「それは」と言い澱んだハーフテールの前にR−1は今にも胸倉を掴むのではないかと
思う程の形相で「知ってるんだろう、教えろ」と詰め寄った。

「人浚いとか、安い客船とかが使うんだろう。堅気の人間が知ってる薬じゃない筈だ」
グランドラインは広い。自分が知らない薬も多いだろう。だが、R−1はハーフテールの僅かに漏らした言葉だけで必要最小限の情報を読み取った。

「それを知ってるんだから、解毒剤をどこの誰が持ってるかも知ってるだろう」
「R−1!」

ハーフテールを威嚇するR−1の肩先へS−1が駆け上ってきて
「そんな怖い声出されたら、知ってたって言えなくなるじゃないか!」と大声で怒鳴った。

「今の奴ら、おれを浚うつもりなんだったら、きっともう1回来ると思うんだ。」
「その時、捕まえて解毒剤を取り上げたらいいじゃないか」とS−1は言った。

(それはどうだろう)とハーフテールは思った。
何故なら、彼らは「R−1」の姿を見て、一目散に逃げたのだ。
こんなに小さくなったS−1からR−1が目を離す筈もない。
彼らは、R−1の隙を狙っていたのだから、その隙がない以上、S−1を奪いに来るとは思えない。
そんなハーフテールの思惑を余所に、R−1とS−1は意見をぶつけあっている。
曰く。

「自分が囮になるって言うのか、バカ言うんじゃない、ホントに浚われたらどうするんだ」とR−1が一気に捲くし立てても、
「浚われたら、元の姿に戻すんだろ。そしたら逃げてこれば良いじゃないか」
とS−1も怯まずに言い返す。

「へ理屈を言うな、それ以上言ったら箱に詰めて一歩も外に出さないからな」
「そんな事、出来もしない癖に」

「こうしたらどうかな。」

S−1の言う方法は余りに危険が大き過ぎる。
だが、R−1はそれを否定するばかりで、具体的な方法をまだ考えつけない。
ハーフテールは絶対に何かを知っているのは判っているが、どう言うつもりか、
口を割ろうとしない様だし、S−1はこの胡散臭い男をすっかり「いい人」だと
信用してしまっている。それを覆しそうとしても、なんの証拠もないので、
S−1を納得させる事など出来ないし、今はそんな議論を展開して時間を浪費するのは、
全く以って無駄な事だ。

「奴らを誘き出して、とっ捕まえる、それならいいだろう」
「どうやって誘き出すんだ」
R−1は両手に捧げ持つ様にしてS−1を話しをしている。
小さくても、真剣な顔で理路整然とした意見を言うS−1に、ただ、「危険だ」と言う感情論だけでは対抗できなくなって来た。

「R−1が俺の側にいたら奴ら、俺を浚いには来ないと思うんだ」

(ほう)ハーフテールは黙って二人のやりとりを聞いていたが、S−1が思いの外
利口で、また、自分を囮にして敵を誘き出す事に全く怯えない様に、
(ただ、綺麗なボウヤだとばかり思っていたが)そうではない、と知った。

「なんで、俺を浚おうとしたのかまでは判らないけど」と言ってS−1は
ハーフテールのほうへ向き直った。

「オッサンが俺を連れて街をウロウロするだけでもの凄く目立つと思う」
「R−1はそれを少し離れた所から、気配を殺して見ててくれたら」
「さっきの奴らが襲ってきたとしても、安心だろ?」

「「それはそうだろうが」」とハーフテールとR−1の声が重なった。

それに異義はたくさんあったけれど、R−1は渋々その方法を採用する事にした。
なるべく早くS−1にはもとの姿に戻って欲しい。
人浚いの組織の根城を探る時間も惜しいし、時間が経てば経つ程、問題が複雑に
なるような気がする。それに、その人浚い達がS−1を諦めて
他の島に移ってしまう事があれば、一体どのくらいこの個体差のまま過ごさねばならないのかを考えると、最速で問題を解決したかった。

「S−1にもしもの事があったら、生きたまま八裂きにしてやるからな」
「判ってるよ」とすぐにハーフテールは肩にS−1を乗せて苦笑いをして
真顔でそう言うR−1に頷く。

「君も我々から逸れたり、道に迷ったりしないでくれよ」とハーフテールは答えたが、
いざとなれば、R−1の力を借りなくても、人浚いの小物二人くらい、感電死させるのはS−1の小鳥をひねり潰すよりも簡単な事だ。

(いっそ、まいてやろうか)とも思ったが、それもやろうと思えばいつでも出来る。

「さあ、どこに行こうか、スー君」
歩き出したハーフテールは、そうS−1に尋ねている自分の声の余りの明るさに
驚いた。弾んだ声、と言うのは、まさにこの事だろう。
新しい服に袖を通すのとも違う、買った女が払った金以上に良かった時とも違う、
捕まえた獲物が自分が値踏みした以上の高値で売れた時とも違う、
初めて経験した、瑞々しい感情で心が浮き立っている。

「人がたくさんいる場所がいいと思う」とS−1は肩先に腰掛けて、顔をハーフテールの方へ向いてそう答えた。
顔を付き合わせたら、唇が触れそうな程S−1はハーフテールの側にいる。

「そうだね。」

まずは、人通りの多い道を選んで歩く。
擦れ違う人が皆、驚いて無言で二人を見送るのが、ハーフテールは嬉しくてならなかった。自分では自覚していないけれども、そのハーフテールの感情は、例えば、
誰も持っていない珍しいモノを持っていて、それを人に見せびらかして歩いた、
少年のそれだ。それが病んで冴えない顔色ながら、ハーフテールの表情を明るくさせる。

「オッサン、なんか、臭くないか?なんの匂いだ、これ」と
銀杏並木の下を通りかかった時、S−1はハーフテールにそう尋ねた。
「ああ、これは銀杏と言って、この樹の実が地面に落ちて腐った匂いだね」と
ハーフテールは答えた。
「臭い」と言ったくせに、S−1はその「銀杏がなってるところを見たい」と言うので、
ハーフテールは銀杏の街路樹の下に立ち、真下から空を見上げた。

秋の晴れ上がった空と銀杏の黄色が対照的で、太陽の光に透けた黄色は金色のようで、
金属の金とは全く違う、金銭の価値など全くないのに確かに美しいとハーフテールは
目に入った風景をごく自然に受け入れた。見たことのない風景を見、感動さえ覚える。

窓辺に咲いて、風に揺れる花はコスモスだと言う。
S−1は「本で見た」と言い、ハーフテールは名前さえ知らなかった。

その花の手入れをしていた娘が、窓の下で見上げる自分達を見下ろして、
一瞬、唖然とし、そして、ハーフテールではなく、肩の上に立ってその娘に
手を振ったS−1に向けて微笑む。
会釈したハーフテールにも、その娘は微笑んだまま、軽く頭を下げた。

その髪の色、体つきは見覚えがある。いや、良く似ている、とハーフテールは思い、
胸の中にズキリと重い痛みが走った。

記憶にも新しい、ほんの二ヶ月ほど前に浚った娘と面影が重なって、全くの別人なのに、
その窓辺の娘は、ハーフテールの心に罪の呵責を呼び起こした。

S−1が微笑み掛けた者達は、皆、自分にも微笑む。
なんの警戒もせずに、まるで、自分とS−1は一揃えで、同じ様に清らかで、
純粋だと疑っていないかの様に。

「オッサン、疲れたか?少し、座ろう」
徐々に表情が曇って行くハーフテールを気遣ってか、S−1は街の人が憩う為の
小さな広場に着いて、ベンチを指差した。

「ありがとう」

ハーフテールはベンチに腰掛けて、大きく溜息をついた。
自分が信じてきた世界が足元から消えて行くのをはっきりと感じ、

それを望みながらも、その世界を全て失った時、一体、自分はどうなるのか、
考えはじめてから、心の中の重さは体にも過重を感じさせ、(もう、一歩も歩けない)と思う程の疲労を呼んだ。

「オッサン、大丈夫か?R−1を呼ぼうか」としきりにS−1が気遣ってくれる。
その間も、瞼を開ける事も出来ずに、ハーフテールは体を折り曲げ、
掌で顔を覆った。

青空の青さ、秋の風の心地良さ、太陽の眩しさなど知らないでいた方が
きっと良かったのだろう。モグラはモグラのまま、死ねばそれで幸せだったに違いない。

若い娘が自分の未来に幸せがある事を確信して微笑む美しさに何故、今まで
気付かずにいたのだろう。
腹に赤ん坊を宿した母親の慈しみに満ちた美しさを何故、見出せなかったのだろう。
幼い子供の健やかな笑い声と無邪気な笑顔が何故、札束にしか見えなかったのだろう。

(いっそ、知らない方が良かった)

一体、自分は何人の人間を不幸にして来たかをハーフテールは初めて振りかえった。

そして、思い知らされた。
生きている者、微笑んでいる者は、誰でも輝きに満ちている。
それを奪ってきた自分の罪、それを自覚した事が最大の報いだと。

ハーフテールは、息苦しさが胸に詰まって身悶えしたくなるほど、苦しいのに、涙さえ流れない。流す権利など無いと、足元まで来ている死神が自分を
せせら笑っている様に思えた。

「オッサン、」「スー君」

(不思議な子だ)と思い、ハーフテールはマジマジとS−1を見つめる。
心配そうで、とても心細げな顔をしていた。

「薬を持ってきてあげよう」と自然に口を突いて出た。
きっと、能力を使うのは、これが最後だろう。

「アル君を呼んで、家で待っててくれるかい」そっと掌を差し出すと、
一緒に付いて来ていた小鳥と一緒にS−1はハーフテールの掌の上に降りて来て、
「だって、オッサン、何も知らないんだろ?」と心配そうな顔をした。

「夜には元に戻れるよ。約束しよう」とハーフテールはS−1の問い掛けを
さらりと誤魔化して笑った。


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