【後編】
飛影は、皆に事の一部始終を簡単に話した。魔界に戻った時のこと、会場の様子、躯の手記、生物兵器、そして自分の症状を時間を考えながら話した。その合間も彼は苦しそうに時々悶え、皮がぺりぺりはがれてきていた。彼は常に長袖長ズボンの全身を覆う服を着ていたので、中の皮膚の様子は滅多に見られなかった。だが、他の三人は、彼の両腕が変色してきていることに気付いており、それでいて気付かないようにし、飛影の話を聞いていた。とはいっても、普通に聞ける話ではなかった。死の恐怖があまりにも間近すぎて,決してそんなことは出来ないけど、耳を塞いで逃げ出したくなるような内容で溢れていたのだ。飛影がもうすぐ死ぬという信じられないようなことも、時間の経過とともに段々彼らに伝わってくるのだ。死にそうだった。飛影は死にそうだった。それでもただ真剣に彼の遺言を聞く彼らは、ある意味非常に惨めだった。
「でもさ………」
ふいに幽助が聞いた。
「じゃあ、オレ達はなんで平気なんだ?」
蔵馬も桑原も同じことを思っていた。何しろ、自分たちも魔界に行ったし、トーナメント会場にだって行ったのに、自分たちはこの一週間、咳ひとつしなかったのだ。
「……………恐らく」
飛影は、このことを言うと、もう彼らとは永遠に分かり合えないような気がした。飛影も、彼らが平気であることを不思議に思っており、経験からただ自分が推測したことではあったが、その答えは恐らく正解だった。それが死ぬ直前の彼には怖かった。怖くてとてつもなく寂しかった。彼らは、飛影が次の言葉をしゃべることをためらっているのがわかった。再び咳をし、口の皮が一部はがれ、ふっとあげた彼の顔には、なにか決意と絶望の念が映っていた。
次に彼の口から出た答えで、幽助も蔵馬も桑原も、飛影の思ったとおり、一気に彼の前に永遠にはずされない境界線がひかれてしまったような虚無に襲われた。そしてそれを彼らは乗り越えられなかった。
ーーーーーーー。
「貴様等は、人間だからだ」
一発で意味のわかる言葉だった。
桑原は100%人間だ。幽助ももともと人間であるし、人間界に住んでいて霊気だって使える。蔵馬は妖怪であったが、その肉体は人間だ。特に最近、彼は「人間の」仕事に没頭していて忙しかった。正体は紛れもない妖狐蔵馬だが、その肉体はもう20年ほど前に滅んでいる。今の体は、人間の体を借りているのだ。その点飛影は、どこをとっても人間であるところはない、妖怪だった。魔界に住んでいるし、100%妖気を使うし、体も妖怪だし、彼は完全な魔界の者だった。
三人は、飛影を見れば見るほど、その境界線がはっきり浮かび上がるような気がした。
そしてそれが、辛かった。
そのとき、出し抜けに雪菜がつぶやいた。
「私は、死ぬんですか」
飛影が今言った言葉と同じくらい、それが全員の胸に響いた。
雪菜は、意識ははっきりしているようで、息絶え絶えで、目がうつろに開いていた。顔色から生気がうかがえない。目の見える者達は、彼女の姿を見て驚愕していた。さっきより、彼女の白い皮ははがれ、両腕が腐り始めていた。苦しいだろう、辛いだろうと思いつつ、それでも意識のある彼女の気持ちを考えると、心臓を貫かれるような痛みを感じずにはいられなかった。いつの間にか、その中にぼたんが紛れていた。彼女も、雪菜の様子を悲痛に思っていた。彼女は霊界の者がそんなことをしたと聞いて、慌ててやってきたのだった。彼女はさっきからずっと泣きっぱなしで、言葉も言えない様子だった。蔵馬は、飛影が失明してしまったことをとても幸いに思った。こんなの、見ないでいい、見ちゃいけない。醜く苦しんでいる彼の妹を、彼に見せたくはなかった。飛影は、「雪菜はどうなった」と少し聞こうと思ったが、周りの雰囲気を察してか、言わないことにした。見えていなくとも、その空気で、彼も、体に穴が開いて冷たい風が自分の体をえぐっていくような痛みを感じていた。それは、彼の肉体に今起こっている痛みではなく、精神的な痛みだった。もうすでにたくさんの死を見てきたというのに。たくさんだ。もうたくさんだった。
「………もう行くぞ、幽助、蔵馬、桑原」
「?」
いきなりなにを言い出すんだとばかり、皆は飛影見た。
「これが、人間に感染しない可能性がないわけではない。ただ今は魔界にしか被害が及んでいないだけだ。兎角この生物兵器は恐ろしく強く、感染が早い。こいつがもっと強化してしまえば、人間とて余裕で感染してしまうかもしれんーーーーー」
「それを、止めたい」
飛影は真剣な表情で言い、皆の顔を上に上げさせた。もっとも飛影は目が見えていないので、そんな彼らの様子はわからなかった。何を思って飛影がこんな言葉を発したのかわからなかった。
「この生物兵器はもともと薬で眠らされていた。だから、その薬の源を、犯人のいる霊界からかっぱらってきて、強力に薬を使えば、そいつらを殺すことができるだろう」
「…………じゃあ…」
皆は、やっと飛影がやろうといしていることがわかってきた。
「今から霊界に行くんだ」
「…なっ…!そんなことして平気なのかよ!お前の肉体はもう……、やばいってぇのに、肉体おっぽっていったら、霊界で…お前……終わっちまうぜ…!?」
幽助は、できるだけ辛くない言葉を探したつもりであった。だが、飛影はそんな幽助を無視した。また彼は咳き込み、今度は、いよいよ顔の皮がはがれだしてきていた。その下から、嫌な色をした肉が見えだした。飛影はもう何も見えていなかった。ただ自分が死んでしまう前に、伝えたかったのだ。その彼の何かを。みんなにーーーーー。
「飛影さんて、鳥みたい」
不意に、雪菜が子供のように言った。飛影は、見えてもいないのに、目を大きくして雪菜を見たつもりであった。
「自分で動き回れて、自分で生きて、自分でやりたいことをするから。飛影さんて、ずっと飛んでる。空を飛んでる鳥みたいな気がしたんです」
もう随分下がってきた夕日が、その部屋の窓に差し込んだ。
「そうか」
飛影は、その雪菜の言葉の後に、勝手に、「そして、自分で死にたいように死ぬから」と付け足していた。
さっきから気が気でなかったぼたんは、あたしも行くよ,責任の一端はあたしにもあるんだから、と言った。だが、飛影は、お前は残れと言った。彼女は否定したが、他の皆も彼女は置いていきたいと言った。なかなか納得しないぼたんに、飛影は小声で、雪菜の最期を看取ってやってくれと言った。ぼたんは数秒してからうんと言い、また泣きじゃくった。子供のようだった。なんでこんなにもたくさん、別れを経験しないといけないんだよとつぶやき、皆はそれに答えることが出来なかった。彼女は体操座りをして、低く声を出して泣いていた。皆はそんなぼたんを置いて、幽体離脱し霊界に向かった。放って行かれた飛影の肉体はだんだん腐ってゆき、その顔は死に顔のようで、その部屋にいるぼたんは怖くそっちを見ないようにした。
「ぼたんさん」
雪菜は、しんと静まりかえった部屋でつぶやいた。
「ーーーー飛影さんて、私の兄なんでしょう?」
ぼたんはぐっとくるものをこらえ、雪菜の手に飛びついた。
「ーーーーそうだよ。飛影は、雪菜ちゃんのお兄さんなんだ。ずっとずっとね、飛影は雪菜ちゃんを見守っていたんだよ。飛影は雪菜ちゃんが大好きなのさ。ずっと飛影は、雪菜ちゃんのお兄さんだよ。これからも、ずっとだよ」
ぼたんはもう、何もかもどうでもよかった。もう飛影には会えないんだし、むしろ、逆に彼女は飛影に殺されたかったのだ。ぼたんの涙が雪菜の手にぽたぽたと落ちた。雪菜の死が目前にきてることは、霊界の者であるぼたんにはよくよくわかっていた。そして、とてつもなく辛かった。
「ーーーーーーぼたんさん、もう、私は、兄さんには会えないんですね」
彼女の声ははっきりしていて、天使のような声だった。ぼたんはしゃっくりのせいで、そんなことないよと言えなかった。
「頼みたいことがあるんです………。ぼたんさん。絶対、言わないで……。兄さんに。言いに行かないで。
私が死んだってことを……」
ふと ぼたんが気付くと、雪菜も目にいっぱい涙を溜めて、それを流し始めていた。彼女は辛そうなのに、努めて笑顔を作っていた。頬を彼女の涙が伝って次々と石ができていく。手は熱く、震えていて,それでいて笑っている彼女の顔が、ぼたんには悲しくてしょうがなかった。
「わかったよ、雪菜ちゃん……」
ぼたんはぐっと雪菜の手を握り、目をあわせてやった。
「言わないで……。ぼたんさん……お願い………。私の兄さんに…、私が死んだって、言わないで……………」
日も暮れかけて、もう夜になろうとした人間界の、平凡な部屋の中。雪菜はぼたんに看取られ、そのまま息を引き取った。
霊界に着いた幽助達は、自力ですぐに犯人を捜し当てていた。なぜすぐにわかったかというと、体の中の汚染物が騒ぎ出すのだろう、犯人の持っている薬のニオイが、飛影の体を呼んでいたのである。その場所へ、目の見えぬ飛影を連れて直行すると、その薬がいっぱい詰まった倉庫に行き当たった。その部屋に白衣を着た男がひとり、試験官に入れた何かを見ていた。奴だ、と飛影がつぶやいた。そうかと言うと、いきなり幽助は背後から近寄りそいつの顔面を一発思い切り殴った。男は思わぬ妖怪達の反撃に驚き、殴られたまま座り込んで彼らを睨んでいた。妖気を感じたので、生き残りの妖怪かと焦った。だが、妖怪ならもうすぐに死んでしまうさと彼は心で笑っていた。もうこれは、妖怪全てに感染しているのだから。
「なんで殺したよ」
幽助が怒りをこめて言った。
白衣を着たその男は、ばれていることを確信したが、全く焦る様子はなかった。幽助をみあげて、そして、こんな状況だというのに余裕の薄ら笑いをしてへっへと笑った。妖怪達を見下すような嫌な目だった。
「何故殺してはいけないのだ?
妖怪なんていう下等生物に、生きるなんて権利はないのだ。
ひとつ世界を支配させれば偉そうにのさばってきて、生意気なことをするし有害だとみなしたので、根元からその存在を絶ってやったのだ。お前等なんざ、霊界の手によっていつでも殺すことができると言うことを知らしめるためにな。根元から絶つのだから、生き残る苦しみなんぞないだろう。救われぬ哀れな奴らを救ってやったのさ」
まるでこの世の支配者であるかのようなしゃべり方をするその男を、今度は桑原が殴りつけた。白衣を着た男は両頬が腫れ上がった。
「救えねーのはてめえだよ。お前等こそ、根本から死んで生まれ変わってやり直せ!」
「フン、貴様は人間だな、下界の人間ごときが天界の住人に刃向かうとは生意気な奴め。人間も、この感染で滅びさせるくらいわけはないぞ」
「ーーーー生きる意味も、死ぬ意味も、こいつは、なんにもわかっちゃいない……。それなのに、それでいて、魔界の生き物たちを皆殺しにしたのか……!」
会話を聞いていた飛影は、耐えきれなくなって、背中にあった剣で、気配を感じ取りその男の右腕を肩から切り落とした。男はぐぎゃあと叫び、倉庫の中を這って暴れた。飛影は今の一撃で体力をなくし倒れた。それが、飛影の最後の力だった。最後の最後で、ようやく彼は仇を討ったつもりになれた。幽助は「バカ!」と叫び、蔵馬は飛影を支えた。蔵馬は彼の霊体から、肉体の様子を察した。飛影は非常にぐったりしていた。もう死ぬ、と誰もが思った。思わなきゃなんないと思った。ーー思いたくないのにと思った。
「フンッ!その妖怪のガキももう死ぬな」
挑発で言うには、あまりに過ぎた言葉だった。
「野蛮な奴め、それでいて哀れな奴よ。妖怪と言うのは。私の作った生物兵器は霊体も魂も喰らう。何も残らない。仲間も皆死ぬし、苦しまずに死ぬことが出来て幸せだろう」
皆の怒りが頂点に達した。
「……どこが……どこが…………」
幽助が拳に力を込めてつぶやいた。
「どこが苦しんでねえっつんだてめーっ!!!」
幽助が思い切りその男を殴り、また殴り、我を忘れて殴り続けた。途中で蔵馬がとめたが、飛影の最期の念のこもった攻撃を受けたこともあり、男は二、三回身もだえして、そのまま死んだ。
「ーーーーーそいつは…、”死ぬ”ということの、意味を、わかっていない……」
飛影の声がしたので、皆驚いて彼の顔を見た。彼は仰向けに寝かされ、霊界の空を見上げるように見えない目を倉庫の天井へ向けていた。いよいよか、いよいよかと、皆そわそわしながら円になり飛影の顔を覗いていた。もうしゃべるな、と蔵馬は言った。飛影は、もうほとんど全てが腐ってしまっている痛々しい腕を上に上げ、倉庫の棚を指さした。
「薬を…持って…、雪菜を………。…助けてやってくれ……早く……」
皆は、何故か、雪菜の命の火がもう燃えていないことを桑原さえ知っていた。けれど、「ああ、持っていく、必ず」と、幽助は飛影の手を握った。そのやせ細った手はざらざらで、すぐに皮がむけて、何かかたい冷たいものにあたると幽助はぞっとした。桑原は、雪菜のことが脳裏に浮かんだため、こっそり静かに男泣きに泣いていた。
「蔵馬、人間界で…、貴様に……、今オレは……何のために生きているんだと、聞いたろう…」
ああ、と蔵馬は言った。
「それがわかった」
飛影は一言一句を大切に語っていた。
「オレは、死ぬために生きていた」
ああ、とまた蔵馬が言った。
「よかったな
死ぬことが出来て」
幽助が言った。
「………………」
飛影の返事はなかった。
「オレ達は、これから人間界に戻る。そんで、雪菜ちゃんを助けてやって、魔界にもいって、薬を使ってもうこれが誰にも感染しないようにする。お前もつれて帰るよ。人間界に。そんで、オレ達で人間界も魔界も救うんだ。オレもただでは帰らないぜ、絶対に。お前の代わりに、なんだってしてやる」
「飛影、無理しましたね。大丈夫ですよ。薬はたくさんあるんですから。もうこれ以上この感染が起こることはない。この生物兵器にもう怯えることはない…」
「雪菜さんもよ…、お前が帰ってくるの待ってるんだ。犯人もぶっ殺したし,薬も手に入ったし、もう行くぜ。雪菜さんがよ…お前は鳥だって。言ってただろ。お前知ってたか?鳥はな……。昔の、雪菜さんのいちばんの友達だったんだ」
彼らは思い思いのことを、飛影の亡骸にぶつけていた。腐った皮膚の横にある彼の目には、何か光るものがあった。その光を、彼らは絶対に忘れまいと思った。そして、その死骸はみるみるうちに骨だけになってしまい、霊体だったせいか、すぐに消えてなくなった。彼の肉体も同時刻、消えてしまったのだろう。魂も、何もかも。だが、消えてしまったその友人のことを、決して忘れまいと誓う者達がいた。物理的に彼が消えてしまっても、自分達の記憶からは絶対に消さない、絶対に生かして伝えていくと彼らは思った。そうしてようやく、この勇者は、”死ぬことができる”のだから。
「ーーーーーさて、これからどうする?」
「言うまでもないさ」
ふっと笑い、三人は何もない輪の中央を見下ろして、すくっと立ち上がった。
もう、彼らは二度とそこには来なかった。
そのころ、全ての生物が死んでしまったはずの魔界で、腐った木の上に、一羽の小さな鳥がとまっていた。どうやってあの生物兵器の感染を防いだのか、それはそれは不思議な鳥であった。そして、その鳥が木の梢から飛び立つと、その木は揺れて、みるみるうちに色を取り戻していった。めきめきと枝が伸び、小さな葉が茂り、蒼くなった。それにつられたのか、その周りの木々も、急に生気を取り戻し、めきめきと背を高くしていった。そのうち、ざわざわと風が吹き、草が茂り、草原がよみがえった。これだけ不思議なことがあるだろうか。そこは、いのちに溢れていた。そしてそれは、周りにどんどん伝わっていった。
飛び立っていった鳥が、その後どこへ向かったのか、それは誰にもわからなかった_________。
END