奈良の文化財
自由研究のコーナー
古都奈良の文化財
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東大寺(とうだいじ)
伽藍

 南大門(国宝)

  平重衡の兵火(1180年)による焼失後、鎌倉時代の正治元年(1199年)に復興されたもの。東大寺中興の祖である俊乗坊重源が中国
  ・宋から伝えた建築様式といわれる大仏様(だいぶつよう、天竺様・てんじくようともいう)を採用した建築として著名である。大
  仏様の特色は、貫(ぬき)と呼ばれる、柱を貫通する水平材を多用して構造を堅固にしていること、天井を張らずに構造材をそのま
  ま見せて装飾としていることなどが挙げられる。門内左右には金剛力士(仁王)像と石造獅子1対(重文)を安置する。

 木造金剛力士立像(国宝)
  高さ8.4mの巨大な木像。門の向かって右に吽形(うんぎょう、口を閉じた像)左に阿形(あぎょう、口を開いた像)を安置する。
  これは一般的な仁王像の安置方法とは左右逆である。1988年から1993年にかけて造像以来初めての解体修理が実施され、像内からは
  多数の納入品や墨書が発見された。それによると阿形像は大仏師運慶および快慶が小仏師13人を率いて造り、吽形像は大仏師定覚お
  よび湛慶が小仏師12人とともに造ったものである。これは、「阿形像は快慶、吽形像は運慶が中心になって造った」とする従来の通
  説とは若干異なっているが、いずれにしても、運慶が制作現場全体の総指揮に当たっていたとみて大過ないであろう。

 中門(重文)
  金堂(大仏殿)の手前にある入母屋造の楼門(2階建ての門)。
  享保元年(1716年)頃の再建。中門の両脇から「コ」の字形に回廊が伸び、金堂の左右に至る。

 金堂(大仏殿)(国宝)
  金堂および本尊盧舎那仏(ほんぞんるしゃなぶつ)(大仏)
  東大寺盧舎那仏像は、一般に「奈良の大仏」として知られる仏像で、東大寺金堂(大仏殿)の本尊である。
  聖武天皇の発願で天平17年(745年)に制作が開始され、天平勝宝4年(752年)に開眼供養会(かいげんくようえ:魂入れの儀式)
  が行われたが、現存する像は中世・近世の補修がはなはだしく、当初の部分は台座などごく一部に残るにすぎない。
  「銅造盧舎那仏坐像」の名で彫刻部門の国宝に指定されている。

 如意輪観音坐像・虚空蔵菩薩坐像(重文)
  大仏の左右に脇侍として安置される。これらの像は大仏(銅造)とは異なり木造である。京都の仏師山本順慶一門と、大坂の仏師椿
  井賢慶一門らにより、30数年をかけて制作されたもので、江戸時代の代表的な仏教彫刻である。如意輪観音像は元文3年(1738年)頃
  の完成、虚空蔵菩薩像は遅れて宝暦2年(1752年)の完成。

 金銅八角燈籠(国宝)
  大仏殿の正面に立つ燈籠。たびたび修理されているが、基本的には奈良時代創建時のものである。
  火袋には楽器を奏する菩薩の浮き彫りがある。

 俊乗堂
  鎌倉時代に大仏と大仏殿を再興した中興の祖、俊乗坊重源を祀る堂。現在の堂は宝永元年(1704年)の再建。
  本尊の俊乗上人坐像(国宝)は、上人が86歳で没した直後の制作と思われ、鎌倉時代肖像彫刻の傑作である。

 行基堂
  奈良時代の著名な僧で、東大寺の創建にも貢献した行基の肖像を安置する。

 念仏堂(重文)
  鎌倉時代の建築。同じく鎌倉時代の地蔵菩薩坐像(重文)を安置する。

 鐘楼(国宝)
  鎌倉時代、13世紀初頭の建築。吊られている梵鐘(国宝)は大仏開眼と同年の天平勝宝4年(752年)の制作で、中世以前の梵鐘とし
  ては最大のもの(高385センチ、口径271cm)。2002年12月、NHKの下請け業者に釘を打ち込まれる事件に遭った。

 法華堂(三月堂)(国宝)
  境内の東方、若草山麓にある。東大寺に残る数少ない奈良時代建築の1つであり、天平仏の宝庫として知られる。東大寺の前身寺院  である金鐘寺(こんしゅじ)の羂索堂(けんさくどう)として建てられたもので、記録により天平15年(743年)までには完成してい  たと思われる。建物の北側約3分の2(参道側から見て向かって左側)の、仏像が安置されている部分が天平時代の建築で、南側の
  礼堂(らいどう)部分は鎌倉時代の正治元年(1199年)頃に付加したものである。堂内には多数の仏像を安置し、うち本尊の不空羂
  索観音立像をはじめ9体の乾漆像(麻布を漆で貼り固めた張り子状の像)と、執金剛神像を含む5体の塑像(粘土製の像)が奈良時
  代のものである。細かい制作年代や当初の安置状況については諸説あるが、9体の乾漆像と執金剛神像が当初からの安置仏で、残り
  の塑像4体は客仏(後世に他の堂から移された像)とするのが通説である。

 乾漆不空羂索観音立像(国宝)
  高さ3.6m。三眼八臂(額に縦に第3の目があり、8本の腕をもつ)の観音像である。頭上の宝冠は、正面に銀製の阿弥陀如来像を
  飾り、数多くの宝石や透かし彫りで飾った華麗なもので、普段は近くで見ることはできない。奈良時代工芸の優品として知られる。

 塑造日光・月光菩薩立像(国宝)
  本尊不空羂索観音の両脇に静かに合掌して立つ。天平彫刻の代表作として著名だが、造像の経緯等は定かでなく、本来の像名も不明
  である(「日光・月光菩薩」という名称は後世に付けられた物で、本来は、薬師如来の脇侍となる菩薩)。像の表面は現状ほとんど
  白色だが、制作当初は彩色像であった。本来の像名は梵天・帝釈天だった、とする説もある。

 塑造執金剛神立像(国宝)
  本尊不空羂索観音の背後の厨子に北向きに安置される。右手に金剛杵(こんごうしょ、仏敵を追い払う武器)を持ち、目を吊り上げ
  て威嚇する武神像である。長らく秘仏であったため、当初の彩色がよく残る。執金剛神とは、仁王像を1体で表わしたもの。本像は東
  大寺の開山(初代住職)良弁の念持仏と伝え、平将門の伝説でも知られる、古来著名な像である。伝説によれば、平将門が東国で乱
  を起こした時、この像の髻(もとどり、結髪)を結んでいる元結紐(もとゆいひも)の端が蜂となって飛び去り、将門を刺して苦し
  めたという。たしかに、本像の元結紐は今も片側が欠失している。秘仏であり、良弁の命日の12月16日のみ公開される。

 乾漆四天王立像(国宝)
  法華堂須弥壇上の四隅に安置された四方を守護する神将像で、華麗な彩色文様がよく残り,天平時代の華やかさを今に伝える。

 乾漆梵天・帝釈天立像(国宝)
  本尊・不空羂索観音立像の左右に安置されている高さ4mを超える巨大な像で、ゆったりとした悠揚たる風格に圧倒される。

 乾漆金剛力士立像(国宝)−奈良時代
 塑造吉祥天・弁才天立像(重文)−奈良時代
 木造不動明王二童子像(重文)−南北朝時代
 木造地蔵菩薩坐像(重文)−鎌倉時代

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