「今から?」
風呂から上がったばかりのS−1はソファの上に起き上がっているハーフテールに
いきなり「用を思い出したから、これで失礼するよ。世話になったね。」と言われて、
目を丸くする。
「でも、まだ、具合が悪そうなのに、」とR−1の理論的な意見を求めようと、
R−1の方へ顔を向ける。
「本人がいいって言ってるんだし、オッサンに用があるって言うんだから、
俺達が止める筋合いはないだろ。」
と、言える状況なのに、
R−1は黙ったまま、なんとかうまくS−1を言いくるめてくれ、と言う懇願の混ざった眼差しをハーフテールに向けた。
「エス君、本当に大丈夫だから、」「エスワンでいいよ、」と言い繕うハーフテールの側に
歩みよって、無理矢理、ソファに横にならせた。
濡れた髪が一房、パラリとハーフテールの額をくすぐった。
「今晩一晩、熱が下がるまではここにいてもいいって言っただろ。」
「どんな用かわからないけど、どっちみちそんなヘロヘロの体じゃ時間も手間も
掛るじゃないか。人に会う約束でもあるなら、俺が言伝に行くから。」
優しい、と言う具体的な言葉と態度、それも全く打算も裏表もないモノを
ハーフテールは初めて目の当たりにして、唖然とする。
それでも、別に自分がS−1にとって、特別扱いされた訳ではなく、恐らく、
このS−1と言う人間は、誰にでもこんなに優しいのだろう。
なれば、そうあり難がる事もない、などと またうす汚いひがみめいたことが
頭に過った時、
「オッサンは、俺が触れない、ピーのエサを獲って来てくれたし、」
「ピーを助けてくれたお礼もしてないんだから、」
「気を使わなくっていいよ。貸しを返してもらうって思ってくれたらいいんだ。」
と言うS−1の言葉が心を揺らした。
「ありがとう。」と生まれて初めてハーフテールは心の底から、
他人に感謝の気持ちを言葉にして、口から出した。
きっと、自分のような人間にこんな扱いをする者は他にはいない。
もう少し、ここにいたいと言うのが正直な気持ちだが、R−1のイラついた目つきに
気がつくと、やはり、自分はここに留まっている時間など、例え、数分でも
許されない存在なのだと思い返す。
「元気になったらまた来るよ。面倒かけて、すまなかったね。」と言って
ソファから立ち上がった。
熱は下がった様だが、内臓のどこか漠然と判らない疼痛は治まらない。
が、我慢出来ない程でもない。
「本当に大丈夫なのか?」とS−1はまだ、心配そうだった。
留まりたい気持ちを振り切って、ハーフテールは二人の部屋から重い荷物を
運ぶようなだるい体を引き摺って廊下に出る。
「じゃあ、また、」とハーフテールは階段を下って表に出ようと、二人に
背を向けた。
「オッサン、」とR−1はハーフテールの背中に声を掛ける。
R−1には医学の知識はあっても、医者としての自覚もモラルもポリシーない。
別に病人を治す、と言う目的で得た技術でもない。
人間の細胞をクローン化するにあたって、必要最小限の知識は、彼を作った科学者が
独自の脅威的な方法でR−1の脳に挿入したもので、
伝染病や、怪我の対処の方法などは、S−1を誕生させた後、病気や怪我からS−1を最大限守るに必要なモノだと言う考えから、R−1自身が自分で自分の脳に新しい知識としてやはり、通常の方法ではない、「脅威的な方法」で得たものだ。
だから、最初は さして重病ではないにしろ、病人と判っていながら、
ハーフテールを叩き出す、と言う事に罪悪感は感じなかった。
だが、隣で自分の知識や技術を期待して、助けてやって欲しい、と言う気持ちを
視線にこめて伝えてくるS−1の眼差しをうけて、だんだんいたたまれなくなって来る。
S−1の行動と言葉の方がいかに人間らしく、素直か、
それに比べて、自分の腹の中にあるのは、ただの欲望と身勝手だと気がついた途端、
急にS−1にもハーフテールに対しても、恥かしくなった。
それで、R−1は、R−1なりの精一杯の思い遣りをハーフテールに示す。
「明日の昼過ぎ、港に来てくれ。俺達の船には色々医療道具が積んである。」
「一度、ちゃんと診ておいた方がいい。もういい歳なんだろ。」
思いがけない、R−1からの言葉にハーフテールは振りかえる。
「オッサン、明日の昼過ぎ、待ってるから来いよ。」と今度はS−1はR−1の
言葉に念を押す。
「判った。ありがとう。是非、伺うよ」と愛想笑いをし、ハーフテールは
階段を降りて行った。
「大丈夫かな。」
「明日、ちゃんと診てやるよ。」
階段を降りて行くハーフテールの姿が見えなくなってから、S−1は本当に
心配そうに呟き、それに対して、R−1は出来るだけいつもどおりの
横柄な口振りで答える。
ハーフテールの姿が見えなくなった途端、もうR−1の気はそぞろだ。
大きな深呼吸を一つ、する。
(いよいよだ。)
もう、誰にも邪魔されることはない。
心臓の音が隣にいるS−1に聞こえないか、と思うほど大きく、
ドックン、ドックンとうるさい。
「風呂に入って来る。寝ないで待ってろよ。それから、酒も飲んじゃダメだ。」
玄関から部屋に入るなり、R−1は口早にそう言った。
有無は言わさない、疑問さえも受けつけない、そんな必死な口調だ。
「判った。」とS−1は不思議そうな顔をしているが、どうやら、素直に頷いてくれる。
R−1は風呂にゆっくり浸かる気などサラサラない。シャワーで汗を流して、
S−1と繋がる筈の部分をていねいに洗うだけで十分なのだが、
風呂場に行って、服を脱いだ時点で、もうその「ていねいに洗う」ところは、
むっくりと固形化している。
しかし、そんな事もどうでもいい。
シャワーから出てくる水が湯に変わる僅かな時間も待っていられなくて、
水のシャワーをザブザブと頭からザブザブとかぶる。
やたら力を入れて、ゴシゴシ全身を綺麗に洗う。
(雑に作られた体だよな。)とふと、鏡に映った自分の体を見て、R−1は思う。
突飛な事を敢えて考えて、気も早く、もう力一杯、頑張り始めている下半身への
血流を少しでも押えようとしているつもりだった。
R−1はロロノア・ゾロの遺伝をそっくりそのままクローニングしたので、
黒子の位置まで全く同じだから、体には当然、いくつか黒子がある。
だが、S−1はサンジの遺伝子をR−1が勝手に弄くったので髪や瞳の色や、
骨格や筋肉の形成もサンジとは微妙に違い、「S−1」の遺伝子は「サンジの遺伝子」と
は違う、オリジナルとは言えないまでも、酷似している別の遺伝子とも言える。
数字上では知り得ない事柄がきっとたくさんあるに違いない。
島で二人きりでいた時も、何度もS−1の裸体を見て来た。
黒子も、アザもない、生まれたばかりの赤ん坊のような肌は、きっと、
本物のサンジ以上に美しいと思ってきた。
けれど、まだ、お互いの体温が分り合える、
その滑らかな素肌を晒しての抱擁など一度もした事がない。
今まで、あーして、こーして、と勝手に組上げてきたシュミレーションが
シャワーから勢い良く出て、R−1の髪を遠慮なく濡らす水にどんどん流されて行く。
ここへ来て、膨らみ過ぎた期待と同時に不安と怯えも同時にR−1の心に存在していて、考えは全く纏まらない。
S−1にとっても初めてなら、R−1にとっても初めての経験だ。
どんな言葉から、どんな行動から切り出せばいいのか。
どうやったら、どこを触れば、S−1が怯えないか。
乱暴な事をした、と嫌われないか。
水滴の滴る頭をブルブルっとR−1は自分の中の葛藤を振りきるように
勢い良く弾き飛ばして、キュッと拳に力を入れて、シャワーを止めた。
(大丈夫、俺は絶対エ、S−1に嫌われたりしねえ。)
(これは、俺がS−1を好きでたまらねえからヤる事だ。)
(後暗エ事なんて、なんにもねえっ。)
そう、自分で自分を励まし、天井を仰いで、大きくまた深呼吸をする。
どうせ後で脱ぐだろうが、と思いつつも、一応、R−1はS−1と同じ柄の
パジャマを身につける。
顎を撫でて見て、髭がザラザラしていないかと気になった。
(よし)固い髭でS−1の肌が傷つくのは避けたい。どうやら、大丈夫だ。
R−1がそんな状態にあるのを全くS−1は知りもしないで、
ソファに座って、R−1を待っていた。
退屈を凌げる様なものは何もないので、S−1は薄暗い部屋でぼんやりと
考える。
(なんで、オッサンを引き止めてくれなかったんだろう)となんとなく、
薄情なR−1の言動が少し理解出来なくて、どう言う訳がちょっと悲しかった。
R−1は優しい。けれど、結構、自分以外の他人には冷たいような気がする。
それとも、誰にでも優しくしてはいけないモノなのだろうか。
(R−1が正しいのかな。)自分の行動がやっぱりオカシイのか、と思っても、
どこがどうオカシイのか、S−1にはさっぱり判らない。
悲しい様な気がするのは、今、S−1にはR−1が何を考えているのか、
わからないと言う疎外感、寂しさ、心細さからだったが、それもS−1には
明確に自分で理解できずにいる。
そんな思考の途中。
R−1が風呂場から出てきた。
無言のまま、S−1の隣に座る。
ポタポタと髪から水の雫が落ちて、R−1のパジャマの肩先を濡らしていた。
「もう少し、髪を拭けよ。パジャマがビチョビチョになるぞ。」と
S−1は滴り落ちそうになっていたR−1の翠の髪の先にぶら下がっていた雫を
指で摘んで拭う。
「あ、水だ。」湯だとばかり思っていたのが冷たい水だったので、S−1は
少し驚いた。
「ここが温かいからって、水浴びてたのか?寒くないのか?」と
R−1の頬を両手で触ってみる。
「冷てえぞ、」とまた驚くと、いきなりR−1はその両手の手首を掴む。
なんだか、怒っているような顔をしている様に、S−1には見えた。
「S−1、」名前を読んだ途端、R−1の理性が急に体の奥の方へ萎む。
シュミレーションも罪悪感も緊張も不安も怯えも期待も、なにもかもが
R−1の頭の中から弾け飛んだ。
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