蘇我馬子(そがのうまこ)
参考資料:日本の歴史、日本の時代史
飛鳥巡検(オープン企画)
石舞台
我 馬子(欽明天皇13年(551年)? − 推古天皇34年5月20日(626年6月19日))
 飛鳥時代の政治家。「馬子」であるが男性である(当時は「子」の字が男女問わずに用いられた)。
 邸宅に島を浮かべた池があったことから嶋大臣とも呼ばれた。敏達天皇のとき大臣に就き、 以降、用明天皇、崇峻天皇、推古天皇の4代に仕え、54年に渡り権勢を振るい、蘇我氏の全盛時代を築く。

系譜
 生年は不詳であるが、名前の「馬子」は午年生まれであることに因むと考えられること、『公卿補任』に「在官五十五年」とあることから、550年の庚午年前後であろうと推定されている。

 父は蘇我稲目。 姉に蘇我堅塩媛(欽明天皇妃)、『日本書紀』では妹に蘇我小姉君(欽明天皇妃。なお『古事記』では「小兄比売」は堅塩媛のおばとされる)。

 妻は『日本書紀』では物部弓削大連(物部守屋)の妹、『紀氏家牒』・『石上振神宮略抄』神主布留宿禰系譜料では物部守屋妹の「太媛」、『先代旧事本紀』天孫本紀では物部鎌足姫大刀自(父は物部守屋の異母弟石上贄古大連、母は物部守屋同母妹の布都姫)とある。
 子に蘇我善徳、蘇我倉麻呂、蘇我蝦夷。蘇我入鹿、蘇我倉山田石川麻呂は孫。 また、娘に河上娘(崇峻天皇妃)、法提郎女(田村皇子妃)、刀自古郎女(とじこのいらつめ)(聖徳太子妃)など、外戚となって権力をふるった。

 馬子の葬られた桃原墓は、奈良県明日香村島之庄の石舞台古墳のことだとする説が有力である。 また、同古墳の西数百メートルの位置にある島庄遺跡についても、邸宅の一角だったとする説がある。
蘇我馬子の生涯