祭壇の灯

その13
【氷泪石(1)】



「ここは、人間界のどこらへんなんだ?」
突然霙の部屋に尋ねてきた飛影が言った。
「…なんだい。こんな夜遅くに…」
眠そうに、霙は体を起こした。そのベッドの横の窓から、またきれいな月の光がさしていた。
人間界のつくりは飛影にはよくわからない。が、なんとなく、幽助や桑原達が住んでいたあたりから、そんなに離れたところに居るような気はしなかった。
「ここは、皿屋敷市か?」
「……の近く」
「そのどのへんだ?」
「さぁ」
霙は面倒そうに目をこすっていた。それを見て、飛影は少しいらいらした。
「…でも、あんた」
月の光をバックにした霙が、ドアの前にいる飛影をまっすぐ見た。
「あんた、そんなこと聞いてどうするのさ」
霙の影が飛影に、飛影の影が彼の後ろの廊下に薄暗く伸びていた。神秘的な空気が、その空間を包み込んでいた。鈴虫の鳴き声が響いていた。
飛影は答えた。
「オレは、すぐに魔界に帰らねばならん」
「なんで?」
「………」
飛影は、ぐっと拳を握った。
「オレは…。オレは仲間を魔界に置いてきた。あの恐ろしい化け物と闘っていた最中にな…。オレが、こんなところで、こうものんびりしているわけにはいかんのだ」
「ふーん…」
霙は特に関心もないようだった。その様子に飛影はまた少しいらついた。数秒おいて、飛影がまた言った。
「…だから教えろ」
「いやだね」
霙は即答した。また数秒おいて、飛影は気持ちを抑えながら言った。
「……何故だ」
「教えたら、あんたその体で今すぐにでもここを飛び出していっちゃいそうだから」
「…………」


 
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■

その夜、飛影は霙と霙の養父母達と夕食をとった。人間は珍しい物好きだから、この人間達にややこしいことをいろいろ聞かれるかと飛影は思ったが、ケガの程度を聞かれたり、おかしかったらしい彼のテーブルマナーを少し指摘されるくらいで、どこから来たのとか、なんであんな酷いケガをしていたのとかは聞かなかった。彼が眠っている間に霙がうまく説明したのかも知れないが、恐らくあまり人のことを詮索しない性格なのだろう。
もしかしたら、魔界から来た霙を拾ったぐらいの人間なのだから、彼らはすでに魔界や妖怪の存在を知っているのかも知れない、だからそう詮索したりしないのかも知れない、と飛影は一瞬そう思ったが、どうやらそれはなさそうだった。
「飛影君、そのケガが治るまではうちにいなさいよ。大丈夫このおじさんは名医なんだから。治ったら家の人に電話してあげるね。霙ちゃんが貴方を見つけなかったら、貴方ほんとに大変なことになってたわよ」
夕飯の後で、霙の養母が、また微笑みかけながら飛影にそう言った。飛影は黙っていた。あぁ、やはりこいつらはただの人間なんだなと飛影は思った。ということは、朝霙が自分に話した霙の正体も、こいつらは何も知らないのだと彼は思った。
この家は、木の茂った山の麓(ふもと)に一軒寂しく建っていた。もっと下に行けば街があるらしく、霙の養父はそこで診療所を開いているそうだ。しこたま設けていて、将来資産は霙に譲って、夫婦二人でどこかへ旅行に行きたいだの、この家でずっと静かに暮らしたいだの、そういう話を、飛影は霙の養父にめいっぱい聞かされた。もっとも、飛影にとってはもちろん全く興味のない話だったけれども。
寝る時になって、霙の養父母は部屋を一室飛影に用意してくれた。この家は山中に寂しく建っていながらなかなか広く大きな家だったので、部屋は沢山空いているらしい。飛影は、景色がよく見える窓の着いた部屋に入れられた。なにとなく、最後に躯の家に泊まった夜を思いだした。
ドアが閉められて、久々に一人になったような気がした飛影は、霙の部屋のように月の光が差し込む小さな窓の外を見た。周りが木々に囲まれているせいか、景色はほぼ真っ黒だった。夜空よりも森の色の方が黒かった。でも、森の向こうの方にぽつぽつ光が見えたので、あれが人間達の街だろう、と飛影は思った。
その明かりを見て、何故か、彼はふと雪菜のことを思い出した。
そして、何故か今無性に彼女に逢いたくなった。
あの日ーーー幽助、桑原、蔵馬達が魔界に来て、我隠、月架と共に、削剥の城へ行った日。
削剥の城は、中に入ればほぼ100パーセントの確率で帰ってこられなくなるという恐ろしい場所。そこへ、ついに飛影が、厳選された専門の突撃隊として乗り込むことになった日。
まだつい3、4日前のことなのに、もう1ヶ月以上経っているようなそんな気がした。
出発直前,彼は、部屋の窓の枠に腰掛けて石を見ていた。
彼はその時、今ではもう会うことができない躯に
こう言われていた。

「…妹に会いに行かなくて良かったのか。
 今生の別れになるかも知れんというのに、石を返さなくて良かったのか?」
 と。

今更ではあるが、今飛影の中で、その言葉がすごくよく響いていた。
今の彼の心情を一言で表すなら、それは”悔い”で、悔いが彼の心の中を支配していた。躯に別れを告げなかったからだ。
彼は自室のベッドの上に座り、三角巾に包まれた左腕の上腕二頭筋のあたりを、右腕でぎゅうっと握りしめていた。
そして顔を膝に近づけていた。
無性に悔しくて、許せなくて、やるせなかった。

あの時は、余裕があった。
何故……。
何故そもそも、削剥の城へ自分が行っても、大丈夫だと思ったんだ!?
確かに、オレは、その時無事だった……。
けど………しかし……!!
オレは………!!

「オレは、なぜこんなところにいるんだッ!!?」

 


 飛影はそう怒鳴って下を向いた。
霙は、うなだれた飛影を眺めた。飛影は背筋もぴんと張ったまま、顔だけ下に向けて立っていた。それから、右の拳を血が出そうなくらいぎゅうっと握りしめていた。
「…幽助…桑原…蔵馬…躯……。我隠…月架…参殿……。オレは……。何故オレだけこんなところにのうのうと存在しているんだ!!」
夜中だから静かにしなさいと言わんばかりに、霙は人差し指を立てて軽く口に当てた。とは言っても、顔を下に向けた飛影には見えないだろうなとは思ったので、それはすぐにやめた。霙にも、飛影が無念の気持ちでいっぱいだということは、外から見ているとはいえわかっているつもりだった。
飛影は動かなかった。
「…………」
霙がふいに言った。
「…ほんとに、あんただけが助かったのかな」
飛影は眼だけを上に向けた。
「あんたは、氷鳥の髪をくぐって、この人間界にたどり着いたんだろう?そんなら、同じようにして消えてったあんたの仲間達だって、助かってても不思議じゃないと思うけどね」
飛影は今度は首全体を上にあげた。彼の真正面に、ベッドに座っている霙がいた。
霙は、朝の食事の後、飛影が何故血だらけだったのか、一体何があったのか等を、霙が正体を明かすのと交換で飛影から聞いていた。その内容に彼女がひどく驚いたことは言うまでもない。氷河の国での育ての親・氷鳥が、今頃になって一体何をしでかすんだろうと彼女は興味津々だった。
「神だって…?あの性悪女が神様!?」
と霙は言った。今ではもう周りを憎んだり恨んだりすることは出来るようになったようだった。

「どっちにしろ、話を聞く限り、あんたの仲間達はまだ死んじゃいない。生きてると思うよ。奴の黒い髪を通ると、通った者は神の世界へと運ばれる。運ばれた先は、氷鳥みたいな神に連れてこられた奴でひしめきあっていて、そのまま浄化されるまでずっとそこに居続けなければならないとかいう所なんだろ。
私にもよくはわからないけど、簡単に言えば生き地獄で、最悪の場合でも仲間はみんなそこに生きたままで運ばれてるんだと思うよ?」
「……………」

「…だが、あいつらが無事とは限らん…」
飛影は言った。
「あいつらは今、地獄にいる」
そう言った飛影の想像した”地獄”とは、彼が最後に仲間と戦った、あの躯の城の焼け野だった。
「だから、今から魔界に行くのかい」
霙が言った。
「行ったって仕方ないじゃないか。手がかりが何かあるわけでもないんだろ」
「何もないとも言い切れん。とにかく早めにしないと、何もかもが手遅れになる」
「だから最低でも、あんたのそのケガが治らないと無理だって。今魔界に戻ったところで、今のあんたに何が出来るんだよ。もがいてまた氷鳥の髪に捕まりに行くのか?今度こそあんたと、あんたの仲間達は終わるよ」
飛影は少し黙った。
「だが、ここに居てずっと安全で居られるわけでもない。オレを追いかけてきた稲妻の話もしただろう。ずっと稲妻を使ってオレを攻撃していたのがやはり奴だったとしたなら、奴は人間界にも進出できるということだ。いつこの空までもが、奴に支配されるかわからんぞ」
「……」
また少しの沈黙があった。


「でもあんたは、今までずっと無事だったんだろ。稲妻をずっとよけてたんじゃないか」
今度は飛影が少し黙った。
 すると、飛影はずっと握っていた右の拳を広げて、その中にあった石を霙に見せた。
「………。
これがあったからだ」
と言った。
「それは…」
「氷泪石だ。ただしオレのじゃない。オレの妹のだ」
霙の目が光った。
飛影は、またそれを拳の中に収めた。
「この石を見ると、たまに、自分が見ている場所とは違う場所の風景が映し出されることがあった。その場所が、間もなく稲妻が落とされる場所を予告していたということに、オレはすぐ気付いた。だからオレは今まで助かってきた。こいつの御陰だ」
「………」
霙は黙っていた。
「だが、文字通り仲間を見殺しにし、こうものうのうと療養しているオレに、こんなものは必要ない!」
飛影は拳を前に出して、それを指先でぐっとつまんだ。石を割るつもりではないことはわかっていたが、なにとなく霙は緊張して、それを眺めていた。
飛影の右手は震えていた。
「……協力しろ。オレは、何も今すぐ魔界に行く気はない」
「え?」
「人間界で、やらねばならんことがある」

「雪菜に……。妹に、この石を返す」

霙は目をぱちくりとした。
「この石は、天涯孤独な氷女が、人間界にまで兄を捜しに来て、もしもオレが奴の兄を魔界で見かけたら、これを渡して、自分は人間界にいると伝えてくれ、と頼んで、オレに渡してきたものだ」
「…彼女は、あんたを知りながら、あんたが兄貴だって知らないのか」
「……」
「そうか」
だが何故言わない?とまでは霙は言って来なかった。言わないだろう、と飛影は言う前から思っていた。
「オレには人間界のつくりがよくわからん。雪菜の住むところまで、明日貴様が案内しろ。近所まで行けば場所はわかる」
「…………」
霙は黙って頷いた。だが少し疑問があり、それは口に出して聞いた。
「…その後、あんたはいよいよ、魔界に行くつもりだな…」
「ああ」
「……………………」
霙は黙っていた。
今のうちに、後悔しないうちに、飛影は約束を果たしに行くのだ、と霙は思った。

 

だが、霙は気付いていなかった。
飛影がそれを妹に渡しにいく目的は、約束を守るためではなく、妹の安全を守るため故のことだということに。
これから何が起こるか分からない今だから、次に起こる危険を察知し、その表に映し出すその石を、彼はなんとしてでも妹の側に置きに行きたかったのだ。
そうすれば、彼は少しは安心して、
魔界に行くことが出来る…。
今のうちに、少しでも後悔しないように行くのだというところでは、霙の考えは当たってた。
……少し前なら、どうなっていただろう。
少し前にはあったものが、今では無い。
 部屋を去ろうとした飛影が、後ろを向けたまま霙に言った。
「覚えておいてくれ」

「オレは、今あるものを………」

 

と言って、飛影は突然続きを言うのをやめてしまった。
「なに?」
次の瞬間、バタン、と扉が閉められた。
霙はひとり、ベッドの上に座って、月の光と鈴虫の音色を静かに浴びていた。






 


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