その13
…なぜだ………
暗闇に、哀しみと憎しみに溢れた声が響く。
三角草よ…なぜ育ってくれぬ……
若い男の声であった。しかし、その声には、いっぺんの”光”も”温かさ”も感じられない。
私はあの美しい精にもう一度逢いたいのだ……
苦痛と絶望に満ちた声だった。
私にはその資格すらないというのか……
その声が闇に響いては、余韻を残すこともなく、静かに闇に溶けていった。
ーー何を…言っている…。三角…草は…今……、ざわざ…わ…と崖の…上で…萌えて…いるぞ……。
闇の世界で、粉々にちぎれつつある飛影の一部が、音の存在しない闇で小さく叫んだ。
ならなぜあの氷の精は来てくれぬ。来なかった。来てくれなかった……
闇の濃さが、さっきよりもいっそう増したような感じがした。
ーー雪消は…、お前を見捨てたのではない……。
飛影は思った。思うだけで、それが何もない闇の中に響いて、そして吸い込まれていった。
ーー雪消は……お前のことを…覚え…ていた。雪消は…ーーーーー。
ではなぜ来てくれなかった!?
ずんと闇の世界が沈み、ドクン、という感触が、何もない闇の奥深くで大きく響いた。
雪消が私を見捨てたのではないのなら、何故来てくれなかった!?お前の言うとおり、三角草が萌えていたのなら
何故来なかったんだ!言え!!
飛影はさらに重なってきた苦しみに、喘いで押しつぶされた。
ーそ…れ…は………
ーーーー言えない。
飛影は言うことができない。
この若者の哀しみと憎しみの渦に巻き付かれ、苦しめられ、押しつぶされ、飲み込まれ。
果てしなく続く闇の世界、この苦しみの中では、飛影は全ての自由を奪われている。
今の彼には、なんの光も、温かさもない。
最後の最後のひとかけらまで、飛影は叫び続け……。闇の中に散っていった。
雪菜がガクンとうずくまった。
急に彼女の様子が激変したので、周りの者は、みな彼女を気遣った。
「雪菜ちゃん!大丈夫!?やっぱり、まだ寝ておいてほうが…!」
蔵馬が雪菜を支え、顔をのぞき込んだが、彼女はぶるぶると震え、唇をかたかた動かしながら首を小刻みに横に振った。
「いえ……。違うんです。違うんです。ちがう……」
つぶやきながら、雪菜は服の中から、ごそごそと何かを取りだした。蒼く光るものだが、それを見て、彼女は驚愕した。
氷泪石が、割れている。
「なっ…!氷泪石に……ヒビが…!」
ムクロがそれを見て言った。
「飛影さんに…このまえ…、返してもらった氷泪石…。私が自分で兄を捜すって……飛影さんと約束して…」
桑原も雪菜のもとに駆けつけ、心配そうに雪菜の顔をのぞき込んだ。
「雪菜さんっ…!唇が真っ青ですよ!」
雪菜は大変苦しそうである。
皆が彼女を取り囲む中で、幽助はひとり波を見ていた。逆巻く怒濤は、テトラポットの上の、平和な時間を感じていた粗い雪と草花をどんどん飲み込んでいった。
「……」
それから、彼は横目でちらちらと、雪菜と周りで心配する者達を唇をかみしめながら見ていた。
「…………」
雪菜の具合が悪くなったということは、その原因である飛影の身にも何かが起こっているといことであろう。
波が収まる気配はない。必死に飛影があがいて戦っているのだろう。
幽助はぐっと拳を握りながら、崖の下を沈痛な面もちで睨みつけていた。
本当なら、彼は今すぐ海に飛び込んで飛影の所に行き、自らを犠牲にしても彼を助けたいのである。
けれど、今の幽助には、それをすることができなかった。
今海の中へ飛び込んでいっても、恐らく、飛影はもうここにはいない…。それがわかっていて、彼は雪菜にあの言葉を言って、彼女を止めたのだ。
飛影は恐らく、別の世界へ飛ばされている。幽助は、その別の世界へ行くことができないのだ。
それは蔵馬やムクロも気付いていた。どこにいるか、どんな世界にいるか知らないが、今、誰も、飛影を助けに行くことなどできない。
だから、何もできることが、ない。
ただおろおろと、彼が残していった最愛の妹を気遣い、彼が消えていった海を為す術もなく眺めるだけである。
悔しかった。
許せなかった。
何もできなくて、どうすることもできない自分たちが。
情けなくて惨めで、あの巨大な魔界を統一しようとまでした自分たちが、一人の友人すら助けられない。今は自分たちが、本当に限りなく小さく思えた。
雪菜が、小さな声でうなりながら立ち上がった。
蔵馬と桑原は、彼女を支えながら「大丈夫!?」という言葉だけを連呼している。
彼女は割れた氷泪石を血がにじみそうになるくらいその手に握りしめ、彼らに支えられながら崖の端に歩いていった。
端まで行くと、雪菜は、ふっと目を閉じた。
すると、何を思ったか、雪菜はその蒼く光る氷泪石を、遠い海へ投げ捨てた。
「!!」
「雪菜ちゃん!!」
そこにいる者達はみな、飛んでいく氷泪石の軌道を目で追いかけ、そしてその目は最後に海の中へ向けられた。
波で音はかき消され、水面には波紋の一つも浮かび上がらなかった。
「飛影さん………」
と幽かな声でつぶやくと、雪菜はガクンと首を垂らした。
「雪菜ちゃん!」
蔵馬が叫んだ。
「…大丈夫だ、ただ気力を使い果たし、失神しただけだ。だが、すぐに回復させないと、また目覚めるまでしばらく時間がかかる。…よくここまで気張ってでてきたもんだ」
ムクロは、飛影があれほど大事にしていた妹の姿を、その眼(まなこ)にしっかりと焼き付けようとしていた。
そして、ムクロは雪菜を担ぎ、桑原と共に彼の家に雪菜を運んでいった。
今は皆、自分にできることだけを精一杯やろうとしていた。
幽助と蔵馬は、そこに残され、何も発言せずただ波の音を聞いていた。それだけが、彼らにできるただひとつのことだった。
「……波が……」
蔵馬が幽助に聞こえるくらいの声で言った。
その次の蔵馬の言葉で、幽助は崖の下に振り返った。
嫌な予感がした。
「……静かになってきている………」
飛影が……くたばったのか………!?
「ッ!!」
飛び込もうとする幽助の体を、必死に蔵馬が掴んでとがめた。
「幽助!行ったって、飛影はもうここにはいません!オレ達は、飛影のところにはいけないんだ!!」
「……そのくらい!オレだってわかってるよ!…けど…けど……!」
幽助と蔵馬は、ぐっと力を奮いだたせながら、注意深く波の音を聞いていた。
徐々にではあったが、少しずつ波が静かになりつつあることを、幽助も蔵馬もはっきりと感じ取ることができた。
取り返しの着かないことをしてしまったのか、あの良き友は、もう帰ってきてくれないのか!?
言いしれぬ絶望が、再び彼らの前に覆い被さってくる。
飛影_________!!
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