夜中にゾロがふと 目を覚ますと ハンモックで眠っているはずのサンジがいない。
(・・・ションベンでも行ったのか。)と思ってしばらく待っていても、一向に帰ってこない。
ゾロは起き上がって 甲板に出た。
甲板を見回しても、その姿はない。
サンジの気配を探ると、格納庫にその存在を察知して、そこへと足を向けた。
「くっ・・・・。ふんっ・・・・っ。」
ドアの外に、サンジの声が漏れ聞こえてくる。
「おい、何やってんだ・・・?」と聞きながらドアを開いた。
「何ヤッテんだ、テメエ!!」ゾロの血が一気に頭に逆流した。
サンジは、いつもゾロが振りまわしている大きなダンベルを持ち上げようとしていたところだった。
「何考えてんだ!」
「うるせえ、近づくな!」ゾロは勿論だが、サンジの方も 物凄い形相で怒鳴る。
「俺は 産む気なんてねえんだ、こうやってりゃ 流れるんだろ!」
「バカ野郎、勝手な事するんじゃねえ!」
腕力では、ゾロに勝てるはずもない。
巨大なダンベルだが、ゾロにやすやすと取り上げられてしまった。
ゾロは、サンジの胸倉を掴んだ。
「腹の中で生きてるんだぞ。それを殺すのか、てめえは!」
「・・・じゃあ、変わりにテメエが孕めば良かったんだよ!」
ゾロの勢いに一瞬押されたものの、サンジは即座にいい返した。
その言葉は まるで 機関銃のようだ。
「俺ア、どうせ変なんだ、頭がおかしいんだよ。」
「気違いが何しようと放って置けよ。」
「俺は、こんな気味の悪イ 腹の中のガキなんか、死んじまえばいいって思ってるんだ。」
「お前なんかに、俺の気持がわかってたまるか。」
「俺のガキをおれがどうしようと 俺の勝手だろ。」
一気に捲くし立てた後、サンジは息を切らせる。
なんか 文句あるなら言ってみろ、といわんばかりの態度と目つきでゾロに向き合った。
その視線をゾロは しっかり受けてたつ。
その時点で、既にゾロは冷静を取り戻していた。
「お前、大事なこと忘れてねえか。」
「ああ??」冷静なゾロと頭に血がのぼっているサンジとでは、
纏っている温度に差があって、サンジの体からは まるで 陽炎が立ち上がっているかのような 憤怒の佇まいのまま、ゾロの言葉を聞き返す。
逆に、ゾロの方は静かな水面の上の空気をそのまま
体に纏っているかのような 穏やかな表情を浮かべている。
そして、言葉も静かに 穏やかに紡がれる。
「その腹の中のガキは、俺の血も継いでるんだぞ。」
「お前が勝手にしていいって言う理屈は通用しねえ。」
「俺のガキを孕んでる以上、お前の体も俺のもんだ.」
その二つの空気は ぶつかり合い、なかなか融合しようとはしなかった。
「ふざけんな!!」
「ふざけてなんかいねえ。」
ゾロがどんなに穏やかに話そうとしても、サンジの態度も変わらない。
「野郎同士で生まれたガキがまともなわけねえだろ!!」
「生まれてこない方がこいつのためなんだよ!!」
この暴言には 穏やかに話そうと努力していたゾロでさえ、癇に障った。余りに身勝手が過ぎる。
「お前は、一体なんの権利があってそのガキが生まれてこないほうがいい、なんて
偉そうなことが言えるんだ。」
「権利だと?」サンジは、思い掛けないゾロの言葉の意味が判りかねた。
サンジの周りの空気が一瞬 大きく揺らぐ。
「お前にそんなこといえる権利なんかねえだろうが。」
諭すとか、説得する、という気はない。
ゾロは、サンジが無茶をやって 体に障るのを恐れてはいるけれど、
自分の筋を突きとおす事に関しては 誰よりも(自分も相当なものなのだが)
頑固で 意固地なサンジに 何を言っても無駄なのは 頭では判っている。
だが、それでも 言いたい事、言わなければならない事は 口に出すべきだと考えたのだ。
「う・・・・」サンジの腹の中で胎児がゾロの言葉に賛同するように手足を動かした。
「嫌だ、こんなの 気持悪いんだよ!!」
サンジが拳を振り上げ、思いきり自分の腹を殴る.
「馬鹿、やめろって言ってるだろ!!」ゾロがサンジの腕を掴んだ。
「怖エんだよ!!」サンジの周りの空気が変わった。
憤怒から、まるで ゾロの静かな空気がそれを中和して別のものに変えたように。
本音を漏らした。
ゾロに本音を漏らしてしまった。
だが、一体 他の誰にこんな事が言えるというのだろう。
怖いなどと、臆病な、弱い人間しか口にしない言葉をゾロに吐いた。情けない。
だが、一度 押し込めて圧縮しつづけていたその感情は一旦 蓋を外してしまった所為で
噴出して来る。
眉を寄せ、歯を食いしばり、涙を堪えている
その顔を見て、ゾロは咄嗟にサンジを抱きしめた。
腕の中で サンジはゾロの胸に顔を押し当て、叫んだ。
「こいつ、一体俺の何処から出てくると思う?」
「俺の体には出口がないんだぜ。」
「きっと、俺の腹を中から裂いて出て来るんだ。」
自分の意志と関係なく、動く肉塊。
その所為で これから 激変していくだろう、己の肉体。
そして、否応なく突きつけられる未知なる感情。
夢を叶えられず、終わらされる自分の運命への予感。
その全てがサンジは怖かった。
「こいつが出てきたら、俺は俺じゃなくなるような気がする。」
「お前とも、真っ直ぐ 向き合ってなんか いられねえ。」
「そんな風になるのは 嫌だ。」
ゾロは、サンジが初めて経験している「怖れ」という感情をぶつけられて、動揺した。
サンジがこんな目に会ったいるのは、誰の所為でもない。
「俺の所為だな。・・・・。」
ゾロは、思わず口に出してしまった。
サンジがゾロの腕を振り解いた。まるで、牙をむいた猛獣のような
猛々しい態度でゾロに炎のような視線を投げつけた。
「そんな事、言ってんじゃねえ!!」
同情して欲しくて、感情を吐露したわけじゃない。
ゾロの真剣な気持ちを 心の深い部分で感じてしまってまるで 引きずり出されるように 本音を晒してしまったのに、ゾロの自虐的な言葉を耳にした途端、サンジは再び
身が震えるほどの怒りを覚えた。
「判ってる。」
労わられたり、庇われたりするのを 何より嫌がるサンジに対して、
不用意な言葉だったと、すぐに気がついた。
「今だって、俺がこんなに怒ってんのに、腹の中で遊ぶみたいに動いてんだよ。」
サンジは、自分の腹を拳でまた 殴ろうとした。
そして、その手をまた ゾロが掴み、
もう片方の手をサンジが殴ろうとした部分に沿わせる。
ゾロの手を小さくノックするように それは動いた。
「・・・動いた。」
サンジがあれほど 気味が悪い、と言っていたのに。
ゾロには、その感情が沸かなかった。
自分の命の欠片がここにいる。
「・・・動いてるじゃねえか。」
ゾロに触れられて、まるで くすくすと嬉しそうに笑っているような、
そんな無邪気な感情をゾロは掌で感じた。
肉魂なんかではない。
命が確かにサンジの肉体に宿っているのだと自覚した。
「すげえ、こんなに動くのか。」
ゾロが手を移動させると、まるで 追いかけてくるような動きさえ見せた。
筋肉に包まれ、殆ど変化のないサンジの腹部を 内側から押し返してくるのだから、
かなり 小さいはずなのに、確かに命の力をゾロにも しっかりと伝えてきた。
生かしてやりたい。
生まれて来て欲しい。
そんな気持ちがゾロには自然に沸いた。
「・・・・なあ。生きて、動いてる。」ゾロは、サンジの顔を見た。
まだ、感情の昂ぶりを目じりに残した視線のままで。
「・・・だから、気持ち悪イんだ。」
「これを感じてても、やっぱり、こいつを殺してえか。」
サンジはゾロの「殺す」と言う言葉に 咄嗟に返答を返す事が出来なかった。
ほんの数秒考えて ・・・・やはり、黙って頷いた。
「そうか。」
今は、何を言っても無駄だ、とゾロは思った。
今夜は、とにかく 落ちつかせなければならないから 同意しただけで、
本当の気持ちは 別のところにある。
サンジの言うとおりにする気には もう ならない。
卑怯な手段かもしれないが、日々 誤魔化し続けていく内に、
きっと サンジの気持ちを変えさせてやる、と決意した。
その3日後。
ゴーイングメリー号は、アラバスタの港町・「ナノハナ」についた。
「う・・・・。」
港に着くなり、サンジは気分が酷く悪くなった。
今まで感じなかった、ナノハナの町に充満している 香水の匂いが鼻につく。
だが、そんな事を誰にも知られたくないので 我慢する。
自分の煙草の匂いのほうがはるかにましだと思って、 久しぶりに煙草に火を着けた。
「ゴムゴムのオオオオオ」
「禁煙。」
ブシュっと音がして、煙草の火がルフィの指先に押しつぶされた。
着岸準備が整い、縄梯子を降ろしていたサンジの煙草の火をかなり離れた所から
ルフィは腕をするすると伸ばしてきて、指で摘んで消してしまったのだ。
「何しやがる、クソゴム!!」と降り返った途端、胃から生ぬるいものがこみ上げてきた。
サンジは慌てて体を海の方へ乗り出し、咳込みながら嘔吐する。
胃の中のものと言っても、相変らず パンと水、味見の為に少し摘んだ
朝食のスクランブルエッグだけで、あとは胃液を搾り出した。
何時の間にか ルフィが駆け寄ってきていて、その背中を擦っている。
「よ・・・・余計な事、すんじゃねえ・・・・。」
サンジはその手を振り解く。
ルフィの心配そうな顔を見ると 自分に対して腹が立って仕方がなくなる。
「アルバーナに着いたら ゆっくり休めるからな。」
「うるせえ。ほっとけ。」
誰にも労わられたくない。
ルフィも、ナミも、ウソップも、事あるごとに 腫物を扱うような態度を
とる、それがいちいち 癇に障る。
ゾロはあの夜から 何も言ってこない。
口をきくことさえしていない。視線も合わさない。
ようやく、放っておいてくれる気になったのか、とサンジはホッとしていた。
「縄梯子で降りると危ないから、ボートを下ろそうか?」と言ったウソップの顔面に
サンジの蹴りが飛んだ。
「人をなんだと思ってんだ!縄梯子で降りるのなんか、めんどくせえから
飛び降りてやろうか。」
労われば労わるほど、気を使えば使うほど サンジは反発する。
「開腹手術をしなければならないから、船の上では出来ない。」
「アルバーナに着いたら、処置するから。」とチョッパーは ここまで誤魔化して来た。
だから、チョッパーも表向き 露骨に労わったりはしない。
ただ、サンジの体力を維持するために必要だ、と言って毎日 サンジの体の診察だけは欠かさない。
ゾロは自分の腹が決まった翌朝、チョッパーにその事を伝えた。
「そう、ゾロ。決めてくれたんだね。良かった。」とチョッパーは相好を崩して喜んだ。
「あいつの言うように、腹を内側から裂いて出てくるなんて事はねえよな。」と
一応、サンジの命に関わるかどうかだけは聞いておく。
「あるわけないだろ。」と一笑に伏される。
「あとはサンジの気持ちだね。」とチョッパーは溜息混じりに一番重要な事を再確認した。
「それが一番、厄介なんだが。」ゾロも同じような表情を浮かべたが、
しかし、その表情をすぐに消し、しっかりとチョッパーを見据えた。
「なんとか、する。あいつも、あいつの腹の中のも 俺の」
大事な物だから。
麦わらの一味は、アラバスタの守備隊によって 丁寧にアルバーナまで送られた。
「私は、バツが悪いから、船で待っているわ。」とロビンは船に残る。
「くれぐれも無茶しちゃダメよ、コックさん。」と出発間際のサンジにそう声を掛けたが、
サンジはただ、曖昧に笑みを返しただけで頷きはしなかった。
「ビビ!!」
「みんな!!」
到着を待ちきれなかったのか、アルバーナの外壁のところに
ビビがカルーを伴って 麦わらの一味の到着を首を長くして待っていた。
久しぶりの再会を口々に喜び合う。
「みんなの宿は、離宮よ。あの、池のプールがあるところ。」
「サンジ君が サンドラカワナマズに刺されたところね。」
ビビと会って一番 嬉しそうなのはナミだった。
いよいよ、アルバーナに着いてしまった。
もう、チョッパーは誤魔化せない。
ゾロは、言葉でサンジを納得させることがいかに 無謀なことかを充分に悟っている。
言葉でなく、ただ、自分の気持ち一つで サンジの凝り固まった気持ちをほぐすしか 方法はないのだ。
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