目つきの悪い、初老の男がいる。
自分の名前も、どこから来たのかも、何故、ここにいるのかも、
何故、生きているのかもわからない。
判っているのは、自分が能力者だ、という事だけ。
ふと、我に返るといつのまにか、島から島へとさ迷いながら生きていた。
記憶はないが、卑劣で卑怯で、強欲な性格は変わっていない。
人に好意を持たれてつつましく暮らす事など、考えもしなかった。
その能力を生かして、人攫いをし、
女子供は売春用に、若い男は奴隷に、と海賊や、奴隷商人相手を相手に、
人身売買を生業としていた。
そして、「獲物」を見つけた。
「獲物」は、黒い髪の目つきの悪い男が部屋を出ていった後、
ひとりきりで残されている筈。
この島に彼らが上陸してから、ずっと目をつけていた。
(病気持ちか)と一旦は手を引こう、と思ったけれど、
様子を伺っていると回復に向かっている風に見えたので、また、隙を狙っている。
こげ茶というにはわずかに明るめの見事な金髪。
遠めでも、はっきりと判る青い水晶のような瞳に、白くなめらかな肌。
(300万ベリーくらいにはなる。)と値踏みした。
しかし、怪我を負っているようだし、かなり熱もあるようだ。
(強い電気は使えない。)加減を間違うと「獲物」の命を奪ってしまう、と
自分の能力と「獲物」の体力を天秤にかけて、その男は、
S−1の隣の部屋で、その動向を探りながら、策を練っていた。
「ッ。」声にならない程の小さな悲鳴をS−1はあげ、顔を顰めた。
S−1はエースが自分の体に丁寧に巻きつけた包帯を全部解く。
柔らかな保護の布を指でつまんで、自分の人差し指と親指を突っ込み、
自分で自分の傷を抉る。
メリメリと肉の裂ける音がし、S−1の額に玉のような汗が浮かんだ。
「ん。」唇を噛み締めて、自分の体に撃ち込まれた弾丸を指でつまみ出す。
弾が出た穴から指を引きぬくとそこからどす黒い血がどろりと流れ出た。
詰めていた息を整え、痛みに耐えて、S−1はゆっくりと床に足を
下した。壁がぐるぐると回り、床が傾いているような錯覚に
体がついていけなくて、床に倒れこむ。
その衝撃で「うあ。」と堪え切れずに声が上がるほど、肩に穿った穴に
痛みが走った。
(うう、痛エ)と呪詛のように何度も頭の中で同じ言葉が繰り返されるけれど、
そんな事で全く痛みが薄れる筈もなく、立ちあがる力も気力も出せずに、
それでもS−1はズリズリと床を這って、洗面所のタオルを取りに行く。
クローンの体は、オリジナルよりもずっと怪我に強く出来ている。
もともと、戦闘用の兵士として開発されたものだから、銃弾で撃たれた傷にしても、
刀で斬られた傷にしても、例え内臓を傷つけられても、
通常の人間の数倍の早さで自然治癒する力がある。
S−1はそれを知っていたから、自分の指で弾を穿り出した。
(これくらいのキズなら、2時間くらいで塞がる筈)だと思った。
だから、痛みに耐えた。こんなかすり傷でR−1の手を煩わせたくなかったし、
「無茶をして」と叱られたくなかったからだ。
けれど、ケスチアで死にかけて、平常時より格段に体力を落ちている状態では、
普通の人間と全く変わらない状態になっていた。
どうにか、タオルに辿りついた時には、
床に はっきりと血の跡を残してしまっていた。
ギュ、とタオルを握り締めて、キズに押し当てる。
(こんなの、すぐに塞がる。)そう思った時、頭にも巻いてあった包帯がずれて、
パラリと落ちてきた。
(俺、頭を打ったんだっけ。)と頭の後ろもズキズキと痛む事を急に思い出す。
だんだんと、一人でいるのが怖くなって来た。
また、あの植物に絡め獲られた時のように、このままR−1に会えないまま、
死ぬのかもしれない、と言う心細さがS−1の体を震わせる。
(そんなの絶対嫌だ。)と自分を励まして、S−1はじっと
傷の痛みが引くのと、R-1が帰って来るのを待っていた。
となりの部屋の男は、30分ほどずっとS−1の立てる物音に耳をそばだてていた。
(弱っているうちに浚ってしまうか。)と悪巧みの策が固まってくる。
どう見ても堅気には見えない黒髪の男が戻ってきたら厄介だ。
病気で、怪我人、という事を差し引けば、
(それでも、100万ベリーくらいには。)と胸算用をする。
自分が着ていた服に名前が刺繍してあったから、本名だかどうだか判らないけれど、
その刺繍の名前を自称し、
「ハーフテール」と名乗っている、その男は居住いを正して、
「獲物」を捕える為にとなりの部屋のドアをノックした。
けれど、応えがない。
「もしもし、隣の部屋の者ですが。」
「大丈夫ですか。」と本当に心から心配するような声音を装って
ノックし続ける。
油断させて、近づき、捕獲出来たらすぐに売りさばく。
宿の外には既に、その道の売人を潜ませてあるのだ。
(うるせえ)とS−1はそのノックの音を煩わしく思っていた。
「いいか、俺がR−1を連れて帰ってくるまで、」
「ここから何があっても動くなよ。」
と、エースに言われている。それに、さっき賞金稼ぎに襲われたばかりで、
S−1は本能的にその親切ぶった男の声に「自分に危害を与える者」の
匂いを感じたので、ドアを開く気にはならなかった。
(っち。)
ハーフテールがその頑ななドアを破ろう、と能力を発動させるべく、
体に力を入れようとしたまさにその時、
廊下をこちらに向かって歩いてくる足音が聞こえてきた。
「この島のログが貯まったら俺はすぐにここを出る。」
「が、それまでにこの島にいる賞金稼ぎの息の根を止めて来てやる。」
黒髪の男の声だ、とすぐに判った。
ハーフテールは慌ててまた、となりの自分の部屋に身を潜める。
姑息で、狡賢い男は、相手の力量を確実に、正確に推し量る臆病な能力にも
長けていた。
(あの男はなんの策もなしに挑むのは)無謀この上ない事だ、と
判断したのだ。
ドアに気配を殺したまま、ぴったりと耳を当てて、二人の男の会話を盗み聞きする。
「てめえとお前が、あいつら二人と同じ顔をしてる限り、」
「どこへ行っても狙われるんだぜ。」
(黒髪の男の声だ。)
「そんな事してくれなくても、あいつは俺が守る。」と別の男の声もする。
「この島にいる間は、俺は俺の好きにさせてもらう。」
「誰にも口出しなんかさせねえ。」
それを聞いて、ドアの内側のハーフテールはほくそ笑んだ。
(と、言う事は)
「獲物」から黒髪の男が離れる、という事だ。
もう一人の男の力量は、声だけでは推測できないけれど、それはこれから
探ればいい。
「獲物」が弱っているうちに拉致した方が容易いけれど、
出来るなら、(高く売れるならその方がいい。)と思った。
病みやつれている姿も捨てがたいと思うが、
怪我も病気も治って、一番、きれいな状態になった時に売りさばいたほうが
ずっと金になる。
自分の目論みが気づかれないように、そっと近づいて油断を誘い、
かき消えたように浚ってやろう、とハーフテールは低く、下卑た薄ら笑いを
浮かべながら、黒髪の男が廊下を歩いて去って行く音を確認してから、
また、壁に耳を押し当てて、「獲物」のいる部屋の様子を聴覚だけで探りを入れる。
「R−1。」
部屋に入るなり、S−1の自分を呼ぶ声がして、R−1はすぐに
「S−1.」と答えて姿を探した。
ベッドに寝ているとばかり思ったのに、そこにはいない。
床には血が塗りつけられたような跡が残っているのに気がついて、
R−1は全身の血が凍るような寒気を覚えた。
「R−1、」
S−1はR−1の姿を見た途端、張詰めていた気が一気に緩み、
極限に近い緊張が唐突に途切れた事で、R−1に腕を伸ばす途中だったのに、
目の前が真っ白になった。
R−1の匂いと温もりを確信出来た途端、猛烈に眠くなり、
そのまま、落とし穴に嵌ったような眠りに落ちて行った。
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