「もうすぐ、帰って来る筈だから、ここで待っててもいいだろ。」

そうS−1が言った途端、「いたぞ、あそこだ!」と言う男の怒鳴り声が
聞こえた。

(そうか、まだ、)自分達は賞金稼ぎ共を振り切った訳ではなかった、と
エースは気がついた。

さっきのS−1の俊敏な動きに確かにサンジの面影を見て、
冷静な判断が鈍っていたのか、と自分で呆れながら、エースは
S−1の腕を乱暴に掴んで立ち上がらせた。

「ここでへばってんなら、あいつら全員、焼き殺す。」
「あいつらは、俺達をとっ捕まえるか、殺す気なんだからな。」

エースの剣幕にS−1が顔を上げる。
(マズイな。)と熱で火照った顔と、生気が失われつつある紫色の瞳を見て、
エースは焦りを感じた。

(とっとと医者に連れていかないと、)

サンジなら、どれだけ高熱を出してもこんな目はしないだろう、
どんな時でも、決して人に弱さを見せることはなかった。

それが強がりであろうと、虚勢であろうと、崇高なまでに気位が高く、
それは絶対に失われたりしない。

S−1の意識が朦朧とし始めた目を見た時に、エースははっきりと
サンジとS−1がまるきり違う存在だと認識した。

比べても仕方がない。
比べるだけ無意味な事だ。全く違う他人をサンジと比べて見ていた愚劣に
エースは自嘲した。

思いのままに行動すればいい。
惚れた相手に嫌われたくない、と気遣う必要は全くないのだから。
今は、S−1の「勝てる相手をわざわざ殺す必要はない」と言う
稚拙な同情心と、S−1自身を守ってやりたくなった。

サンジの複製品だから、ではなく、ただ、サンジに面影が似ている他人に
興味を持った、ただ、それだけを理由にした。

「S−1、俺がR−1が戻ってくるまで守ってやるから、」
「そこを動くな。」

そう言い置いて、エースは立ちあがる。

S−1は 「殺しちゃ、ダメだ。」と荒くなりはじめた呼吸を必死で
押えながら、エースを見上げた。

その時のエースの、わずかに細められた黒い目がとても今から、
人を殺そうとするような猛々しいものではなかったので安心する。

(お子様の前で人間の丸焼きを作る訳にゃ、いかねえからな。)と
賞金稼ぎ達が自分と対峙した時に、いかに戦うか、の策を瞬時に練った。

相手は、きっと例の巨大な水鉄砲を撃ってくる。
その後は、普通の武器を使う。

水鉄砲の水など、勢いが強ければ強いほど、
(そう大量に水を撃てるもんじゃねえ、)とエースは知っている。

逃げもせず、自分達の前に堂々と仁王立ちになっていたエースに
賞金稼ぎ達は少なからず面食らったようだ。
一瞬、足並みが崩れるが、すぐに見慣れた 携帯用の放水銃を構える。

自分にそれは向けられる、とばかり思っていた。
だが、彼らの一人は、それを一人は上空へ向けたのだ。

あるいは、となりの建物の壁へ、と誰一人、エースの方へ
銃口を向けずに、あらぬ方向へと照準を定め、

「撃て!」とリーダーらしき男の号令と共に一斉にその銃口から
なだれ落ちる瀑水のような凄まじい水音が上がった。

(しまった)とエースが彼らの狙いを悟った時にはもう遅い。
頭から、側面から、また、地面から、真正面から、体が吹っ飛びそうなほどの
圧力の水がエースに遅いかかる。

予測できない方向からの水にエースは対処しきれずに全身ズブヌレになった。

(ご丁寧に、海水だ。)と明らかに相手を見くびっていた自分に腹が立って、
舌打ちをする。

水音で聞き取れなかったが、エースは硝煙の匂いがほのかに漂っている事に
すぐに気がついた。

ハッと背中に庇っていたS−1の呻き声に振りかえる。

水に吹っ飛ばされ、後頭部を打ちつけたのか、血沁みが濡れた石畳をじわじわと
広がって行く。

紺色の着衣にも肩口のあたりからどす黒く変色して行く様子を見て、
エースは頭に「カッ」と血が上った。

他人だ、とさっき 白と黒ほどの明確さで認識したと言うのに、
全身が濡れて、血を流し、眼を閉じたS−1の姿が
エースの頭の中で、

あの嵐の日、自分を庇って被弾し、海に消えたサンジの姿が重なった。

猛獣が咆哮するような凄まじい声がエースの喉からあがる。

体を濡らした水など、一瞬で蒸発した。
炎の拳はそのまま、巨大な竜となって男達を一瞬で飲み尽くす。

その炎がS−1の頬に熱と光りを落としても、S−1の瞳は閉じられたままだった。


「本当に殺してないか?」
「殺してねエよ。」

エースは、それからすぐにS−1を近くの宿に抱いて運んで、介抱した。

(やっぱり、)と気を失ったS−1の着衣を剥いで、
部屋に備えつけてあった 渇いたバスローブに着替えさせても、

(なんとも思わねえもんだな。)とエースは とても複雑な自分の心理を
自分自身で理解できずにまた、苦笑いの自嘲が零れる。

目を醒ましたS−1は、エースの顔を見るなり、そう尋ねた。

エースにとって、仲間以外に嘘をつくくらいなんの造作もない事で、
また、罪悪感を感じた事など、海賊になってからは感じた事もない。

けれど、S−1の前でエースは平然としたままの気持ちで
嘘をつけなかった。

絶対に有り得ないのに、自分の嘘をs−1が見抜いてしまうような
落ち着かない気持ちと、純粋なS−1を騙す事に罪悪感さえ感じて、
側にいて、顔を見られるのも、見ているのも居た堪れないのだ。

「ホントに、ホントだな。」とクドイほど聞くのに辟易し、
「俺の言う事を信じられないのなら、R−1を探して来てやらねえぞ。」

と、言ってやっと黙らせた。

「いいか、俺がR−1を連れて帰ってくるまで、」
「ここから何があっても動くなよ。」と部屋から出掛けにもう一度、
念をおして、エースはS−1を一人きりにするのを少し心配しながらも、
追いたてられるようにそこを出た。

一方、R−1は 病院からの帰り道、かなり迷っていた。

(この街灯の前に、犬がいたんだ、クソ目印にしてたのに)と思っても、
同じデザインの街灯、しかもその下にいつまでも犬が座っていると思うほうも
どうかしている、という事は遺伝子的にR−1には考えられない。

やっと、帰って来た時はもう日が暮れ掛けていて、オレンジ色の光りが辺りに満ちて、
路地裏の建物の濃い影が石畳に落ちていた。

「やっと、帰ってきたのか。」と部屋に入るとエースが憮然と突っ立っている。

「詳しい話しは道すがらだ。」と有無を言わさずに言ってから、すぐに
部屋を出る。

「なんだ、何があった。」とR−1は動揺してさっさと歩き出した
エースの背中を追う。

エースは、掻い摘んで今日あった事を話した。

「俺は、今日、別のところで寝る。」
「これ以上、ガキのお守りはゴメンだ。」とつっけんどんに言って、
面食らっているR−1の手に無理矢理、持っていた金を全部押しつけた。

「この島のログが貯まったら俺はすぐにここを出る。」
「が、それまでにこの島にいる賞金稼ぎの息の根を止めて来てやる。」

S−1のいる宿に着いてから、そのドアの前でエースは口早にそう言った。

「なんの為にそんな事をする必要があるんだ。」とさすがにR−1も
眉を潜めた。

「てめえとお前が、あいつら二人と同じ顔をしてる限り、」
「どこへ行っても狙われるんだぜ。」

あいつら、と言うのはオリジナルのゾロとサンジの事だ、とすぐに
判った。

「そんな事してくれなくても、あいつは俺が守る。」とR−1はエースの申し出を
突っぱねた。

だが、エースは厳しい顔付きで首を振る。
「この島にいる間は、俺は俺の好きにさせてもらう。」
「誰にも口出しなんかさせねえ。」

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