薬は俺がちゃんと作ってやる。薬も渡してある」
S−1の質問をR−1はこれ以上ない程短い言葉で明確に答える。

家に帰ってからもどこか、S−1の気はそぞろだった。
R−1との受け答えにも、いつもの溌剌とした明瞭さがない。

「不味いモノを食うよりまだ、買って来た方がマシだろ」
「手抜きじゃないからな」と言いながら買って来た夕飯を食べる時になっても、
S−1は窓の側に貼りついて、外ばかりを見ている。

「S−1!」せっかく、誰にも邪魔されず、二人だけの島にいた時と同じ様に
のんびりと楽しく暢気に過ごせる時間がたっぷりと出来たと言うのに、
自分だけがそれを楽しんでいて、S−1の気持ちの全部が自分と同じではないと
気付いた時にR−1は怒鳴りつけるようにS−1の名前を呼んだ。

S−1にしてみれば、その声は唐突に落雷したようなモノだった。
R−1に向けていた背中がビクっと緊張して、やがて、振り向いた顔は
「鳩が豆鉄砲を食らった」様な顔だった。

「なんで怒ってるんだ」とすぐに窓から飛び降りて、床を小さな足音を立てながら
R−1の足元に走り寄ってきて、その顔を見上げた。
「別に怒ってない、飯だ!」と言いながら、S−1の腰あたりを指で摘んで無理矢理
テーブルの上に引き摺り上げる。

「怒ってないならなんで怒鳴るんだよ」とS−1はテーブルに下されてから、
ツカツカとR−1の真正面に歩いて来た。

「人の話しをちっとも聞いてないからムカついたんだ。悪イか」とR−1は
椅子に腰掛けながらそう言ってS−1を指先で突付いた。

「オッサンの事ばっかり考えてただろう」
「そればっかりじゃねえけど」とS−1はバツが悪そうに少し俯く。

「俺が心配ないって言ったら心配ないんだ」
「お前は俺の事だけ考えてたらいいんだ。」

S−1の紅茶色の頭の天辺に人差し指を添えるように置いて、R−1は恥かしさなど
全く感じない、堂々とした口調でそう言いながら、グリグリとその小さな頭を撫で回した。

「なんだ、ヤキモチか」とS−1はR−1にされるがままになりながら
小さく笑った。

「オッサンが今日、言ってた。アル君はヤキモチ焼きだって」
「ホントにそうなんだな」

(余計な事を)とR−1は口の中で思わず、小さく舌打ちした。
(余計なお世話だ、変な言葉を教えやがって)と腹が立つ。

「俺、R−1が頭いいのも、強エのも知ってたけどカワイイと思ったのは初めてだ」と
言って、S−1はR−1を見上げながらニヤニヤしている。

「別に可愛くねえよ、俺は」といつもと変わらない態度を取りながらも、
R−1は何故か頬のまわりの表面温度が上がっているのに焦った。

テーブルについていた肘を伝って、S−1はスルスルと側に寄って来る。

「なんだ、」飯をさっさと食え、と言い掛けたR−1の唇にS−1はいつも、
ピーとやっている、親と子供の挨拶のようなごく軽い口付けをする。

1度だけではなく、じゃれる様にそれは何度も何度も繰り返された。
1度目は不意打ちで、2度目は自然にそれを受け入れ、3度目にはS−1の
小さな唇に軽くその口付けと同じ位の軽さの口付けを返して、4度目で
R−1の方からS−1の唇にそっと触れた。



「これ以上やると、握りつぶしてしまいそうだからな」と言って、R−1は
鼻を突きあわせる様にしてS−1を見つめた。

「飯、食ったら出掛ける」「どこへだ?」

S−1が自分以外の誰かの事を考えるのは、甚だ不愉快だ。
ハーフテールが無事に帰ってくるか、来ないかには興味はないが、帰ってくるまで、
S−1はずっとハーフテールの安否を気にしつづけ、自分には半分くらいしか
気持ちを向けてくれないだろう。
そんな時間は我慢ならない。さっさと事を片付けるには、S−1も一緒にハーフテールの行動を監視しつつ、薬を手に入れる為にハーフテールに協力させればいい。
R−1はそう考えを変えた。

「オッサンを探して、一緒に薬を探すんだ」


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