雪消三角草

その14




「……………」

  カッ

「……………」

  コンッ

「………」

  コンッ

「…………?」

  コンッ

「……」

  コンッ…


飛影は、その音で目が覚めた。

「何の音だ」という文さえ考える力もなく、うっすら何かを開いてみた。そして彼はようやく気付いた。
ーーオレに眼がある!
まばたきができた。”感触”というものが戻ってきたのだ。飛影は気づきこそしなかったが、にわかに喜んでいた。
だがそれは本当にわずかな間、一瞬だけだった。相変わらず見えるものは、限りなく広がる闇だけだったからだ。
すぐにまた、彼に絶望の渦が被さってくる。
そう、ここは闇なのだ。果てしなく続く闇、何もできない闇。
眼だけが戻って来ても、それはえんえんと闇が広がっていることを再確認できるだけで、余計に絶望感を味わうだけだった。
そしてその闇は、やっと開いたその彼の目を、今再び閉じようと仕掛けてきていたた。
さらなる絶望に気付くと、飛影は元の通りまた、闇の世界を苦しみながら漂い始めた。
ーーそれにしても、さっきの音はなんだったんだ…?
再びその目を閉じ、遂に飛影の最後のかけらが闇の中へ消えようとしたとき、そんな考えが彼の脳裏をよぎった。
今目を閉じれば、もう二度とそれを開けることができなくなることを飛影は知っていた。
だがもう、彼は闇に抵抗をする気力が全く残っていなかった。
どうせ自分には何もできない、何もすることができないのだからーー………。



だがそのとき、彼の問いに答えようとしたのか、飛影のその目を閉じまいとするものが突如現れた。
”光”である。


飛影は驚いて、どこにそんな力があったのか、素早くその目をカッと開けた。
目の前で、ごくわずかに小さく光っているものがあった。砂粒ほどの本当に小さな光であったが、それでも闇で目が慣れている飛影には、ひどくまぶしく感じられた。
にわかに飛影の眼が輝きだした、と彼にはそう思えた。
だがその光は、今にも闇にとけ込んで消えていってしまいそうであった。

ーー…………!

飛影は無意識のうちに、なぜかその光を”守りたい”と思った。
自分の体がすでに散り散りになって、消えていってしまったというこの時に。
だが、これは、彼がこの闇の世界で絶望しきった後に、初めて彼の前に現れた”光”である。
たとえ砂粒ほどの光でも…。”光”と呼べないほどの光でも。
ーーーこんな闇に、この光を奪われてたまるか!!
闇の世界に閉じこめられてから初めて、飛影の感情が急激に高ぶった。


飛影の感情が高まると、なぜかその光も輝きを増した。飛影は念じた。その”光”に呼びかけた。
ーーー教えろ、お前はなんなんだ? なぜこの闇の世界で光を保っていられるのだ?
闇のせいで塞がれつつある眼を、飛影は必死にこじあけていた。
すると、飛影の願いに応じたかのように、その光がすーっと彼の方へ近寄ってきた。
眼を懸命にあけながら、飛影はその光の正体を見た。
ーー氷泪石だった。
飛影の眼の色がわずかに変わった。
蒼く光る石。死んでしまった母が残していった石。ずっと一緒だった石。何よりも大切だった石…。
その石の蒼い光が、闇に包まれてすっかり濁ってしまった彼の眼に、鋭く刻み込まれていった。
飛影の眼には、もう周りの闇などは映っていなかった。
そして、その氷泪石の陰で、コンコンと高い音を響かせるものがあった。
もうひとつの、氷泪石である。
飛影は驚いた。
ーーこれは、雪菜の氷泪石なのか!?何故こんなところに……!
”ーーーー飛影さん”
「!!」
飛影はびくっとした。脳裏に突然雪菜の声が聞こえ、そしてそれは余韻も残さず消えていった。
”光”と、”音”と、”声”が、今闇の世界で存在できたのだ。
飛影は、自分を起こしてくれた二つの氷泪石を、ただじっと眺めていた。
ーー………。


ーー思い出した。

ーー苦しみに冷静さを失い、ぐるぐる回って意識が遠くなったことが前にもあったと、さっき幽かに感じたが、それがいつのことだったか思い出した。
「哀」の印が初めて浮かび上がってきたときだ。
この印は、この印を持ってしまった者の全てを喰らう。肉体、魂、精神までも。
オレはそのことを知っていた。思い出したためあいつらに言わなかった。オレが消えていくことを、奴らに解らせたくなかった。
初めて印が現れたとき、オレは苦しみ、激痛を感じた。冷静さと意識を失って暴れ、多くの妖怪を殺した。
さっきの苦痛よりは遙かにマシだったが、そんな苦しみから、一時解放されたときがあった。
ムクロに助けられたからだ。
あいつはオレの暴走を必死に止めようとした。オレの左腕が妖気弾を何発も撃っているというときに、奴は冷静さだけは失わないようにし、オレに鎮痛剤をうち忌呪帯法をした。
やつの功績が、オレを助けた。
あのときは、オレは今みたいに、一人じゃなかった,


オレは雪菜を助けた。
波に飲み込まれ、深く深く沈んでいきつつあったあいつを助けた。
あのときの……。
あいつも、雪菜を助けようとしたんだ。
無惨にも、それは無駄な抵抗に終わってしまったが……。
それでも雪菜にとっては”光”だった。
ただひとつ信じきっていた光だったのだ。
今も、雪菜を守ろうとする奴がいる。傷だらけになって雪菜を助けにきた…あのバカ面。
…氷泪石……。
ムクロは、かつてこいつに助けられたと言っていた。
呪うことで強くなり、眼にとまるもの全ての命を奪っていった頃のムクロをである。
この光が、奴の何かを救った。
そして…。オレも……。



飛影は、いったん眼を閉じた。そして再びその眼を開けられることと、ちゃんとそこに氷泪石が映ることを確認した。
すると彼は、安心したかのように眼を緩めた。そしていきなりキッと眼を鋭くし、彼は気を闇に向かって全力で放出した。
「はあああーーーーーっっっ!!!」
彼が気を放出し始めると、すっとそこを支配していた闇が、どんどん飛影のなかに吸い込まれていった。
さっきまでの闇に漂っていた飛影とは、明らかに違った。
飛影は自分の手が戻ってきたことに気付いた。両手ともだった。足も戻ってきた。
彼の全身が、氷泪石とともに強く輝き始めた。
闇の世界の創造主は、それを感じて再び恐ろしい悲鳴を轟かせた。
だがもう飛影は、それに物怖じしなかった。
「もうやめろ。今から、オレが貴様を助けてやる」
二つの氷泪石をその手に握りしめ、飛影は闇の世界に向かって、静かに力を込めて言い放った。





広場物語へ 第13章へ 第15章へ