その15
闇が、どんどん飛影の中に吸い込まれてゆく。今まるで飛影は、暗い宇宙に浮かぶ、丸いブラックホールのようだった。
ただ本物のブラックホールと違うのは、彼自身が今、素晴らしく光り輝いていることであった。
闇の世界の創造主は、その輝くブラックホールを再び包み込み封じようとしたが、彼はとても今の飛影にはかなわなかった。彼自身も、二つの氷泪石の介入だけで、こんなにも圧倒的な力を手に入れられたことに少なからず驚いていた。
では、飛影はなぜ、その二つの石を見ただけで、これほど凄まじい力を手に入れられたのだろう。
彼が持っていた氷泪石には、昔から不思議な力が宿っていた。
目的も持たず、どうしようもなく生きている者や、自由を奪われたまま生きている者たちの生気を、その心に取り戻させる力があった。
自分以外の何もかもを殺していたムクロを救い、監禁され続け、自由を奪われていた雪菜を生かした。
盗賊と殺しに明け暮れていた飛影も、この石の不思議な力に気付かずにはいられなかった。
周りの者全てが敵だという時に、氷泪石だけは、彼の唯一の味方だった。
彼がどれだけの妖怪を殺そうと、どれだけの血を浴びようと、この石だけは、いつも同じ光を彼に与え続けていた。
故に、いつしか飛影も氷泪石を認めだし、盗賊達からの攻撃から、本当にこの石を守り始めた。
だから、それを失くしたときは全く許せなかった。
周りの者は全て敵、氷泪石だけは、自分を信じてくれていたのに。…大切だったのに。
無性に腹が立って、無性に辛かった…。
けれど…。なのに…。だから……。 彼は生きてきた。今まで。ずっと。
果てしなく続く闇を吸い込みながら飛影はつぶやいた。
「…貴様…海里とかいったな。お前の憎しみの根元は、雪消に見捨てられたこと…、裏切り、切なさ、哀しみか。
だが…、それは勘違いだぜ。今から教えてやる。貴様がいかに馬鹿げたことを考えていたのかをな」
飛影の眼と光が、眩しく闇の世界に輝いた。
ーー…やかましい。貴様などに、大切なものに見捨てられた私の心がわかってたまるか!
海里は再び、飛影に恐ろしいうめき声と凄まじい重圧を掛けてきた。
「うっっ……!」
飛影は多少喘ぎ苦しんだが、先程のようなひどい苦しみではなかった。今の彼には,苦しみさえも吸収する力を少しばかりその体に持っていた。
「……そ…うだな…。
…オレは…見捨てられたことこそはある…が……。オレには…大切なものなどなかった……。
確かに…大切なものに捨てられた奴の心など…オレにはわからないかも知れない…。
だが…」
飛影は闇の世界より掛かってくる力を、なんとか持ちこたえていた。
「…お互い様だ…。大切なものを捨ててしまった者の心は…貴様にはわからないんだからな…」
海里が一瞬反応した。
飛影の光を抑えようとする力、包み込もうとする力、闇の中へ閉じこめようとする力を、飛影は必死にこらえていた。
彼の脳裏に、高い崖の上から落ちてゆく氷泪石の光が映った。
「だが……それがなんだというんだ……。辛くとも…そこで終わるな…… 生きてみろ……」
飛影はつぶやくように闇の世界に言い放った。
その言葉に、海里が少し怒りを見せた。
ーーなんだと…。生きてどうするというのだ。果てなき辛さと絶望の中を、ゆらゆらと漂いながらえんえんと生き続けろというのか!?
徐々に、闇の世界の熱と重圧が強さを増していくのが飛影にはわかった。
飛影はその苦しみを、全て真っ向から受け止めていた。
「…別に…生きる必要などない」
飛影は一見矛盾しているようなことを言った。そう、生きる必要なんてなかった。
「だが……見捨てられたということだけで……。勝手に命を散らすな……。
…ただ…単に…それだけで死んだなら…、貴様はバカだ…。全くのバカだ」
”ー勝手に死ぬなー”
収まる気配のない海里の攻撃を受け止めながら、飛影はゆっくり闇に言った。
海里は飛影の言葉ひとつひとつが、無性にかんに障っていた。
ーー…なんだと……。貴様さっきからえらそうに……貴様が一体なんだというんだ…。
貴様が一体昔どんな思いをしたか知らんが、”今”を見つけてのうのうと暮らしていた妖怪のはしくれごときが…
その言葉には飛影も少し反応した。
闇の世界は飛影がしゃべるごとに、どんどん攻撃の強さを増していっていた。だんだん飛影の光が押され始めてきていた。
飛影は、闇の世界が自分の言葉にいちいち反応し、そのたびに怒りと戸惑いを見せていることに気付いた。
「……フン、やはりか…」
飛影はわずかに嘲笑した。
「貴様があのとき…、貴様と…全く関係ないオレ達を……波に包んで飲み込んだのは……。…雪菜がいたからか…」
飛影は二つの氷泪石を握っている方の手に力を集中し始めた。
「…雪菜……氷女が……き…貴様の…氷の精と…似ていたんだな……」
そして、その手をまっすぐ前に出した。
「…オレが…氷女といたから…かんに障ったのか…。フン、ばかばかしい…」
その手に、飛影は力を込め始めた。
ーーなんだと…。貴様…。
闇の世界の強さがまた増した。飛影は、だんだん自分の光が持ちこたえられなくなり、押され出してきていることに気付いていた。ようやくさっき戻ってきた体なのに、その体からどんどん体力が失われていっていた。
いや、もともとその体には、体力などというものは存在していなかった。闇の中にばらばらになって砕け散っていったものが、氷泪石の砂粒ほどの光の力で、ようやく繋ぎ合わされただけのものなのだから。
つまり、彼の体は初めから限界を迎えていたのだ。いや、”限界”という言葉すら、全くこの場では場違いな言葉だった。
今彼の体が無事なのは、ーーいや、決して無事ではないけれどーー、ひとえに、氷泪石と飛影の気力の御蔭であった。
氷泪石が彼を呼び覚まし、彼は気力で光を起こし、その光が、彼の体を守っているのである,
だから光が消えれば、飛影の体は再びこなごなになって砕け散り、今度こそその体は二度と再生できず、闇の中に永遠に封印されるであろう。
飛影は重圧をこらえながら、光を消すまいと必死だった。
今は光をなんとかしておかないと、彼は二度と復活できなくなる。彼は生死にはもはや頓着はなかったが、彼がいなくなれば、彼の握っている二つの氷泪石も、恐らく…闇の力で破壊される。
ーーそれだけは避けたい。雪菜の石もあるんだ。そしてその雪菜も、今オレのせいでオレと同じ”気”に包まれてしまっている。雪菜まで、オレと同じ……。
飛影はそこから先は何があっても考えたくなかった。だから文章には訳さなかった。
ーーそれに。
飛影がいなくなれば、必ず悲しむ者達ができる。彼が昔の魔界に住んでいた頃なら、そんな者は一人たりともできなかっただろう。だが、今は”今”だった。そしてその者達の哀しみは 永遠に消えない”傷”となって残る。そんな傷を友人達に残して、彼はこのままただ死にたくはなかった。
ーーあいつらがオレを放っておくはずがない。
驚いたことに、今、彼には”生きる目的”ができていた。そして、その者達はその傷を背負いながら、この先ずっと生きていかなくてはならなくなる。同じ目に、遭わなければならなくなる。嫌だ…それだけが、はっきりと彼の頭の中に浮かんでいた。
大切な……もの。
だから、
守ってみせる。
と、飛影は決心した。
「フ…ン…、哀れ…な奴だぜ……。か…勘違いで…。自ら…の命を絶つ……とは…な……」
ーーなに…ーー
飛影は、いよいよ自分の光が消えつつあるのに気がついた。もうすぐ…飛影は完全に”消える”。
「…さ…さ…っき…も…。…言おうとした…が…。い…言え…なか…った……。今言…う…。聞け…」
飛影の声が,だんだん小さくなっていった。
彼は、前に出した手を、彼の光の中でぱあっと開いた。そして彼は少しずつ、手にのせた氷泪石に力をこめ始めた。
「…………」
なに……!?
すると、氷泪石の光の中から、白くきらきらと輝く、世にも美しい少女が現れた。
”海里様……”
雪…消…様……?
雪消は氷泪石の中から出ると、すーっと等身大の大きさになり、飛影の光から出ていった。
飛影はそれを確認すると、そっとまた氷泪石をその手に握り、腕をすっと戻し、目を緩めた。
雪消は一人だけでも、十分に闇の世界に輝けていた。だが飛影の光はついに力を使い果たし、間もなくその闇に溶け込み消えようとしていた。
”…お久しぶりです…あれから何年経ったでしょう……あの時から…。私は元気です……”
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