その12
【涙(其の一)】
「私の名前は、霙だ。
氷女である「凍歌(とうか)」という女の娘として、二十年程前氷河の国で生まれた。…生まれた当時のことは覚えていない…それが普通。だが、物心着く前から、私は何か周りの氷女達と、一目置かれているというのとはまた別で、距離を置かれている気がしていた」
明るく眩しい朝だというのに、霙の顔は沈んでいた。その顔の周りを、美しい綺麗な白い髪が包んでいた。飛影は,何の話をする気だ、と思った。
「あんた、『霙』って、一般的には一体何か、知ってるかい?」
飛影は、急に何をいうんだというのと、ばかにしているのかというような顔で頷いた。霙も頷いて言った。
「雪が空中で溶けて、半分雨みたいになって地上に降ってくるやつだ。雪なのか雨なのか何なのか、よくわかんない、中途半端な存在……。
それが、私だ」
飛影は不思議そうな顔をした。
「貴様の何が中途半端な存在なんだ?」
霙はふっと笑ったように見えた。
「氷女達が涙を流すと、その涙は結晶となり、氷泪石と呼ばれ、魔界一の高価な宝石となる…それが普通…。だが、私が流した涙は、石にはならないで、液体のまま流れ落ちていくんだ」
飛影は眼を丸くした。
「そのことで、氷女達は大いに私を恐れた。もしや人間の子じゃなかろうかとか、忌み子擬きだとか、あるいはどこかから迷い込んできた恐ろしい妖怪の子孫じゃなかろうかとか、とにかくそうして皆私を非難した。私が氷女だとは、誰も言ってくれなかった。私は誰にこの名を付けられたのか知らないけど、誰かが納得してつけたような印象があった。そして皆私を恐れた…。どこから連れてきたんだと、皆に攻められることを予想してか、私の母である凍歌は、私を氷河の国の者に預けてからすぐに姿を消してしまっていた。私には身内がいなかったので、ずっと、元母の家の隣に住む、ひとりの氷女に世話になっていた。私が非難されると、彼女はよく私をなぐさめてくれた。それだけが、私の氷河の国での”温もり”だった。その時私が流した涙も,全て水となって流れていった。周りの誰もが私を恐れ避けていた。それでも、家に帰ればなぐさめてくれる人が居た。だから、私はあそこで6年近くも過ごすことができた…。
……が…。その氷女の態度も、どうやら上っ面だけの愛情だったらしい…。私はある晩、彼女が長老から、あの娘を早う始末せよといわれているのを聞いてしまった。そして私の継母である氷女は、あの娘を始末しようとすれば、何がどうなるかわかりません、今は私が世話してやっている御陰で大人しくしておりますが、もう物心はついているし、殺されそうになった反動で思わぬ力を覚醒させて我々を皆殺しにするやもしれませんと言っていた。ひどく恐ろしい声だった。私は胸に風穴が空いたような痛みを感じたよ。心臓の音がやかましかったけど懸命に聞き耳を立てた。では追放するかとか、このまま丁重に扱っていても、いつあの娘が何をしでかすかわからないとか、とにかく私をどうしようかということばかり話していた。何しろ、私はまだ当時5歳だった。恐ろしくて恐ろしくて、その場で震えていた。二人の会話が終わると、彼女は家に戻ってきた。彼女はいつものように私に笑いかけて「どうしたの」と聞いてきた。私は泣いていた。水の涙を流して彼女を見た。彼女は微笑んでいたが、その笑みの裏にある、水の涙を恐れているその女の顔が瞼(まぶた)の裏にぼんやり浮かんで怖かった…。
氷女なんて、そんなものなんだよ……。
自分達と、少しでも違うところがあれば、それを忌み嫌い、仲間から外し、弾いて疎み、憎む。恐ろしい奴らさ。自分達と何かひとつでも異なるものは 何もかも恐れるんだ。恐れることばかりで、暗くて、冷たい。そうでないと、奴らは生きていけないんだ」
飛影はその話を聞いて、かつて雪菜に聞いた氷河の国の話とよく似ていると思った。
「私は長老と育ての親である氷女の話を聞いてから、ずっと身の危険ばかり感じていた。いつころされるかわからない時間の中を過ごして、日夜ビクビクしながら毎日を過ごした。私は、自分以外のものを憎むことを知らなかった。周りのイキモノ全てが私を憎んでいるのに、私はただ怯えるばかりで、周りを憎むことも恨むこともできなかった。どうやってその日その日を生きていたのかはもう記憶にない。ただ、もう、氷河の国に居ては生きていけないと思ったのは覚えている。まだ、5歳だった私が、そう思ったんだ。だが外の世界に出ても、もっと恐ろしい妖怪達にころされて、すぐ死ぬだけじゃないかと思うと、その恐ろしい氷河の国から出ることもできなかった…。
ーーーそんな時、私に 国を出る決心をさせる、ある出来事が起きた。
氷河の国で、ものすごく久しぶりに、その国で最も恐ろしいものとされている、男児、つまり”忌み子”が生まれたんだ。
あんたが生まれたんだよ」
飛影は霙の眼を見た。霙は、またふっと笑っている感じだった。
「すぐに国から追放されたあんたが羨ましかった」
飛影は驚いた目つきで霙を見ていた。
自分と目の前に居る娘が、同じ時期に同じ国に居たことがあったということにいちばん驚いていた。自分は氷河の女を皆殺しにしてやると決めて、氷河の国から追い出された。その氷河の女の中に、幼い霙も隠れ潜んでいたのだ。
「周りを憎むことが出来たあんたが羨ましかった…。あんたは生まれた時から、周りの者全てを憎んでたんだろ。みんなから聞いたよ。あんたの噂は国全体に広がってたからね。炎の妖気に包まれて、恐ろしい眼でみんなを見てたんだってね。私は、それが出来なかった。ただ周りの圧力に押されて怯えていただけだったんだ。わかるかい。私はあんたみたいに、周りを跳ね返そうとする眼を持ってなかったんだ。生まれてすぐに、氷女達を全て皆殺しにするという目的を手に入れ、地上に放り投げられたあんた、そして、ずっと周りに疎まれて、恐ろしい国に居続けた私…。
どっちが不幸せだろう…」
飛影は、自分が不幸な境遇にあるなんて、考えたこともなかった。考えたことがないのなら、彼は不幸じゃないんだろう。だが、目の前に居る霙は、きっとオレの生き様をうらやましがって、自分の人生を呪ったのだろう、と飛影は思った。そう思うと、ずっと氷女達を憎んで暮らしていた頃の自分が、なんだか尊い存在に思えた。霙は、飛影が国から追放された後、何を思ってその国で暮らしていたのだろう。
「あんたが追放されて間もなく、決心をし、ある夜、私は氷河の国を出た…」
それは、全く躊躇のないことのようだった。
「魔界をしばらくうろついているうちは、あんたの噂は何度も耳に入ってきたよ。忌み子飛影…。首に魔界至高の宝石をぶらさげ、狙ってきた盗賊達を残すことなく皆殺しにする、恐ろしい餓鬼だってね」
飛影は、そこでオレの名前を知ったのかと思った。
そこで珍しく 飛影が口を挟んだ。
「貴様今、氷河の国を出て魔界をしばらくうろついていたと言ったな。そんなことをして どうやって生き延びていられたんだ?普通の氷女が下界なんぞに逃げ込めば、すぐさま殺されるか喰われるか、二つに一つだろう」
「下界の妖怪達なんて大したことなかったよ。きっと私は、普通の氷女じゃなかったんだろうね」
飛影は、何故か少ししまったというような顔になった。
「妖怪が私を狙ってこない日なんてなかったよ。ただ私は、昔、私を世話してくれた氷女に教わったこの技で、ずっと魔界で生き延びられたんだ」
すると、霙の白い髪が、急に騒ぎ出した。
「!!」
彼女の髪は、彼女を囲って上下左右に伸び茂り、淡い白い光を反射させていた。その真ん中で、彼女の顔は微笑んでいた。部屋中に広がっていく白い髪の毛を見て、飛影は驚き息をのんだ。
これは……。あの”氷鳥”と同じ能力じゃないか!!
ガタッと席を立った飛影を見て、霙は不思議がった。
「? どうしたの。そんなにこれが恐ろしいかい」
霙はしゅるしゅると髪を戻した。それでも彼女の髪は長く、椅子の背もたれの上に静かに乗っていた。
飛影は目をむいて震えている。その様子に、霙の方が驚いていた。とりあえず彼女は技の説明をした。
「…今ので、相手の視界を防ぐんだ。今はゆっくりやったけど、本当はもっと素早く相手の顔を覆うことが出来るよ。そうしたら、相手は深い眠りに墜ちてしまうんだ。そういう術。あんたに二回ほど使った「白い閃光」はこれのことさ」
そこまで聞いて、飛影はようやく理解した。
「…貴様を育てた氷女というのは、…まさか…、『氷鳥』という名じゃないだろうな」
霙は驚いた。
「え!?な、なんでわかったの?」
飛影はいよいよ驚愕して、後ろの壁に背中をうちつけた。霙も不思議がって立ち上がった。
「立つな!もうオレに関わるな!!オレはここを出る。向こうへ行け!」
飛影は無我夢中にそう叫んだ。彼は臨戦態勢になっていた。飛影はわけがわからないまま、兎に角霙を恐れていた。あの闇の中と、稲妻と、消えていった仲間達を思い出していた。彼の黒い炎の妖気が白い部屋中を包んでいた。
霙もわけがわからなかった。ただ、目の前に居る飛影は今、恐ろしい顔で彼女を睨んでいた。
飛影は緊張したまま、壁にもたれて、妖気を溜めてそこで動かないでいた。
朝食を乗せたテーブルがカタカタと揺れだし、霙の髪も、黒い妖気に押されて揺れていた…。
飛影は、急にはっとした。
彼は霙の顔を見て眼を丸くした。我に返った彼は、そこでまた、しまった、と思うのだった。
霙は泣いていた。
声も出さず、うつむかず、ただ飛影を見据えて立っていた。その黒い眼は、銃の標準のように飛影をとらえて、動かなかった。
「……ほらね………。水しか流れないだろう……。地に落ちても、結晶にならずに…、床にしみこんでいくだろう……」
彼女の涙は、頬を伝い、あごから順番にポタポタと落ちていった。そのあと涙は、床の上に敷いてある絨毯(じゅうたん)に染みこんでいき、その部分だけ、絨毯の色がじわりと濃くなった。
飛影はなんとなくおろおろした。どうすればいいのかわからなかった。
「でもいいんだよ…。今は。 氷女じゃない。私は人間なんだから。人間はね、涙は、液体になって当たり前なんだ」
飛影ははっとした。
「魔界を放浪して、6歳になってまもなく、私は人間に転生した。もちろん、それには費用がやたらかかる。普通の妖怪じゃ払えない額で、そんなものの実現なんざ普通できないもんだ」
飛影は、戸愚呂がかつて人間で、暗黒武術会の優勝者の権限として妖怪に転生したことを思い出した。
「普通の氷女なら、泣いて氷泪石を差し出せば一発で実現可能なんだけどね…。でも私は氷泪石は作れない。けど、出せなくても、私は氷泪石を持っていたから、それを使って、人間に転生した。…さぁ、何を使ったかわかるかい」
飛影は、まさか、というような顔をした。
「凍歌が、母親が私を産んだ時に流した氷泪石さ。氷女にとっては、けしてそんなことに使ってはならないもの…。私はそれをあっさりと手放した…」
飛影は驚いていた。そして、右手でポケットを押さえて、そこにある二つの氷泪石の感触を確かめていた。
霙は、いつの間にか泣きやんでいた。
それに気付いて、安心したのか、飛影はぽつりと呟いてしまった。
「…すまなかったな」
「何が?」
間髪入れず霙は尋ねた。飛影は顔をあげた。
「あんたが、一体私に何を謝るんだ?」
「…………」
飛影は返す言葉がなかった。ただただ目の前に居る人間の、わけのわからぬ力に圧倒されていた。
「私は、『霙』なんて中途半端な存在でなく、はっきりとしたものになりたかったんだ。私は、『雪』を捨てて、『雨』になりたかったんだよ」
彼女の言葉ははっきりしていた。霙の白い髪は、動くこともなく、その空間に静かにたたずんでいた。その体も、顔も、動くことなく、白い朝の空間に、確かに存在していた…。
夕方になって、その家に人間の女が帰ってきた。見た目は50代から60代くらいで、温厚そうな顔をした女性だ。
「おっ帰りなっさーい!」
霙が嬉しそうに彼女を迎えた。飛影はその様子を、廊下の角から覗いていた。すると、その女が飛影を見つけたらしく、にこっと笑って
「あら、貴方気がついたのね。思ったより丈夫そうな子で安心したわ」
と言った。飛影は何も言わなかった。その微笑み方が、なんだか霙と似ていると思った。
「あんたの体中の包帯を巻いたのは、このおばさんなんだよ。おじさんがお医者さんで働いててね。おじさんも、夜になったら帰ってくると思うけど」
霙はにこにこしていた。
昼間、朝食の時の話の続きを聞くと、彼女は人間に転生したあと、どうやったのか、すぐに人間界に来たそうだ。そこでうろうろしていると、この家に住んでいた夫婦に拾われたらしい。その夫婦は、霙に出会う十年ほど前に一人娘を亡くしていて、そのこともあり、幼い霙を拾ったそうだ。
「霙ちゃん、それから貴方、すぐ夕飯作るからちょっと待っててくれる?貴方名前はなんて言うの?」
「…飛影だ」
飛影は、我ながら無愛想な答えだと思った。が、彼はこの雰囲気に馴染む気はなかったので特に気にしなかった。だが、本当なら、ただでさえ自分の名前など警戒する故告げるべきでないだろうこの場合なのに、無愛想であっても、名前を言った自分が不思議だった。
そこで、ふと飛影は思った。
この人間に、名前を教える時、霙は、なんでまた、「霙」という名を教えたのだろう。ただの人間相手に、嘘の名前を教えることはできたはずだ。それに、この名は、彼女にとって、酷く忌むべき名前のはずなのに。
人間の女と台所へ歩いていく霙は、朝の彼女の表情とは全く違い、幸せそうだった。
リビングに戻った飛影は、西日の差す大きな窓の横に座り、橙色に変わった庭を眺めていた。
ーーここは、一体何処なんだ……。
何故オレはこんなところに居るんだ……。
飛影は、左肩にぶらさがった三角巾を眺めた。この家の空気は悪くなかったし、霙も人間の女も自分を受け入れてくれている。が、ケガが治らなくとも、ずっとこんなところでのんびりしていられないと飛影は思った。
氷鳥の顔は今でも恐ろしかった。幽助や月架達は…。一体どうなってしまったのだろう……。
立ち上がり、霙に何か言おうと飛影が彼女に近づくと、それに気付かなかったのか、霙はまた嬉しそうに家の外に駆け足でいってしまった。
飛影が窓から外を見ると、家の前に車が止まり、中から男が出てきた。老人とも中年とも言えない、その中間くらいの人間だった。霙はその男のもとに駆けていったのだ。
飛影はガラスに掌をつけて、その光景をじっと見ていた。家の屋根の上から、藍色の空がその空間に押し寄せてきていた。
もうすぐまた夜がくる…。
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