巣から落ちたヒナは、その男の運命を変えた。

そのヒナさえ、巣から落ちていなければ、その男は、
ハーフテールは、どんな死に方をしても、最後まで、ふてぶてしく、
欲望のままに生き抜いた人生に、満足して死ねただろう。

けれど、運命はそれを許さなかった。
ハーフテールが犯してきた罪を、地獄でも、煉獄でもなく、
生きている間に償わせる為に、そのヒナは、

S−1の掌で温められた。

「おっさん。」と一階下のバルコニーに身軽に飛び降りて、
落ちたヒナを大事そうに掌に包んで、S−1は斜め上のバルコニーにいる
ハーフテールを見上げて呼び掛けた。

「巣に返しても無駄だよ。」とハーフテールは親切を装った、
親しげな口調で答えた。

「なんでだ。」と首を傾げる美しい獲物はなんの警戒もせずに自分を見ている。

ハーフテールは S−1のその無垢さになんの違和感も関心も感じないで、
ただ、S−1を自分に「有価」をもたらすだけの存在として値踏みし、
心の中でほくそ笑む。

「君の匂いが移ってしまったからだ。」
「それに、きっと、他のヒナに押し出された、弱いヒナだから、」
「親も見捨てるだろう。」

そう言うと、S−1はハーフテールから目線を、
親鳥を口を閉じて待っているヒナがずらりと黄色いくちばしを並べている
巣に移した。

(5・・・6羽もいるのか。)と数えたところで、親鳥が餌を咥えて戻ってくる。
途端、けたたましく、巣の中のヒナも、S−1の掌のヒナも
餌を貰おうと大きく口を開き、羽毛を膨らませて、ピーピーと騒いだ。

ヒナが一羽足りない事など、親鳥にはどうでもいいらしく、
一度に一匹の虫しか取れない親鳥はすぐに、巣から飛び去った。

その瞬間には、もうヒナ達は沈黙している。

S−1はシャツの裾をたくしあげ、ポケットのようにして括り、
その中にヒナをそっと入れた。
そして、降りてきた手順と逆に、ふわりと自分の部屋のバルコニーへと
絶妙のバランスで、軽やかに飛び上がる。

その動きで、栗色の髪が陽の光を受けて輝いた、少し焦げたような栗色の髪に、
ハーフテールの目が釘づけになった。

「おっさん、」
「この鳥、おっさんが俺にくれた事にしてくれねえか。」

バルコニーの手すりに腰掛けて、S−1はシャツの裾から
ヒナを取り出す。一瞬、ハーフテールの目に、白く、滑らかな肌が
垣間見えた。

(上玉だな。)と思わず、自分が最初に値踏みした以上に価値がありそうだ、と
大金が転がりこんでくる予感に生唾を飲みこむ。
が、それを悟られないように平静を保つ。

それより、S−1の突飛な言葉の意味を尋ねなければ、会話の間が
妙なモノになる。
自分の邪な企みを気取られてはいけない。
あくまで、自然に振舞わねば、とハーフテールは 敢えて、
困惑したような演技をして見せる。
「え?どういうことだい?」
「それは君が拾ったんじゃないか。」

S−1はフワフワの羽毛を指先で撫でつけながら、
「俺、この部屋から出ちゃいけないって、言われてるんだ。」
「でも、下の部屋に行って、このヒナを拾っただろ?」
「約束を破った上に嘘を付くのはイヤだけど。」
「アールワンは、約束を破ったことがないし、」と言う言葉を
ハーフテールは遮った。

「あーるわんって誰だい?」と初めて、彼らの名前を尋ねる。

今まで、獲物や獲物の周りの人間の名前になど、一切興味を持たなかったのに、
ハーフテールは、目の前の、不思議な雰囲気を持つ男の名前を知りたくて、
つい、自然にその男の身の周りにいる者の名前を尋ねていた。

「R−1は。」とS−1は唐突なハーフテールの質問に、少し面食らった。
そして、数秒、いや、ほんの一秒か、二秒程度だけれど、考えて、
「コイビトだ」と答える。

本当の所、「コイビト」の意味などまるきり判っていないのだが、
R−1がそう言うのだから、S−1にとって、R−1は「コイビト」で、
R−1にとって、S−1はやっぱり、「コイビト」なのだ。
何も間違っていない。だから、S−1は堂々と答える。

迷ったのは、「おっさん」が「コイビト」と言う言葉を知っているのか、どうかが
判らなかったからだ。

「緑の髪の青年かい?それとも、黒髪の方?」とハーフテールは
にこやかで、親切そうな、柔和な笑みを浮かべたままで、
S−1に重ねて尋ねる。

「緑の髪の方だ。」とS−1が答えると、ハーフテールは一番、
聞きたかった事、
本来なら、興味も覚えなかった事、
今までは、獲物を罠に嵌める為の話術の技巧としてしか尋ねなかった事、

それをS−1に尋ねた。
何故だか、それを聞く為の声を出すのに喉に力を篭めなければならなかった。

声を出すだけなのに、胸の中の鼓動が僅かに強くなったような気がした。

「おっさん、名前は?」と瞬間的なハーフテールの戸惑いを和ませるように、
ハーフテールは逆に名前を聞かれて、妙な緊張感、
懐かしくて、ホロ苦い、若い時に経験した恥じらいのような青臭い緊張感を感じて、
顔の表面温度が上がった。
だが、それでも年相応な恰幅の良い体を手すりに肘を乗せて凭れながら、
ずっと笑みを絶やさずに、

「私は、ハーフテールだ。君は?」とやっと、尋ねる事が出来た。

「俺は、」と言い掛けた時、下の階の巣が騒がしくなる。
「親鳥が帰ってきた。」とそっちの方へ顔を向けてしまった。

掌に乗せたヒナはやっぱり、口を開いてけたたましい音を立てる。
親鳥が飛び去り、巣が静まり返っても、S−1の掌の中のヒナは黙らない。

その声は、壊れた警報音のようにかなり耳障りだ。
「これ、どうすれば黙るんだ」とS−1は困惑し、仕方なく、
ハーフテールに鳴き声を止める方法を尋ねる。

「腹が減ってるんだろうね。」

その一言で、ハーフテールは、
その宿屋の庭を小さな棒で突付き回る羽目になってしまった。

「その鳥は、」
ミミズだの、イモムシだのたくさん食べないと死ぬんだよ。

俺、そんなの触れないよ。どうしよう。


そんな会話を交わした末だったようだ。

(なんで俺はこんな事をやってるんだろう?)と4匹目のミミズを捕まえてから、
ハーフテールはやっと気がつく。


そして、その頃。

血まみれのR−1は、惨状の現場になった酒場に浴室を借りて、
体を綺麗に洗い流した。

(やっぱりな。)とエースはその行動を咎めもせずに、達観している。

返り血で汚れた服を捨てて、比較的傷の少ない死体から無理矢理剥ぎとって着替える
周到さだ。

「ご苦労なこった。」とだけ皮肉る。
「血を見ると失神するとか、そこまでひ弱じゃねえだろうに。」とエースは
せせら笑ったが、R−1は 

「まだ、俺以外の人間を数えるほどしか見てないんだ。」
「いつまでも隠し続けるつもりはねえ。」
「今は、まだ、あまり物騒なモノを見せたくないだけだ。」と憮然と答えた。

「なら、いいが。」とエースは答える。

そして、さっき聞いた、クローンとオリジナルの関係について、
もう一度確認した。

「オリジナルが死んで72時間後にお前らは死ぬンだよな。」
「って事は、サンジが生きてるって事になるんだよな。」

「そうだ。」とエースの、冷静を装いながらも熱の篭った眼差しを見て、
R−1は不安げに眉を潜めながらも、事実を答える。

身代わりにする、と言ったエースの言葉が頭にこびり付いている。
あれは、自分がもしも、海賊狩りに失敗したら、と言う仮定だったが、
そんな仮定が何もなくなり、ただ、サンジへの想いの成就が叶わない、
その代用品として、
エースがS−1を自分から奪っていく気になるとも限らない。

「じゃあ、S−1の側にいたら、サンジの生死だけは絶対に判るって訳だ。」と
エースは戦闘意欲満載の目をR−1に向け、
「二次試験だ。」そう言って、エースは不敵に口を歪めて微笑んだ。

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