祭壇の灯

その14
【氷泪石(2)】



次の日の昼、飛影は霙と一緒に屋敷の外に出た。霙の両親にはちゃんと了解を得ていた。
本来なら、きっと飛影は一人で勝手に屋敷から出ていっただろうが、今回霙を案内役に頼んだのは、彼には人間界のつくりがよくわからなかったからではなく、本当は邪眼を使いたくなかったからだ。
邪眼を使えば、たとえ街のつくりがよくわからなくても、雪菜の居所を知ることは造作もないことだ。だが、今彼は妖気を発することを極力避けていた。なぜなら、氷鳥に見つかる恐れがあったからだ。氷鳥は、飛影を神の世界に消し去ろうとしてやってきた。が、今でもまだその目的は果たされていなくて、氷鳥の手を運良く逃れられた飛影は人間界に潜伏するかたちとなった。もうとっくに居場所はばれてるかもしれないが、用心に越したことはない、出来る限り彼は自分の存在を隠す必要があった。
そのためには、彼が今人間界で妖力を使うことは非常にまずいことだった。妖怪は自由に魔界・人間界を行き来できるようになったとはいえ、飛影のような強い妖気が人間界で感じられれば、たちまちのうちに気付かれてしまう。もともと人間界に来た時、ボロボロにやられて妖力も大分削られていたので、今でもそれほど回復しているとは思えないが、とにかく飛影は妖力を使うことを控えていたのだ。

「飛影、早く帰らないと、親御さんが心配するんだとさ」
出発直前、霙は養母にそう解説した。
「そう…それもそうね。でも飛影君大丈夫?本当ならまだ動いちゃダメなんだから。無理しちゃだめよ?」
「……」
「大丈夫よ。私がついてってあげるんだから」
霙はにこっと笑って返事をした。
「そう。それじゃ気を付けてね。飛影君、お大事に。お母さまに宜しくね」
そういって霙の養母は二人を見送った。
少し歩いて振り向くと、彼女は家の前で二人に手を振っていた。霙も手を振りかえして、くるっと前を向いて出発した。



山をてくてく下りながら、霙が突然飛影に言った。
「何か気に触ったことあったならごめんよ」
飛影は霙の方を向いた。
「ねぇ、あんたって、お母さんの記憶とかあるの?」
飛影の目が大きくなった。霙は前を向いた。
「あんたもね、その氷泪石持ってるんなら、その石がどうやって作られたのかは知ってるだろ。あんたみたいな奴の、家族の感じ方って、どんなものなんかなー…って思って。あ、失礼だった?」
「フン」
飛影はそう言って前を向いた。
「あたしもさ、生まれた時から母親いなくって。氷鳥みたいな酷い奴に育てられて。あたしの、あたしを産んだ母親は、私を氷河の国に残したまま姿を消したって聞いて、周りは私の母親を酷い奴だって言ってたけど」
霙はふっと上を向いた。
「周りって勝手だよね。わたし、わたしの母親のことぜーんぜんひどい奴だなんて思わなかったもん。離ればなれになっちゃったらさあ、子供は母親に会いたがるもんだよ」
霙の目の先には、雲一つ無いきれいな秋の空が広がっていた。飛影はただ前を向いててくてく山道を下りていた。
「あたしは今のお母さんがいちばん好きだけどね。でもいっぺん会ってみたいなぁ。どこにいるのか、もう死んじゃったかも知れないけど」
そう言って霙も、飛影と並んで山道を下りていった。



飛影と霙は、電車に乗って皿屋敷市に向かった。鉄橋を渡る時、ガタガタガタという音と共に、日光に反射したきれいな河面が現れた。
「やかましい乗り物だ」
「電車に乗るのは初めてかい?これでもなかなか風情があるってもんさ。退屈しないだろ」
「走っていった方が速い」
「あんたって可愛くないガキだねぇ」
「黙れ」
二人は最初そういう他愛ない会話をしていたが、いつの間にか二人とも黙りこくってしまった。二人は窓の外の光景にいつからか釘付けになってしまっていたのだ。
霙の住んでいた山付近の駅から出発したので、最初は木々や谷間の風景が目に映り、ずっと遠くまで畑が広がっている風景、家ばかりが立ち並んでいる風景などが、なにとなく電車の横を通り過ぎていった。川の上を、空中を滑るかのように電車が走っていった時、飛影は電車の下を見た。ずっと下に、止まっているような川が流れていた。こんな風にして川を眺めるのは、飛影は初めてだった。
やがて、電車は町中に入った。工場やビルが立ち並び、電車は可成高いところを走っていった。時々下の街の様子が見えて、人々は忙しそうに横断歩道を渡っていた。
「もうそろそろ皿屋敷市に着くよ」
と霙が言った。だが、飛影は少し上の空だった。少しして気付いた飛影は
「っ、ああ」
と焦って返した。
「人間界が気に入ったかい?」
霙はにやにやと嬉しそうだった。
「フンッ。気に入らんな」
飛影は窓の方を見たまま言った。
「景色に魅了されてるくせに」
「知るか」
飛影は全く表情を変えなかった。霙は何故か、ニコニコと嬉しそうだった。




「私、人間界に来て良かったよ」

霙も窓の方を向いて言った。その時の彼女は、口元は笑っていても、目は笑っていないというような表情だった。
「もとは、ただの避難所として、人間界も、おばさんもおじさんも利用してただけのとこだった。
 けど、今では、人間界は私の故郷だよ」
「………」
飛影は、聞いてないふりをしていた。
霙の言葉をもっと聞きたかったからだった。独り言じみた言い方をさせる方が、本心を聞きやすいのだ。
電車は相変わらず、ガタンガタンの音のリズムを崩さなかった。電車も霙の話を聞いていたのだ。
「私は人間界に来て、大切なものを知った。氷河の国なんかにずっといたら、絶対わからないようなこと、たくさん…。私人間界が好きだよ。
 混沌とした魔界や、何もかも矛盾してる霊界なんかより、ずっと人間界の方がいい。疎むことも憎むことも、私が見てきた魔界より、ずっと薄い様に見えるから。私はこの街が好きだ。
 私は人間界をいちばん守りたい」
電車の無情な音のせいで、霙の言葉はさらに独り言っぽくなってしまったが、霙はそれを口に出して言えただけで満足だった。
「人間界だけは、私の育った街だけは、何があっても私が守ってみせる。私の街だ」
「………」
飛影は、ずっと黙っていた。
「…………」
二人とも黙ってしまったので、電車の音が、一層目立って良く聞こえた。



窓の外の景色はずっと同じということは全くなく、それでいて、目的地になかなか着かなかったので、人間界は思ったより広いところなのだな、と飛影は思った。
この、人間が作った乗り物に乗り、人間が作った街を走り、彼に”人間界”というものを味あわせる…。
そんなシチュエーションが、やはり少なからず、飛影の心の傷を癒していた。
緊迫した魔界に長く居続け、仲間と共にほぼ100%帰ってこられないという城に行き、引き返してきてみれば、残っていた仲間は全滅…。恐ろしい敵に遭い、仲間は散り散り、ばらばら。相手は自分を狙っていた。彼は深く傷つき、意識を失い飛ばされた。そんな状態の彼を助けたのが、大きな言い方をすれば、いわば”人間”だった。
飛影は人間に助けられたのだ。
闘いの傷が癒えず、狙われたらアウトである状態なのは今も変わらない。だが、心の傷の方は、飛影もそれとは知らず大分回復していたのだ。
霙と再会し、彼女の正体を知って、そして人間界で暮らす「元氷女」の姿を見て、今まで緊迫していたためなかった心の余裕を、飛影は少なからず取り戻していたのだった。
霙の人間界の紹介方法で、飛影の人間界の見方も少し変わった。魔界が果てしなく広いように、人間界にもいろいろなところがあるのだということを。人間界も、ただ無能な人間共がのうのうと暮らしているだけの場所ではないということを。

(------。)
飛影は、あまりにも自分の人間界の見方が変わってしまったことに少なからず驚いていた。
「何驚いてるんだい」
その言葉に飛影はびくっとした。
「目に鋭さがなくなってるよ。油断したら駄目な時なんじゃないのかい」
「黙れ!」
くっくっくと霙は笑った。その笑いに飛影は不快を覚えた。
「元気になったみたいでよかった」
「………」
「もう到着だよ。あんた、妹に石を返したら、本当にすぐ魔界に戻っちゃうの?」
「…………」
飛影は答えなかった。


 
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■

雪菜が暮らしている、桑原の家の前に着いたのは夕方だった。邪眼を使わなかったら、ただの一軒家を探すのにこんなにも時間がかかるのか、と飛影は思った。
霙は、家の門の横の壁にもたれた。
「行っといでよ。あたしの役目は終わったんだ」
飛影は霙を横目で見ながら、ポケットから氷泪石を出し、門の前に立った。その時点で、飛影は初めて、
 自分はこれから雪菜に会うのだ、
と思った。

------雪菜は、一体何と言ってくるだろうか…。
飛影は一瞬思考をめぐらした。
きっとまず、桑原のことを聞いてくるだろうな、と飛影は思った。
何しろ、もう一週間以上も帰ってないはずなのだから。
オレはどう言えばいいのだろう?事のいきさつを説明するか、はなから嘘を言うか、ただ氷泪石を押しつけて帰るか…。
とにかく、今雪菜が普通の精神状態ではないとは思っていた。
オレに会えば、きっと質問攻めにするだろう。桑原はどうしたとか、魔界で一体何があったのかとか、そういうことをうるさく言ってくるだろう。
……………。
…だが、オレの用は、これを返すことだけだ。…これさえ雪菜の手に渡れば、後はもう知らん。
…それでかまわん。
そうして、ようやく飛影はインターホンを押した。無情なベルの音が響いた。
「…………」

ガチャ。
「! 飛影さん!」
出てきたのは、人間の服を着つっかけをはいた雪菜だった。
------…ちっ。…くそう、うるさ----
「どうしたんですかそのケガ!」
はっ、と飛影は頭を上げた。
雪菜の眼の先には、三角巾に包まれた飛影の左腕があった。
「折れてるんですか!?一体どうして…」
パタパタとサンダルを鳴らして、雪菜は飛影に近寄った。
「いいから、オレの言うことをよく聞け。これを返しに来たんだ」
そう言って、飛影は氷泪石を取り出した。
「え…っ氷…!でも、それ…」
「いいから、説明をよく聞け! いいか、こいつにはな、災難を予知する力があるんだ」
飛影は少々強引に説明を始めた。
「災難を、予知…?」
「そうだ。この石の表面に何かが映し出されたら、そこが次やられる所だ。よく見ていろ。近くが映し出されたらすぐに避難しろ!」
あまりにも突発的な飛影の出現と発言に、雪菜はどぎまぎしていた。
「で、でも、飛影さんそんなこと…、今までただの一度もなかったのに…。それに、今そんな危ないことが…、起こってるんで…」
飛影はチッと言って、下を向いた。目には手の上に乗った氷泪石が映った。

-----------!?


飛影ははっとした。
氷泪石に、ある風景が映っていたのだ。
「いつの間に!!」
そう言って飛影は氷泪石を目に近づけた。
だが、そこに映っていたのは、飛影の見覚えのない場所だった。見たことがない----削剥の城でも、魔界の平原でもない。
オレを狙った攻撃じゃないのか?
一体どこが--------。
「飛影……」
飛影が振り向くと、いつの間にか飛影の直ぐ近くに霙が立っていて、飛影の持つ氷泪石を覗き見していた。
「…あたしの家だ……」
「なッ!!?」
そこに映っていたのは、山と、そして幽かに見える、大きな白い屋敷-------。




次の瞬間、すでに霙は駅の方へ駆けだしていた。
「みぞっ…!!」
何が起こったのかわからないで、目を丸くしている雪菜の前で、飛影は霙の後ろ姿を見ていた。その時間はほんの数秒だったのに、飛影にはとても長く感じられた。
飛影は考えていた。



氷鳥がくる。






 


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