【中編】
足下は白骨街道だった。夢中だったせいか、行きは全く気付いてなかったようだ。その骨達の中に、自分の知り合いもいるのかもしれないと思うと、飛影はその骨を蹴飛ばして進むことがしにくかった。大会で、共に戦い、共に血を流した者も、今は彼一人を残して皆死んでしまっているのだ。彼一人がまだ死んでいない理由は、今骨になっている彼らほど、長く魔界にいなかったからだろうと飛影は推測した。今、彼らのその全てが骨となり、そして魔界からも、どこからも、その肢体と魂が消えつつあった。
そして、今その上を突っ切っている飛影も、すぐにそうなることになっていたのだ。
死までの残りの時間で、躯は手紙を書いた。それはもう、今言いたいことだけを、急いで簡潔にまとめて伝えようとしたことだった。その内容は伝わった。そしてそれは、今も死んでいなかった。誰に何も伝えることが出来ず、何も言えないまま黙って死んでしまった者達よりは、彼女の方が無念の念が少ないであろう。だから、彼女だけはまだちゃんと ”死ねた” 者なのかもしれない。これが、「死ねた」。「死ぬことができた」、ということなのかもしれない。
けれど、その伝えたことも、もうすぐ「死」を迎えようとしていた。
だが別に、彼女は、それでもよかった。
息苦しい中、彼はずっと走っていた。咳は酷くなるばかりだった。彼は口を左手で押さえて、うつむき加減に走っていた。そのせいで、彼は足下の死骸達を よく見つめることになってしまった。眼はだんだんと見えなくなってきていた。どこまで走っていっても辺りが薄暗かった。彼は、この光景が、全て見えなくなることを恐れた。それはもうすぐにやってくるのだろうけど……。
そのとき。
右腕から、細い黒い煙が上がっているのに気付き、飛影はふと袖をまくった。すると、何百年も経った衣のように、包帯が変色してバラバラになって落ち、同時に黒いガスのようのものが腕じゅうから凄い勢いで空に向かってほとばしった。そしてそれは、空気中に、溶けて、消えた。彼は何もなくなった右腕を見る。ーーーーーー彼の黒龍が耐えきれなくなって、今、ついに臨終したのである。
飛影は考え事をしていた。
彼には友人がいた。 第二回トーナメントにまた出場してきた、魔族・幽助、そして蔵馬だ。彼らも、妖気を持っており、第二回トーナメント会場に来ていたのだ。
ーーーだから………、あいつらも……、あいつらも……! オレ達と同じ死に方をするのか?
応援だとか言って来た桑原はどうだ。奴は人間だった。この生物兵器は人間にも効くのか?
けれど、どちらにしろ必ず、大きな別れがくることは、間違いないと、彼は確信した……。
そしてーーーーーーー…。
そのことに気付いた時、飛影は、走るペースを乱したわけでもないのに、いきなり胸がドクンと高鳴ったのが分かった。自分の表情がどうなっているのかさえ想像できず、感情を無理矢理押さえようとしながら、彼はそのまま死の平原を直進していった。
第二回トーナメントでは、雪菜が彼らの応援に来ていたのだった。
魔界の妖怪は、もうほとんど死滅しているに違いない。今まで彼が走ってきた場所全てで、命という命が空しくそのいのちを散らしていたのだから。それぞれがそれぞれの物語を残して隠したまま、死んでいったのだ。一週間で、ーー正確には日はわからないのだが、少なくとも一週間以内にーー、すべての魔界の生き物が殺されていったのである。霊界の者が持ち込んだこの生物兵器、よく考えてみると、感染するのが非常に早すぎる。この広い広い広い魔界で、どうやって、どれだけのスピードで、魔界中のあらゆる生物を蝕んだというのだ?どれだけたくさんの命を奪ったというのだ?どれだけ、たくさんの、物語を奪ったといういのだ?
奪って、何になる?
そして。
もう死ぬのに。きっと24時間以内に死ぬだろうに。もう何かする時間などないのに。できることなんかないのに。
ーーーーー今、オレは、何のために生きてるんだ?
彼は迷わなければならなかった。
人間界は至極平和だった。時はたち、人間界は夕方になっていた。相変わらず空は曇りで、だが雲の薄いすきまから、かすかに夕焼けが見えていた。明日は晴れるな、と彼は思った。けれど、それがわかっても、もう自分は、太陽の光を浴びることは二度とないと思った。それが寂しくて、彼は一瞬夕日が嫌いになった。だが、最後に見えたものが、人間界の夕日でよかったと、飛影は寂しく思った。そして,彼は無性に悲しかった。またガッとかがみ込んで咳き込み、いよいよ力が抜けてきていた。そんな中、彼に、最期の夕日がとても冷たく降りそそいでいた。飛影は、炎はもう使えないはずなのに、妙に自分の体が熱くなってきているのに気付いていた。
彼はすぐに蔵馬の家へ行った。だが運悪く 蔵馬は留守のようであった。それを知り飛影は妙にいらついた。急いで走ってきたのに、この最後の命で、伝えなければならないことがあるのに。
そこで彼は、もうこれもすぐに蝕まれるのであろうが,使えるうちに使おうと、邪眼を使うことにした。千里眼だ。体中が熱くなってくると同時に、額の邪眼が飛び出そうなくらい痛いのに気付いていた。躯の言葉通り 特殊能力の在る者はそこを先に食われるらしい。めりめりと音でも立てそうなくらい,邪眼は傷んでいた。飛影は邪眼を開いた。とともに激痛を額に感じ,彼は再びかがみ込んだ。だが、痛いくらいなんだ、オレは、死ぬ前に、死ぬ前に、やらなきゃならんことがある。時間がないんだ!飛影は顔をあげた。眉間にしわが何本もより、額を汗がつたった。同時に邪眼の辺りから血も流れてきた。飛影の鼻筋を通り、ぽたぽたとあごから地面へ落ちていった。それでも彼は邪眼に意識を集中させていた。死ねないんだ。時間がないんだ!
「!!」
ついに蔵馬を見つけた飛影は、その場所に驚いた。いや、危惧はしていたが、…それが…それが…現実であったことに恐怖した。飛影はすぐにその場所へ直行した。もう随分眼に映る光景が暗くなってきている。全部消える前に…失明する前に……そこに着かなければ……!
飛影は到着した。いきなり門を開け、不法侵入もいいところで、ドタドタと家の中に入っていった。
「!飛影……」
蔵馬が驚いて言った。
その声で、後ろを向いていた桑原も振り返った。
「…………なぜ……?」
蔵馬は、再び飛影に言った。彼は、今、ここに飛影が来ることを恐れていたのだ。絶対に来るな、来ちゃダメだ、と思っているときに、飛影はその場所へ来てしまったのだ。
雪菜が寝ていた。
桑原が後ろを向いていた理由だった。
彼女の腕の皮膚が薄くむけていた。皮がはがれるのだから、当然血も流れる。座敷の上に、彼女の血が流れ染みついて落ちなかった。可哀相に、体は小刻みに震えていて、彼女の伸びている髪の下で、色を無くした目がこちらをむいていた。蔵馬は桑原に呼ばれたのだ。いつも皆が頼りにするのは蔵馬だった。だが、蔵馬にだってわからないことはわからない。原因もわからないし,当然治療法もわからなかった。そんな時はとにかくやれることをするのが彼の流儀だった。今ここに来て、蔵馬が思っていたのは、ただ、この娘の兄が来ることであった。何もできないまま、ただ寒そうに震えるから彼女にタオルケットをかけてやり、そのことが起こらないことを祈祷師のように願っているだけであった。
「雪菜は死ぬ」
立ったまま、突如飛影が断言した。
蔵馬が喉から,つぶれた声をもらした。
だがその前に、さっきまでの力無い姿はどこへ行ったのか、桑原が一瞬のうちに飛影の襟ぐりを掴み押し倒した。目には怒りの念が燃えている。服を掴んだままの彼の右手は震えており、凄い形相で飛影を睨みつけていた。
「てめえ、ふざけんのも大概にしろ!」
桑原は本気で飛影に対して怒っていた。蔵馬は遠くから、取っ組み合っている二人を見ていた。
だが、飛影がいきなりまた咳き込みだし、桑原の手をはじいてかがみ込んだ。しかもすぐには止まらなかった。桑原は、一瞬ではじかれた手からジーンとした痛みを感じており、珍しいその光景を不思議そうに見下ろしていた。その時、口を押さえている飛影の手に赤い液体がボタボタと落ちるのを見た。
「飛影1?」
桑原の発したその声で、遠くから咳き込む飛影を見ていた蔵馬も、雪菜を放ってそっちへ駆けつけた。蔵馬は無理矢理かがんでいる飛影の顔を、髪を掴んで上に向けさせた。すると、その額から血がしみ出し、頬には血の筋があることがわかった。いつも鋭いはずの彼の目に、今は力がなかった。そっと蔵馬が顔の血の筋に指を触れると、そのまま彼の顔の皮がもろくはがれて、蔵馬は驚いて飛影の髪を掴んでいる手を放してしまった。床に打ち付けられた飛影は起きようともせず、また咳き込んでいた。蔵馬も桑原も、彼に対して一種の恐怖を感じていた。桑原は、雪菜も最初こんな様子だったことを思い出していた。
「なにが………。飛影、なにが……!?」
「熱い」
と、雪菜が言った。
皆その声で、彼女の方に振り返った。
特殊能力を持っている者は、そこから蝕まれていく。彼女は氷系の能力者だった。それが食われてしまい、今、とてつもなく彼女の体温は上がっていたのだ。氷女である彼女はそれが辛い。周りの者にも、彼女の熱が伝わってくるくらい、その部屋中が暑かった。
「和真さん…そこにいるんですね」
名前を呼ばれ、桑原は彼女にもっと近づき手を握った。
「氷を…とってきてくださいませんか。熱いんです」
はっとして、桑原は立ち上がり、その部屋から走って出ていった。
飛影は、よろよろと雪菜のところへ行った。歩幅はせまく、何かに用心して歩いているように蔵馬には見えた。そして、それはその通りだったと言うことが次の飛影の言葉でわかった。
「雪菜は、どんな様子なんだ?」
「え…?」
蔵馬は飛影の目をもう一度見た。飛影はそんな蔵馬の気を察してか、真実を言ってやった。
「オレは失明したんだ」
「ッ!」
蔵馬は恐ろしさの余り声が出なかった。飛影は平然としていた。その瞳には暗く冷たい光が宿っていた。座り込み、彼は手探りで雪菜の体を探していた。彼女の肢体の様子が見えなくなったのは幸か不幸か。彼は見ない方がいいのかも知れない。光を失う直前に少しだけ見えたけど、もう今は何も見えなかった。妹の苦しんでいる姿を、兄としてみてやることができなかった。そう、彼はもうできることがないのだ。死までに残された時間は、少ない。けれど、今は妹の前に座っているこの時間を永遠のように感じた。飛影に彼女の熱が、伝わってきていた。
「……幽助を呼んでこい。…早く!」
わけのわからぬまま、とにかくわかりましたと,蔵馬は電話をしに部屋を出ていこうとした。
「飛影、何が……」
蔵馬は再び飛影に聞いた。
飛影は、今度は素直に答えた。
「………躯が死んだ」
「なっ!?」
「…躯だけじゃない。魔界の、ありとあらゆる生物が死んでいた。妖怪は全て死んでいた。木も死んでいた。花も死んでいた。風も死んでいた。空も死んでいた……」
「……何が……何が……?」
蔵馬はそればかりつぶやいていた。
「幽助が来てから話す」
だから、早く幽助を呼んでこいと飛影は目で言っていた。蔵馬は仕方なしに、彼の指示に従おうとした。
そんな時、突拍子に飛影が 尋ねた。
「蔵馬……オレは、何のために生きているんだ?」
飛影は、蔵馬がそんなことに答えられるはずもなく恐怖することもわかっていながら、この意地悪な問いかけをしたのだった。