「脳に生えたカビがついに頭にまで生えたんだろ、だからそんな色してんだ!」
「てめえこそ、脳味噌の腐った匂いで眉毛がひきつけ起こしたんじゃねえのか?!」
いつもの喧嘩で、発端は実に下らない事だった。
だが、悪いのは(俺じゃねえ、こいつが無神経だからだ)とお互いが思っていて、
常に相手をねじ伏せたいが為に、人目も憚らない大喧嘩に発展する。
せっかく、穏やかな夜だったというのに。
上手く、船を降り、タイミング良く、落ち合う事も出来、
小奇麗な宿の噂を聞いて、そこへ向かう最中だったのに。
「勝手にしろ!」とサンジがわめけば、ゾロも
「てめえに言われなくても勝手にする!」と言い放って、お互い、プイと顔を背け、
まるきり別方向へ向かって歩き出した。
(全く、あいつは一体なんなんだ)
自分だってかなり罵詈雑言をサンジにさんざん浴びせた癖に、それを棚に上げて
ゾロは足音も鼻息も荒く、ずんずん歩く。
夜も更けたというのに、さほど広くもない石畳の道の両側には、
明るい照明をぶらさげた食べ物の屋台や、開放的な雰囲気の飲み屋が店を
連ねていて、人の往来は多い。
ムシャクシャする時は酒を飲むに限る。
だが、満足するまで飲むには、少々、懐が寂しかった。
(・・・落ちてねえか)
ゾロは人ごみの中に、落ちている金を探すのとさして変わりない気持ちで、
賞金首か、海賊、あるいはなんとなく人相の悪い男を探す。
そいつらから金を搾り取れば、酒代くらいにはなる筈だった。
ゾロが狙う様な輩が、明るい往来にいる可能性は低い。
少し奥まった路地へと入れそうな脇道を見つけて、そこへと足を踏み入れた。
思ったとおり、表通りよりどことなく陰気な雰囲気、どこか隠れ家の様な匂いを
感じさせる店がポツリ、ポツリとある。
(どこでもいいが・・・)
どこでもいい、と思いつつ、ゾロは漏れ聞こえてくる客たちの喧騒を聞き、中の様子を
なんとなくうかがう。
いくら金を巻き上げる為とはいえ、あまりにも弱い奴から金を取り上げるのは、
弱い者をただ、嬲っているだけの様で、気が咎める。
(出来るだけ、賞金額の大きそうな、腕っ節の強そうな奴がいい、)と、ゾロは
一番、にぎやかな店を選んで、その店に入ろうとした。
その時。
(・・・ん?)
その路地の、更にその奥の暗闇から「・・・助けてくれ」と言う声、
人が殴られる様な、「バキッドカっ」と言う音を聞いた気がした。
(なんだ?気のせいか・・・?)ゾロはその音がした方を振り返り、耳をそばだて、
気配を探ってみる。
「た、助けくれ・・・金は全部、渡しただろう?」と、男の声がして、それを
あざ笑うように、若い男が答える声も聞こえた。
「ホントにこれで全部なのかい、センセイ?もっと持ってるだろ、全部出せよ!」
すると、そんなやりとりが聞こえて来た。
ゾロはその物音のする方へと足早に歩く。
若者数人が、地面にへたり込んだ、白髪の小柄な男を見下ろし、蹴ったり、
殴ったりして嬲っていた。
「おい」
ゾロは彼らに近づき、低く、声を掛ける。
「そのオッサンから取り上げた金、全部、オッサンに返してとっとと家に帰って寝ろ」
ゾロの声に怪訝な顔をし、眉を顰めて威嚇するような顔付きで振り向いた男達は、おそらく、ゾロよりも3つくらいは下の、まだ、少年と言ってもいいくらいの年恰好で、
海賊でも盗賊でもない、ただの不良少年、と言って差し支えない連中だった。
「・・・なんだよ、てめえ。すっこんでろ」と一人がゾロに向って凄んで来た。
が、彼らの中のリーダーらしい少年が、顔色を変えて、ゾロを威嚇した少年の
腕を慌てて掴む。
(・・・やめろ、海賊だ。歯向かえば殺される)と耳打ちしたのが、ゾロに聞こえた。
途端、少年達は青ざめ、怯えた目をして、後ろずさった。
「俺の言った事、聞こえなかったか」
「金を置いて、家に帰れ、と言ったんだ」ともう一度ゾロがそう言うと、
少年達は、おのおの、自分たちの財布をバタバタとその場に投げ落とし、脱兎のごとく、
逃げ出した。
「おい・・・っ!」
(このオッサンに金を返せ、と言っただけなのに)と声を掛けようとしたが、
どうせ声を掛けたところで、少年達が引き返してくるとは思えない。
(仕方ねえな・・・これじゃ、ガキから金を巻き上げるチンピラじゃねえか)と
舌打ちした。
「じいさん、大丈夫か」ゾロはその初老の男に手を貸して立たせてやる。
唇の端が切れて、血が出ているが、意識もはっきりしているし、そう大怪我を負っている風には見えなかった。
「あ、ありがとう、腹巻の人」白髪の老人はそう言って、ゾロに深々と頭を下げる。
「助けてくれたお礼に・・・こんな老いぼれが相手じゃつまらんかも知れんが、」
「表通りの店で一杯、奢らせて貰えませんか」
「・・・悪イな。俺は強いから、一杯で済まねえかも知れねえが」
ゾロは、少年達の落としていった金を使う気にはならない。
だが、その老人がちゃっかり懐にしまいこんだ、彼らの金で奢ってもらう分には
気が咎めないので、ゾロはその老人にたっぷり酒を飲ませてもらおうと思い、
快く返事をした。
「ええ、ツケの利く店がありますから、思う存分、飲んで下さい」
「あんたが助けてくれなかったら、私しゃ、あいつらに蹴り殺されてたかも
知れないんですから」
老人は、この島では有名な発明家だった。
話し上手でもあり、聞き上手でもあり、親子以上に年の差があるのに、ゾロはすっかり
その老人が気に入り、色々と自分からも話をする気になってしまった。
「ほお、恋人と喧嘩をね」
「恋人、なんて可愛いモンじゃねえんだ。ホント、始末に負えねえ、
「とんでねえくらい、果てしなくバカなんだ、そいつ」
そいつの所為で、ムシャクシャしていて、酒が飲みたかったんだ、と
ゾロはその老人に話した。
「ふ〜む。どうも、かなり意固地な相手らしいねえ」と本当に気の毒そうに頷いて、
老人は、ゾロの目の前に飴玉を包んだ様な、小さな菓子を酒肴が盛られた皿の横に
コロン、コロン、と二つ、転がしてみせる。
「なんだ、これ」
一つは銀色に青の縞模様、もう一つは銀色に緑の縞模様の包み紙に包まれている。
ゾロはその内の緑色の方を指で摘みあげ、老人にこれが何かを尋ねた。
「私が発明した、チョコレートボンボンだ」
老人はニンマリと笑い、誇らしげに胸を張った。
「どちらをあんたが食べて構わないが、必ず一つは恋人に食べさせるんだ」
「絶対に仲直りしたい気になるから」
「媚薬かなんかの類か?」とゾロは重ねて尋ねる。
今は顔さえ見たくない気分なのに、そんな薬を貰っても、使う気はとてもなれない。
「いいや・・・口を利きたくない、顔を見たくないって思っててもそうせずにはいられなくなる様な、魔法のチョコレートボンボンなんだ」
「ま、そんな風になる薬がシロップに混ぜてチョコレートの中に入っている」
(ふーん)
ゾロはそのチョコレートボンボンを貰った。
「効能は飲んでから36時間だ。それが過ぎたら、きっと仲直り出来ているよ」
老人はそう言って自信満々に笑っていたが。
(そんなモンであいつの機嫌が直るんだったらこんな苦労しねえよ)
半信半疑どころかまるきり信用はしていない。
だが、ゾロはそのチョコレートボンボンを翌朝、朝飯を食べる前に空腹をごまかす為に
食べた。
船に帰って、特に意識した訳ではないが、老人の言葉が嘘か本当か別にして、
せっかくくれたものを無駄にはしたくないと思い、残ったもう一つの
チョコレートボンボンをサンジの目に付きそうな、シンクの上に転がしておいた。
ゾロが食べた時間と、サンジがそのチョコレートボンボンを口にした時差が
ほぼ、2時間ほど。
「なんだ、生きて帰って来たのかよ」
「迷子になりゃ、二度とその面、みないで済むと思ったのに」
先に船に帰ってきていたゾロを一目見た途端、サンジは口の端にタバコを
銜えて、敵意丸出しの目つきをしてそう言った。
(執念深い野郎だ)一晩経っているのに、とゾロもサンジの言葉にカチン、と来る。
身勝手なもので、サンジが最初に口火を切っただけで、
ゾロもサンジの顔を見たら同じ様に憎まれ口を利くつもりだったのに、それを棚に上げて、
(まだ、根に持ってやがる)と忌々しく思った。
「てめえこそどっかのバカ女に身包み剥がされて、乞食にでもなってんじゃねえかと期待してたのに、思い切り残念だ」と言い返すと
「ああ?乞食が似合うのはてめえの方だろうが!」
サンジはすぐに食って掛かってくる。
「俺のどこが乞食だ!」「服も腹巻も何もかもが貧乏臭エんだよ!」
お互いが、胸倉を掴むつもりで一歩、足を踏み出す。
その時、ゾロは急に背中から物凄い力で押され、いや、何かに物凄い勢いで
引っ張られるような力を感じて、思わず、タタ、とタタラを踏んだ。
それはそれは、足を踏ん張っても踏ん張っても踏ん張りきれないくらいの凄まじく
強い力だ。
ズル、ズル・・・と綱引きで相手に引き摺り寄せられるようにサンジの体に
吸い寄せられる。
サンジも鳩が豆鉄砲を食らった様な顔をして、ズルズルと徐々にゾロの方に
近寄ってくる。
ついには、まるで磁石がぴったりと引き合って、くっついてしまったかのように、
ゾロのわき腹とサンジのわき腹はくっついてしまった。
「近寄るな、気持ち悪イ!」サンジはゾロの顔を掌でギュウギュウ押す。
「てめえこそ離れろ!」
ゾロも負けずにサンジの顔を掌で引き剥がそうとグイグイ押したが、
くっついたわき腹だけがどうしても離れない。
それどころか、二人が怒って、罵り合えば罵りあうほど、
ゾロの顔に押し付けたサンジの掌が離れなくなり、サンジの顔に押し付けたゾロの掌が
離れなくなった。
「いてて・・・動くな、ボケ!手首が折れる!」なんとか必死に引き剥がそうと
しても、ベッタリとお互いの体に密着した部分は怒れば怒るほど離れるどころか
ますます強くくっついてしまう。ゾロが動くとその頬に張り付いたサンジの手が
ねじ上げられてしまうし、サンジが動けばゾロの手が曲がるべき関節とは全然違う
方向へ捻じ曲げられてしまう。
「イデデデ!!てめえこそ、勝手に体を捻るんじゃねえ!」
「お前が捻るから俺が痛エんだろうが!なんなんだよ、これ!」
(なんなんだ、これ!)と言うサンジの言葉はゾロの頭の中にも響く。
なんなんだ、これは!とゾロは必死に考えた。
(あの、あれか!あの甘い菓子の所為か!?)
そして、老人が悪戯を仕掛ける少年のような顔で笑って言った言葉を思い出す。
口を利きたくない、
顔を見たくないって思っててもそうせずにはいられなくなる様な、
魔法の
「てめえ、離せ!」とサンジは今にも頭の血管が破けそうな顔で怒鳴るが、
ゾロも(どうすりゃ、離れるんだよ、これは!)と何をどうしていいのかわからない。
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