祭壇の灯

その15
【氷泪石(3)】



飛影は考えていた。
自分が、これからなにをするべきなのか。
霙はもう走り出していた。
雪菜は目を丸くしたまま、飛影の後ろに突っ立っていて、すぐに動けそうではなかった。

痛いところをつかれた、と飛影は思った。なんというバッドタイミング…。
霙はもう止められそうにない。けど今から追いかければ、まだ怪我が治っていないとはいえ、飛影は追いつけないことはないだろう。だが…。

  雪菜はどうなる。

飛影の心臓が、ドクンドクンと大きな音で鳴っていた。
霙の家が、次の攻撃目標になったということは、飛影の位置は可成前から氷鳥にばれていたのだろう。
ということは、今の自分だって、空から氷鳥に監視されていてもおかしくはないはずだ。
だから、雪菜のことが、氷鳥にばれてしまっていても----------。
おかしくない…。
最悪だ。
飛影は空を見上げた。雲一つないきれいな夕空だった。そこにはなんにもないように見える。だが、飛影はこの空を見て、嵐の前の静けさのように感じずにはいられなかった。


この空のどこかから、雪菜は氷鳥にみられているのだ。


そう考えるだけで、飛影は寒気立った。
雪菜の方に振り向くと、彼女は相変わらず何も知らないふうな顔をして、目を丸くしていた。
そんな無機質な雪菜の表情も、今の飛影にとっては恐怖だった。
--------お前は、どこにいても、危険になってしまったんだぞ、と言いたかった。




「雪菜」
「は、はい」
どうする…。霙を放っておくわけには…。だが雪菜をここに置いていくのか?オレから離れれば----いや、一緒に居ても----雪菜は危ない。じゃあ連れて行くのか------?雪菜は速く走れない。霙はさっきの乗り物で自宅へ向かうだろう。オレの足なら、奴が到着する前にあいつの家にたどり着けるだろうが、雪菜は…。チッ!霙め、勝手に行動しやがって…!
「雪菜…っ」
「はい」
飛影は、雪菜が持っている氷泪石の方を見た。
「…その石をよく見てろ。絶対よそ見するんじゃない。いいか、その石だけ見てるんだ」
「…」
飛影は、覚悟を決めた------------わけではないが、兎に角今は、雪案の命をこの石に託すことにしたらしい。
雪菜は黙って、怯えたように飛影の顔を見ていた。
「今、事態は緊迫している。桑原にも少し聞いただろう。魔界は、また荒れた時代に戻っているんだ。その影響が、どんな風に人間界に及んでくるかわからん。特に、魔界出身でありながら大した力も持っていない貴様は、どうつけねらわれるかわからん。だから、きっとその石が貴様を守ろうとしているのだ」
「……」
「今走っていった奴は------…。あいつは……。奴が何者かなんざ、どうでもいいことだな、オレは奴を追う。だがオレはすぐに帰ってくる!それまで自分の身を自分の力とその石で守っていろ。石に知ってる場所が現れたら、すぐにそこから逃げろ!」
「飛影さん…」
「何だ。もう時間がない。オレは奴を追ってすぐに戻ってくる。貴様は絶対無事でいろ」
と言っても、絶対無事でいるなんて、無理な話------と思った時、飛影ははっとして、胸のあたりが熱くなった。何か間違っている気がした。だが飛影は深く考えないようにした。時間がなかったからだった。
「なんで、飛影さん…」
「もう行くぞ、奴を見失う。いいか、絶対にオレが戻ってくるまで無事でいろ!」
そう言って、飛影は振り返らず霙の後を追い路地を駆け抜けた。ちょうど雪菜の方向に夕日があったので、飛影の影は飛影の前方に伸びていた。飛影は影よりも速く走ろうとした。
飛影はあっという間に、その場所から消えていった。
「なんで、飛影さん…」
飛影が去った後、雪菜は、まだ飛影が目の前にいるかのように、自分の影に語りかけていた。
------”貴様は絶対無事でいろ”なんて、雪菜は飛影から言われたこと、今までいちどもなかった。


 
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■

「待てっ!霙っ!!」
駅のホームで立ち往生している霙に、飛影はやっと追いついた。三角巾を吊っている左肩を右手で握って、息を切らして、飛影は霙に近づいた。
「切符ちゃんと買ったの、あんた」
「何だそれは、そんなもの知らん!」
息が上がっているせいか、飛影はいつもより少しばかり荒い口調だった。やはりまだ、彼の体力は戻っていないようだった。
「それより、こんなものでは間に合わんぞ」
息を整えながら飛影は言った。
霙は、飛影の頭の上の方を見あげた。そして静かに言った。
「…仕方ない。私はあんたみたいに速く走れないんだから」
霙の目は、どうやら山の方向に向いているらしかった。言った後、彼女が上を向いたまま、下唇を噛むのを飛影は見ていた。ホームには人がいっぱい居た。別に電車が遅れている訳ではないが、ラッシュの時間帯のため、動きがのろそうな社会人や学生達が、プラットホームに溜まっていた。彼らのそのゆっくりした動きも、霙の心を少なからずイライラさせていた。
飛影も、いてもたってもいられない様子で、霙に話しかけようとしたがその瞬間、先に霙の方に口を開かれた。
「飛影、……頼む、先に行って。早く行って」
霙は最初目をそらしていたが、「早く行って」と言った時、彼女のぎらぎらした瞳が、飛影の目を真正面にとらえていた。二人の横から夕日が差した。
「あたし……。あたしは、あたしの故郷を守りたい。でも、このままじゃ、こんな様子じゃ、守れそうに………。だから…。


飛影……。お願い。あたしの故郷を助けて………」



飛影は息が詰まった。周りの音は場違いなように、二人をザワザワと騒がしい空気で包み込んでいた。霙はそんな周りの様子を見渡した。そしてまた飛影を見た。飛影も霙の目を見た。
霙はまた泣き出しそうだった。
彼女は悔しいのだ。自分の力で、自分の大切なものを守りに行けないことが----------。
「……」
霙の目を確認するや否や、飛影は返事もせずにすぐ立ち去った。その空気の中に、霙はひとり取り残された。
霙は、たくさんの人の中に、ひとりで居た。うつむいたその目から、オレンジいろの涙が静かにこぼれていた。


 
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■

-----------なぜ、オレは今走っているんだ?
左肩を押さえ、民家の屋根の上を跳びながら、霙の家へ向かっている途中、飛影は、ふとそんな疑問にかられた。
さっきまで周りの景色はびゅんびゅん後ろに流れていったのに、飛影は何故か、急に走る速度が遅くなった気がした。
------なぜオレは、あの女の言うことなんか聞いて居るんだ?そんなことより------オレは、雪菜を、一人で、危険の中にさらしてきてしまったのだぞ……
そのことを思い出した時、飛影の目が一瞬丸くなった。不意をつかれたように急に彼は止まりそうになったが、でもすぐに彼ははっとして、速度を上げてまた走りだした。
だが心の中では、さっき湧いてきた言葉が彼の中でまだぐるぐる回っていた。
------雪菜を、一人で放っておくよりは、オレが一緒にいてやる方が、まだ安全だ…。いや------オレがいたところで…。あの野郎に敵うかは……
------だが、何故オレは、霙の加勢などしているのだ…?
------あんな奴を、オレは何故助けようとしているんだ…?
もはや止まることも、速度を落とすこともなかったが、それでも飛影は考えながら、どんどん皿屋敷市から遠ざかっていった。
走っている彼の中では、ずっと葛藤が続いていた。なんだか、自分が間違っているような気がして、彼は頭の後ろの方がひどく熱くなっていることに気付いた。
”飛影……。お願い。あたしの故郷を助けて………”
霙の声と、夕日に映えたあの目を思い出した。
------オレは、あいつを助けようとしている……------
そして今、暮れなずむ人間界の街を、飛影は一人でただ走っている。

「…………」

その時、飛影は初めて気付いた。




今、自分は、ただ一人しかいないということを。



自分の他には、誰もいない。
仲間もいない。

守るものだけがたくさんあって、飛影は今、それを一人で全て守りきろうとしていること。




”だれもいない”



今、目的地に向かって彼が一人で走っている事実が、それを象徴していた。

彼の耳の奥の方で、遠くの空から響く雷の音が、幽かに聞こえたような気がした。







 


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