第16章
【氷泪石(4)】
『”雲(くも)とお前”』
「!?」
そんな声が、飛影の頭の中で響いた。
『”どちらの方が、走るのがはやいかな……?”』
俄(にわか)に飛影はぞくっとした。だがやはり走るのだけはやめなかった。--------駄目だ……駄目だ。と、飛影は思い始めた。
------オレは行きたくない!
歯を食いしばって、飛影は走り続けた。汗がだらだら流れ、息も大分切らしていた。息はほんのり白くなり、飛影の後ろに飛んで消えていった。もう大分、人間界は冬に近づきつつあるのだろう。空気も大分冷えていた。
夕闇も、雲の流れも、影も、音も、すべて飛影と競走をしていた。飛影はその全てに勝とうとした。だが、夜はどんどん近づくばかり。影もどんどん長くなるばかり。そして、その空に広がる雲も、飛影の遙か前方へ、もくもくと黒くなりながら集まりつつあった。飛影は恐怖した。ただ藻掻き苦しむその様を、あの神が、高笑いしながら、眺めているような気がした。いや、まさに運命はその通りだったのだ。
追いつくはず無いのに、飛影は雲を追いかけて、走る。おちょくられてると分かっていても、飛影はこうすることしかできない。無様、惨め、どんな言葉を投げかけられようと、飛影は走る、走る、走る。何をしても、間に合わないと分かっていても。
--------。
一方。
魔界の異変にようやく気付いた霊界。
なんて遅い反応だったんだろう、と、会議が終わった後でコエンマは思った。霊界が、その魔界のことに気付いたのは、突然煙鬼からの通信が途絶えた、今から四日前-----つまり、飛影の仲間達が、皆氷鳥に消されてしまった、あの日だったのだ。
魔界と霊界が紳士協定を結んだ今、魔界にも霊界にも、お互いの監察役がちゃんと居た。なのに、何故今頃になってようやく気付いたのか。きっとそれは、やはり今でも霊界が魔界を、あまりよく思っていなかったからだろうと彼は思った。使い羽達や霊界のスパイ達が調べ上げた結果、魔界に起こった現象は、煙鬼からの通信が途絶える少し前に、人間界でも起きていたそうだ、ということを知った霊界のお偉いサン達は、わぁわぁ騒ぎ立てて焦った。魔界に起こったことが、人間界にも起こっていた----それは、霊界の存在さえ、おびやかすぞ!と叫んだり、意味の分からないことに意味もなく騒ぎ立てたり。なので、静かにせんか!とコエンマが一喝し、みんな黙らされた。兎に角、その情報が霊界にも流れてきてしまった以上、あくまでも人間界を保護する立場である霊界が、この事件について黙って置くわけにはいかない。そこで、霊界もいくつかの調査隊や攻撃隊を組織させ、今日より行動させることとなった。「行動は出来る限り迅速に正確に」、それが会議の最後で、コエンマが閉めた言葉だった。だが、その後彼は心の中で、「そして無事に」、とつぶやいていた。彼でさえ、今回の事件のおかしさに焦っていた。そして何より、自分の近しい者達-------幽助達のことの安否を、一番気にしていた。使い羽達の話が嘘であったらいいのに、と彼らしくもなく心のどこかで思っていた。
そのコエンマが人間界に赴(おもむ)いたのも、その会議が終わった直後------------つまり、今だった。
(着いたっ)
と、飛影が心の中で叫んだ。山のふもとから出ている電線を伝って飛び、ようやくこの一軒家にたどり着いた。闇はさっきよりも濃くなっており、家の窓からは無機質な光が漏れていた。疲れの余り、頭もぼぅっとしている飛影は、よろよろとその屋敷に向かって歩いていった。
(無……事か……?)
ドアを開けると、ぱっと明るい玄関が広がった。パタパタパタっと音がして、霙の養母が現れ、
「あれ!?飛影君じゃない、どうしたの?霙ちゃんは?」
と言った。飛影はあっけにとられ、この広い玄関を目の前にして、何を言ったらいいのか分からなくなった。
息を整えながら、飛影は、
「ここは…」
(遅かったね)
ふっ、という音が聞こえた。音なのか、息なのか、分からない。でも、その後に聞こえたものは何も無かった。ただ目の前の光景だけが見る見るうちに変わっていった。
まず縦に閃光が走った。といっても、それは白い閃光じゃない。真っ黒な、墨を滝にしたような閃光の柱だった。それは飛影の視界を全て遮った、と思ったら、何の欠片か分からない、大小様々な形をしたガレキだけは見えて、それが飛影に向かってどんどん飛んでいった。平衡感覚を失った飛影は為す術もなくそれらに翻弄された。折れている左肩にも当たった。「ガッ!」と飛影は言ったのに、その声さえ全く聞こえなかった。強制無音状態の中で物という物は全てこっぱみじんにされていった。飛影はいつの間にか吹き飛ばされ、一瞬目の前に真っ黒い空が映った。
「うっ!!」
という声が、その後で聞こえた最初の言葉だった。頭に何か堅いものが当たり、それによって飛影がはき出した言葉だった。飛影の頭に当たったのは山の地面だった。彼は吹っ飛ばされた後、斜面に体を打ち付けられたのだった。
パチパチッという音がだんだん静かになっていっていた。そう、実はさっきまで、その音が凄まじい音量で、この空間を埋め尽くしていたのである。辺りは煙の海であり、ごほごほっと言いながら飛影は寝ころんでいた。立ち上がる為の力さえ、どこかに吹き飛んでしまったように飛影には思えた。
しばらくして、音が完全にやんだ辺りで、飛影は首だけむくっとあげて前を見た。煙の向こうには何も見えなかった。周りの風景だけがそのままで、その中央にあったはずの物質が、飛影の目には映らなかった。映せなかった。ズキズキいう右腕を支えにして飛影は腰から上だけあげて座り込み、周りを見渡した。呼吸をするのがやたらとしんどい。はあっ、はあっと息を整えながら、眼だけをきょろきょろと動かした。周りの光景が、飛影に精神的なダメージを大きく受けさせた。飛影は、何をどう考えたらいいのか、煙がだんだん引くとともに、わからなくなっていく気がした。
と、その時、飛影は背後に人の気配を感じた。何となく悪寒がして振り向くと、そこには突っ立っている、 霙が居た。
飛影は、固まった。
煙がようやく引き、その中心にあるガレキの山が姿を現した。闇の中で、霙はずっとそれを見つめていた。彼女自身も息が切れていて、肩を奮わして、そこに広がった残骸を見た後、空の方をふっと見上げた。黒く渦巻く雲がゴゴゴゴという音を静かに立てて、その空間を包んでいた。
霙の体がブルブルと震えていた。
「みぞれ……」
と、飛影が言った瞬間、
「うわあああぁあああぁぁあ------------------------------------っっ!!!!!!」
と、霙が叫んだ。
「うわぁああああ------------------!!!あああぁ--------------------っっ!!!!」
その声が、鳴りやむことはなかった。
「………」
飛影は、下をむいて目を瞑った。何故こんなに辛いのか、わからなかった。
霙は叫び続けた。この世のものの全てに向かって叫んでいるつもりだった。悲しさと、憎さと、悔しさと、寂しさの、独唱。叙情詩。幾筋もの、水の涙が、あふれ出して、地面にぽたぽた零れていっていた。
------オレは…、一体どうすればいいんだ………!
飛影はぐっと下を向いた。すると、自分の遙か上の方から、またパチパチッという音が聞こえてきた。それに気付いた飛影は、はっと顔を上に向けた。
黒い雲が、このガレキの山の上を中心に渦巻きながら、外側へ外側へとどんどん広がっていっていた。飛影はがばっと立ち上がり、座り込んで地面ばかり見ている白い髪の少女には目もくれず、近くの高い木の上に飛び乗って、街の方を見た。すると、ちょうど彼が見たその方向に、黒い雲から稲妻が音もなく落ちた。
街はドォンと音を立てて、辺りへ破片を飛び散らしながら消し飛んだ。飛影の息が止まった。そして、その隣りの街にも、音もなく稲妻が落ち、街がまた凄まじい音を立てて消し飛んだ。その隣りにも、その隣りにも、どんどん稲妻は落ち、街はどんどん消えていく。黒い影になった破片の一部が、飛影達の居る山にも飛んできて、パラパラと辺りに降った。太陽を見ているような感じ。彼の後ろに、彼の影と森の影が、黒く長く伸びていた。
それでも空は、影も光も形もない。どこからか、氷鳥の高笑いが聞こえてくるような気がした。
「やめろ………」
と、飛影は呟いた。
「やめろ……!」
ドォン、ドォンと、辺りは見る見るうちに廃墟へと化していく。さっきまで、賑やかだった街が、さっきまで、飛影を助けてくれていた、あの街が……!
人間界が………!
と、その時、飛影は突然めまいを起こしてバランスを崩し、落ちて地面に頭を打ち付けてしまった。閃光を見続けてしまったのと、このところの疲れで、大分体が弱っていたのだろう。だが頭を打ったその衝撃で、一瞬飛影は頭が冴え、すぐにがばっと起きあがった。あることに気がついたのだ。何をぼうっと見とれていたのだろう。
------雪菜が……危ない!!
そのことに気づいた飛影は 悪寒を力にして瞬間で立ち上がり、ダッと山を下りる道に走っていった。彼はずっと走りっぱなしだった。だがその時は、彼は疲れを全く感じていなかった。それどころじゃなかったからだ。
すると、そこに、一体どうやってここに来たのか、場違いのような格好で、雪菜が立っていた。
「!?……っ」
飛影は驚いてたじろぎ、歩みを止めた。
雪菜も、ただじっとそこに立っているだけで、動かなかった。
ドォン、ドォンという音と夕闇を背景に、飛影と彼女の空間はそのまま止まってしまっていた。
しばらくした後、雪菜はすっと右手を前に出し、紐の先についた氷泪石をぶら下げた。飛影はそれを見た。雪菜は何か言おうとして、小さな口を開いた。
その時。
飛影は彼女の頭上に、稲妻が走るのを見た。
きっかけも何もなしに、飛影は雪菜に向かって突進した。周りにはなにも見えていなかった。
やめろ……。
「やめろ------------------っっっっ!!!!!」
ド、ン。
| 広場物語へ | 第15章へ | 第17章へ |