(一体、なんの気まぐれで・・・)
オールブルーの海の上には、金色の月の光が落ちている。
サンジは、窓辺に立ち、ため息が零れないように、無理に煙草の煙を吸い込んだ。

ふらりとゾロはやって来て、そしてふらりと去っていった。
何故、ここへ来て、何故、今日、去っていくのか、理由などサンジには分からない。

思いがけない再会は、溢れる喜びをサンジに与え、唐突な別れは、サンジの心を寂しさでうめ尽くす。

明日も、戦場にいるような忙しさが待っている。
どんなに体が疲れても、自分で選んだ場所に立っているその幸せと充実感を毎日感じていられるのは、幸せな事だ。

明日も、サンジは自信を持って、胸を張って「俺は幸せだ」と言える。
なのに、今夜はそれを呟いて、自分を励ます事すら出来ない。

自分自身に強がっても無駄なのだと、サンジはもう知り過ぎる程、知っている。

ゾロがこうやって、気まぐれにやって来て、気まぐれに去っていくのを見送るのは、
一体、何度目になるだろう。それを数える事も今のサンジには億劫だった。

胸の中に大事なものが詰っていて、それを根こそぎ抜き取られたような喪失感。
指先まで凍えるほど寒い、知らない町にたった一人、置き去りにされた様な心細さ。
寂しすぎる夢の中から抜け出せずに、ただ呆然と立ち尽くしているような気もする。

そんな感情の所為で、息をする事も忘れてしまいそうだ。

眠るためにベッドに入れば、まだゾロの残り香が残っている事に気付いてしまう。
そうすれば、体の中からゾロの温もりを欲しがる衝動が込み上げてきて、
きっとやるせなくなる。

酒を飲めば、押し殺そうとする感情を制御できなくなる。

自分と、ゾロだけが入れるこの部屋の中にいることさえ、物足りなくて居心地が悪い。
自分の居場所ではない、とても空虚で、寒々しくて、明かりを灯す気にもなれない。

出来る事は、ゾロが去っていった夜の海をただ、眺めているだけだ。

この虚ろな気持ちをどうやってやり過ごすか。
サンジはまだその方法を見つけられないでいる。
ただ、時間が過ぎて、少しづつ感情が薄らいでいくのをじっと待つだけだ。

(・・・時間の流れる早さが違うみてえだな)
窓越しに月を見上げて、サンジはふと、そう思い、思った自分に自嘲した。

ゾロの腕に包まれ、ゾロをこの腕で包んで眠る夜は、夢を見ている暇さえなかった。
ゾロが側にいると、こんな風に一人で時間を持て余す事がない。

時間さえ過ぎていけば、体も心もかじかむようなこの寂しさを忘れられる。
ゾロのいない日常に戻れる。
時が過ぎていくのを待つ事、月が昇り、そして水平線に沈んでいくのを待つ以外に何も出来ないのなら、その月の動きを目で追って、時間を計ろうとしていた。
サンジは、そんな自分を嘲笑ったのだ。

もう、一日。もう、一週間。もう、十日。
そうやって、甘えて引き止めたら、きっとゾロはまだ自分の隣にいただろう。

(・・・なんで、俺はそれが出来ねえんだ)
そう心の中で呟くと、吐く事の出来ない溜息が体の中に澱んで、
寂しさが一層、募っていく。

引き止めない事を後になって後悔するのなら、一度くらい、自分のありのままの気持ちに
従って、ゾロを引き止めれば良かった。いつも、サンジはそう思う。
そして、何故それが出来ないのかを、その度、まるで自分に言い聞かせる様に何度も思い出す。

(・・・これが、俺たちの選んだ道だ)
寂しくても、恋しくても、お互いの生きる道を歩き、夢を追い続けていく。
夢を捨てる事は、生きる目的をなくすのと同じ事だ。
ゾロも自分もそんな生き方が出来ない。だから、こんな不器用な方法しか選べなかった。
後悔しても、他になす術など見つけようがない。

幾夜過ぎれば、ゾロの温もりを記憶の中に沈めてしまう事が出来るだろう。
何度朝陽を見れば、ゾロの姿を部屋の中に探さずにいられるだろう。

それでも、穏やかに、緩やかに時間は過ぎていく。

相変わらず、ベッドで眠る気になれず、毎晩、ソファで眠っている所為か、
昼の営業が終わり、ホテルを出る客船を見送った後、夜の営業へ向けて仕込みをする
時間になると、流石にサンジも休息を取りたくなる。

「・・・30分ほど、その辺ぶらついてくる」とジュニアに言い置いて、サンジは
一人、自宅に帰った。
だが、本気で横になる気はない。
足の向くまま、ぶらぶらと自宅が建っている島の中を歩き回るだけだ。

木漏れ日を浴び、新芽の匂いを嗅ぎ、誰もいない入り江に行って、暫くぼんやり
していれば、病気でもない限り、体に溜まった疲れは綺麗に洗い流される。

そう思って、サンジは自宅の庭を突っ切って、森の中へ入った。

(・・・ん?)

ゆるやかな坂道を登り、そして登り切って下れば、入り江に着く。
その道のりの中ほどまで歩いてきた時、サンジは森の木が妙にざわめいている音を聞いて
足を止めた。

バサバサ・・・と足掻くような羽根の音も聞こえる。(・・・なんだ、なんかいるぞ)
サンジは、小道を外れて、木々を掻き分けてその物音の方へ近づいた。

キキキ・・・・っと、サンジを見て、その鳥は警戒する様な、甲高い声で鳴いた。
「・・・鷹か」
鋭い目、尖ったくちばし、鋭い爪、ニワトリぐらいの大きさの鷹が、木のツタに絡まったらしく、逆さずりにされた様な格好で、必死にもがいていた。

その鳥を、サンジは見た事があった。
このオールブルーに生息している動物の事についてなら、大抵の事は知っている。
猛禽類だけれども、渡り鳥で、だが世界でも数百羽しかいないと言われているとても珍しい鳥だ。
季節がでたらめの秩序で巡るこのオールブルーなのに、その鷹は間違いなく「初夏」の季節にやって来て、巣を作り、雛を育て、そしてオスはオスだけで、メスはメスだけで
それぞれ別の場所へと帰っていく。

「・・・なんだ、ツバサがオカシイな」
ツタを取ってやると、すぐに飛び立つと思ったのに、その鷹は無様に片方のツバサを
だらりと引き摺り、ヨタヨタと地面を歩いていく。

サンジはそっと両手でそのタカを持ち上げ、家に連れて帰った。
鳥の医者はいないし、チョッパーの様に鳥の言葉が分かる医者もいない。
仕方なく、海軍の軍医に診せた。

「ああ、可哀想に。このメス、足と、ツバサの付け根が折れてますねえ」
「暫く、面倒見てやらないと・・・」

そう言われて、(・・・面倒なモン、拾っちまったな)とサンジは正直そう思った。
雑用をしている若者に押し付けてしまえばいいのに、一人でいる夜の寂しさを少しは
紛らわせたくて、サンジはその鷹の面倒を見る事に、部屋に連れて帰る。

鷹は、朝になると箱から出て、サンジが月を見上げていた窓辺にいて、
まるで誰かを待つように、じっと外を見ている。
その話を朝食の時に、サンジは何気なくジュニアに話した。
すると。
「鷹ってね、どっちかが死ぬまで添い遂げるんだよ」
「きっと、去年つがった伴侶が来るのを待ってるんだよ」
そうジュニアは教えてくれた。

「マダムのご主人は、迷子にならずにちゃんと来ますかね」
逃げもせず、じっと自分の体の回復を待っているメスの鷹にサンジはそう話しかける。
鷹は、強い光を宿した目でサンジを見上げるだけだ。
(まさに、鷹の目、だな)
自分の信じている事を決して疑わない。
強い信念と魂がその眼差しには篭っていて、サンジは一瞬、その光に気圧されそうになる。

その鷹は、怪我が治り、飛べるようになっても、サンジの家の屋根に止って、
水平線を見据え、じっと伴侶が飛来してくるのを待っていた。

「まだ、来てないね。10日も待ちぼうけだよ」
「俺だったら、待たないで別の相手見つけるけどな」
ジュニアは、そう言うが、サンジには、伴侶を待ち続けるその鷹の気持ちが分かるような
気がする。
「別のヤツじゃダメなんだ。だから、待つしかねえんだろ」

そして、それからさらに3日が過ぎた。
オールブルーに、ボロボロに傷ついた、一羽の鷹が飛来する。

自分を待つ伴侶と再会する為に、長い長い旅をして来たオスの鷹。
彼は、飛ぶ力も尽き、海辺をヨロヨロと歩いていたのをサンジが見つけた。
時折、気が急くのか、無理に飛ぼうとするけれど、その羽根は色も褪せ、傷つきすぎて、
風を捉える事が出来ない。
(こいつ、死ぬかも・・・)と言うほど弱っているようにも見えた。


戻る    (続く)