その11
【小休止】
蛍光灯を消し、部屋を真っ暗にした後、彼女は南窓のカーテンを開けた。こうして毎夜、月光を浴びながら寝るのが、彼女の日課なのである。
網戸を開けて、彼女は柵(さく)に手をかけた。決してまぶしくなく、白く降ってくるこの月の光が心地よい。
秋の虫達は、いつからともなく、夜の間ずっと高い静かな音を鳴らしている。彼らがどこにいるのか彼女にはわからない。だけどそれでいい。何処か、同じ空間に居ることさえわかればそれでいい。息をついて月を見上げたあと、彼女は、静かに網戸を閉め寝ようとした。
と、その時、急に床に映る自分の影が消えたことに彼女は気が付いた。つまり 空から降り注いでくる月の光が消えたのである。彼女は不思議がって、網戸を閉めるのをやめて空を見た。月食のように 月が何かの影に隠れて欠けている。なんだろうあれは?と思うと、ソレは、なんと彼女の居る部屋に向かって落ちて来て,思い切り彼女に直撃したのだ。
彼女は窓からはじき飛ばされて 飛影と一緒に床に倒れ転がった。彼女が少し咳をついてよろりと起きあがると、目の前にいるものに驚いて
「飛影!」
と言った。
飛影も目が覚めると、全くわけのわからぬ所に居る自分に気付いた。そして目の前に居るのが
「…み…ぞれ…?」
ということにも驚いた。
「…貴様、霙か!?」
幽かな気配を察知した霙は、はっとして素早く飛影の口を手で塞いだ。
「!?」
そのまま彼女は,飛影を本棚の蔭に押し込んだ。
キイ、とその部屋のドアが開いた。
「霙ちゃんどうかしたの!?さっき凄い音がしなかったかい?」
「あーごめんなさい。寝てて落ちちゃったの。大丈夫。もう寝るから」
「そう…。気をつけてね。じゃあお休みなさい」
ドアはパタンと閉められた。
ふーっとため息をつくと、霙は飛影の方を見た。彼は本棚の蔭に座り込んで、大人しく塊になっていた。それでも彼の目は 光ってこちらを見ていた。月の光が、またその部屋を照らしている。
霙はぱっと手を離して、にわかに微笑んだ。
「久しぶり。あたしの名前憶えててくれたんだね。嬉しいよ」
彼女はにこやかに飛影に応対した。飛影の反応は無かった。
「なんでいきなり空から降ってきたの?しかもこんな時間に、こんな所にさ…。魔界で、何かあったの?」
相変わらず飛影の反応はない。
霙は少し面食らったようだった。彼女もそこに座り込んだ。
「飛影さ…… !?ちょ、ちょっと、飛影大丈夫!?よく見たらあんた血だらけじゃない!」
「今頃気付いたか、バカめ」
やっと飛影がしゃべった。
「あんたほどの奴が、そんな傷を負うなんて、一体だれと何してきたんだ!?一体何があったんだ!?」
霙は あくまで声をひそめていた。
相変わらず、何をどこまで知っているのか、わけのわからん奴だ、と飛影は思った。
「フン、貴様なんぞに話す必要はない。…オレはもう一度そいつに会いにいく。どけ!」
飛影は乱暴に霙を押し、棚を持って立ち上がった。彼の頭には、魔界に置いてきてしまった仲間達の顔が浮かんでいた。
「あんたをそんな傷だらけにした奴にか!?」
霙も立ち上がった。
「そんなボコボコにされたのにか!?飛影、ちょっと待って!見てるだけであんた痛々しいよ!ここでせめて体治してからいきなよ!!」
飛影はふと霙を見た。彼女の白い髪が月の光で淡く光っていた。
「貴様、治療する能力でも持っているのか?」
「いやそんなのないよ。私を誰だと思ってるんだ」
霙は急に開き直った。
「ならつまらん口を挟むな。大体、貴様が敵か味方かの区別もオレにはついておらんのだ。ただの人間は引っ込んでろ」
「待ちなって!傷薬と包帯くらいはあるよ!せめて話でも聞かせてからにしろ!」
霙はだんだん命令口調になってきていた。
「どけ!オレにはそんな時間などない」
飛影は窓の網戸を開けた。
「どうしても行くのか!」
「やかましい!」
そうして、飛影が窓の柵に足をかけた時、再び飛影の眼の前が白い閃光で覆われた。飛影は急に自分の気が遠くなっていくのがわかった。そのまま彼は意識を失い、バランスを崩し、後ろ側、つまり、霙の部屋の中に倒れた。彼はぐっすり眠っていた。
霙は彼をずるずると部屋の中に入れると、窓を閉め、タオルで彼の血をある程度拭き取ってから、ベッドに寝かせ布団をかけてやった。その後霙は、本棚の横にもたれて座り、そのままの状態で深い眠りに落ちていった。
朝が来た。
飛影はベッドから降りると、自分の体が包帯だらけになっているのに気付いた。部屋には自分以外誰もいなかった。右頬には絆創膏が貼られている。妙に左腕が楽だな、と思うと、左腕は肩から吊された三角巾に包まれて半分固定されていた。彼は、右腕で左手をぐいと動かした。ズキッと左肩が痛んだ。治っているわけではないのだな、と思った。昨夜霙と会った事を思い出していた。
廊下に出て、キョロキョロと辺りを見回し、飛影は静かに階段を下りていった。美味いものの臭いがした。そちらの方へ向かっていき、ドアを開けると、ぱっと広がった光の中に、霙が立っていた。
「うわぁ、起きちゃ駄目じゃないか。体中ズキズキするだろう」
その広い明るい部屋には、どうやら霙一人しかいないようだった。
「………」
飛影は部屋の中を見回した。
「貴様は、ここに独りで住んでるのか」
「まさか。昨日私の部屋に人来たの憶えてるでしょ」
「あいつは?」
「お出掛け」
霙はフライパンを使ってベーコンを焼いていた。テーブルの上には美味しそうな香りを漂わせる朝食が並んでいる。皿の数と種類からして、彼女は二人分の朝食を作っているようだった。
「そこに座ってなよ。もう出来るから」
飛影は言われるがままに椅子に座った。光の差し込んでくる、霙の部屋にある窓より大きなーーー躯の部屋に泊まった時よりも、もっと大きな窓の外を見た。そこは庭だった。緑色に繁る木や、赤い葉をつけた木や、白や桃色の花をつけた草なんかが、窓より少し向こうに立って、全て朝の光を受けて輝いていた。ここは一体何処なんだろう、と飛影は思った。彼は天井を眺めた。まだ朝だと言うのに、周りが全て眩しかった。悪い気分ではなかった。白い天井に白い壁。白い食卓。白い包帯。…白い髪……。
_____黒い髪………。
飛影の気配が変わった。
「はい、出来たよ。さぁ椅子をひいて」
霙は飛影の向かいに座り、椅子をひいた。飛影も素直に椅子をひいた。折り曲げた左腕がテーブルの端に当たりうっとうしかった。
「いただきます」
霙は箸を持って、ベーコンを食べ始めた。だが飛影は、全く食事には手を着けようとしなかった。
「………どうしたのさ。食べないと、あんたのケガは治らないよ。まずくないと思うから食べてみてよ」
「…………」
飛影は少し自分の前にある食事を見つめて、それから前に座って居る霙を見て言った。
「貴様は何者なんだ?」
飛影の目が霙を見据えていた。
「…何がだ」
霙は箸を置いた。
「ただの人間じゃないだろう」
「そう思うか」
「………」
少し沈黙が続いた。
「…貴様の行動には、普通の人間にしては、矛盾していることが多すぎる」
「あんたの名前を知ってたこととか、一人で魔界に来て一人で帰れたこととかか?」
「まだある」
「あんたに二回使った白い閃光の力か?」
「それもあるがまだある」
飛影は何か一つを特に聞きたがっているようだった。
「…何だ」
霙も飛影の顔を見据えた。
「何故オレを助けることができた」
霙は目の色を変えた。
「…………。
いちばん最初の話か」
「そうだ」
「………」
霙は少しして、スプーンを使ってポタージュを少し飲んだ。
「それは難しい問いかけだな」
霙は少し余裕を持っているようだった。
「それを説明するには、他の私の矛盾点を、たくさん説明してからじゃないと、説明できない」
「ならしろ」
飛影は霙の余裕ぶった雰囲気が少し気に障った。
「何故だ。そんなに気になるかい」
「ああ」
「敵か味方かわからないからか?」
「…………」
余裕ぶった態度を見せながら、霙は目だけは本気だった。
飛影は呟くように言った。
「…貴様が、敵ではないことぐらい、わかっている」
クスッ、と、その途端霙が笑い出した。
「何が可笑しい!」
「可笑しいね」
はははと笑ってから、霙はスプーンを置いた。そして、今度は真剣に飛影と向き合った。
「わかった。話してやろう。もともと、あんたにまた会うことが出来たら、話したいなと思っていたんだ」
霙は静かに微笑んだ。何故だろう、飛影はその笑みを見て、一瞬氷鳥の顔を瞼の裏に写した。そしてぞっとした。左肩が急に痛んだようにも思えた。
「実のところ、私はあんたの味方だなんて、思っちゃいないよ?私にもわからないんだよ。あんたとは敵で居るべきなのか、味方で居るべきなのか……。.私は、一体何処に居ればいいのか……何処かに居ていいものなのか……」
「………?」
飛影には、霙の言っていることがよくわからなかった。
「私があんたのことを知っていたのは、昔に、私はあんたと会ったことがあるからだよ」
「!?」
「あんたの言うとおり、私はただの人間じゃない」
「5歳までは氷女として、氷河の国で暮らしていた。6歳の時、人間に転生して、この、人間の世界に逃げ込んだんだ」
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