「1時間だけだから。」と言う、あの時のエースの勢いに押されて、
思わず許してしまったが、それから10分と立たない間に
R−1は判れたその場所でどうしようもない程の後悔に襲われていた。
(1時間あれば、十分、)S−1を拉致するくらいは出来るだろう。
何故、さっきそれに気がつかなかったのだろう。
エースを信用するな、とS−1に言ったと言うのに。
無事に帰ってくるだろうか。
とにかく、1時間は待ってみようか。
探すにしてもどこを探せば良いのか。
もしも、自分がウロウロと探しに出掛けたらちゃんと帰って来た時に
S−1は不安がるだろうから、動きたくても動けない。
ジリジリと焦れてどうにか、1時間待つ事にした。
時間が経つのが恐ろしく遅い。
嫌な考えばかりが頭をよぎる。
エースがサンジに"愛しい"と言う想いを抱いている事を知ったことと、自分が不甲斐ない事をしたらS−1を掻っ攫う、と言ったエースの言葉がR−1を不安にさせている。
「R−1!」
悶々としていたら、S−1の大きな声が聞こえた。
ハっと声をした方を見て、S−1が自分のいる場所へ向かって走ってくるのが見えた。
「S−1!」
いつもと変わらない様子に、R−1はホっとした。
気がつくと、自分の足もS−1に向かって走っている。
「エース、もう行くって。」と遠くから息も整えずに、一気に走って来たのだろう、
S−1は少し息を切らしてそう言った。
「行くって、もう発ったって事か。」とR−1は尋ねる。
S−1は首をコクンと倒して頷いた。
(そんな、急な)と心の中でR−1は慌てる。
明日の夜に、と決めていたことがいきなり今夜決行する事になった。
心の準備が整っていないばかりか、色々と他に必要なものがあって、
それらの何一つ、買い揃えていないのだ。準備不足で、不手際があってはならない。
最初の1回目は、その1回きり、かけがえのない大事な儀式だ。
「腹減ったし、帰ろう。」とS−1は呆然としているR−1の肩から、
そっとピーを受取りながら、R−1にそう言って笑い掛けて来る。
(今夜から二人きりなのか)
島でさんざん二人きりの生活をしていたと言うのに、引っ越したばかりの
新しい部屋で、S−1と静かな夜を迎えると思うとR−1の心臓からは、
いつもと同じ鼓動に混じって、なんだか、歌うようなリズムさえ聞こえそうなほど、
緊張で高鳴って来た。
島から出て、何人か人間を見たけれど、
やっぱりs−1の肌が一番滑らかで柔らかそうで、
S−1の髪が一番艶やかな綺麗な色で、
S−1の瞳の色が奇蹟のように宝石と同じ色だと言うことを知って、
R−1は島にいた時よりもずっとS−1が人間として綺麗な容姿をしている個体なのだと改めて思い知った。
「ピーがいるから、外じゃ食べられないな。」とS−1は歩き出した。
R−1は慌ててすぐに後から追い駆け、隣に並んで歩き出す。
「何が食べたい?R−1.」と聞かれて、その自分だけに向けられている
自然な表情で見つめられているだけなのに、R−1は自分が今考えている事を
見透かされやしないかと緊張して、曖昧な薄笑いを浮かべる。
「なんだよ。」とその妙な笑顔を見て、s−1は怪訝な顔をする。
「いや、別に。」お前が作ってくれるならなんでもいい、と言おうとしたけれど、
島でそう言ったら何度も
「何でもいいって言うのは、どうでもいいって事か。」とS−1の機嫌を何度も
損なったので、R−1は少し考えて、
「お前が俺に食わせたいってモノが食いたい」と答えた。
「俺はお前が食いたいモノを作りたいんだ。」とS−1は不服そうに言い返す。
「お前が作ってくれるモノなら、なんでも食いたいんだ、俺は。」とR−1は
真顔で答える。
(そうだ。)ついでに、アノ時に必要なモノも買おう、と考えて、
「とりあえず、買い物に行くか。そこで何を作るか、材料を見て考えるっていうのは
どうだ。」と提案してみる。
「そうだな。」とS−1は素直に頷き、当たり前の様にR−1の掌に自分の掌を
合わせ、指と指を絡めて先に立ち、歩き出した。
歩きながら、R−1は頭の中でシュミレーションを試みる。
まず、飯を食う。
その後、風呂に入る。
(島にいた時は、)とほんの少し前の事を思い出して、今夜の展開の予想と
照合して見た。
一緒に風呂に入っていたから、いつも後でR−1は一人で悶々としなければならなかった。が、今夜は違う。とはいうものの、
風呂で悶々とした、その勢いで大事な1回目、無我夢中になって浅ましい行動に
出てしまったら取り返しがつかない。
あくまで冷静に、些細な事もあまさず記憶しておきたいし、
なによりも自分が理性をふっとばして暴走したら、S−1の体にも、
精神にもどれほど大きなダメージを与えるか、計り知れない。
(一緒に風呂はダメだな)と決めた。
風呂は別々に入って。問題はその後だ。
(なんの知識も教えてないからなア)とR−1はどう切り出そうか、と
考える。
「おい、おいってば!」とS−1の怒っている声が急に耳に飛びこんできて、
R−1の脳内シュミレーションは中断された。
「何考えてた?俺の言う事聞いてなかったダロ。」とS−1はふい、と
R−1の手をゴミを捨ててしまうような軽さで振り払ってしまった。
(聞いてなかった)と言うのが本当だが、それをバカ正直に言ったら
拗ねるに決っている。だが、(聞いていた)と言ったら嘘なのだから、きっと
会話が噛み合わずに、すぐに聞いてなかった事がバレて、結果同じだろう。
「悪イ。考え事してた。」とR−1は素直に謝った。
「考え事?エースの事か?」とS−1はR−1を気遣うような繊細な表情を浮かべて
そう聞いた。
(ああ、こんな面もするんだ)とR−1はそんな事でさえドキリとする。
島にいたときは子供っぽい表情ばかりを見慣れていたが、自分以外の人間を知って、
その人間との関わり合いの中から、二人きりでは知りようもない様々な感情を
S−1は学んでいくのだろう。その都度、色んな表情をも自分に見せて、
そして、その都度、こうして新鮮な驚きを与えてくれるんだろう、と
R−1は思った。
「ま、そうだ。」とR−1は曖昧に返事をする。
エースが突然、自分達から去った事に自分の予定外だった事で少々慌てたが、
正直な所、R−1はホっとしているのだから、エースの事などまったく考えていない。
「随分、あっさり行っちまったんだな、と思って。」とそれらしい事を言って
今度はR−1の方からS−1の手を握った。
もう夜もそこそこ更けて、街の通りは人の姿もまばらだ。
男同士で手を繋いでいても、オリジナルのゾロとサンジとは違って、
クローンの二人は全く人の目など気にもしない。
「S−1、先に買いものを始めててくれ。」
少し大きな食料品の店が開いていて、ちょうどいい事にその隣が「薬屋」だった。
R−1はそこで、S−1に知られないようにこっそりと潤滑油などを買う。
それを買う、と言うだけでS−1の遺伝子の増殖速度を始めて計測した時よりも
ずっと緊張した。
S−1はその店で、料理の本を買い、その本を見ながら材料を買い揃えている。
「新しい料理を作ってみたくなったんだ。」と顔を輝かせて、
その本に載っている料理のページを買いものの途中でR−1に見せた。
(随分、手の込んだ料理だな。)時間が掛るんじゃないか、と思って
「腹が減ってるから、もっと手早く出来る奴がいい。」と意見して見た。
「ふーん」とS−1は気を削がれたのが不服らしく、あからさまにそんな顔付きをした。
(あ、しまった、)とR−1はその顔を見てまた慌てる。
ここで機嫌を損ねて、ふて寝されたら、S−1をもう少し大人にする夜の
予定が狂ってしまう。
「ま、俺も手伝うから早く作れるか、」とすぐに自分の意見を翻した。
S−1とR−1が街中で手を繋ぐのは、R−1がすぐに迷子になってしまうのを
防ぐ為なのだが、その店を出て、家に帰るまではR−1がs−1を引き摺る様に
足早に歩く。
「そこの角を右だ、R−1」とS−1が道筋を指示しつつ、二人は最高速度で
家に辿りついた。
使いなれない道具と台所と、料理に不慣れなR−1が手伝った所為で、
結局、S−1が作りたかった料理がテーブルに並んだのは、それから
2時間近く経ってからだった。
「今夜は早く寝るんだっけ。」とS−1は食事が終って、後片付けをしながら、
R−1に確認して来た。
(そう、その前に、)その前に説明するべきか、それとも雰囲気を作ってからがいいかとR−1は咄嗟に考え、後者を選ぶ。
「そうだ、早く寝るんだ。」ときっぱりと答える。
シュミレーションでは、別々に風呂に入る予定だった。
「なんでだ。」とS−1は理由を禄に言わずに「別々に入る」と言って譲らないR−1の言葉に首を捻った。
「狭いからだ。」とまたそれらしい理由で納得させて先に風呂に入らせる。
風呂から上がったS−1はその場でもう押し倒してしまいたくなるような
匂いと肌色をしていたが、R−1は我慢する。
今夜の1回は、これから先の何百回の夜の最初の1回目なのだ。
絶対に欲望だけで突っ走るわけにはいかない。
R−1は出来るだけ急いで、でも体中の隅々まで綺麗に洗った。
もう、自分の中心は準備万端、いつでも使用可能な状態になっている。
自分の事ながら、呆れて恥かしくなるが、それが人間の雄として当然の身体的反応だ。
「S−1、」とR−1は買い揃えた寝間着を着て、S−1を呼んだ。
もう、明かりを消した台所の小さなテーブルに腰掛けていたS−1を引寄せて、
寝室へ連れて行こうと立たせ、そのまま、口付ける。
(ん?)R−1はS−1の体から石鹸やシャンプー以外の匂いがする事に
すぐに気がついた。
S−1は、R−1の腕に支えられてどうにか立っている、と言う感触だった。
「何か飲んだか。」とR−1は薄暗い台所から寝室へS−1を抱かかえる様にして
連れて行きながら、やや、不安になって尋ねる。
「ちょっと、酒を、あの、今日買って来たやつを、半分くらい、」とS−1は
トロンと眠たげな顔をした上に、余り呂律も回っていない口調で答えた。
「飲んだのか、ワインを。」とR−1は愕然として尋ねる。
頭の中で、猛スピードで計算する。
ワインのアルコール含有量、S−1がアルコールを体内で分解出来る数値、
それとワインを飲んだ量から、S−1が摂取したアルコール濃度。
そして、そのアルコールがS−1の体から分解、排出される為に要する時間を割り出す。
「R−1が、早く寝ろって言うから。こんな時間に寝ようとしても眠くねえもん」
「酒でも飲まないと、寝られねーもん。」
S−1はよく回らない口でそう言い、R−1がベッドに横たえた途端、
すぐに寝息を立て始めた。
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