人間と言うものは、時々、自分でも全く説明がつけられない行動を取ってしまうことがある。
その時のハーフテールがまさにそうだった。
「ピー!!」とS−1が運河沿いの鉄の柵を乗越えようと、その鉄柵に足を
掛けた時と、ハーフテールが運河に飛び込むのとが殆ど同時だった。
サブーン、と派手な水音があがる。
沈むより先に、フワフワの羽毛が水を弾いてどうにか浮いていたヒナを
両手でそっと包んだ。
けれども、包んだはいいが、ハーフテールの体はまるで、石が水に沈む様に、
無様にブクブクと沈んで行く。
「オッサン?!」とその異様な沈みっぷりに慌てて、すぐにS−1も運河に飛び込み、
R−1も、「オッサン」を水から引き上げる為に運河に飛び込んだ。
ハーフテールの手からピーは、小さな羽根をばたつかせて、S−1の頭の上に
飛び移る。
周りにいた人々も、慌てて駆け寄ってきた。
「おい、大丈夫か?」と飲み物を買って戻ってきたエースも鉄柵ごしに
S−1達に大声で声を掛けた。
「大丈夫、エース、」S−1は両手でピーを大事に包んだまま、川縁まで器用に泳ぎ、
エースに向かってピーを差し出す。
エースがピーを受け取ると、すぐに、
「オッサンが沈んだ」と口早に言って、また、ハーフテールが沈んでいった辺りに
向かって泳いで、大きく息を吸い、R−1と一緒に、運河に潜って行った。
(あのオッサン、能力者なのか。)
R−1はハーフテールの異様な沈み方を見て、すぐに気がついた。
が、ピーを助ける為に運河に飛び込んだハーフテールの行動が、
ハーフテール自身でも説明出来ない衝動だった様に、
今、自分が運河の底に沈んで行くハーフテールを追い駆けて必死で
潜っているのも、やはり、説明のつけられない衝動だった。
必死の形相でもがくハーフテールに、R−1は身振り手振りで、
「落ちつけ、」と指示し、S−1と力を合わせて、水面まで引っ張りあげる。
「エース、ピーは。」運河からどうにかハーフテールを助けだして、
陸に上がった途端、ぐったりしているハーフテールには眼もくれずに、
S−1は、濡れたシャツを絞りつつ、まず、エースにそう尋ねた。
「大丈夫だ、ほら。」とエースが手を開くと、ピーはまた、ヨタヨタと飛んで、
S−1の差し出した掌に乗る。
「ああ、良かった。」とS−1は本当に嬉しそうに笑う。
その笑顔を見て、
(こういう面は、こいつだけのモンだな。)とエースは思った。
サンジにはない、ただただ、素直で、感情を隠さない明るく、無防備な笑顔は、
たぶん、サンジとどれだけ近い距離にいてもおそらく見る事は出来ないだろう。
S−1だけが持つ、S−1の個性は海賊のような、血なまぐさい生業の自分には
時折眩し過ぎて、直視できなくなる。
「そのオッサン、どうするんだよ。」
この運河は海水と川の真水が混じっている。そこに沈んで、海水に濡れていたら、
ハーフテールは脱力して動けず、ゼエゼエと荒い息を吐いて、腰を抜かしたままだ。
R−1は誰に尋ねるともなく、そう呟いてハーフテールを見下ろした。
「ピーを助けてくれたんだから、」と
S−1がまた、お人よしな提案をし掛けたので、エースが遮った。
「オッサンを助けただろ、貸し借りなしだ。」
一度、口に出してしまえば、S−1の言う事をR−1はなんだかんだ言いながらも
飲む。二人の住んでいる場所を胡散臭い能力者に知られるのは、エースは避けるべきだ、と咄嗟に判断したのだ。
もう既に、ハーフテールが二人の居場所を嗅ぎつけているとは、
まだ、エースは気がついていない。
「でも、なんだか辛そうだぞ。」とS−1はハーフテールの前にしゃがみ込んだ。
顔を覗きこまれて、ハーフテールは一瞬、ギョっとした。
いや、ドキリとした、と言うべきか。
アメジストのような紫色の瞳と、前髪の間からチラチラ見えているもう片方の瞳が
違う色、というのを初めて知った。
それより、こんなに間近で、「獲物」の顔を見たのは、初めてだった。
「オッサン、泳げないのか。」とS−1は暢気な事を言ってますます
ハーフテールを珍しい動物を見るような目つきで見ている。
「「能力者だ、S−1.」」とR−1とエースは同時に同じ言葉を言って、
新しい知識をS−1に教えた。
「ノウリョクシャ・・・って悪魔の実の?」とそれだけはS−1は知っていて、
エースではなく、R−1に向かってそう尋ねる。
「どういう商売してンのか知らねえが、碌なモンじゃねえだろ、」と
エースはそう言って、R−1に目で
「S−1の興味をオッサンから逸らせろ、」と合図した。
同情したら、何を言い出すか判らない。
「S−1、ピーも腹が減っただろうから、家に帰ろう」とR−1は
そう言って、S−1の肩を手で優しく叩いて、立たせた。
「オッサン、平気か?」と聞きながらも、S−1はまだ、心配そうに
ハーフテールに声を掛ける。
水に濡れただけなのに、何故、こんなに胸が痛むのか、と思うほど、
ハーフテールは呼吸するほどに胸に激痛が走って、S−1の言葉に返事をする事が
出来ずに、身を丸めて痛みに耐えた。
結局、ハーフテールはそこから病院に運ばれる事になった。
「とんだ騒ぎだったなあ。」とエースは、病院までハーフテールを担ぎこんでから、
ようやく、落ち付いて、家路に着く途中に大仰に溜息をついた。
ピーは、1日あちこちに連れ回されて疲れたのか、S−1の掌の中で
羽根に顔を突っ込んで眠っている。
「エースと夕飯を食べるのは今夜で最後だな。」とS−1が少しだけ、
しんみりした口調でそう呟いた。
「じゃあ、デートしようぜ。」とエースはS−1の腕に、自分の腕を絡める。
「いいだろ、R−1.2時間、いや、1時間でいいから。」と
R−1の前に手を合わせる。
「え。」と唐突なエースの行動と豹変した態度にR−1の感覚が追い付けずに、
唖然とした表情を浮かべただけで咄嗟に言葉を返せない。
「S−1、ピーを預けろよ、ちょっとだけ、デートしてくれ、」
「一生のお願いだ、頼む!」
些か、芝居じみているが、エースの形振り構わない言動に思わず、S−1は
「うん。」と頷いてしまった。
「S−1、」とR−1が窘めようとしたが、もう「うん」と頷いてしまった後だ。
「いいだろ、1時間くらい。なにもしねえよ。」とエースはR−1にもう一度、
とても真面目だとは言えないようなふざけた態度だが、
それでも強引にR−1に迫った。
「1時間だけだからな。」とR−1も往来でこれ以上、男相手にデート、
デート、と騒がれると人目につくので、渋々承諾する。
なんの変哲もないその場所で、待ち合わせをする、という事にした。
エースはS−1を連れて、青い空が少しだけオレンジ色のフィルターが
掛り始めた色に染まる街を歩く。
「我侭言ってすまねえな。」と一応、エースは謝った。
「どこに行くんだよ。」とS−1はエースの言葉に答えずに、不思議そうに尋ねた。
「デートなんて、言葉使うのおかしいんじゃないか。」
「なんでだよ。」S−1の言葉をエースは可笑しそうに笑って答える。
(やっぱり声は同じだ)口調が違うだけで、声はサンジと同じ音、
懐かしくて、今でも、まだ、サンジを想う気持ちが消せない自分の心が
はっきりと見えた。それでも、S−1の声はエースの耳に心地よい。
「デートっつったら、公園だ。」
「そうなのか。」
エースの言葉に素直に頷き、S−1はエースの行こうとしている所へ付いて行く。
「R−1とは手を繋ぐだろ。」とS−1をからかうと、
「それは、R−1が迷子になるからだ。」とS−1は憮然と答える。
そんなやりとりの、中身ではなく、
エースはただ、S−1の機嫌を損ねるような事ばかりを言って、ぶっきらぼうな口調をわざと引き出して「サンジの声」を十分に堪能した。
「もう、今夜で俺は発つつもりだから、お別れだ。」
「俺みたいな物騒な海賊とは、二度と会わない様に気を付けろよ。」
公園のベンチに座ってエースはそう言った。
無意識にS−1の手をギュっと握って。
包丁を握った跡もない、包丁で傷つけた跡も火傷の跡もなく、サンジよりも
ずっと柔らかで繊細な手だった。
「そんなに真面目に言われたらなんて答えていいか、ワカラナいだろ。」と
S−1はエースの顔を見ないで、困った様な口調でそう言った。
「わかった、って言やあいいんだよ。」とエースはあっけらかんと答えて、
ケラケラと明るく笑った。
「R−1にあんまり心配させるな。」「余計なお世話だ。」
二人きりの島を出てから、初めて、出会った人との別れをS−1は経験している。
初めて、「寂しい」と言う感情を知って、その消化の仕方に戸惑っている。
それがエースにははっきりと判った。
「別れの挨拶っての、教えてやる。」
エースはちょっとだけ、悪戯を思い付く。
「R−1には内緒だからな。」とS−1の耳もとで静かに吐息と一緒に囁いた。
「そんなの、」R−1に隠し事なんて出来ない、と言い返そうと向き直った
S−1の、サンジと同じ形のその唇に唇で撫でた。
それからもう一度だけ、軽く、羽根が触れるほど、軽く触れた。
「ここから、一人でR−1のところに帰れるな。」と言ってエースは立ち上がる。
「これ以上、一緒にいたら、お前、に惚れそうな気がしてきたから。」
「ここで さよなら、だ。」
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